「桜。それとイリヤに藤村先生。ちょっと話があるんだけど、いいかな」

 夕食のあと、皆でお茶をすすっているタイミングで切り出した。
 士郎に目配せ。うん、と頷いてくれる。

 それを聞いた桜は、何となく強張った顔。ううん、夕食の前からずっと。
 玄関で私が士郎に抱きついたのを思いっきり見られたし、さっきから何度か士郎が私を名前で呼んでるから、既に不安や予感めいたものを感じている事は間違いなさそう。
 夕食の間ひと言も自分からしゃべらなかったし。


「なん、ですか」

 茶碗を止めて返す短い反応にはぎこちなさも表れている。
 桜。これから私、とても自分勝手な事を言うけど解って。


 この町に居ればきっと彼は平凡に生きられる。
 友人も姉のような人も桜もいて。決して不幸にはならないと思うわ。

 でも私はね。
 彼を幸せにしたいの。
 その隣で一緒に笑いたいの。

 だから、曖昧さでつくられた篭から出る事にしたわ。彼も私もね。


 篭へ押し込められた鳥は羽ばたく事を忘れてしまうのよ。
 自分で飛べない鳥は鳥とは呼べないでしょ?

 篭は彼自身の中にもつくられていて。
 それはささくれ立っていて、少しずつ羽をむしっていくの。
 彼の翼は大きいから、なおの事苦しいのよ。
 そうして丸裸にされて。
 正体の解らないものになってしまう前にね。


 篭の扉は私が開けたの。鍵の場所はちょっと教えてもらったけど。
 鍵の代わりに差し出す物は、私の全て。


 彼の翼が何処へだって行く事が出来る為に。貴女にも解って欲しい――





――分かち合う痛みと喜び、櫻色に染まって――





「桜。私ロンドンに留学する時、士郎を連れて行くから」

 一瞬、は?と不思議そうな顔を見せたが、すぐに私たちを睨む視線に変わる。

「何ですか、それ――。意味が解らないです。先輩?嘘ですよね」

「いや、本当だ桜」

 途端桜はぶるっと肩を震わせ茶碗を握り締めた。
 イリヤと藤村先生は間に入らず、私たちをただ見つめている。

「悪いわね。でももう決めちゃったから」

 相対する瞳に負けぬよう、心を澄ませて言葉を出す。

「…目茶苦茶です。いきなり勝手にそんなの」

 ――やっぱりそうよね。私も急ぎすぎかなって思うもの。
 でも出来るだけ早く告げるのが、私なりの誠意だから。

「桜、聞いてくれないか」

 士郎の真剣な顔。それがいっそう桜を閉塞させる。

「…聞きたくありません」

「お願い。聞いて貰わないと嫌なの」

「聞きたくありませんっ」

 ああもう。頑なな子ね。
 思わず体が前に出そうになるのを、士郎が制してきた。俺が言うよ、とその目には意思。

「それでも聞いておいて欲しいから、勝手に話すよ」

「…」

 桜の強い瞳が私から士郎へと移ったが、彼はひるまずに。

「俺は、卒業したら遠坂――凛と一緒にロンドンに行くよ。俺の弱い所やずるい所とかまで全部相手出来るの、凛しかいないから」

 こんな状況で不謹慎だけど、嬉しい。体ごと心ごと全部信頼され預けられる。
 それに応えるためなら、幾らでも力が沸いてきちゃいそう。

「凛は確かにたまに目茶苦茶だし、我侭だし短気だけどさ。凄い奴だ。いい奴なんだ。俺なんかにずっと構ってくれて、あんまり得意じゃないくせに頑張って気遣ってくれて」

 一応気付いてはくれてたんだ、士郎。

「今日の放課後、言われたんだ。あー、ぶっちゃけちまうけどさ。もう半年以上経つけど、やっぱりセイバーの事思い出しちまうんだよな。でも凛は、それを含めて、むしろそのままの俺を好きだって」

「それどころかセイバーの事好きじゃなくなったり忘れたりしたら許さないってさ」

「…ッ!」

 一瞬、桜の眉が何処か痛めたかの様に歪む。

「ああもう俺何してたんだろうって。こんな可愛い奴ほったらかしにして、普通にしてたつもりがいつの間にかただ浸ってただけだった」

 そうよ。貴方が立ち止まってるのを見ても、セイバーはきっと喜ばない。
 ――まあ私も半年以上経ってやっと、こんな事思えるんだけど。
 彼女を汚さぬためにも、想いと思い出を枷にしてはいけない。
 それらは心の両足に込めて、歩く力にしなくちゃ。

「そう気付いたら、もうコイツしかいないって思っちまった。俺、凛が一緒にいてくれるならちゃんと前を見て歩けると思う」

 皆じっと士郎を見詰めている。
 多分こんなに士郎が自分の気持ちを表すのは初めてなんじゃないだろうか。

「――いや違うな。ただ、遠坂が好きだから一緒に居たい。それだけだ。だから俺は行くよ」


 ぴく、と桜の肩が揺れて。
 それきり誰も言葉を発しなくなった。
 時計の動作音が、それこそ時限式爆弾の音ように感じられる。

 深く濃く、感情がうねる桜の瞳。私がそこへ投げかけるのは、士郎への想い。ただそれだけ。
 それは彼女も持つ光。
 私よりも随分長く、その胸にあって彼女を揺らし焦がし続けてきたのでしょうね。
 そうして心に生まれたものの名前は、言うまでもないわね。

 でも、もらって行くね。欲しくて欲しくて仕方ないから。
 ううん、愛してるから。
 誰よりも。藤村先生よりも。イリヤよりも。貴女よりも。セイバーよりも――。

 そう信じる気持ちを――いや、確信を視線にのせて。
 貴女の奥にも届くように。真っ直ぐに。





 どれくらい沈黙が横たわっただろう。手の中の茶碗の温もりがすっかり消えているのに気付いた頃。
 重く重く色の沈んでいた瞳が、少し薄まった気がした。そして――。


「そっか…。そうなんだ。やっぱり遠坂先輩って凄い人ですね。…私にはそんな風には言えないもの。私だけを見ていて欲しいもの。本当に我侭なのは私の方…」

 たぶん私たちじゃなく、彼女自身に向けられた言葉。
 眉をしかめたまま口の端だけ無理矢理上げて笑って――自身を責めているのだろうか。


「ふー。…解りました。もう勝手に何処へでも行って下さい。でも」

 そこでいったん言葉を切り、桜が腰を上げる。

「1つだけどうしてもしておきたい事があります」

「ああ。俺に手伝える事なら遠慮せずに言ってくれ」

「はい。遠慮しません。…先輩に遠坂先輩。正座して目を閉じて下さい」

 その言葉の意味する所は――そうね。それくらいはされても当然かな。
 もちろん藤村先生もイリヤも何も言わず、かと言って目を逸らすわけでもなくしっかりと見守っている。

 流石に士郎にも桜の意図が理解出来ているみたいで、ふたり並んで姿勢を正す。
 そして目を瞑って数瞬。

 ぱしーん。
 隣から破裂音。

 続いて私の左頬でも同じ音が鳴らされ、じわっと滲む熱、そして。
 …あー痛い。これは本当に痛いわよ、桜。少なくとも死ぬまで覚えていられるくらいには。
 と――。


「うう…くうっ、ふええええ」

 びっくりして目を開けると。桜が、力が抜けたようにしゃがみこんで声をあげだした。

「…もう。叩いた方が泣かないでよ」

「ぐすっ…だって、だって……叩いちゃった…うええ」

 子供みたいになって泣きじゃくる。
 桜は優しい子だ。もちろん中身にはしっかり強さを持っているけれど。
 それは周りに優しくあるための強さだから。自分が傷つくことよりも、誰かが傷つく事を嫌う。
 まるで――

「いや。ありがとう、桜」

 貴方と同じにね、士郎。
 ふふ。貴方の方は叩かれてるのにお礼を言うのね。やっぱり似てるわよ。

「私からも。ありがとう、桜」

 …こいつらの馬鹿は事のほか伝染しやすいみたい。私も心からお礼を言わせて貰うね。

「ぐす…もうふたりして…変な人たちなんですから。うふふふ」

 桜が今度こそ、微笑んだ。目は真赤だし鼻をすすってるけど、とても素敵な顔で。
 その様子をイリヤと藤村先生が目を細めて見ていたけど、

「サクラ、私も叩いていいわよ。いえ、叩いて頂戴」
「だね。わたしもだよ」

 なんて言い出した。士郎がふたりをキョロキョロ。

「え…え?どうしてです?おふたりを叩く理由なんて…」

 当然桜が1番動揺して困惑してるけども。

「理由ならあるわよ。リンを焚き付けたの、私だもの」
「わたしはその場に居てそれを知ってたけど桜ちゃんに何も言わなかった罪かな」

 むー、藤村先生やっぱり聞いてたのね。

「でも…」

「それに何か私達だけ関係ないみたいでイヤじゃない?」

「だねー。嬉しいもの楽しいのも、悲しいのも痛いのも、出来るだけみんな一緒がいいな。わたし、士郎のお姉ちゃんだけじゃなくて。遠坂さんやイリヤちゃん、そして桜ちゃんのお姉ちゃんにもなりたいな」

 ほにゃっと破顔する。とても殴ってーなんてお願いしてる顔には見えない。
 桜はうーん、と一息ぶん唸ったけど――


「…わかりました。でも、手加減はしませんよ?」

 すっと立ち上がる。

「ええ。本気で来てくれないと意味がないわ」
「どーんと来ちゃって?お姉ちゃん強いから平気」

 そう言って瞼を閉じ少し上を向いたふたりの頬に。



 桜の花がまた、咲きました――。






 士郎をお風呂に追いやり、残りの皆は何となく庭に出た。
 高みには、円に少しだけ足りない月が独りぼっちでこちらを眺めている。
 それは何となく金糸をまとった少女と重なって、急に眩しさを覚えてしまう。


「いい月ね。――ほら、みんな座りましょ?」

 月明かりに白い肌をいっそう透き通らせるイリヤがすでに腰を下ろしている。
 その言葉に誘われた私たちも、柔らかい草の上に静かに小さくなった。

「さ、普段話せないような恥ずかしい事を吐き出すには絶好の機会よ?タイガが先陣を切ってくれるとサクラたちも多分やりやすいと思うんだけど」

 えいやーと竹刀を振るようなジェスチャーをして藤村先生に見えない面を一本。
 彼女は司会進行にまわる様だ。…気ばかり遣わせてるなぁ。

「はーい。じゃ、先鋒いきまーす」

 御指名を受けてしゅたっと手をあげ、でも口調には勢いを少なめに藤村先生が話を始める。


「うーん。面倒だから前置きとか省略するね。ま、士郎自身に言われるまでも無くセイバーちゃんが帰ってからはボケボケ士郎だった訳で」

 ”帰ってから”――表向き彼女は親戚筋を頼りイギリスへ帰った事になっている。

「はい…。そうですね。何処か、遠くばかり眺めてました」

 桜が相槌。

「うん。だからお姉ちゃんとしては何とかしたいなーと思ったんだけど。」

「…はい」

「でも何もしてあげられなかったのよね。士郎が誰かひとりの事であんなふうになってるのって初めて見たし、それに――ちょっと怖かったのかな」

「それでまあキョロキョロしてたらね。遠坂さんは遠坂さんでちょっといつもと違うかなって思ったの」

 藤村先生がこちらに目を配る。――はい。まだ私が口を挟める所じゃないですね。続けて下さい、先生。
 頷く私に微笑して繋ぐ。

「セイバーちゃんがいた頃にはいつも誰より前を歩いてた遠坂さんが、士郎の後ろを歩くようになってて。何かじれったそうにしながらね。」

「…でも遠坂先輩がいちばん頑張って先輩に気を掛けていらっしゃったと思います。遠くから見ていると凄くいじらしくて、何故か痛ましくて」

「うんうん」

 あはは、手段もあても無く恐々しながら付いてまわってただけなんだけどね。

「勿論私も何かしてあげたかったです。でもうーん、くす、私も先生と同じですね。度胸が無かったんです」

「でも、遠坂さんは多分全部知ってるみたいで。その上で、何か探してた。そーゆー所見たてたらね。あーもう追いつけないかな、私じゃダメかなって思っちゃった」

 少し俯いて話す視線の先で先生の手が、もてあそんでいた草の1本を、ぷつんと抜き取る。
 そうですね。私先生からも、士郎を取ったんですね――。

 ひゅう。その手から、風が草を連れていく。すると残された先生からも笑顔が消えていて。

「ねえ遠坂さん。ちょっと思ったんだけど。ロンドンに行くんならさ、セイバーちゃんトコ近いんじゃないのかな?」

 …やっぱりそこに辿り着きますよね、先生。
 ロンドンへ行くのが私だけならその理由で押し通せたんだけど。


 月を湛えた藤村先生の瞳。そこに疑念や怒りは無く。ただ静かな水面のように私を待つ。
 ああ駄目、もう嘘つけない――

「――いえ。もう2度と、会いたくても会うことは出来ません」

 ギリギリの線を探りながら答える。
 そう。会いたくないとかじゃなくて。会いたくとも、会えない。

 断言した私の顔――目を更に深く真っ直ぐ見つめてくる藤村先生。
 先生。駄目なんです。彼女は、同じ世界にはもういないんです。

「…そっか――。遠坂さんが言うなら、そうなんだね。うん、今度は遠坂さんがホントの事言ってくれてるって解るよ。大体イギリスくらい、士郎ならとっくにぱーっと追いかけて行っちゃっててもおかしくないもんね」

 ――ッ。見抜かれてた。
 私はどんな顔をしたのだろう、ふと先生は珍しく痛ましそうな顔をした。

 ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい。
 いっぱい嘘ついて、迷惑かけて、それなのに何も言わず見守って下さって――。


「ごめんね。その事はもうこれ以上詳しくは聞かないわ。だから笑って、ね?遠坂さんせっかく綺麗なんだから」

 …はい。強い貴女たちから士郎を連れてっちゃうんですものね。
 私も負けないだけ強くないと駄目ですよね。
 こく、と私が頷くと、先生もぽかぽかした顔に戻る。

「うふふ。結局大外一気で遠坂さんの愛の勝利になっちゃった訳だけど」

 くす。先生、学生相手に競馬用語はいかがなものかと。

「先輩も何だか元通りみたいになっちゃってますしねぇ。もう、敗北宣言しちゃいそうです。気付いたら10馬身差ですよぉ」

 なんて桜まで乗りながら、腕を伸ばしてえい、とグーで肩に触れてきた。桜にしては珍しい。

「…だからって、士郎にあなた達が必要ない、って事じゃないからね」

 そのグーの指を解いてあげ、私の手と重ねる。

「じゃあ先輩を連れて行かないで下さいよー」

「悪いわね。そこは譲れないの」

「もー、ひどい我侭です遠坂先輩」

 可愛い顔をぷくっとさせて、手を強く握り返してくれた。

「我侭はリンの専売特許みたいなものだから仕方ないわよ。竜巻みたいに全部持ってっちゃう所もね」

 初めて参加してきた司会進行が失礼な発言。
 …まあそうなんだろうけど。でも代わりに責任はキッチリ果たすから。

「あーあ。明日あたり美綴先輩に泣きついちゃおうかな」

「…アンタ、本気?」

 泣きつく相手としては微妙な選択じゃない、それ?

「はい。いいえそれだけじゃなくて他の弓道部員たちとか、クラスの友達にも教えてまわっちゃいます」

「…貴女ねえ」

 そんな事されたら恥ずかしさでこれから不登校になりそう。

「ちょっとくらい意地悪、いいじゃないですか。それともその程度でおふたりはダメになっちゃうんですか?」

 冗談じゃない、そんなわけ無いでしょ、と心の中で反論しながら桜を見やると。
 そこには頬に月光を湛えながら、笑顔。別に本気で意地悪しようとしてる訳じゃないみたい。
 ひょっとして桜なりのけじめと応援なのかな。

 ――そっか。貴女が笑って送り出してくれるなら私も腹を決めていかないとダメね。

「…もう、好きになさい。かえって立ち振る舞い方を考えなくていいから楽かもね」

「はい、好きにさせて頂きます。おふたりがラブラブですーって言いまくりますから」

 あは。やっぱり応援なんだ。

「じゃあ私は商店街にでもふれて周ろうかしら」

 イリヤ、そこまでしてくれなくていいわよ。噂に尾ひれどころか足まで生えて跋扈されるわ。
 でも感謝するね、ふたりとも。

 くすくすと3人で含み笑い。
 それを目を細めて見ていたが、

「遠坂さん、余ってる手、こっちにちょーだい」

 突然言うより早く、私の手を奪う藤村先生。

「で、私の余った方はイリヤちゃんと」

 先生の思惑が伝わった様で、イリヤが先生と繋いだのと反対の手を桜へ。
 すると、丁度皆で円を作る形になる。
 こういうのちょっと久し振り――いえ多分初めてで、それなのに懐かしくて、恥ずかしいけど暖かい。

「うん。これでよし。真・女達の友情誕生なのだ。コホン。――本日この時を以てこれより永劫に、衛宮家の庭にその揺るがぬ礎をっ」

 解る様な解らない様な事を言いながら、むふーっと御満悦で繋いだ手をぶんぶん振る先生。
 そんな様子に誰からとも無く、微笑みあう。



 かごめかごめの真ん中には、いつのまにか仲間に入っていた月が私達と同じように微笑んでいた。







 傍から見たらなんか怪しい儀式みたいな事してる私たちに、『おーい、何やってんだ蚊に刺されんぞー』なんて大ボケな声が掛かったのはそのすぐ後。

 今は、桜が私に抱きついて寝息を立てている。うーん。
 もう遅いですから泊まって下さいというか私と一緒の布団です、なんて妙な勢いに押されるままに。とほほ。
 士郎の許可は?むしろ貴女も一応お客さんなんじゃ?なんて突っ込む隙も無かった。
 さっきので桜の変なスイッチまで入れちゃったかも。

 さすがに疲れたのだろう、布団にもぐるなりあっという間に沈んでいったその可愛い寝顔を見ている私。
 急に色々事を起こして色んな人に迷惑かけてるなー、なんて考えていると目が冴えてしまう。

「水、のんでこよ…」

 そーっと桜の手を解いて台所へ忍び足。



「あれ…」

 居間の方が明るいな、と思ったら。
 障子が開け放たれたいて、そこには月を見上げる士郎。
 一瞬、瞼に焼き付いた屋上の光景とだぶってドキッとしたけど、ちゃんと心が感じられる立ち方。

「…何してるの?貴方も眠れない組?」

「うーん。そんな感じかな。色々考えちまって」

 首だけ回って返事が返ってきた。
 くす。理由もおんなじか。
 自然と隣に寄り添い、腕を絡め取ってみる。

「な、なんだよ」

 むー。なんだよとは何よ。いいじゃない誰も見てないんだし。それともお月様の許可でも要るのかしら?

「まあ…いいけどさ」

 そう笑って。

「なあ。後悔とかしてないか?」

 ――っ!
 ばっ…この男は全く何言ってくれちゃってるのよっ。どうしようもないわね。

「まさか人様の告白忘れちゃったなんて言わないわよね、衛宮くぅん?」

 全力2歩手前くらいで二の腕をつねつね。

「ぐあ、痛いって。…幾らなんでも今日の事忘れるわけ無いだろ。大体すげえ威力だったしな。ガンド5,6発分は軽かったぞ」

 その割には平静だったような気がしますわよ、衛宮くぅん?
 でもそうね。あれ、今日だったんだ。
 更に速攻で桜にも言っちゃって、皆ひっぱたかれて。
 聖杯戦争の頃の一日よりも遥かに濃かったわね。

「何よ。病的鈍感にはそのくらいじゃないと通じないのよ」

「それについては謝る。おかげで大分待たせちまったな」

「ふん。もっとも彼女と別れてすぐ、っていうのもあんまり趣味じゃないし丁度いいくらいじゃない?」

 うう、どうしても強がりが先に出ます、私の口。

「そう言ってもらえると助かる。…なんか助けられてばっかりだな」

「気にしないの。私はいちばん美味しい所貰ってるし」

 絡めている腕に力を入れる。

「…士郎の方こそ、どうなのよ」

「何がさ?」

 本気の疑問符を挟んできやがったわね。
 この程度のボケで凹む弱い精神は既に放課後の屋上から放り投げちゃってます。

「私を好きだ、って。気の迷いとかその場の流れとかじゃないって言い切れる?」

 この問いは怖いかも。でも聞いておかなきゃ。

「ああ。俺は遠坂凛が好きだ。――確かにやたら急展開だったけどさ」

「うん」

「でも多分それってな。半年で溜めに溜め込んだ事が、つっかえが取れて一息で一本に繋がっただけだと思う」

「――うん」

「冷静に思い返すとこの半年間くらいの思い出って、凛が一緒のことばっかりだしな」

 ――ホッとした。無駄じゃなかった。彼もちゃんと私を見ててくれた。うくぅ、ちょっと目が熱い。
 士郎がちらっとこっちを見て、鼻の頭を掻きながら続ける。

「それに…さ。俺、ずっと前から凛のこと憧れてたし」

 …はい?今なんて?

「何だよ…。変な顔して。…くそ、口滑らせたな」

 失礼ね。変な顔なんてしてないわよ。驚いたのよ。喜んでるのよ。

「まあ、こんな夜だしね」

「忘れてくれるか?」

「だーめ。たまに思い返して悦に入ります。そんで棺桶まで持って行きます」

 くるっと士郎の正面にまわり、ぎゅーっと抱きついてみた。
 ふふふ、私もつっかえが取れたら一気に積極的になっちゃったわ。
 彼もそれに応えて私の腰を抱いてくれる。
 士郎の鼓動。温もり。匂い。それだけで五感が狂いそうな程に感じる。
 あちゃー、おまけになんか私ちょっと変態っぽくなっちゃってるかも…。


「ねえ?」

「ん」

「もう一回だけ訊くね。貴方をハッピーにするの、私でいい?」

「ああ。皆が呆れるくらいに豪勢に頼む」

「うん。わかった。セイバーが呆れるくらいにね」

 聞いた彼は優しい顔。
 そしたら何だか急に安心しちゃって。
 もっと体をくっつけてしばらく、揺りかごの彼に身を任せてみた。





 頭上には、また私たちを眺める月が揺らめく。
 大丈夫よ。もう切ない気持ちであなたを見たりしないわ。

 これからあなたを見る時は。
 この暖かさと安らぎと誓いを思い出すから。

 だからこれからも、私たちの夜を照らすのを少しだけ手伝ってね。