ちゅんちゅん。

 少し開いているカーテンの隙間。
 そこから見える木の上には陽光を浴び睦み合う2羽の小鳥。
 すぅー、と横になったまま深呼吸すると、それは畳と木の匂い。…畳?木?

 …ああ、そうだったわね。
 この間から士郎の家で暮らす事にしたんだっけ。

 結論から言うと士郎と一緒の部屋にはならなかった。
 好き勝手言いふらしてくれる割に桜と虎は同衾を許してはくれなかったから。むーっ。

 畳の上で寝たのなんて久し振り。ちょっと体が痛い。
 そのうちベッドを(士郎に)用意し(させ)よう。
 うう、疲れがイマイチ抜けてない、眠い…

 コンコン。ん、誰だろ。

「遠坂ー起きたかー?朝飯だぞー」

 ――。目が醒めました。エンジンも温まりました。体を起こして応える。

「…どちら様かしら?」

「何だ寝ぼけてるのか遠坂?」

「いいえ。今日の目覚めは珍しく爽やかだわ。それより、そんな他人行儀に起こしに来てくれる男の子の知り合いに覚えは無いんだけど?」

 ぐぁしまった思わず、とか襖1枚挟んでくぐもった声。寝ぼけてるのは貴方の方ね。

「さ、どちら様?」

 すうーっ、見つめていた襖が開く――っておい。

「おはよう――凛……っ!?」

 いきなり入って来ないでよねっ。…まあいいけど。ん?何私のこと指差して。顔茹で上がってるし。前?


 !!!!????お、おな、お腹丸出しっ!?
 いやパジャマのボタンなんか全部外れてるからお腹どころじゃないっブラなんて勿論してないしっ。
 ああ、今朝方少し暑かったからボタン自分で外したような気もっ。
 脊髄反射でがばっと布団で隠す。ああもうこの馬鹿バカばかっ!!



「…胸、見たわね」

「ばっ…見てない見てないぞっ」

「こっち向くなッ出てけヘンタイっっ!覗き痴漢性犯罪者ッ」

「な、幾らなんでも性犯罪者はひどいぞっ大体一瞬何処にあるのか気付かなぐわッ!」

 ふー、おニューの目覚し時計(ベル4個付き)で勘弁してあげる、寛大な私。
 入り口には目覚ましを喰らって眠りに落ちた士郎が大の字。

 どたどた。誰か走ってきたみたい。

「遠坂先輩どうしたんですかっ!?何か悲鳴がしましたよっ――あれ、せん…ぱい?」

 うん、それはそこで倒れてる奴の悲鳴よ。私じゃなくて。

「鼻血が…出てます先輩ッ」

 昏倒した士郎の肩をガクンガクン揺すってうろたえる桜。どいつもこいつも楽しいわね。
 からかいがいがありすぎる。

「そいつが覗きに来て私の艶姿を見て卒倒、OK?」

「な…せ、先輩がそんなまさかっ遠坂先輩程度のっ」

 …待て桜このヤロウ。聞こえる程度の小声で言うな。

「そいつ居間に運んで行ってくれる?私着替えるから」

 そう言って布団を外した私の胸がはだけているのを見た桜は。

「ッ――はい…解りました。先輩の血は私が優しく止めておきますね」

 にこり。桜その台詞、止血とは少しニュアンスが違う気がするんだけど。首とか締めないでね。

「さあせんぱい、一緒に朝ごはんを食べましょうねー。あら?朝ごはんと一緒にせんぱいを食べる、だったかな?うふふ、まあどっちでもいいですよねー」

 ずるずると士郎で廊下を拭きながら桜が戻っていった。
 生還できるかしら、彼。


 全く。士郎ったらもうちょっと上手い事言えないのかな。
 そしたら私だって――
 ぼっ。
 私だって、何よ。少女漫画なの?ラブコメなの?





――綴られる思い出の中、殊に美しく――





「では、お先しますね。おふたりとも遅れちゃダメですよ?」

「もう。わかってるってば」

「ああ。桜頑張れよー」

「むー、私にも頑張れって言ってよー」

「はいはい。藤ねえも頑張れ」

「ふふふ。よし、お姉ちゃんガッツでた〜」

 朝錬でいつも早く出る桜と藤村先生。
 イリヤは用事があるといって早くから出かけたらしい。まあ彼女を心配するだけ無駄無意味ね。
 士郎と私はちょっとゆっくりしてから。
 といってもゆっくりしているのは私だけ。洗いものをする彼の後姿をぼーっと眺めて待つ。
 …背中が少し大きくなった様に見えるのは多分私の気のせいじゃない。

 テーブルの上にはお弁当が2つ。当然メイドバイ士郎。
 同じデザインで色と大きさがちょっと違う容器。それを包むハンカチもまた色違い。
 うひゃ、何かベタベタじゃない?うふー。

「…何を妙な声出してるんだ」

 洗いものをしながら振り向いて会話が出来る所に、彼の主夫の才能が見え隠れ。

「ん?や、おそろいだなーって思って」

 コレコレ、と両手に1個づつお弁当箱を持って軽く振ってみせる。
 早く食べたいなー。もちろん気持ちの表現上でだけど。

「だっ。で、でも桜も藤ねえも同じだぞ…」

「むー、ロマンの解らない男ね」

「悪かったな。今日は屋上で食べるのか?」

「んー、今日は綾子も入れて3人で弓道場って約束しちゃった」

「本気か。また美綴のおもちゃにされそうだな…ついでに絶対おかずも取られる」

「そのくらい気にしないの。むしろこれでもかってくらい見せ付けちゃう?綾子あれで結構純で打たれ弱いから反応が楽しいのよね」

 きしし、と思わず彼女の笑い方が移ったみたい。

「…結局恥ずかしい思いをするのは俺なんだよな」

「何よ。衛宮君は私と仲良くするなんて恥ずかしいの?嫌なの?」

「馬鹿。そんなわけ無いだろ。その逆だ。自分みたいな情けない奴が遠坂凛っていうとんでもなく可愛くて完璧で意地悪で、でもやっぱり可愛い女の子の傍に居ていいのかって恥ずかしくなるんだ」

 きゅう。ちょっと油断。朝から敏感な所をストレートにつついてくるのはやめてよね…。いや、彼につつかれると全身敏感な所になるのかも。

「もうっ。何度も言うけど私がいいんだからいいの。それに士郎は情けなくなんか――ない」

 言ってからハッとなる。うああ、また告白してるみたい――
 思わず畳の目なんか数えちゃうわよっ。
 なんで今日は起きてからこう何度も体中の血管を拡げてるのよ。体に悪いじゃない。
 きっと全部士郎のせいに違いない。

「ほら、洗いもの終わったでしょ!さっさと支度するっ」

「いてっ!今度はスリッパかよ。何でもかんでも物を投げるなっ」

 黙れ。柱時計ぶつけるわよ?





 手にしたお弁当のいい香りが私をちょっと高揚させてくれたのか、今日は腕なんて組んで登校。
 掻き乱されていない空気を吸い込んで胸を張って。

 あ、大分色付いた葉っぱが多くなって来てるのね。
 あはは。ホントに長いこと下ばっかり見てたみたい。季節の変化に気付かなかったわ。
 これからはちゃんと季節を感じながら、いっぱい色んな思い出をつくろうねっ、士郎。

 んーんん〜〜…小躍りしながら隣の顔を見る。
 ん?なんてそっけない返事。くす、何か動きが固いわよ?顔赤いし。
 解っててやってるだろ?うん、勿論じゃない。うふふ。


 彼で遊んでたら校門をくぐってなお腕を組んだままな事に気付かなかった。あれれ?私って馬鹿?

「あ、おはようございますー。ふわあ、蒔ちゃん鐘ちゃんっ」

「ん?――ぐあ、朝から胸焼けしそうな絵を見ちまった」

「これはこれは…。私の高飛びなどより遥か上を飛んでいるな。…既にワールドレコードか?」

 …なんて陸上部最強トリオから御挨拶。丁度朝錬が終わったタイミングみたい。
 学園生活も最後の秋になってるというのに推薦組は熱心な事ね…。
 三枝さんは邪悪な獣2匹に付き合ってるだけらしいけど。

 6つプラスその他いっぱいの瞳を受けながら、半ばヤケになってくっついたまま下駄箱まで行ってしまった。

 うう、こんな思い出はあんまり要らない…。




 お昼。
 私と綾子が同じクラス、士郎は別クラスなので2人で迎えに行く。
 手にはもちろん士郎の作ってくれたお弁当を持って。
 …よくよく考えると結構照れくさい事してるような。
 色々と恥とか外聞とか切り捨てたはずなんだけど。
 お昼に真っ直ぐ士郎のクラスに行くのは初めてなのよね。

 うくぅ、落ち着け私。静まれ心臓っ。
 登下校だってもう一緒にしてるじゃない。手なんか繋いじゃったりしてるときもあるじゃないっ。
 今日の朝なんて更にワンランク上だったじゃないっ。
 それどころかこのあいだからは…ど、同棲みたいなこと始めちゃってるじゃないっ!うきゃーっ。

 …でも2人の女の子が1人の男子をお昼に誘うって。しかも。

 かたや弓道部前主将にして秀麗眉目、男女問わずその目を引く美綴綾子。
 かたや成績…優秀、容姿…端麗。くっ、言い切るわよっ成績優秀容姿端麗完璧少女、遠坂凛!!

 はあはあ。よし、新しい12文字熟語も誕生して勢いが付きました。
 幸い士郎のクラスのドアは開け放たれていて彼はすぐ発見できた。

「しろ…」
「え〜み〜や〜、行こうぜ〜」

「…」



 ふふ〜ふふふ〜ん。
 弓道場の鍵のついたキーホルダーを指で回しながら、彼女がご機嫌で先導。妙な鼻歌付きで。
 後で覚えてなさい綾子。今はとりあえずその背中に呪いの熱視線。


 弓道場の中は雑音を切り取ったようにしんと静まりかえった空気。でも拒絶ではなく、言うなれば寺院とかの雰囲気と同じで悪くない。四角に覗く空から降る光で温まった床に座布団を用意する。

「衛宮、すまないがお茶を淹れてくれ、主にあたしのために。あー茶の葉が切れてたっけ。ついでに顧問の所へ取りに行ってもらえるとベストだ」

 あはー。綾子ナイス度胸。
 士郎は士郎で、

「俺、お客さんじゃないのか?全く…」

 とか言いながら弓道場を出ていった。何処までも人がいいのね、アナタは。

「…いやしかしあのパーフェクト超人遠坂が衛宮とねえ。人生とは驚きの連続、いや実に面白いものだねぇ」

 ナニ今更遠い目しながら独りで達観してるのよ。この1週間ばかし散々からかってくれたくせに。
 お年頃つかまえて超人とか言うな。…まぁ魔術師なんて似たようなものだけど。
 ふー、と天を仰いだ綾子の顔が戻ってくると、そこにはいわゆる綾子スマイル。

 …なるほど何か言いたくて士郎払いしたのね。

「何よ」

「ちょっと質問をいいかな、遠坂」

「答えられる範囲ならね。お茶と等価交換にしといてあげるわ」

「それはありがたいね。じゃあ聞くけど、はじめに告白したのはどっち?」

 …呆れた。近所の噂好きおばさんモードじゃない。

 あれ。でも目がいつの間にやら笑ってないわね綾子。
 よく解らないけど今日は真面目に答えろって事なの?もう何なの。

「んー、私の方よ」

「ふむ。どちらかと考えるとやはりそうだろうね、いやそうでなくちゃいけない」

 そしてまたふむ、と頷く。
 見透かされてるみたいで微妙に腹が立つけど我慢。彼女が強い目をしているから。
 そして正座しながら、コホンと一息した。真面目なお話みたいね。
 合わせて私も同じように座り背筋を伸ばす。

「なあ遠坂。衛宮ってさ。弓を射るときとか特に感じたんだけど…自分自身の色がまるで無いって言うのかな。うーん、ちょっといい表現が無いけどそんな感じだろ?」

「――ええ。それは私も解る。続けて」

「そういう在り得ないくらい透明な奴だからさ。すぐ他人の色に影響されて自分が見えなくなって結果自分だけ傷ついて。でもその痛みなんかお構い無しで」

 うん。

「あんな奴絶対長生き出来ない、まして幸せになんてなれないって思ってたよ。酷いかもしれないけど」

 ――うん。

「だから、アンタが衛宮と付き合いだしたって知った時はホントに安心したんだ。ああ、なるほど相手が遠坂なら衛宮は自分の事を少しは見られるようになるんじゃないかって思って」

「…そうかしら」

「違うかな?誰でもない特別な1人――好きな相手の為に本当に必要なものってさ。その人の為なら死んでもいいような覚悟とかじゃなくて、その人の為に命を賭けてなお生き続ける強さだと思うんだ。好きな奴残して死ぬなんて最悪に愚かしい偽善だと思う」

 …声が出ない。こんな饒舌な綾子にも、話してくれる内容にも。

「そして遠坂なら、衛宮の”特別”になれる。衛宮が生き続ける理由になる事が出来る」

 語尾から”思った”が消え、はっきりと言い切った。

「衛宮には強さの素養が山ほどある。ただ今まではその向けようも収めようも知らないから四方八方に行ったり来たりしてた」

「そうね。士郎は上限無く誰にでも優しい。優しさは時に残酷って使い古された言葉があるけど、その残酷さに打たれるのは士郎だけ。それすら彼は受け止めてしまうから」

 何とか口を挟んだ。

「でもそんなんじゃ衛宮だけがいつまでも報われない。本当なら誰より幸せにならなきゃ割に合わない奴だ」

 その瞳の光がいっそう強くなる。
 ああそうか、綾子。貴女も士郎を――
 その目は何となく、人を女狐呼ばわりしてくれる奴に似ているように思えた。そう貴方も、よね。

「だから強引に、目茶苦茶に、生きている限りずっとアイツを幸せで塗りつぶし切ってくれる人が必要だ。悪い方へ身動き取れない様にな」


 うん。あなた愛されてるよ士郎。

 桜に。
 藤村先生に。
 イリヤに。
 綾子に。
 柳洞君に。

 セイバーに。

 もちろん誰よりも、この私にね。


「しかしながら衛宮士郎は、並みの鞘には収まらない。少なくとも同じくらい強くて、アイツの分まで前が見えていてしかも馬鹿な鞘じゃないと駄目だ。だから、遠坂凛しかいない」

「成る程ね。馬鹿っていうのは釈然としないけど。ま、言われるまでも無く士郎は私がギネス級にハッピーにするから任せておきなさい?むしろもうかなりハッピーよ?」

 なんとなれば地獄の底までだって追いかけて捕まえて、無理矢理にでも天国に連れて行くし。

「あはは、遠坂が自信たっぷりに言うならもうこの話はいいかな。一応確認のつもりだったんだけど、やっぱり余計なお世話だったね。ま、不安要素があるとすればせいぜい――」

 正座の姿勢のままくねっとしな・・を作って胸とお尻を強調しやがってくれました。
 あの美綴綾子が。気色悪いかというともちろんそんな事は無く腹立たしいくらい魅力的。

「ふ、ふーん。ちょっと発育がいいからって何よ。大きい事だけが武器になるとは限らないわ」

「なに?それってつまり衛宮がロリ…」

 ばっ。
 半ば息の根を止めるつもりで不穏な発言をしようとする口を手で塞ぐ。そしてそのままじゃれあう。

「むぐっ!む、ぷはっっ!あはははっ、馬鹿死んじまうだろ、うりゃーっ」

「きゃっ!?何処触ってくれてんのよっ!!揉むなッ」

「む、むむむ。これはあたしの予想より大分…」

 このっ綾子っ!何よ、予想より何なのっ。小さいの?大きいの?小さいと言うのねッ!なんて憎たらしいっ。

「なるほど衛宮はこういうのが…」

 きーーっっ。全く貴女はっ。
 大雑把なのに油断ならなくてお節介焼きで、間違いなく私の好敵手で―――親友よっ。




 その後ひとしきり笑いあって息が切れたのでさすがに終戦。

「あはは、あーあ、柄にも無くお節介に喋りすぎたな」

「いいえ…そんな事はないわ。ありがとう、綾子」

 最近お礼ばかり言ってるわね。貸しも増える一方だわ。

「やめてくれ。見ろ、鳥肌が立った。遠坂に礼言われるなんて、この先10年は夢見が悪くなりそうだ」

 きしし、と腕をまくってお得意の笑い方。

「嬉しかったし驚いた。貴女がアイツのことそんなにしっかり見てたなんてね」

「う…。まあ衛宮の事は別に嫌いじゃないし」

 もう。強情っぱりのくせに遠慮深い。イリヤと気が合うんじゃないかな。

「どうせなら好き、って言ってくれた方が嬉しいわよ?」

「お断りするよ。そこまではサービスしてやんない」

 くすくす、とお互い含み笑いした所で。

 がらがらー

「お、戻ってきたな。衛宮遅いぞー」

 声を掛けるその顔は仄かに茜色。
 よく考えるとこんな風に彼女と触れ合ったのは初めてかも。
 こういう日常がそのうち私の大事な所にしまわれていくのかな。


「美綴、これでいいのか?」

 やたら眩しい袋を持って現れた。

「うわ。ハズレだけどOKだ。多分これ学校にある中で1番高いヤツ。どうしたんだ?」

「職員室行って藤ね…藤村先生に聞いてた所に、コレ持ってけって横から教頭先生が」

 ふむ。士郎の日頃の行いのおかげね。対価としてはむしろ足りないくらい。
 その白地に金の箔押しというゴージャスな茶袋を綾子が興味津々に手に取ろうとした瞬間、士郎の後ろからさっと手が伸びてきてスティール。うひゃっ。

「美綴さーん。こんな美味しいお茶あなた達だけで飲むなんてダメよぅ?私もご一緒〜」
「もー、何で呼んでくれないんですか遠坂先輩っ」

 何故かおまけに虎と桜がくっついて来てた。お弁当持参で。士郎と私とお揃いの。

「という訳で5人になったけどいいだろ美綴、――凛」


「凛、ねぇ」綾子がニヤニヤ。
「凛、だもんねぇ」虎もニヤニヤ。
「凛、なんですもんねぇうふふふ」桜も…ニヤニヤ?


 そして静かな弓道場は大騒ぎになった。
 ――もちろん、暖かな笑い声でね。






 切り取られた空に陽は高く、なお高くにあって何も言わず。ただ、笑顔たちを照らし続ける。
 いつか燃え尽きるまでひたすらに、私たちを。その未来を。