もしもピアノが弾けたなら 

 

もしもピアノが弾けたなら

小学生の頃、音楽の時間に先生が生徒に尋ねて、ピアノが弾ける子が35人いるクラスで二人いることを知った。

僕はそれが衝撃だった。何年生の時か、正確には覚えていないが、10歳前後、の年齢で弾ける子がいたことではなくて、そういう家庭、教育を与えてくれる境遇があることに、衝撃を受けたのである。

きっと、家庭にピアノがあるから弾けたのであろうな、そういう、ピアノがおける家に住んでるのであるな、など、もう、嫉妬と羨望の雨嵐、である。

弾きたいなら、学校にはオルガンがあったのであるから、弾けばいいことである、と思うが、一朝一夕に弾けるものではない。

才能があるか、ないか、など誰も考えなかったと思う。好きか、嫌いか、の世界であったと思う。
そんなふうに思って50年が過ぎた。弾きたければ、今から、教室に通えばいいことである。でも、上手な人の音楽を聴く方がいいと思っている。
たくさんの人に演奏を聴かれている人はやはりそれなりに練習をして表現出来るようになっているのであるから、それなりに大変なのであるなと、予測は出来る。
かつてのあの二人がピアニストになったという話も聞いていない。

それでも、今、思ってしまう。もしもピアノが弾けたなら。ピアノばかりではない。何でもそうであろうな、と思う。とっかかりは誰にでも平等でなければいけない、と思うのである。誰でも興味を持てるような、そんな環境であって欲しい。

 

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