ネットゲーム

 

 

大原信一の隣の席に座る山口が、突然、大声を張り上げたと思ったら机に飛び乗った。

「シンシア様、貴方樣はわたしだけのものです」

 山口の右手には大型カッターナイフが握られていた。間髪入れず、上司の佐々木課長がすぐさま駆け寄った。そして、声を震わせてなだめ始める。

「山口君、きょうはどうしたのかなあ? なんか、うちで嫌なことあったのかなあ? いろいろいろんなことあるよね。信頼できる僕に話してくれるっかなあ?」

「ささき―、シンシア様を呼んでこいよ、こんぼんくらが」

山口は全く耳を貸さない。完全にいかれていた。二言目にはシンシア様、の連呼である。

数分後、20名ほどの機動隊員が事務室に到着し、山口を遠巻きに取り囲んだ。カッターナイフしか持たない山口は、数分後、一斉に飛びかかった機動隊員に取り押さえられた。二日後、信一たちは警察の聴取で仕事どころではなかった。

時間の経過と共に、信一は山口の狂った原因がネットのゲームであることを知る。漫然と生活する毎日、刺激を欲していた信一は、このゲームに興味を抱く。山口の性格はいたって穏やか、大人しい男であった。その彼をあそこまで狂わすゲームとは一体どんなシロモノなのであろう。大原が調べていくと、知る人ぞ知るネットゲームにたどり着く。

 *

 ゲームの大筋は、キングランドと言う小国に住む女王シンシアが悪魔の呪いにより昏睡状態になっている。それを救うという単純なゲームである。呪いを解く特効薬は彼女を愛するものの口づけしかない。だから、ゲーム参加者はシンシアを心から愛するものでなければならない。そのものがシンシアに口づけをし、シンシアを蘇えらせた者が本当の勝者になる。つまり、ゲームユーザー同士がネット上で勝者になるためバトルを繰り広げていくという設定である。

ゲームを初めた途端、信一はキングランドの住人になったかのような不思議な感覚を感じた。仕事の合間を見てはこっそりゲームにアクセスしていた信一であったが、いつしか仕事もそっちのけでアクセスするようになっていた。

数日して、佐々木課長が20代の須賀という男を信一のところに連れて来た。かしこまったように須賀が言う。

「須賀って言います。どうぞよろしくお願いします」

 須賀は信一に深々と頭を下げた。横にいた佐々木課長が信一の耳に口を近づけ小声で話す。

「大原君、この子さ、指導してくれるかなあ、お得意様であるA社の会長の息子さんなんだよ、とにかく、出社してもらっていれば良いんだから」

「嫌だなあ、めんどくさー。他の人でもいいことでしょ? 」

「そんなこと言わないでさ、君しか頼めないんだからさ、ね、今、君のやってる仕事、もう、やんなくて良いからさ、全部、他のものにやらせるから、ね、じゃ、頼んだよ」

(ああ、バカ課長、勝手に決めるなよって)

 信一は頭で呟くと佐々木課長に対し仕方なく承諾した。全く持って人の世話どころではない。今、シンシアを助けることが彼の最重要課題なのである。一刻も早くシンシアを助けなければならない。シンシアを他の男に取られてしまうかも知れないではないか。ゲームはそんな大事な局面なのだ。佐々木課長は問題を大原に押しつけ安心すると、さっさと自席に戻って行ってしまった。佐々木がいなくなると、須賀の顔が急変した。

「大原ちゃん、ってすごいよね。俺もゲームに参加してんだ」

「なんだい、そのため口は? 仮にも先輩だぞ」

 信一は須賀の顔をにらんだ。

「大原ちゃん、ゲーム、さっすが強いよ」

 信一は須賀の言葉にびっくりした。信一は午前中のゲームで3人のゲーマを抹殺していた。

「おまえはあのゲームに参加してるのか?」

「ふふ、俺なんてさ、とても大原ちゃんの技にかなわないもの。だから、考えたんだ」

 そう言うと、立ち上がりいつの間にか持っていたカッターナイフを信一の胸に向けてきた。

「な、何の真似だ? 」

「ふ、熱くなるなよ、いい大人がよ。たかがゲームだろ? ふ、俺はシンシアを自分のものにしたいだけなんだ。おめえが死ねよ」

 須賀はカッターナイフを信一の鼻の先にむけながら小さな声を出して白い歯を見せた。

「俺もドジだよなあ、今まであんたに6回も殺されたんだよ。間抜けな奴だよ? だからさ、俺はあんたを現実の世界で抹殺することに決めたんだ、だって、ゲームじゃあんたに勝てないからな」

 信一の手には護身用でポケットに忍ばせていたサバイバルナイフが握られていた。やらなければやられる。怖くて思わず差し出した大原のナイフは、須賀の右胸に深々と突き刺さった。信一の顔に返り血が掛かった。変な感触に驚いた信一は慌てて腕を引いた。同時、顔に暖かな血が更に勢い良く掛かった。目に入った血が視界を奪った。

 *

 慌てた信一は左手で血をぬぐうと、やっと視界が開けた。いつの間にか機動隊員が信一の周囲を包囲していた。

「おとなしくしなさい、きみはもう終わりだ」

 信一はいつのまにか包囲されている展開に驚いた。佐々木課長が隅で笑っている。

「さては、佐々木もゲームに参加していたのか? 」

 そのとき、信一に向かって銃を構えていた機動隊員が信一に向けて一斉射撃を実行した。彼は反動で、後ろに弾きとんだ。着地した床の上で、ゴムボールみたいに床の上でバウンドした。いてえなあ、と思って信一は顔を上げた。体中から血しぶきをどくどくと吹き出しているのが見える。これは俺の身体なのか、と思った。事務室の蛍光灯が光っていた。段々と暗くなっていく。全ての音が消えて無くなる。

「シンシア」

信一は心の中で叫んだ。そこで信一はもがきながら絶命した。動かなくなった信一に機動隊員の一人が近づいてきた。信一の首筋に手を当てる。脈を打っていないことを確認すると、にたりと笑った。

「これでシンシアは俺のものだな」

 

  

超短編小説の目次に戻る