能力開発プログラム
Kは会社の潜在能力開発研修会に参加している。会場は25階建ての高層ビルの最上階である。
午前中の能力開発基礎プログラム概論が終了した。約3時間、単純な計算の繰り返しをやっていたため、Kの脳はくたくたになっていた。10分間1桁の数字をただ足すだけの計算。クレペリン検査という奴である。それを18セット。
(こんな計算、何の役になるのだろう。頭がくらくらし、目がちかちか痛い)
Kは心の中でつぶやいた。
講師の退室と同時に、研修担当が部屋の前に現れた。
「みなさん、午前の研修は終了です。これから昼休みになりますが、課題を出します。グループを作って昼食に行って来てください。誰と、何処で、何を食べたか。午後、報告していただきますので。以上、解散です」
みんな、一斉にどよめき、辺りを見回した。お互いが目配せし、一人が二人、二人が三人。それぞれが塊になっていく。Kは辺りを見回した。誰もいない。5歩くらい先に、やはり、辺りの様子を伺っている男がいた。Kはその男に歩み寄ろうとしたが、彼は別の集団に誘われて飲み込まれた。みんながグループを作り、おのおの部屋を出て行く。
「あの、あの、ああの… 」
Kの呼びかけに誰も振り向いてはくれない。しばらくして、部屋にKだけが一人残っていた。
「そんなあ… 」
彼はその場にへたり込んでしまった。軽いめまいを感じてくらくらとした。座り込んで目をつぶった。目眩が治まり、ゆっくり目を開けた。
研修担当が目の前に立っていた。
「みなさん、お昼はいかがでしたでしょうか。それでは、行って来た人でグループを作り、発表をしてください」
それぞれがまたグループになっていく。Kだけが取り残された。みんなの視線がKに注がれた。研修担当が顔をしかめてKに近づいた。
「Kさん、何で単独行動を取るのですか。協調性がないこと甚だしい」
「それは誤解ですよ。だいたい、昼休みを僕は取っておりません」
「何を訳の分からないことを言っているのですか」
「そうだ、そうだ、寝ぼけてんじゃないぞ! 」
後ろから誰かが大声で叫んだ」
「そうだ、そうだ、協調性がないよぉ」
右隣から聞こえた。
「そういうのって、だめだめじゃん」
右、左、斜めから、罵声が飛んできた。
Kは両手で左右の耳を覆った。軽い目眩を感じた。
(ああ、夢であるなら、もうさめて欲しい)
Kは心から現実に戻ることを願った。また、Kは目眩を感じた。
「Kさん、大丈夫ですか」
目を開けた。研修担当が立っていた。
「顔が真っ青ですけど、大丈夫ですか」
研修担当の横に先ほどの講師が、何食わぬ顔で立っていた。
「これから午後の研修を始めるのですが、受けられますか? 」
Kは安堵した。やはり、今までのことは夢だったのだ。
「はい、ちょっと目眩がしたもので、申し訳ございません」
「なんだって、目眩がした? いかんねえ。万全の体調で研修に臨んでいただかないと。ご自身の健康管理がなっていませんね」
「そうだ、そうだ、なってないぞ」
みんなが大合唱した。Kは髪を両手でかきむしった。右足で思い切り床を踏みつけた。左足で自分の右足の甲を踏みつけた。痛さでよろけた。もうどうにもならないと悟ったとき、Kの目から大粒の涙があふれ出た。
(あああ、あー! )
絶叫したKは研修会場を飛び出していった。それを観た研修担当と講師が口をそろえてつぶやいた。
「協調性のない人は駄目ですねえ」
「困ったものですねぇ」
研修生が口々に声をそろえて言う。
「そうだ、そうだ、なってない、なってない」
廊下を走るKの耳に追い打ちを掛けるようにみんなの声が何処までも追いかけてくる。Kは声から逃げるようにひたすら走った。そして、長い廊下の外れまで来ると、突き当たりの壁が2メートル四方の四角で取り除かれていた。それはまるで絵画のキャンパスのように青い空が広がっていた。Kはその四角い青いキャンバスに向かって助けを求めるようにジャンプした。とても、すがすがしい、思い切りの良いジャンプだった。何処までも、何処までも、Kはとんだ。
「ああああ、ああああああああああああー」
Kは大きな声を振り絞った。Kに排他的だった社会から、世界から解放された瞬間であった。
研修室のドアからKの姿を遠くから見ていた研修担当と講師が立っている。
「潜在能力開発計画プログラム、今回も成功でしたね」
「ああ、また鳥人間が誕生したな」
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