散歩の途中

 



   散歩の途中

 

 僕の家には一匹の犬がいる。柴犬に似ている。血統書などと言う大層なものはないが、多分柴犬だろう。名前は太郎。

 僕と太郎はいつものように、散歩に出た。いつもの道を歩いて、いつもの曲がり角で曲がって、いつもの四つ角を右に曲がり、それは、もう日課となっている。そして、いつもの山脇さんの前を通って、関口さんの角を曲がると、我が家が見えてくる。この日も、そうやって帰ってきたから、関口さんの角を曲がったところで、我が家が見えるはずだった。

「あら、なあんか、変だな、太郎? 」

 そう、しばらく歩いて、変な原因が分かった。我が家がないのである。我が家だけではない。我が家の右隣の中山さんもない。左隣の駐車場もない。まあ、これはあってもなくてもないようなものだが。などと、悠長なことを言っている場合じゃない。あるであろう、我が家の前に来た。でもない。振り返ると、ついさっき曲がってきた関口さんちもない。何もかもがなくなってしまった。

 この広大な大地に、僕と太郎だけがいる。はるか先に地平線が見える。その先には、山があっても良さそうなものだが、何も見えない。富士山だって見えて良さそうなものだ。だって、晴れた日には見えるときがあるのだから、こんな日に、見えていいはずである。僕はこんな状況になってしまってとても悩んだ。まだ、夕飯を食べていなかった。今頃は、我が家で、妻のこしらえてくれた手料理をつまんでいるはずだった。我が家がないのだから、台所があるはずがない。そんなことは分かっているが、テーブルと、料理だけはあってほしい、と願った。太郎にも晩ご飯のドッグフードをやれなければならない。そのしまってある、押し入れもない。そんなことは分かっている。我が家がないのだから、押し入れだってあるはずがない。

 そもそも、なんで、全てがなくなったのだか、分からない。

「太郎、分かるか? 」

 太郎を見ると、後ろ足で首をかいていた。僕もまねして、空いている手で首をかいてみた。何も変わらなかった。相変わらず、360度、すべて、空き地だった。誰か歩いていても良さそうだが、誰もいない。お巡りさんがいたら、この状況を聞こうと思ったが、誰もいないのだから、お巡りさんだっているはずがない。

気が付くと、もう、僕たちが歩いていた道もなくなっていた。僕と太郎は広大なアスファルトの上に立っていた。

「なあ、太郎、また、散歩するか? 」

 太郎は尻尾を振って、ワン、と吠えた。僕と太郎は、目印のない広大な大地をまた散歩する。

 

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