知識の吸収

 

 

 N博士は満面の笑みをたたえていた。

「小林君、ついに完成だ」

「博士おめでとうございます。これは今世紀最大の発明です」

「うむ、では早速テストを始めようか小林君」

 小林助手は両手で持った2冊の広辞苑を机の上に置いた。その傍らにはちょっとした大型のミキサーが置かれていた。

「博士、1ページ目から始めます」

「うむ、いよいよだな。よし、1ページ目をちぎって入れなさい」

 小林助手は広辞苑を開き、一ページ目を丁寧にちぎりくちゃくちゃと丸めると、ミキサーの中に放り込んだ。すぐそばで緊張した面持ちのN博士が、黄色い液体を182CCだけ慎重に計った。その液体をミキサーに流し入れる。小刻みに震える手でスイッチボタンを押す。グイーンという機械音とともに紙は粉々に砕かれバナナジュースのようにたちまち変化した。

「できたな。さあ、小林君飲んでみたまえ」

「え、やっぱり僕が飲むのでしょうか? 」

「そうだよ。だって、ワシときみしかいないではないか」

 小林助手はミキサーからクリーム色の液体をコップに注ぎ入れた。そして、コップをつかむと、深呼吸してから博士の顔を恨めしそうに見て、一気に飲み干した。

「うっうう」

 そのまま小林助手は顔をゆがめ何かをこらえるような表情をしていた。その様子を注意深く見守っていた博士は、ついにたまりかねて口を開いた。

「どうなんだ、小林君」

「博士、なんかすごく頭がすっきりしてきました。うおお、冴え渡っているという気分ですねえ。まったく、実に爽快です。人類の上昇です」

「ほほお。きみは詩人だねえ。ところで、暗誦できそうかな? 」

 博士は2冊用意したもう一冊の広辞苑の1ページ目をにらんだ。

「はい、ためします。“あ、母音の一。口を広く開き、舌を低く下げ、その先端を下歯の歯ぐきに触れる程度の位置におき、声帯を振動させて発する。”…… まるで自分ではないようです。すらすら出てきます…… “平仮名「あ」は「安」の草体。片仮名「ア」は「阿」の偏ヘンの略体”…… 」

「おお、寸分違わず合っているぞ、小林君」

 やがて小林助手は飲み込んだ広辞苑の1ページ目を間違えることなく最後まで暗誦した。N博士は涙目になって、小林助手の両手を握ると、この偉大な発明の完成を心の底から喜び合った。

「そうだ、小林君。次、2ページ目を暗誦してくれ」

「えっ…… 」

 その後、博士と小林助手はテストを何度も重ねた。この薬には重大な欠陥があることが分かった。奇数ページしか覚えられなかったのである。

 

 

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