トンでる生活

 

   第3章 母さんの手袋

 

 ぼんやりする目で壁掛けの時計を見ると、午後4時46分。1時間ほど気絶していたことになる。

 ああ、それにしても、どうして、あたしは男性恐怖症なのだろう。この体質が分かったのは幼稚園の時だ。お遊戯会で男と子と手をつないだら、全身に湿疹が出た。小学校の遠足でもそうだった。男子の手に触れると、体に湿疹が出た。フォークダンスはこの症状が出るのが怖くてトイレに隠れていた。母親がそんなあたしを心配して手袋を編んでくれた。

「響子、もう安心だよ」

母は寝ずに編んだ手袋をあたしの前に広げて見せた。透明な手袋。

響子にしか見えない手袋だよ」

 母はそう言った。透明だったけど、あたしには確かに見えた。今もそのときの手袋をずっと手にはめて来た。だから、教室ではめていても、先生からとやかく言われたことはない。もちろん、クラスの誰もが手袋のことを口にすることはない。この手袋のお陰でやっと男子と手をつなげるようになった。あんなに憧れていたフォークダンス。やっと踊れた。男の子と握手もできた。ばら色の世界が広がったような気がした。

 ここまで思い出してふと疑問がわき上がってきた。母親はどうしてそんな手袋を編むことができたのだろう。そんなこと今まで考えたこともなかった。 

 あたしの母親はあたしが中学1年のとき、自動車事故であっけなく死んだ。そうだ、あの手袋は小学校2年の時に母が夜なべをして編んでくれたときのままだ。なんで、いつまで経ってもはめられるのだろう。手は確実に大きくなっている。それなのに、今でもあつらえたようにフィットする。顔を洗うときだって、トイレに行ったって、普通に洗える。

 ここまで考えて、また、おかしなことに気がついた。まるで、この手袋は透明どころか実態がまるでないような気がしてきた。今ごろ気がついた。

 もしかして、透明の手袋なんてものは、最初からなかったのではないか。何をさわっても、感触は分かる。可笑しいではないか。母は嘘をついていたのだ。最初から透明の手袋なんてものはなかった。母親が知恵を絞ってあたしについた大嘘である。あたしの目から涙が流れた。

「かあさん、ありがとう

 自然に涙がこぼれた。

 

第4へつづく(執筆中)  2章へ戻る


短編小説の目次に戻る