《 restraints 》


 
すい、と視界の端で紫苑の影が揺らめいた。
視線をそこに向けると、今、ほんの刹那の瞬間までは在ったはずの存在がそこにはない。
けれど、目を凝らせば揺らめきの残像がはっきりと彼女の気配をそこに残し、
彼女の存在が確かに此処に在った事を教えてくれる。



かつて源氏の神子と称えられた彼女の、気配を殺しここを立ち去ろうとしたのだろう
その身のこなしは完璧だったはずで。
自分に気配を悟られる事なくこの小屋から姿を消したその動きは見事だと言えるだろう。

しかし戦事には長けた神子姫も、刀を持たぬ平穏な暮らしの中では
神経の通わない絹糸の一本一本にまで気が回らなかったらしい。
彼女の背に流れたさらりと美しい髪が、散り急ぐ花弁が空を舞うように
美しく儚くなびく様を、どうして自分が気付かないと思えるのだろう。



黙って行ってしまうなんて、随分とつれない事をする人だ。


彼女が思っている以上に、自分は心を囚われているのに。
片時も放したくない程、想っているのに。


もっとも・・・簡単に放すつもりもないですけどね、と。
弁慶は誰にも気取られることのないほどわずかに、唇の端を持ち上げた。



小屋に残っていた患者数名を診終え、漸く望美の姿を探し始める。
狭いわけでも、広過ぎるわけでもない、二人の生活の場。
歩を進めていけば、その姿を発見する事は容易で。

厨、私室と覗いた後、庭の戸が開いている事に気付いた。
簀子作りの縁に腰をかけて、僅かに顔を俯けるような姿勢の望美を見付け、
弁慶はほっと安堵の息を吐く。


姿が見えないと感じる不安を、大袈裟だとは思わない。


今この手に在る幸せがとれだけ尊いもので、どれだけの苦しみの果てに
辿り着いたものであるか、知っている。
望美が側にいないのなら、全部意味のないものだと解っているから。


出来る限り側にいたい。
触れていたい、と。


今まで知る事のなかった"愛しい"という感情に逆らわぬまま、
弁慶はその背をふわりと抱き寄せた。


「べ、弁慶さん!?」


気配を殺していたわけでもなかったのだが、望美は弁慶の存在に
気付いていなかったらしい。
微かに裏返った声と、大きく震えた肩がそれを物語っていて、
腕の中でわたわたと慌てた様子で望美が身を捩っていた。


「おや。僕の気配にも気付かないほどそんなに真剣に、一体誰の事を
 考えていたんです?」
「だ、誰って・・」

さらりと流れる髪を梳きあげれば露になる頬と耳。
頬を撫でるように指先を滑らせ、吐息ごと耳に言の葉を吹き込むと、
それらは瞬く間に揃って朱に染まる。

共に暮らすようになっても変わらぬ初々しい反応が
どれだけ自分を喜ばせているのか、彼女は知りもしないだろう。

恋は盲目。
その病はどんな腕利きの薬師にも治せない。


仕種。
表情。
声。

そのすべてが、病を増長させ、更に自分を絡め取っていく。

そんな奇病にかかった事を、こんなにも嬉しく思う。
治したいなんて思うはずがない。

望美が弁慶に齎した幸せは、春日望美という存在そのもの。

「僕以外の誰かの事を想っていたのなら、お仕置きですよ?」
「お、お仕置きって・・」

慌てたようにぶんぶんと頭を力いっぱい横に振る姿に、また愛しさが込み上げる。


どうして、こんなに、愛しいのだろう。


「――――――――――望美さん・・・」


囁くように名を呼べば、僅かに望美の身体に力が籠もる。
その身体を逃がすまいと、弁慶はぎゅっと望美を強く抱き竦めた。

驚いたようにこちらを振り仰いだ望美の髪がまたさらりと音を立てて。

耳、頬、首筋。  
その白さが、まるでもぎたての果実のような香りを弁慶に錯覚させた。

果実を味わいたいと願う欲求をそのままに。
愛しさ故に触れたいと願う心をそのままに、そっと。

美味しそうな耳朶に、唇を寄せた。


「―――――――――――ぁ・・っ・・!」


それは、甘い甘い、『お仕置き』。

他の誰にも与える事のない、望美だけにする、特別な。

唇で耳の柔らかい部分を少し強めに味わえば、
素直な身体はびくん、と小さく跳ねる。

思わず零れてしまった笑みは、背中を抱かれたままの彼女には見えないから。

少しだけ、意地悪をしてみたくなる。

愛しいから。
たまらなく、愛しいと想うからこそ。

「弁慶さん・・!駄目・・・!!」

すっと唇を耳から下へ滑らせると、しようとしている事に気付いたらしい望美が
咄嗟に弱々しい制止の声を上げる。

そんな声で、言葉で。
こちらを制する事など出来ないと彼女も解っているだろうに。

「〜〜〜〜〜べんけいさんっっ!!」

望美の涙交じりの声は何処か艶を帯びて。
制止のはずの声に誘われるように、強く強く。

夢中で、痕を残した。




望美の首筋に赤い紅い華を咲かせた後、漸く望美の身を解放してやった。
けれど、解放された頃には望美の方に身体を起こす力がなく、
結局弁慶の胸に背中を預けたまま動けない。

「・・・・ばかぁ・・・」

恨めしげに睨んでくる瞳は僅かに潤んでいて、可愛いとは思っても怖くはない。

「他の人の事考えてたなんて言ってないのに・・・お仕置きなんて酷い・・」

ぽそぽそと愚痴を零すくらいしか抵抗の術を持たないのが悔しいのか、
頬を撫でていた手を取りはぐはぐと噛み付いてくる。

"お仕置き"の仕返しのつもりなのだろうけれど、それは逆効果ですよと
教えてあげるべきなのだろうか。
こそばゆさのみで痛みには程遠い反撃は、まだ燻ったままの欲望に
火を点けかねない事を。

それでも、これ以上は望美の機嫌を損ねかねない。
気の済むようにと片手は預けたまま、望美の好きにさせておく事にする。

甘い感触に理性が揺らがないように、弁慶は意識を望美の愚痴に向けた。

酷い、とか。
違うのに、とか。

拙い言葉ばかりが望美の唇から零れている。
宥めるように髪を撫でると、またはぐはぐと指を咬まれた。

どうやら本当にお姫様のご機嫌を損ねてしまったらしい。
怒った顔も可愛いですよ、なんて口にしたらきっともっと怒るのだろうな、と
まったく反省のない事を考えながら、弁慶は望美の愚痴に問いを返した。

「違うのですか?」
「・・・・違うもん・・・」

拗ねた様子がやはり可愛くて、思わず笑ってしまう。

「弁慶さんっ!」
「すみません、つい」
「つい、何ですかっ!?」
「君があまりに可愛らしいので」

結局怒られるのだからと、心のままの言を継ぐと、
ぎろりと睨め付けていた望美の瞳がぱちぱちと瞬いた。

「〜〜〜〜何を言ってるんですか!」

数回の瞬きの後、ぷいっと顔を背けられてしまったが、その顔が
僅かに朱に染まっていたのは見間違いではないらしい。

また、耳まで同じ色に染まっていた。

「では、僕の事を考えていたと自惚れても?」
「意地悪ばっかり言う人には教えてあげませんっっ!」
「意地悪だなんて心外ですね。僕は思ったままを口にしているだけなのに」
「そういうところが意地悪なんですっ!」

私が言い返せなくなるって知ってるくせにっ!と、ご立腹のお姫様は、
漸く動けるようになったらしく弁慶の胸元をぽかぽかと攻撃した。

それさえもが、痛みを伴わない甘い刺激。



幸せが此処にある。
君が此処に居る。

笑顔も涙も、君のすべてを放さない。




* * * * * * * * * * * 


Mikotoさまのお宅にてUPされていた素敵弁望夫妻SSを
頂戴してしまいました。
うはぁぁぁ///甘い!と言うか微エロちっく?!←をいこら
Mikotoさま曰く、望美ちゃんは
《 弁慶LOVEな女性患者が弁慶目当てに通ってくるのに
ちょこっとヤキモチして診療小屋から出ていた 》 との事。
・・・・・・・愛いヤツぢゃv ←誰?
「私も望美ちゃんに 『はぐはぐ』 されたいっ!」 と
お山に向かって叫び出したくなりました!←近所迷惑だから
診察は今日の所はオシマイにせざるを得ないですねぇ♪
というかこの 《超・ラヴラヴ・あちちな新婚さん》 の
邪魔をしようという命知らずはいないでしょう。
>後がめっさ怖いだろうし・・・

Mikotoさま、甘甘なお話をどうもありがとうございました〜vv(ぺこぺこ)

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