今日のボロミアさん 2

 

会見の場は整い、後は、王が現れるだけとなった。

隣室には、周辺の領土を支配する遊牧民の使者が控えていた。

豪華な貢物を持った使者に、相応しい対応をするため、ゴンドール側も、面だった顔をそろえていた。

勿論、ボロミアの白い顔もあった。

執政官は、光沢のある絹の衣装に身を包み、光の差す窓から、庭を見下ろしていた。

その美しい顔が、むっつりと眉を顰め、小さな舌打ちの音をさせた。

ボロミアの周りは、ざわめき立ち、小さな舌打ちの音を咎めるような者はいなかった。

「王はまだなのか?どちらにいらっしゃるんだ」

「…それが、お部屋にも、執務室にもおいででなく」

「書庫はどうだ?時々、篭っていらっしゃるだろう」

「そちらはもう探しました」

「エルダリオン様のお部屋は?一緒にいらっしゃるんじゃないのか?」

会見の時間が近づいているというのに、王は、不在だった。

従者たちは、自分達の落ち度に次第に落ち着きをなくし、重臣たちは、苛立ちを隠さなくなっていた。

「ボロミア殿。王はどこか心当たりはないのか」

普段であれば、執政官として重んぜられるボロミアも、王のいない今、老人達に遠慮なく問いただされた。

ボロミアは、窓の外を見ていた不機嫌な顔のままに、振り返った。

「・・・あそこだ」

ボロミアが指差したのは、目の前に広がる中庭ではなく、そこから続く、王個人に許された庭だった。

正確をもって記するなら、王が、人間とは生まれすら違う王妃がゆっくり休めるよう用意した、一年中花の咲く美しい庭だった。

言われて窓から身を乗り出した老人の目にも、薄ぼんやりとではあったが、大木の陰から足を伸ばす王の姿が見えた。

老人は、大きな舌打ちをした。

「あそこじゃ、人をやって呼びにいくこともできない」

王妃のための庭は、鍵がかかった。

ボロミアは、髪を耳にかけながら、ゆっくりと窓に背を向けた。

「ここから、ラッパでも吹いてやったらどうだ?そうしたら、あのねぼすけも起きるだろ」

「ボロミア!!」

老人は、大きな声でボロミアを叱責した。

ボロミアは、小さく肩をすくめた。

「お前は、昔からそういうことばかり言って・・・」

「昔がそうだったんなら、そんなに簡単に変わるわけがないだろ?」

振り返ったボロミアの顔を老人は、にやりと笑って見つめた。

「いや、王と旅をしていた間はずいぶんしおらしかったそうじゃないか。王からそう聞かされておるぞ」

老人はしたり顔で、ボロミアの顔を見つめた。

「・・・・だから、なんだ?」

「いや、別に。お前は王にきっと反発するだろうと思っていたから、すこし意外だっただけだ」

老人は、余裕の刻み込まれた皺で笑い、ボロミアの強い視線などものともしなかった。

「そうそう。ボロミア様は、これで、気がお小さいから」

「お父上がご存命の時も、気に入っていただこうと、父君の前でだけはかわいらしく振舞って」

「しでかした悪戯の報告が、父君に届かないと信じていたのだから、かわいらしい」

刻々と近づく約束の刻限に、苛ついていたはずの他の老人たちが話しに加わった。

ボロミアは、執政官として隙なくその場に立っていた。

しかし、老人達は、城の中を弟と駆け回っていた時の子供を見つめる目つきだ。

「・・・年よりは、こんな時にも昔話か」

ボロミアは、不機嫌に眉を寄せたまま、部屋から出て行こうとした。

「お前まで、どこへ行く気なんだ。ボロミア」

大きな声で、ボロミアを呼び捨て、老人は、小さく咳払いした。

「いや、もう、会見の始まる刻限だというのに、執政殿はどこに行かれる気だ?」

「今日の貢物の中に、ファラミアが読んでみたかったという書物が含まれているそうだからな。時間も守れないあんた達の王様を呼んできてやる」

ボロミアは、必要以上に集まっているとしか思えない事務官達の間を通り抜けながら、肩越しに小さな鍵をちらつかせた。

それは、城の誰も所有しないはずの王妃の庭の鍵だった。

「あんたたちの言うとおり、しおらしい振りをしてたんでね。王は俺に、特別のご配慮を下さってるんだよ」

閉まるドアを王の従者達が追おうとした。

ボロミアは大人数の従者を止めた。

「あそこへの立ち入りは、許可なくしては許されない。お前達には悪いが、代わりにお前達に行って貰うとわけにはいかない。そこまでの権限を私も与えられていない。・・・私一人に行かせてくれ」

「はい・・・でも、あの・・・」

「すぐ、連れてくる。この城が供を連れなくては歩けないような危険な場所だと使者に誤解されるのは業腹だ。お前達の仕事を奪うようで申し訳ないが、ここで待っていてくれ。すまないな」

執政官は責務を果たそうと懸命な従者達に、優しげな笑みを浮かべた。

ただし、その笑みは、一歩たりともボロミアの後ろを付いてくる者を決して許しはしないというだけの迫力を含んでおり、従者達は、その場にとどまるしかなかった。

 

ボロミアは、一人、中庭を抜けた。

柔らかな日差しを浴びながら、顔に浮かんだ不機嫌さを隠そうともしなかった。

ボロミアは、王妃の庭が嫌いだった。

あの庭は、この城の中で、一番美しい場所だといって問題なかった。

ボロミアは、美しいあの場所に足を運んだことがあった。

しかし、それは、王妃がいないとはっきりわかっていた時に、ボロミアから王を誘ってのことだ。

ボロミアは、小さなため息とともに、庭の錠前をあけた。

目の前に、黄色いバラが、小道を作る。

ボロミアは、その間を抜けて行った。

丁寧に管理され、馥郁とした花を咲かせる緑たちは、ボロミアのほかに、たった一人この庭に自由に出入りする職人の手によるものだった。

ボロミアは、その職人と口を利いたことがない。

 

「・・・面倒だな」

ボロミアは、内心の腹立たしさを、王のために、わざわざ足を運ばされたせいだと思おうとしていた。

しかし、バラの小道を抜けると突然開ける場所にあった光景によって、粉々になった。

深い森が始まる手前に、大きな木が1本だけ、広場の主のように立っていた。

その大きな木の根元に王が、寄りかかっていた。

うつむきがちの顔の口元には柔らかい笑みを浮かんでいた。

王の両方の足を枕に、幼いエルダリオンと、王妃が、午睡の最中だった。

温かな日差しを体に受け、エルダリオンは赤子のように体を丸め眠っていた。

王妃は、差し出された王の手をゆるく握ったまま目を瞑っていた。

「・・・ああ、ボロミア」

ボロミアの足音に、顔を上げたエレスサールは、困ったような顔で笑った。

「少しのはずだったんだけどね。眠ってしまって・・・」

「・・・起きてますわ」

目を瞑ったままの王妃が、先ほどみたバラの花びらよりももっと柔らかそうな唇で、言葉を発した。

「知ってるよ。君が眠った振りをしているだけだということは、わかっている。そうじゃなくて、エルダリオンだよ。ぐっすり眠ってしまっていて」

幸せを夢に見るならば、この光景は、それにふさわしいものだった。

たとえようもなく美しい妻と、かわいらしい子に囲まれ、その眠りに安心を与える父親。

ボロミアは、自分の心が何かを感じる前に、足を踏み出した。

「王、申し訳ありませんが、時刻が迫っております」

「ボロミアが、やっとここに来てくださったと思ったのに、やはりそんな用件ですのね」

王の膝から身を起こしたアルウェンは、嫁いできたときより、ふっくらとした柔らかな頬の線で、ボロミアに向かって微笑んだ。

知らずにいるということの強みを、その優しい微笑は、なによりも強く表現した。

ボロミアは、膝を折り、許しを請う目つきで、一歩王妃に近づいた。

王妃は、腕を上げる。

ボロミアは、尊い白い手を、おし抱くようにして唇を寄せた。

「もう時間はないんですの?」

「ええ、申し訳ありませんが、もう、全く」

アルウェンは頷くと、緩やかにエルダリオンを揺すった。

「起きなさい。お父様はお仕事なんだそうよ」

驚くほど勢いよく目をあけた子供は、一瞬、訳がわからないといいたげに、ひょっこりと頭を起こしたまま動きを止め、次の瞬間には、ボロミアに向かって飛びついていた。

「ボロミア!」

「はい。エルダリオンさま」

「ボロミア!」

エルダリオンは、ボロミアの胸に顔を摺り寄せ、伸び上がると、ボロミアの頬に、自分の頬を重ねた。

柔らかな子供の頬が、ボロミアの頬を擽る。

エルダリオンを囲む大人たちが、その気持ちのいい感触に、そんな行為を繰り返すのだろう。

エルダリオンは、お気に入りの人間に、必ずそうやって自分を与えようとした。

「久しぶりだね。ねぇ、今日は遊べるの?」

「残念だが、ボロミアは、お前の枕にされていた私のことを助けに来てくれたんだよ」

エレスサールは、長い間、人の重みに耐えていた足を動かしながら、笑いを浮かべた。

エルダリオンの目が、ボロミアの表情を探る。

「・・・申し訳ありません。今日は、この後、使者との謁見が控えておりまして」

ボロミアは、曇っていくエルダリオンの表情に、困ったように眉を寄せた。

「ボロミアの衣装は、儀礼用のものだ。実は、そんなことわかっていたんだろう?エルダリオン」

エレスサールは、聡い息子が、これ以上子供の振りを続けないうちに、立ち上がった。

エルダリオンは、引き際をわきまえ、しがみついていたボロミアを離した。

だが、執政の長い指の先を、小さな手でぎゅっと握り、その整った顔を見上げることも忘れなかった。

「・・・僕のこと忘れないでよ」

父親の面影をはっきりとうつすエルダリオンの誘惑は、ボロミアの口元に柔らかい笑みを浮かばせた。

「忘れたりいたしませんとも、エルダリオン様」

ボロミアは、エルダリオンに向かって膝を付き、頭を垂れた。

「お父君をお借りいたします」

「今度は、僕を借りにきて」

「はい。では。必ず」

ボロミアが、エルダリオンといつ果たされるともわからない約束をしている間に、エレスサールは、妻にしばしの別れを請うていた。

「行ってくるよ」

「ええ、お引止めしてすみませんでした」

「いいや」

極自然に、エレスサールの唇が、アルウェンの唇を求めた。

ボロミアは、冷たいまでに整った顔で、その姿を見ていた。

先に立って歩く王の後を臣下の距離を置いて、ボロミアが着いていく。

バラの小道に入ると、エレスサールは手を伸ばした。

ボロミアはその手に、白い指を絡めた。

「ボロミア、やはり、変わったな。昔は、アルウェンに触れた手でお前に触ることなど許さなかったのに」

「・・・どうして、そんなに昔の私にこだわるのですか?」

ボロミアは、口元に魅惑的な笑いを浮かべたまま、王と繋いだ指を動かし、優しい愛撫をしてみせた。

王は、口元に苦笑を浮かべ、ボロミアの隣に並んだ。

「かわいらしかったからだよ。ボロミア」

王は、いつものように、ゆっくりとボロミアを引き寄せ、唇を合わせようとした。

ボロミアは、王をかわし、先に立って歩き始めた。

「王、きっとご存知でしょうけれど、この場所は、ご老人達の目でも、なんとか見える範囲なのですよ」

「私が戻るのを今か、今かと待ち受けている気の短い方々のかね」

「ええ、そうです。上からだと、あなた方ご家族が仲良く昼寝していらっしゃる姿もすっかり見えました」

王は、先を行くボロミアに追いつき、その肩に手をかけた。

「では、ボロミア、夜が更け、ご老人たちの皺深い瞼がすっかり落ちてしまったら、誰からも見つかることのない私の部屋においで」

ボロミアは、この城に戻ってからは、殆ど見せることのなくなった恥らったような笑みで、王を見返した。

「・・・無理です。王」

王は、驚いた顔で、ボロミアの肩を強く掴んだ。

「何故?」

「今晩は、今日の貢物に、入っている書物をファラミアのベッドで一緒に読む約束をしていますので・・・」

ボロミアは、つかまれた肩が痛いと言いたげに、王の手を切なく見下ろした。

エレスサールの力がますます強くなる。

「・・・痛いです。我が王」

エレスサールは、大きな息を吐き出した。

「・・・あれは、私も読みたいんだ」

「私には、あなたを探し出したという功績がありますからね。ご老人方も、私に譲ってくださると思いますよ」

「・・・ボロミア、その顔はやめてくれ」

王は、強引にボロミアをバラの陰へと連れ込んだ。

分厚い儀礼用の衣装は、バラのとげからボロミアの体を守った。

黄色いパラ花が、ボロミアの背中で押しつぶされる。

「・・・王」

ボロミアの唇が、エレスサールに塞がれた。

 

その日、開始時刻を僅かに遅らせた謁見は、滞りなく終了された。

ボロミアは、王の近くでその美しい姿を使者の目に晒し終えると、約束の書物を手に、するりと弟の部屋へと姿を消した。

 

 

END

 

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愛しいと思う気持ちは止められず、今日のボロミア、ここに完成(笑)正月らしく、57577です。17.1.3