ゴンドールにゃんこ物語 2

 

ゴンドールの執政兄弟が行う外交は、勿論、すばらしく円満に事を終えていた。旅も、城までの後一日の行程を残すだけだ。

今日は、野営となった夜の寝床で、ファラミアは、むくりと、体を起こした。

城に帰ってしまえば、また、ボロミアには、王が付きまとうに決まっており、弟は、この旅の一夜を大事に使うことと決心したのだ。

この兄弟、今だ、たわいないことをしゃべりあううちに、同じベッドで眠ってしまう夜もあるようなそんな付き合いだったが、今の時期に、二人が一緒のベッドで眠ることはなかった。

執政の仕事を勤めるにゃんこと言えども、やはり動物なだけに、一年に2度訪れる発情期をさけて通ることはできない。

春のこの今、ちょうどにゃんこはその時期だった。この旅に出て、すぐ、ボロミアにその兆候が現れ、そして、ファラミアも同じ現象を迎えた。

幼少期より、人間に立ち混じり生活してきたにゃんこ達は、発情していても、人間と同じようにそれを隠すよう教えられて育ってきた。

だから、外交自体は、つつがなく終えている。いや、濡れて光る目をしながら、それを必死に理性で押さえ、にこにこと笑うボロミアにゃんこに、いつもよりも外交はずっと成果を上げていた。

確かに、どれほど理性で押さえつけようと、本能に根ざした行動である発情中のボロミアが、いつもより頻繁に相手国の王にタッチをしていたという証言はある。

いや、尻尾の辺りから、ものすごく良い匂いをさせていて、この時期のボロミア様は罪だ。という兵士の訴えもある。

 

だが、ボロミアよりも、理性の鎧を多く着込んだファラミアは、ボロミアよりも遥かに上手く自分が発情期であることを隠してしまっていた。

多分、ボロミアの様子に目を奪われている兵士達は、ファラミアに発情期が訪れていることなど気付いていないだろう。しかし、実際のところ、一年中発情している人間と違って、猫に訪れる発情期の衝動は理性的な弟にゃんこをしてもいかんともしがたいものだった。頭の中には始終桃色の妄想が現れる。それにそそのかされ、今のこのとき、兄上の寝床を訪れるなど、間違いの元だと分かっていながら、いや、わかっているからこそ、発情期のファラミアは、どうしてもボロミアの天幕に忍び込もうと決意している。

王に邪魔されず過ごせるのが、残り一日だ。ということも、ファラミアにゃんこの背中を押していた。

ファラミアは夜番を勤める兵士に湯の用意を頼む。

決意の弟にゃんこは、ボロミアの寝床を訪ねる以上、自分の身を清めずには居られなかった。

もう、ファラミアは、ボロミアと、一緒に枕を並べるだけ、などという、優しい弟の顔など脱ぎ捨てている。

勿論、弟にゃんこは、セックスを狙っている。いや、猫だから、交尾か?

ごしごしと、ファラミアは、毛皮を洗う。

顔を洗うたらいで湯浴みする子猫サイズといえど、今、ファラミアの心意気は、「野獣」だ。

 

だが、野獣のくせに、エチケットだけはきちんと守る育ちよさを捨てきれぬ弟にゃんこは、禁忌の血縁性交を夢見ているくせに、兄上に気を使うことを決して忘れなかった。

「兄上の前で、くしゃみばかりするようなことになってはいけない」

ファラミアにゃんこは、湯に入ったまま手を伸ばして、机の上の花粉症の薬を取った。

この薬は、あのミスランディアとか、呼ばれたりもする、老賢人が作りファラミアにくれたものだ。実験途中のこの薬、今のところ、ファラミアの花粉症を押さえてくれていたが、果たして効果はそれだけなのか、きわめて不安な物だった。

危険な被検体だというのに、今日のファラミアは、兄上の艶姿に気を取られるあまり、少しばかり不精だった。先ほど別れたボロミアは、誘っているとしか思えない濡れた目をして、肩越しにファラミアを振り返りつつ、一人天幕に消えた。実は、ただこの時期特有の衝動のために、ボロミアの瞳は濡れていただけなのだが、それをファラミアは、都合よく受け取っている。

今、このファラミアがお慰めに参ります!と胸を高鳴らせている弟にゃんこは、その興奮に、赤と青の薬を交互に飲まなければならない薬を適当に口へと放り込んだ。

そして、勿論、こういう時は、間違った方を飲んでいる。

 

「うぉぉぉぉ!?」

湯から上がるか、と、ファラミアにゃんこが身を起こそうとしたところだった。

にゃんこの身体に激痛が走り、ファラミアは自分の身体を抱きかかえ、身体を丸めた。

被検体一号は、だらだらと額に汗を浮かべている。やはり、灰色の魔法使いが作った薬は、危険があったようだ。

苦しそうに身悶える小さいにゃんこの声に、夜番を勤めていた兵士が、天幕の外から声をかける。

「大丈夫ですか。ファラミア様」

「……くる……し……い……」

自分の身に爪を立て、もがき苦しむファラミアにゃんこを覗いた兵士は、子々孫々まで語り継げるだけのゴンドール怪奇譚を手に入れた。

後のゴンドールでは、夜更かしする子供にこういう風習ができた。

「悪い子のところにな、執政家の化け猫がやってきて頭からがぶりと食べてしまうんだぞ」

それほど、弟にゃんこは、恐ろしい顔をしてもがき苦しんでおり、そして、語り継がれる怪奇譚のポイントになるほど、子猫は巨大化していた。

弟にゃんこは、猫の姿を捨て、若い男の姿に変わっていたのだ。

だが、頭も身体の春の時期に、これは痛い変身だった。猫がヌードで湯浴みしていようが、その股間がちょこんと勃っていようが、それほど人間は気に留めない。

しかし、ファラミアは人化し、しかも、その股間はこの苦しさの中においてすら臨戦態勢だった。しょうがない、とにかく今は春なのだ。

やっと変身の苦しさを脱したファラミアが、べっとりと汗に濡れた顔を上げると、言葉もなくぽっかりと口を開いている間抜けな兵士の顔を見つけた。

「おい…」

執政家にゃんこは、顔を覆う髪をかき上げ、突発的状況に弱いらしい兵士に声をかけた。

しかし、子猫がいきなり人間に変わるところを見せ付けられ、動揺せずにいられる者などいようか。逃げ出さなかっただけ、ゴンドールの兵士は豪胆だ。しかも若い男の股間ははちきれそうなほど、高ぶっている。

「……ファラミア……様?」

「ああ、悪いが、着るものを貸してくれ。なんでもいい。今のままでの服では小さすぎる」

猫が人間に変身するという、いくら神話の世界に近い中つ国といえど、今年の10大ニュースに選ばれそうな事象の当事者になってすら、ファラミアが考えていたのは、兄上の寝所に行こうと、ただ、それだけだった。

「大丈夫なの……で?」

「ああ、勿論だ。兄上がお待ちだ。すぐ服を用意してくれ」

にゃんこの発情期は業が深い。

 

 

兵士達の持っていた一番上等な衣服に改めたファラミアは、どこか理知的な雰囲気のある美丈夫へとなっていた。

弟は、ボロミアにゃんこの天幕を潜る。

にゃんこのサイズは小さいが、執政にゃんこは豪勢にも、どどんと、天幕は人間サイズのものを広々と使っていたので、人化した弟が、兄の下を尋ねようと問題は何も無かった。

兄は、ふにゃりと幸せそうな顔で眠っている。

この時期の夢が、身体に影響を及ぼすような快楽に満ちたものであることは、同じ猫だったファラミアも知っている。子猫サイズのくせに、兄上の腰が、寝具にこすり付けられている。ゆらゆら揺れる腰と寝言とはいえ、色っぽいボロミアの喉声。

「兄上!」

誘っているとしか思えない兄の態度に、興奮しきった弟は、子猫に向かって踊りかかろうとした。

しかし、そこで、ファラミアは、自分に降りかかった真の悲劇に気付いたのだ。

「何奴!」

はっと、目を覚ましたボロミアは、少し染み出している夜着の股間を隠しながら、すたたっと走り、剣を手に取った。

人間の目からみれば、そうか、こう見えるのか、と、かわいらしい子猫が、小さな剣を勇ましく握っている。

猫のサイズは、ファラミアの手に乗る。肛門などきっと小指を入れるのが精一杯だ。

その事実に気付いた弟は、ぼたぼたと涙をこぼした。

「……兄上……」

「ファラミア!?」

ボロミアは、目の前の男に、猫だった頃の弟の面影を見つけ、目を見開いた。

「お前……」

「兄上……ああ……兄上!!」

頭の回転が速そうなハンサムな男は、その顔に似合わぬ、身も世もない号泣をした。

剣を納めたボロミアは、泣く弟に歩み寄った。しつこいが、いい夢を見ていた兄上の夜着は股間のあたりが少し湿っている。

しかし、弟を心配するボロミアは、男前にもそんな些細なことは気にしない。

「どうしたんだ? 大丈夫か?」

ボロミアが大丈夫か、と聞いているのは、人間へと姿を変えた弟のことではなかった。

泣く弟を心配しているだけなのだ。

執政家の長男らしい鷹揚な、いや、もう少しは、物事にこだわったほうがいい性格で、弟に近づいたボロミアは、弟の膝によじ登るが、それでも、まだ兄と弟の顔は遠かった。

「おい、ファラミア、手を出せ。兄を手のひらに乗せるのだ」

「……兄上……」

目の前の事実をそのままに受け入れる豪胆な兄に、べそべそと泣く弟は、言われるがままに手を出して、にゃんこを自分の顔へと近づけた。

「お前は、執政家のファラミアだ。そんなに簡単に泣くんじゃない」

にゃんこは、人化した弟をものともせず、まずは説教を垂れる。

また、それを弟も聞いている。

「だが、兄の前でだけは特別に許す約束も、兄は忘れてないぞ。どうしたんだ?ファラミア、何を泣く? 何が辛いんだ?」

ボロミアは、猫が突然、人間になったという事柄に、もっと注目したほうがよかった。何が辛いんだと、聞かなくても、これだけのことが起こっているのだ。わかってもよさそうなものだ。

まぁ、この場合、少し違うのだが。

ボロにゃんこは、頼もしい顔で弟を見つめ、弟の答えを待っている。

「……兄上……」

頼もしくも愛らしい兄上のその姿に、ファラミアの目からは、また涙が盛り上がった。

「やっと決心して、ここに来たのに、……こんなにサイズが違っちゃ交尾出来ない……」

心の叫びを口にした弟は、どこか切れてしまったらしい。

手のひらに乗せた兄を引き寄せると頬ずりを繰り返し、口を開き続けた。

「兄上は、こんなにかわいらしいのに! 兄上が、せっかく発情期なのに! 兄上がこんなにいい匂いをさせてるのに!」

同じ猫の姿をしていないせいか、ファラミアの行動は、兄に対しての配慮を欠いていた。

嫌がるボロミアに無理やりしていた頬ずりに気が済むと、それだけではなく、動物らしく、ふんふんとボロミアの匂いを嗅ぎだし、あちこちに高い鼻を突っ込んだ。

ボロミアの腹を弟の高い鼻が撫でていく。

「こら。ファラミア!」

くすぐったがる兄の叱責もむなしく、ファラミアは腹だけでなくボロミアの尻の匂いだって嗅いだ。発情期中のボロミアの尻は、勿論いい匂いをさせている。同属だけにその匂いにノックアウトされた弟は、獲りつかれたような目をして動く尻尾の付け根を指先でくすぐる。

「にゃぁ〜ん」

そこはボロミアの弱点だった。

普段は使わない猫語で叫んで腰砕けになったボロミアは、ぐったりと身体の力を抜いてしまい、目をうるうるとさせている。

くねくねと動く尻尾は「してして」のサインを連発だ。

勿論、ファラミアは、してやる気にまんまんだ。

発情期中のため、簡単に快感の虜となるボロミアは、弟の手で弄られながら、小さなペニスからとろとろと精液を漏らし始めていた。

「兄上!!」

鼻血を吹き出しそうに興奮したファラミアは、大きな手で、ボロミアの身体を撫で回す。

「ふぅ……ん……ん……ん。ファラミア……きもちいい」

ひくひくと身体を震わせるボロミアが潤んだ目でファラミアを強烈に誘う。

「……もっ……と……」

甘えた声でそう頼まれて、本当にファラミアの鼻からは、赤いものが垂れてきた。

鼻血をたらす人間と、その手の中で身悶える子猫。

もし、誰かが見たならば、ファラミアに変態の烙印が押されることは確実だろう。しかし、幸いなことに、執政家長男の天幕を覗く命知らずな兵士はいなかった。

「兄上、気持ちがいいのですか! ああっ! わたしの手でこんなに姿になるこんな兄上の姿を拝見できる日がこようとは!!」

拝見できたところで、物理的に合体できるサイズではないので、ファラミアの大声で叫び、懊悩する。

「兄上が、兄上が、私の前でこのように乱れてくださっているというのに!!何故、私は、猫じゃないんだ!」

本当に兄上は、乱れていた。

天真爛漫に腰をくねらせるボロミアにゃんこは、ファラミアの腕を足で挟み込み、立ち上がっているアレを擦り付けている。

やはり、ファラミアのサイズが人間ということで、弟の手で快楽に押しやられているのだ。という禁忌が少ないのかもしれない。

いや、もしかしたら、発情期中は、弟だろうが、なんだろうが、気持ち良いものなら何でも好き。という、うっかりさんなだけかもしれないが。

あられもない兄上の姿を見せ付けられたファラミアは、自分の股間が急激に熱くなるのを感じだ。

危険な秘薬の効果で人間の姿をしていたが、元々猫のため、射精までの時間が短かいのだ。

ただし、それは、兄上も同じだが。

「にゃぁ〜〜〜ん!!!」

ぴちょっと、弟の手を汚したボロミアがくったりとファラミアの身体を預けた。

それよりなんとかぎりぎり後に射精したファラミアの身体が、きゅうにしぼみ始める。

どうやらこの変身、元に戻ることは、苦しくなさそうだ。

しゅるしゅるしゅるっと、小さくなっていくファラミアには、猫耳がつき、尻尾が生える。

ズボンの股間が濡れている兵士の衣服が中に入っていた身体をなくして床に広がり、小さなにゃんこは、その山のなかから、ひょこりと顔を出した。

「……ファラミア……」

まだ、頬を赤く、息を喘がせるボロミアは、兵士の服の上で、艶やかな身体を横たえ、ぐったりとしていた。

その姿は、息を飲むほど色っぽい。

ファラミアは、兄と目を合わせるのが、たまらなく恥ずかしかった。

あれほど兄上としたかったくせに、いや、あれほど、ボロミアとサイズ違いなことを呪ったくせに、弟にゃんこは同じサイズの猫になってしまえば、兄上に不埒な行いができる度胸がない。

「……兄上、あの、その……あれは、薬のせいで……」

しどろもどろに言い訳するファラミアに、ボロミアは笑った。

「よかった。お前が元の姿だ……」

兄の言葉に、弟は感激した。

だが、発情期中の猫たちは、景気良く股間を濡らして、はぁはぁと、事後の余韻をまだ引きずる姿なのだ。

この姿、ゴンドール一の名家の息子としていかがなものか。

「眠くなった……寝ようファラミア……」

発情期中の猫は、とても健康的だった。

微笑を口に浮かべたまますうすうとボロミアは、もう寝息を立てていた。

動物として、年に二度訪れる大事な勤めを終えたファラミアも、眠気に取り付かれ、我慢が出来ない。

「……あに……うえ……」

ボロミアの側までにじり寄ったファラミアは、そこで意識を失ってしまった。

春の夜は、優しい居眠りを猫達に与えている。

ただ、翌朝、ファラミアが股間を濡らしたズボンを洗うことになる兵士だけが、かわいそうだ。

 

END