キス

 

あとで少しいいかい?というタンストールの言葉の言葉に、集まった仲間の元へ、悪びれもせず後れたビリーは、ドア近くにあった無人の椅子を取り上げると、当然のごとくドクの隣へと運び、そこでガタンと椅子を下ろした。しかし、仲間達はそれぞれもう適当な位置へと座っていたのであり、窓際に座っていたドクの隣も勿論埋まっていた。ぎりぎりのスペースへと椅子をねじ込み、足を大きく開いて座るビリーの態度に、座の雰囲気は悪くなる。

「あっちに行け」

ドクの低い声に、ビリーの大きな目が疑い深くドクを観察した。

「なんでだ?」

 

一揉めした集まりの後、子供たちの様子に感じるもののあったタンストールは、機嫌悪く肩をそびやかして出て行ったビリーを探し、キッチンで捕まえた。腹の減りやすい年頃の若者というものは、怒りの後には大抵食料を漁っている。まるで温度が低いかのような気分を味あわせる目の色をしたビリーは、チキンにかじりつきながら、じっとりと侵入者である保護者を睨んでいる。タンストールが

「……もしかして、ビリーはドクが気に入っているのかい?」

と尋ねると、

「当たり前だ」

子供の答えは即答だった。なんとなく、この保護者はそんな気がしていたのだ。だが、それは、仲間の中で浮き上がりやすいビリーのことを心配していたタンストールにとって、いいニュースだ。

「でも、ドクは君を嫌っているようだね」

殴りかかってきそうな子供を威厳のある笑顔で威圧したタンストールは、ビリーが床へと叩きつけたチキンを拾い上げた。土のついたそれを、わざわざ棚から取り出したビリーの皿に載せる。怒りに任せ、子供は床へと皿をなぎ払う。

「私は思うんだがね、ビリー。君がドクに好かれたいんだったら、もっと行動を考えるべきだと思うんだ。例えば、自主的にこの割れた皿を拾ったり、もう食べないチキンを肥料と混ぜたりしてみるといったね」

殺してやりたいと言いたげに睨みつけてくるビリーを残したまま、それでタンストールはキッチンから出て行った。だがこの荒くれ者たちの親代わりを務める牧場主は一時間ほど後に、お茶を飲もうとキッチンに顔を出し、破片の飛び散る床からチキンだけが消えているのを認め、結局は食い意地張った子供であるビリーに、小さな苦笑を漏らしたのだ。

 

「一体何なんだ!」

ドクは、自分の周りをうろつくビリーに苛々と怒鳴った。牧場に住む若者たちは仕事に事欠かない。好きではないが、ドクは今だって馬たちを追い出した小屋の中で、飼葉を変える作業のためクワを振るっている。

「邪魔だ。ビリー!」

何の手伝いもしないくせに、ビリーはドクに付きまとっていた。柱を背にじっとりと粘つく視線でドクをみつめるビリーは、多分、自分に割り当てられている仕事だってしていないはずで、社会規範から零れてしまったものの、それでも仲間内で一番義務について煩いドクは、それに余計イラついていた。ドクは、作業の手をとめ、ビリーを睨みつけながら袖で汗を拭う。額に張り付いていた金色の髪がふわりと揺れる。ドクはビリーが嫌いだ。

「それに、お前、さっきの態度は何なんだ。タンストールさんに呼ばれてたってのに遅れてきて謝罪の言葉もなければ、人が座っている所にわざわざ割り込んでくる。注意されればキレて怒鳴って」

ビリーの銃で脅され、吊るされたまま尻にペニスをねじ込まれていなければ、ドクだって言いたいことを言う。元々、イラつく相手に黙っていられる気性だったら、ここにいない。

「お前なんかな、一番ガキのくせに」

「……煩い」

柱に掛かっている錆びのついた馬具を弄っていたビリーの頬は、とうとう癇症に引きつった。ビリーは、自分が大好きなドクの隣に座りたかったように、当然、ドクも自分に隣に座って欲しがっていると思っていたのだ。それを否定したドクの言葉は、ビリーを傷つけ、不機嫌にしていた。

変わった空気に、ドクの目はすかさず逃げ出すための出口までの距離を測る。それから、ビリーに対抗するための武器の在り処を確かめる。ビリーの銃の腕と精神の歪みは、確実にドクを脅かしていた。のびのびと走り回っているらしい馬たちの蹄の音が聞こえる小屋の中、空気は不穏な濃度の高まり方をしている。

「……」

ビリーの目は、ドクの手首に残る擦過傷に気付いた。残りの縄は、首にも回したから、汗に濡れたシャツの襟元を拡げて覗けば、きっとそこにも赤く皮が剥けているはずだ。でも、ドクは2回もイった。

「あんたアレがして欲しいのか? 足りなかったのか?」

ビリーは、これでも、タンストールに言われた言葉を気にしてここまでやってきたのだ。ドクに嫌われているかもしれないという疑いを、実はビリーも持っている。いつだって、ドクはビリーを怒鳴る。なんだか、仲間たちより自分に向けられる笑顔が少ない気がしている。

にやにやと笑ったビリーの手がいつものように銃にかかるのと、怒りのあまりドクがビリーを殴り飛ばしたのは、同じタイミングだった。おかげで、ドクの足は撃ち抜かれず、弾は土を抉った。小屋から聞こえた大きな音に驚いた馬がいななく。

「……いい気になるな」

銃を握るビリーの手を容赦なく蹴り飛ばしたドクは、大事なおもちゃの行方を追う子供の顔を冷たく見下ろした。暗いブルーになったドクの瞳の魅力に、ビリーの腰にはぞくりとした快感が湧く。ドクは、怒っていても上等だから、ビリーは嬉しい。

しかし、問題は解決せず、ビリーは額に皺を寄せる。

「なぁ、もしかして、……あんたも優しくして欲しいのか?」

埃っぽい土の上に転がるビリーはこれでも懸命にタンストールの言葉を考えたのだ。ドクに好かれたい大きな子供は彼を自分の思い通りにする方法が知りたくて、真摯にドクの顔色を探る。

「えっ?」

ドクは、ビリーが何を言い出したのと躊躇ううちに、不意をつかれた。伸びた手に引き寄せられ、ドクの体はビリーの埃塗れのシャツの上へと倒れ込む。

ドクの体を受け止めたビリーは、女たちがそうしたいと望む理由が理解できず、気持ち悪いばかりだった手順を、また踏まされそうだとわかって、酷く嫌な気持ちだった。けれども、お気に入りのドクの緊張で固くなった体を抱きしめていれば、一度くらいなら我慢してもいい気がしてくる。ビリーは、自分に圧し掛かっているドクにキスをする。ドクは、その恭しいキスに、ただ、目を見開くしかない。ビリーの銃は、土の上に転がったままだ。

驚いたことに、ドクへと押し当てられたビリーの唇は柔らかかった。キスは情熱的に続けられ、ドクは、まさかビリーにこんなことができるとは考えたことすらなかった。

舌はおりこうに唇が開かれるのを待っている。ドクの唇を優しく何度も舐めていく。

「違うのか? これが好きなんじゃねぇの?」

開かれない唇の理由を真顔で大きな青い目に尋ねられ、ドクは、慌ててビリーを突き飛ばし立ち上がった。赤くなっているに違いない顔に、ドクは俯いたまま、小屋を出ようとする。

「なんだよ! じゃぁ、何がして欲しいんだよ!」

「知るか! お前に割り当てられてる仕事をしろ!!」

腹を立てたような子供の声がドクの背中を追う。

 

やりかけの仕事も放り出したままのドクは、ずんずんと丘の方へと歩きながら唇を拭っていた。初めてドクはビリーとキスをした。

 

END