ウルちゃんのいただきます

 

コウサギは学園の敷地の中にある森を散歩していた。すると、木の陰から泣き声が聞こえる。

シクシクシクシク悲しそうな泣き声だ。コウサギはぴょんぴょん跳ねて何が起こっているのか見に行った。

野次馬だ。こんな時のコウサギの頭に、森にはコウサギサイズのウルヴァリンなら一飲みの狼だっていることなんていう気の利いた危険信号は灯らない。

「うわっ!」

狼はいなかったが、セイバートゥーズがいた。びっくりして勢いを殺そうとしたコウサギはつんのめる。お約束だが、つんのめって、転がり、セイバートゥーズの足にぶつかる。

「……ウルヴァリン、ウォォーン」

セイバートゥーズは、ウルヴァリンに気付いたが、挨拶や戦闘をするよりも、自分の悲しみにくれることのほうを優先させた。ちなみに、セイバートゥーズというのは、コウサギを超人仲間だと認める太っ腹なXメンと対立するマグニートーの部下だ。ライオンに似ている。似ているというか、顔がそっくりだ。

自分たちの敷地内で、敵対組織の超人と出合ったという危機に対してではなく、転けた恥ずかしさから、ウルヴァリンにはシャキーンと3本爪を生えてきた。勿論痛いから、じわりと涙が湧く。黒々としたつやつやお目々がうるうるに潤んでいて、しかし、コウサギは短い腕をクロスさせた戦闘ポーズだ。

「お前を生かしてはおけない!」

理由はほぼ100パーセント、転んだところを見られて恥ずかしいからだ。

威勢よくウルヴァリンは啖呵を切ったのだが、いつまで経ってもセイバートゥーズがウルヴァリンにかかってくることはなかった。コウサギと比べれば、100倍も大きい気がするセイバートゥーズはシクシクと泣いている。

コウサギは戦闘ポーズを取っているのにも飽きてきた。う〜んっと、とりあえず悩んだ顔で耳をぽりぽり掻いてみたが、まだ、セイバートゥーズは泣いており、コウサギは随分大きい相手の体をぽんっと叩いた。

「どうしたんだ? 大丈夫か?」

こういうところがウルヴァリンだ。

セイバートゥーズは年に一度ほどセンチメンタルな気分になるのだ。今日がたまたまその日だった。

「ここでお前たちを血祭りにあげてやろうと思ってやってきたが、その前に腹が減ったから腹ごしらえをと思ってな……」

セイバートゥーズは打ち明ける。

随分と血なまぐさい打ち明け話だが、コウサギは親身に聞き耳をたてているし、セイバートゥーズも悲しみにくれている。

「ああ、それで?」

「ちょうど狼を見つけたから食ったんだよ」

コウサギは、森に狼がいるという危険を思い出した。実際のところ、ウルヴァリンは森の奥深くまでの散歩をストームに禁止されている。たしかにコウサギは超人……いや、超ウサギかもしれないが、その特殊能力の殆どは自己再生の能力にあり、だから、たかだが野生動物相手であるならどんなことになろうとコウサギが死ぬようなことはほどんどあり得ないが、ストームは狼の牙の間から、血まみれのコウサギを回収すような目に会うのはうんざりだった。

きっと、コウサギは最悪の状態ですら、「よう! ストーム。お前も散歩か?」とかなんとか言うに違いないのだ。血まみれのコウサギの強がりは、ストームに稲妻を呼ばせるかもしれない。

セイバートゥーズは、またひとしきりシクシクと泣いた。顔に似合わぬセンチな様子にコウサギは少し呆れてきている。

「で、それの何が問題なんだ?」

「腹の中で狼が泣いているんだ。それが悲しくって、俺は泣けて、泣けて」

「はぁ!?」

コウサギはセイバートゥーズの顔をまじまじと見上げた。つぶらな瞳があまりにも自分を見つめ続けるせいで、セイバートゥーズは照れてしまった。鼻をかむ振りで視線を反らす。

「……お前、それ、マジで言ってるのか?」

「聞いてみてくれ。ウルヴァリン。俺の腹ん中で、狼が泣いてる。あいつはもっと森を駆けたかったに違いないんだ。ウサギだってもっと食いたかったに違いない」

ぴくり、と、コウサギの心にひっかかる発言がセイバートゥーズの言葉の中にあったような気がしたが、大雑把なコウサギは気にしなかった。それよりもあまりに乙女的神秘主義なセイバートゥーズの発言に、コウサギはついていけなくなって、少し頭が痛くなっている。

「お前、食ったんだろう? なのに何で狼がお前の腹ン中で泣くんだよ。泣くわけないだろ」

「いいや、泣いてるんだ。おれはその声が悲しくて、悲しくてポロポロ涙が零れてくる。なぁ、ウルヴァリン。狼に聞いてくれ。そんなに泣くのはやはりもっと駆けたかったからか?と、もっと食いたかったからか?と」

コウサギは、もうなんだか馬鹿馬鹿しくなっていたのだが、セイバートゥーズがあまりに譲らないので、面倒くさくなってセンチな超人の腹に向かって呼びかけた。

「セイバートゥーズに食われたという狼、お前は、駆けたくて泣いているのか?それとも、食いたくて泣いているのか?」

「いいえ、違うんです。私は、気高い狼です。私が泣くのは、私が食べた狐のため。あの悪戯狐、近頃、からかうのに調度手ごろなコウサギを見つけたと大喜びしていたのを知っていたのに……」

返るはずのない返事が返り、コウサギは度肝を抜かれている。コウサギはもともと気が小さいのだ。だが気が強いため悲鳴を上げるなんてみっともない真似はできない。しかし、見開いた目は、この怪奇現象にびっしょりと濡れている。爪は出てくることさえ忘れている。

「そんな狐を私ときたら、ぺろりと丸呑みしてしました。ねぇ、コウサギさん、どうか、私の腹の中の狐に食われたのか悲しかったか聞いてください」

コウサギは、必死に手を振り、嫌だ嫌だと、アピールした。コウサギは怖いことが大嫌いだ。しかし、狼も、それを食べたセイバートゥーズもコウサギに懇願する。

根負けしたコウサギはぶるぶる震えながらも、強がった声を張り上げた。心中ではどんな神様でもいいから、答えが返らぬようにしてくれと祈っている。

「……セイバートゥーズに食われた狼に食われた狐、お前、何が悲しくて泣いているんだ?」

コウサギの祈りを聞き届けてくれる神はいなかった。

「俺! 俺、近くに狼がいることを知っていながら、冥途の土産だと思って、キジを食ったんだ。あのキジ、もっと空が飛びたかったに違いないのに、俺ときたら食っちまった。そのキジが泣くんだ。俺はそれが悲しくて泣けてくる。なぁ、ウサギ。俺の中のキジにやはり食われたのが悲しくて泣くのか聞いてくれ。俺、キジの泣き声が切なくて」

狐は男泣きで、大きく泣いた。

コウサギは、なんだか現実逃避したくなってきた。しかし、目の前には、ややこしい奴らが、聞いてくれ、聞いてくれと、皆メソメソ泣き続けている。

仕方なくコウサギは口を開く。

「あ〜。ゼイバートーズに食われた狐に食われたキジ」

「違う。俺は狼に食われた狐だ。俺を食ったのはそんなでっかい奴じゃない」

順番が間違うとさっそく横槍が入る。コウサギはぴくりと癇症に耳を動かしたが、さっさとこの現象と縁が切りたくて、小さい指を折りながら尋ねた。

「……じゃぁ、もう一度、セイバートゥーズに食われた狼に食われた狐に食われたキジ、……合ってるな。よし。ああ、そのキジ、お前は何で泣いているんだ?」

「僕、空が飛べるのは鳥だけだって知ってるんだ。なのに、変な翼を背中にくっつけて飛ぼうとしてる変なウサギを見つけた。そしたら、そいつがトカゲにびっくりして、転びながら慌てて逃げ出して。僕。やっぱり空を飛べるのは鳥だけだって嬉しくなってトカゲを食った。でも、トカゲが泣くんだ」

「はいはい。で、お前も、トカゲに何故泣くか聞けってんだろ?」

「うん。あっ、なんか、君って、あの時のウサギに似てる。ねぇ、あの時すりむいたところは治った?」

「違う! 俺はそんなドジなウサギじゃない!」

コウサギの顔は真っ赤だった。誰にも口を挟ませない勢いで、コウサギは尋ねる。

「セイバートゥーズに食われた狼に食われた狐に食われたキジに食われたトカゲ、お前、何で泣く?」

「アタシ、キジに食われたのは全然悲しくなんかないの」

野太い声は健気だった。

「でも、私、森の芸術家だったクモを食べた罪深いトカゲなの。あの細い糸で森にレースを編んでくれていた素敵なクモを、お腹がすいていたからってペロリ。ああ! 私、クモのファンだったのに!なのに、私ったら、私ったら!」

苦悩に身をくねくねさせているような話し声のトカゲの声はとても低く野太くて、聞いていたコウサギは嫌〜な気分になりながら、セイバートゥーズと目を合わせた。

「お前、腹痛くねぇ?」

「……いや、別に」

トカゲのおネェさんは、どのくらいクモのレースが芸術的だったか、とどまることなくまくし立てている。

「もう! 最っ高!に、クールだったの! わたし、見るたびにヌレヌレになっちゃって!」

「……丈夫な腹でよかったな」

コウサギは、さっさと済まそうと、森の中で何度か突っ込んだクモの巣のうっとしさを思い出しながら、尋ねた。

「セイバートゥーズに食われた狼に食われた、狐に食われた、キジに食われた、トカゲのおネェさんに食われたクモ、お前、何で泣いてるんだ?」

「はぁ、……私、……」

クモはえらく遠慮がちで、コウサギはそりゃまぁ、こんなトカゲのおネェさんに食われたのが悲しいとは言い出しにくかろうと同情した。

その答えを待つ間、きっとまだ続きがあるに違いないと、コウサギは忘れてしまいそうな順番を地面に小枝で書いていく。

セイバートゥーズ→狼→狐→キジ→トカゲ→クモ

クモはまだ答えなくて、暇になったコウサギはさっきから頭の中でひっかかっていることを書き足していった。

セイバートゥーズ(敵)→狼(ウサギを食おうとしていた)→狐(ウサギをからかおうとしていた)→キジ(飛ぼうとして転ぶところを見ていた)→トカゲ(おネェ)

ここまで書いて、誰一人自分にとって有益な相手がいないことにウルヴァリンは気付いた。

やはり森はウルヴァリンにとって禁忌の場所なのだ。ストームの意見は正しい。

「……あの……実は」

コウサギはトカゲ(おネェ)の次に、クモ(うっとしいレース編み)とつけたした。森のあちこちにクモが巣をつくるもんだから、粗忽なコウサギはちょっと散歩にでるだけで、クモの巣まるけになってしまい、森から帰るとすぐばれる。

「ええっと、ですねぇ……」

「いいかげん、早く言え!」

ウルヴァリンは気持ちと一緒で書く字もでかいから、これだけ書くためには、セイバートゥーズからは大分離れてしまっていた。しかし、声が大きいため会話には問題ない。ただし、サイズが小さいので、自分のいる位置をアピールするためには持っている木の枝をぶんぶん振り回す必要がある。

「……あなた……ずいぶん……遠く……に」

「んなことは、どうでもいい!」

気の短いコウサギは駆け戻ってきた。もう、いい加減コウサギはこの理不尽な付き合いから開放されたいのだ。

セイバートゥーズ→狼→狐→キジ→トカゲ→クモ……一体どこまで続くのか。

「ああ、私……あなたを知っています。……あなた、いつも私の巣を壊す……」

トカゲが野太い声で悲鳴を上げる。

「んっまぁ! あの芸術を壊すなんて!」

「ネェさん、なんだかウサギがブルブル震えてるじゃねぇか。黙っといてやれよ」

「でも、あんなすばらしい芸術を理解できないウサギなんて!」

「黙れ、お前たち、セイバートゥーズごと、闇に葬むるぞ!」

 

ずいぶんとノロかったが、それでもクモは精一杯努力して自分の悩みを打ち明けた。やはりクモも、腹の中で自分が食べたハエが泣いているという。

コウサギは嫌な気持ちになった。

コウサギは、こないだローグやアイスマンと一緒にハエ男という恐怖映画を見たばかりだった。グロくて、見なければ良かったと後悔したが、クールを気取るコウサギは途中で席をたって逃げ出すのが嫌で、涙目になりながら、最後まで観た。

この先、自分に期待されていることを思い、コウサギは気が重い。

コウサギの目はそらされている。とてもとても逃げ出したそうだ。それなのに、なんの因果か、コウサギは、セイバートゥーズの腹にいるハエ男と話をしなければならない。

「セイバートゥーズに食われた狼に食われた、狐に食われた、キジに食われた、トカゲに食われたクモに食われたハエ、お前、何で泣いている? ……いや、いい、答えなくていい! 俺は、ハエ男と話をするなんてなんて嫌だ!!」

脱兎のごとく逃げ出したコウサギの背中をハエの声が追った。

「まぁ、なんて気の小さいコウサギなんでしょう!」

「なんだとう!」

涙目のコウサギがシャキーンと短い爪を振り回しながら駆け戻る。

「あら、やだ。聞こえちゃった?」

「聞こえるように言っただろう。お前!」

まだ震えは収まらないが、コウサギは短い腕をクロスさせた戦闘ポーズだ。

「だって、性別も聞かないうちに、ひとのこと勝手にハエ男だと決め付けて」

 

沈黙が流れたが、気さくなハエはコウサギの間違いをそれ以上追求するのを止めたようだ。

ハエは語りだす。

「私、嬉し泣きしてただけなの。私が卵を産もうとしてたとき、お腹がすいて、すいて。もうきっと赤ちゃんを産むことなんてできないって思ってた。だけど、その時、一匹のライオンが死に掛けてて。そして、彼女は言ったわ。私の子供はもう大きくなった。だから、もう、この体の役目はおしまい。あなたはこれから卵を産むのね。ちょうどいいわ。私の体に卵を産みなさい。きっと強い子が育つわって」

その時のことを思い出したのか、ハエの声は感激に震えている。

ウルヴァリンも震えていた。

コウサギは、死体にたかる蛆虫の映像を思いだし、えずきあげそうになっている。

「なんだか、私を食べた人ってライオンに似てるわよね? あの時の恩を返すことができるんだったら、私は嬉しい。私もライオンの一部になって、今度は孫が強い子になるのための可能性になれるんだったら、本当に嬉しい」

ハエは本当に誇らしげだった。

だが、コウサギの頭の中では、蛆がたかる死体の顔がセイバートゥーズになり、そのリアルさに、ウルヴァリンはとうとう我慢できなくなった。

「わかった。もう、いい、やめてくれ!」

気持ち悪さに、コウサギの目からは、ぼとぼとと涙が零れている。

「なによ。泣かないで。優しいウサギさん。私は嬉しいって言ってるでしょう? ねぇ、お願い。今度私の孫が食べるはずのライオンにありがとうって、お礼を伝えて」

 

ハエの誤解は、ウルヴァリンに気丈な気持ちを取り戻させた。まだ喉の辺りにすっぱいものが渦巻いているが、コウサギはしゃんっと胸を張ってセイバートゥーズに向き直った。

「今度はテメーがハエに食われる番だから、心配するなってさ!」

 

自分で言った言葉にほんの少し口の中まですっぱいものが逆流してしまったコウサギは、面子にかけてごくんとそれを飲み込んだ。すっぱいキツネならぬ、すっぱいウサギはさっきからずっと涙目だ。

「なるほど、……ありがとう。ウルヴァリン」

センチな気分だったセイバートゥーズは涙をひっこめた。しかし、すっぱいものを無理に飲み込んだコウサギの涙はまだひっこまない。

遠く学園から鐘の音が聞こえた。

「……夕食の時間だ」

テーブルに付くのが遅れると、ストームが煩い。もうこの場を離れたいばかりのコウサギは女神の機嫌が悪くなるのを恐れて、走って帰ろうとした。

「もう、用事はすんだな! じゃ、飯がすんだら、お前と決着をつけてやる。ここで待ってろ。セイバートゥーズ」

コウサギは自分より100倍も大きそうなセイバートゥーズに威勢よく宣言する。

「そうか。夕食の時間か……」

セイバートゥーズはぽりぽりと頭を掻いた。

「そういや、腹が減ったなぁと思っていたんだ」

セイバートゥーズの目がきらりと光って、小さなコウサギを見つめる。

「お前、旨そうだな」

「……お前!」

痛そうに顔を顰めたうるうる目のコウサギの手からは短い爪が伸びた。威力の程は定かじゃないが、地球で一番固い金属であるアダマンチウムの爪だ。だが、そこでコウサギは背中を見せてぴょんぴょん駆けだす。コウサギにとってストームは脅威だった。プライドも重要だが、今は腹が減っている。夕食抜きを命じられてはたまらない。

「決着は後だって言ってる!」

「いや、俺は、今、腹が減ってるんだ」

「俺だってだ!!!」

 

森はコウサギにとって危険な場所だった。その日夕食のテーブルに遅れたコウサギは、やはりストームに怒られデザートのアイスクリームを抜かれたのだった。

 

END

 

元ネタ(頭のうちどころが悪かった熊より「いただきます」)