ウルちゃん、憧れる。
廊下では、俯きがちなコウサギが移動中だった。
もともと小さい姿なだけに、背中を丸めて床にばかり視線を落としていると、コウサギの身体は、本当に小さい。
まるでゴムボールのようだ。
それでも、もともとここに在籍する生徒たちは、油断しているとどこに転がるか得体のしれないそのふわふわボールを長年の勘、もしくは、ミュータントとしての特殊能力を活用し上手く避けながら廊下を歩いていた。
だが、新しくやってきた補助メンバーは、自分が見落としがちな存在だというのに傍若無人にちょろちょろするコウサギを避けるだけの技術を持たない。
今も、背中に大きな翼を持つ、エンジェルがコウサギを踏みそうになって、慌てて避ける。
そう、なんと、補助メンバーまで欲する人材不足のXメンにおいて、未だ、ウルヴァリンは、リーダーなのだ。
出張中のジーンとサイクロップスが、旅先で大喧嘩したとかで、いい大人の二人が、しかも、メンバーの中で一番理性的だと思われたジーンが、学園に戻らぬまま姿を消していた。
だから、Xメンはもとより、恵まれ子達の学園すら、教師陣が不足している。
そのため、実質的に学園を取り仕切っているストームは、さすがにウルヴァリンから、「リーダー」のたすきは外させたが、しかし、別段その地位に興味があるわけではなかったため、コウサギの心意気は、いまだ、「俺が!」リーダーだった。
そうなのだ。実は、学園は今、ウルヴァリンをリーダーに任命したプロフェッサーの姿すらない。
ウルヴァリンはプロフェッサーのことをとても心配しているのだが……忙しさのあまりカリカリしがちなストームの説明によれば、彼は、今、高齢につき毎年受けている検査入院とのことだが……。
ウルヴァリンは、あれだけ柔和な顔で笑うくせに、実は結構好戦的な性格をしているらしいプロフェッサーの経歴を知り、高齢であるだけに高血圧を心配している。
「痛っ!!!」
大きな靴で踏みつけられたコウサギはアダマンチウムの爪を振り回しながら、涙目で叫んだ。
爪は、仕立てのいいスーツのズボンを引っかいた。
この学園の全ての生徒の安全は、俺の両肩に掛かっているんだぜ。と、無駄に張り切っているコウサギだから、研ぎ上げたばかりの爪はいつもより格段に切れ味がいい。
だから、アダマンチウムの爪は、スパリと、ビーストのズボンの裾にきれいな切れ目を入れた。
まぁ、だからといって、思い切り振り回しても15センチ程度しかないコウサギ攻撃範囲のことだから、実のところ被害は、あまりない。
それでも、リーダーであるウルヴァリンは、磨かれた廊下に爪あとを残しながら、ターンしてまだ、ビーストに突っ込んでくる。
「……あ」
青い野獣は涙ぐみながらも立ち向かってこようとしている小動物の威力に少々びっくりしていた。
彼は、コウサギを愛玩動物だと勘違いしていたのだ。もう少し、よく言えば、チームのマスコット。
プロフェッサーの古い友人であるビーストは、青い肌をした御伽噺にでてくる野獣のような外見だ。
それをあげつらい、コウサギが怒鳴りながら、飛び掛る。
「毛玉! お前、目がついてないのか!」
だが、毛玉度でいえば、ビーストの前で腕をクロスさせ、ふうふう唸りながらポーズを決めているコウサギの方がよほど、毛玉に近い。
と、いうか、コウサギはそのままで、アンゴラの毛糸玉だ。
しかし、世界的な遺伝子学の権威でもある、ビースト(Dr.ヘンリー・ハンク・マック)は、初対面のときから、自分を「毛玉」と、呼ぶ、態度だけはでかいコウサギの攻撃を軽くかわすと、気さくに笑いかけた。
「悪いな。ウルヴァリン。君が小さすぎて、そんなところにいるなんて気付かなかったんだ」
Dr.ヘンリー・ハンク・マックは、今日下ろしたばかりのズボンの裾にかぎ裂きが出来たことにも、大きな身体に似合いの鷹揚さをみせ、嫌な顔をしない。
忙しさのあまりストレスを溜めているストームの局地的稲妻に震え上がりながらも、「悪いな。お前にばかり負担をかけて…」などと、ポンっと、その肩を叩き、さらに美女をイライラさせるこのコウサギが青い野獣は気に入っている。
「……お前、少しばかり、自分がデカい思いやがって」
「そうだな。ウルヴァリン。私は、ほんの少し、君より大きいから」
この男は、わざわざ嫌味な言葉を選んで好意を伝えることが好きなのだ。外見の迫力に比べれば、ずっと柔和な表情をしながらも、どこか一筋縄ではいかない悪さで笑う男は、床の上から、ひょいっとウルヴァリンを手のひらに掬ってみせた。ビーストの大きな手のひらは、ウルヴァリンが乗ってもまだ、そこに余裕があって、屈辱に、コウサギはぷるぷると震えていた。
その姿は、いかにもか弱く、威勢だけはよく、シャキーンと、伸びた爪が痛かったため、瞳がぐっしょり濡れているせいもあり、さすがの政府高官も自分がとても酷いことを行っている気になった。
コウサギマジックだ。
ビーストは、はぁっと、息を吐き出した。
ほんのちょっと、それも、体重をかけるより前に気付いて足をどけたはずの自分が、今日下ろしたばかりのズボンの裾を切られ、しかも、その犯人であるこの威勢のいいコウサギのご機嫌を取らなければならないなんて、学園の手助けをするよう求めてきた古い友人、チャールズは酷い奴だと、心の中で愚痴る。
「下ろせ! 毛玉!」
「いや、ウルヴァリン、君が何をしているのか、少し興味があるんだ。もし、よかったら、私もその手伝いをさせて欲しくてね」
天才的頭脳の持ち主であるビーストは、廊下をちょろちょろするコウサギをうっかり踏んでしまったが、そのコウサギが何か目的があって、ウロチョロしていたことには気付いていた。
コウサギは、俯きすぎだった。そして、特定のパターンで動き回っていた。
「ウォーレン・ワージントン三世に用があるのかい? ウルヴァリン?」
そう。コウサギは、エンジェルと呼ばれる羽のあるミュータントに興味があるのだ。
真っ白な翼で、自由に空を飛ぶ男。
そのミュータントは、まるで、神のように神々しく、美しい姿で空を飛ぶ。
はっきり言えばコウサギは、彼に憧れている。
学園に彼が舞い降りたとき、コウサギは、感動のあまりぽかーんと口を開けたままだったのだ。
ばさりと大きな羽を広げ、大空に羽ばたく彼は、とても格好がいい。力強い翼の羽ばたきの音が、その風圧が、ウルヴァリンの心をドキドキとさせる。
しかし、コウサギは、素直にそれを認めない。
「いや、俺は、誰にも用なんてない。下ろせ。毛玉。俺に構うな」
嘘を隠す緊張のため出入りする爪に、いまだ、ウルヴァリンの黒い目はぐっしょりと濡れっぱなしなのだが、それでも、コウサギは自分よりはるかに大きいビーストにクールに振舞おうとしていた。
「しかし、もう彼は、3度も足元にうろつくコウサギを踏みそうになって困っているみたいに見えたんだが?」
「ああ、あいつは、お前みたいにトロくさくないから、俺を踏みはしなかった。だから、それが、何だ?」
ぎろりっと、睨みつけてくるコウサギは、どこからどう見ても、キュートなのだが、その心意気だけは、誰よりクールだ。
「いや、まぁ……いいんだが……」
「Dr.ハンク」
教室から出てきたストームがビーストの腕を掴んだ。
床に下ろされたウルヴァリンは、ビーストから離れるタイミングをうかがっている。
しかし、まだ、コウサギの立ち位置は、ビーストの靴のすぐ側だ。
ストームのハイヒールは、なんとも上手くそのコウサギを端に避けて、ビーストの前に立った。
「うぉっ! こら! ストーム!」
ぞんざいな扱いを受けたコウサギが怒る。
「はいはい。ウルちゃん。ほら、プレゼント。あなたの憧れの彼から貰っといてあげたら、ハンクは、私に貸して頂戴。ウルちゃん、あなたもちゃんとリーダーとしての任務を果たして、無線機の前に待機しててくれなきゃ、困るわ」
忙しい毎日に合わせてか、髪を切り、アクティブな魅力で新たなファンを増やしているストームは、きっちりコウサギでも遂行可能な定時連絡(いや、今は、どこへとも行方知れずになっている迷惑なミュータントカップルからの不意の連絡)を待つのをリーダーでしょう?と、ウルヴァリンに押し付けていた。しかし、魅力的な女は、鞭の後には、きちんと飴を差し出す。
「はい。ウルちゃん。ちゃんと私は約束を守ったわよ。あげる」
ストームは思わずそっと手のひらで包み込みたくなるほど美しい羽を二枚取り出すとウルヴァリンの耳をくすぐった。
「……まぁ、まるで、ウルちゃんの背中にあると、ティンカーベルの羽みたい」
ハンクは、どうしてコウサギが、あれほどウォーレンの足元を俯きながら歩いていたのか理由が分かってにやりとした。男っぽい気性のくせに、どうやら、このコウサギは、エンジェルの姿に小娘のような憧憬を抱いているのだ。しかも、直接それが言い出せず、ウォーレンが羽を落とすのを拾おうと待っていたらしい。
コウサギは、手に入った憧れの羽に胸を高鳴らせたが、それをストームが差し出すのに、ぎゅっと唇を噛み締めた。
こんな恥ずかしい場面をビーストに見られたコウサギの手からは、こみ上げてくる恥ずかしさが怒りへと転化され爪が出っぱなしだ。
ぎくしゃくと、コウサギは格好をつける。
「俺は、そんなのちっとも欲しくない。だか、どうしても、ストームが俺に持っていて欲しいというのなら貰ってやる」
しかし、コウサギの短い手は、さも欲しそうに伸ばされているのだ。
明け方まで仕事をし、やっとベッドに横になったと思ったら、さもいいことを思いついたといわんばかりのコウサギがドアから進入し、耳元で怒鳴りたてたという経験を今日の朝、味わった美女は、見栄っ張りなコウサギの気性を知っていて、隣のビーストににっこりと笑った。
「ハンク。ウルちゃんに白い羽って、とっても似合うと思うでしょう?」
ビーストが何か気の利いたことを口にしようとする前に、ウルヴァリンは、まさに、脱兎のごとく、逃げ出した。
しかし、廊下には、羽が落ちている様子はない。コウサギは、きっちり持ち帰ったのだ。
思わず野獣の顔に笑み浮かぶ。
「あいつ、本当に憧れてるんだな」
「ええ、ほんと、ちょっと不思議なくらいよ。大きなお目目をキラキラさせながら、ずーっと、エンジェルのことばかり見てるの。一体、エンジェルの羽の何があれほどウルちゃんのこと刺激するんだかわからないわ」
背中にエンジェルの羽をしょったウルヴァリンが、自室のドアを開け、廊下を伺っている。
幸いなことに誰もいない。
あれほど夢中になっていたリーダーの仕事すら放棄中のウルヴァリンは、こっそりと廊下に出ると、胸を張って歩き出した。
紐で体に括りつけたものの、どうやら気前よく差し出されたものらしいエンジェルの羽は、彼の羽の中でも大きい方で、それはコウサギにとっては大きすぎた。
モデルウォークでもしたいのかというほどコウサギは反り返っているのだが、残念ながら、ウルヴァリンの歩き方はバランスの悪いヨタヨタとしたものだ。
おまけに、ウルヴァリンの構想は甘かったらしく、背中に羽をしょうコウサギの姿は、エンジェルというよりは、妖精、いや、残念ながら、それも言い過ぎで、本当はトンボなどの虫の羽を連想させた。
どう考えても、左右一枚づつの羽では、エンジェルのあの豪華さ、いや、神々しささえ感じさせるあの姿を演出するのは無理なのだ。
しかし、物理的にいっても、意外に重量のあったエンジェルの羽を何枚も小さなウルヴァリンが背負うのは無理だ。
だが、手に入れた羽に胸を高鳴らせているコウサギは、ヨタヨタしながらも、ずいぶん満足そうだった。
背中から、羽を下ろし、ウルヴァリンは、大事そうに両手にそれを掴む。
「飛んでやるぜ!」
いや、それは、跳ねるというのが正しい状態なのだが、両手に持った羽をばたばたと動かして、小動物はたった一人、ご満悦に飛び跳ねている。
「あっ……いや、あの、ストームに渡した羽じゃ、君には大きすぎるかもしれないと思って、これを持ってきたんだ」
育ちのいいウォーレン・ワージントン三世は、足元のコウサギが、取り落とした羽を拾うこともできず、シャキーンと出した爪のまま固まって、涙目で自分を睨み上げるのに、自分を責めるような目をした。
「あ、あの、過去にも姪っ子が、僕みたいな羽が欲しいと言い出したことがあって、その時、小さな羽根を何枚かと、羽毛を使ったら、よほど似たものが出来て……」
ウォーレンは、上流階級の人間らしく、どこか、冷たく整った顔立ちをしていたが、しかし、富むものは、与えなければならいということも知っているすばらしい青年だった。
しかし、残念ながら、間が悪い。
彼は、エンジェルごっこに勤しんでいたクールなコウサギと対峙してしまった。
このコウサギは、ウォーレンが思うほど、か弱く愛らしい生き物などではないのだ。いや、実際、身体は、自己治癒能力で、どんな傷でもすぐ治してしまう最強なのだが、それよりも、もっと、心が男前な生き物なのだった。
憧れのエンジェルに、みっともないところを見られ、コウサギは、自分の胸に渦巻く感情を上手く処理できず、ぷるぷると震えていた。
そして、そういう時、それはもしかしたら、コウサギの脳みそが小さいせいしれないが、ウルヴァリンは、大抵、力業で事態を収拾しようとするのだった。
出した爪のまま、コウサギが、ウォーレンに飛び掛る。
シャキーンと、コウサギの爪が柔らかな太陽の光を反射する。
驚いたウォーレンは、ひらり、と、羽を伸ばし、飛んだ。
コウサギの目は、羽を伸ばしたエンジェルの姿の美しさに、感動してキラキラと輝いた。
しかも、ばさばさと羽ばたかれる羽から、抜け羽がないものかと、廊下のチェックまでしている。
だが、まだ、動揺するコウサギは憧れのエンジェルを爪の餌食にしようとするのだ。
もっとも、最初の驚きをやり過ごせば、小さなコウサギの爪など、脅威でもなんでもなくて、ウォーレンは、困惑顔で飛び掛るコウサギをかわしているのだが。
「誰がそんなもの欲しいと言った!」
ウォーレンに何度もかわされ、はぁはぁと、肩で息をするコウサギは、ウォーレンを睨みつけて怒鳴っていた。
コウサギに怒鳴りつけられるウォーレンは、目の前で仁王立ちの彼のために屈むことは、このコウサギをさらに傷つけるのだろうか、と、悩んでいた。
大企業の社主の嫡男として、そして、ミュータントとして、悩み多い人生を送ってきたウォーレンだったが、こんな悩みにぶち当たるのは初めてだった。
いつのまにか、コウサギは、床に取り落とした羽を自分の後ろへと隠し、ウォーレンが取れないようにしている。
さっき羽を手に、飛び跳ねていた姿からみても、このコウサギは、やはり自分のような羽を欲しがっているようにしかみえない。
しかし、そのコウサギが強がるのだ。
コウサギは、シャキーンと爪を出し、腕を体の前でクロスさせるポーズを取ると、うるうるの瞳で、ウォーレンを見上げた。
必死のその姿は、気の迷いかもしれないが、やたらと愛らしい。
「だがな! Xメンの新メンバーとして、リーダーの俺に、お前がどうしてもそれをプレゼントしたんだ。というのなら、受け取ってやってもいい!」
コウサギは、頂戴と手を差し出している。
ウォーレンは、優しい男だった。
「……ウルヴァリン、君にプレゼントしたいんだ」
コウサギは、ウォーレンが差し出した、ふわふわ羽毛&小さな何枚かの羽という、手作りエンジェルキットを、手にいれ、にまにまと笑っていた。
手先の器用なアイスマンに今晩、コウサギ用のエンジェルの羽を作らせようと、すっかり予定を立てていた。
END
今後、映画の設定とどう折り合いをつけていくのか、自分…。
いや、でも、コウサギ観ちゃったしなぁ。やっぱ、ウルヴァリン、やたらと愛らしかったしなぁ…。