受難の女

 

 

回廊を歩くパリスの濡れた髪から雫が落ちる。

雫は長く留まらずに消え、石畳には何も残らない。

「待て」

足早に進むパリスは擦れ違った侍女を呼び止めた。

「ヘレンの部屋に果物を、今すぐ、余計な事は言わずに僕からだと」

言い付け、立ち止まったついでに持ち上げた腕の匂いを嗅ぐ。

鼻先には新しい香油の香りしかない。

沐浴の効果に満足した男は、少し歩調を緩めて歩きだした。

 

与えられた部屋で、ヘレンは直面している問題を頭で捏ね繰り回すのと

一向に答が見つからない事に疲れはじめている。

(一人で夜を過ごしたからかもしれない)

パリスは遅くまで部屋にいてくれはしたが、兄と話すと言って出たきり戻らな

かった。自分がした事の重大さを思えぱ仕方ない。

そう思いつつ、女の身勝手さがパリスの事を軽く恨んだ。

膝に置かれた両手は握り合わされている。

(どちらがましだろう)

王妃の座に力なく置かれた生気の無い手と、恋人の行く末を案じて震える手と。

「ヘレン!」

ようやく訪れたパリスに抱き締められたヘレンは接吻の後、左手で滑らかな類を

撫でて顔を覗き込む。

「良く眠れた?昨夜は・・・・ごめん」

はにかむ様なパリスの笑みはヘレンに行為を連想させる。

パリスは女が上になる事を厭わない。

男を御する楽しさに熱中した女の下で達した後、パリスは必ずこんな風に

はにかんだ笑顔でヘレンを見上げた。

「僕が守る」

パリスが力強いと言うには和らか過ぎる声で言う。

夜の様に優しく、闇の如く誘惑に満ちた黒い瞳で熱っぽく見つめながら。

(底の見えないこの眼の中に、希望が隠されている様な気がしたわ)

ヘレンは幾つか年下の恋人に耳を傾ける。

何処か頼りなく、甘さだけは十分な言葉を。

「この身が焼き尽くされるまで愛する」

返した笑顔は固いに違いない。

それでもパリスは再び接吻て恋人を若い胸に抱き寄せた。

髪からの雫が肩に落ちる。

(いいわ。今の私には愛と自由がある)

雫が胸の曲線を辿り、ヘレンの落ち着かない胸の間に流れていった。

 

END

 

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