うつむく女
女が面を上げた。
イタケー王は、息を飲んだ。
「こちらの女が、オデッセウス様への親書を預かっていると申しまして…」
日の暮れた海岸に立てられたテントの中では、一人の女と、3人の兵士。そして、イタケーの王が席を同じにしていた。
まだ日中の暑さが、テントの中にも残っていた。
「誰からだ?こんな場所で俺に手紙を書き送る奴なんて見当がつかない。それに、女、お前は、トロイ人だろう。一体誰が俺に手紙を寄越すというんだ」
テントの中には、小さな炎が揺れていた。
女の身に付けた高価な装身具が炎を受けて光っていた。
オデッセウスは、唇を手で覆いながら、わずかに小首を傾げ、高価なベールで顔を隠した女を見下ろした。
兵士たちに肩を押さえつけられ、砂に膝をつけさせられていた女が顔を上げ、懐に持っていた羊皮紙を差し出した。
白い手だった。
オデッセウスは、息を飲んだ。
ベールから僅かに覗いた美しく彩られた目が、誰かを思い出させた。
兵士は、少しだけ開かれた羊皮紙に目を通し、オデッセウスを見上げた。
「トロイのヘクトルからです。女、中を見せろ。オデッセウス様にお見せするんだ」
女は、剣のある目で兵士たちを睨みつけ、手を差し出す兵士には、滑らかな指が持つ羊皮紙に触らせもしなかった。
ただの女にしては、威厳のあり過ぎる目だった。
取り上げようとした兵士の方が怯んでいた。
「…いい。何が書いてあるのか知らないが、俺にだけ見せるよう言いつかって来たのだろう。下手に取り上げて舌を噛まれてもいけない。お前たちはここから出ろ。何かあったら呼ぶから、しばらくこのテントから離れていてくれ」
イタケーの王は、兵を労う声を掛けた。
知略に長けたイタケーの王は、目の前で起こった考えられない事態を利用する方法を考えながら、兵士たちに退出を命じた。
「化粧を落されますか?パリス王子」
兵士たちが立ち去ると、オデッセウスは、布を水で湿らせ、パリスに向かって差し出した。
パリスは立ち上がり、膝についた砂を払うと、躊躇いもせず、手を伸ばしてオデッセウスから布を受け取った。
特に緊張しているようでもなかった。
立ち上がった姿は、兄に比べて、あまり大きくない。
「正体は、とっくにお見通しというわけか」
パリスの目が笑った。
パリスの声は、甘く、だが、若く高らかな張りがあった。
こまかなレースをあしらった高価なベールを毟り取ったパリスは、濡れたような黒い巻き毛につけていた髪飾りも外し、布で美しく施された化粧を落した。
「兄上に似ていらっしゃいます」
「あまり言われない。兄上の方がずっと美しい」
濃い化粧に縁取られていた目が素に戻ると、なお一層、ヘクトルと、パリスは良く似ていた。
美しく整った顔の中に、兄の方は、淋しいほど深い水底の静けさを有し、弟は、輝く水面の煌きを宿していた。
ため息が出るほどに、この兄弟は美しい顔をしていた。
オデッセウスは、見惚れそうになる気持ちを引き締め、用心深く、パリスとの距離を計りながら、パリスの行動のわけを探ろうとした。
パリスの目は、吊り上り、光を弾いて、猫のように煌いていた。
「兄上からの手紙を言付かってくださったそうで」
オデッセウスは、汚れた布を受け取りながら、パリスに尋ねた。
「そんなもの、あるわけ無いだろう?これは、ただの書き損じだ。兄上は、あなた宛の手紙を何通も書き損じているんだ」
パリスは、乱暴な仕草で、オデッセウスに向かって、羊皮紙を投げ捨てた。
受け取ったオデッセウスは、羊皮紙を開いた。
ヘクトルの署名は、辛うじて残っていたが、後の部分は、大きく斜線が引かれていた。
兵士が手紙を見ていれば、こんなものでは、通用しなかった。
オデッセウスは、この兄弟の豪胆さに眉を顰めた。
「これは…」
「兄上は、ここに来たな。そうだろう?そして、あなたに会った。オデッセウス」
パリスの目が、オデッセウスをきつく睨んだ。
「あなたは、兄上に何をした。オデッセウス。兄上は、私のために戦うと仰っていたのに、今は、和平を考えている。ギリシャを叩いて、私を守ると仰ったのに、何か方法を探していらっしゃる。何をした!あなたは私の兄に、何をした!」
パリスは、叫ぶようにオデッセウスを声で鞭打った。
オデッセウスが消された文字を読み取ろうと目を進めているうちにも、パリスは激昂していった。
半分も読み終わらないうちに、パリスがオデッセウスの腕を掴んで邪魔をした。
羊皮紙は砂の上に落ちた。
「あなたは兄に、何をした!兄は、あなた宛に何通もの密書を書き損じた。その全てに私は目を通したのだ。兄は、あなたのことをとても信頼していた。まるで良く知っている人間のように、あなたの頭のよさを信じていた。和平など、もうありえないと言っていたのに、あなたを通じればそれが叶うと考えている。私のために戦うと言った兄をどうしてそんな風にした!」
パリスの声は、痛いほど尖っていた。
目が妖しいほど煌いて、オデッセウスを飲み込もうとしていた。
オデッセウスにも、ヘレンが恋に落ちたわけがわかった。
オデッセウスは、間近に迫ったパリスの顔を眺めながら、なんと美しい顔をしているのだと、感嘆の思いで見つめた。
この王子は、オデッセウスが今まで出会った人間の中で、一番美しい男かもしれない。
ヘレンと並んで立っている姿は、まるで、人形が寄り添っているように見えるだろう。
柔らかく作られた弟王子の顔立ちの中で、大きな黒い目が、怒りと興奮で、濡れたように光っていた。
感情的な顔は、見るものに息を飲ませるような、迫力があった。
オデッセウスは、大きな目を見開くパリスを刺激しないよう、つとめて柔らかい声を出した。
「パリス王子…残念ですが、私は、何もあなたの兄上に言ってはいません」
オデッセウスは、パリスの手を無理には振り払わなかった。
緑の目を笑いの形に細め、パリスの顔をじっと見た。
いつも、もっと、恐い男の手綱を握っているという自負が、オデッセウスを油断させた。
「王子、私はギリシャと、トロイの間で、和平を結ぶことなど無理だということを知っている。あなたの兄上が何を思って、私に親書を送ろうとしてくださったのかは知りませんが、そんなものを送られても、私は、一顧だにしなかったでしょう。そう、パリスさま。あなたの仰るとおり、ギリシャとトロイの間には、もう戦いしか残されていない。あなたの兄上は、何か思い違いしていらっしゃるようだ」
オデッセウスは、飲み込みの悪い兵士に作戦を説明するように、辛抱強く柔らかい声で言った。
パリスは、息を飲み、そして、意地悪く口元を吊り上げた。
「私の兄上が、あなたに騙されていると?」
「知りません。私は、一言だって、和平についてなど、口にしなかった。そんなものは、もはや夢物語だということは、誰だって知っています。お互い沢山の血をながした」
オデッセウスは、挑発するように笑った。
「恋に浮かれた馬鹿のせいで、死ななくてもいい兵たちが多く死んだ」
オデッセウスが、じっと目を黒い目を見つめると、パリスは、力強く緑の目を睨み返した。
唇が小さく震えていた。
「馬鹿だということは、良く知っている」
パリスは、唸るように言って、オデッセウスの腕を強く掴んだ。
だが、その力は、オデッセウスが知る男のものに比べれば、まるで、子供のものだった。
オデッセウスに危険を予知させなかった。
「自覚があるということは、幸せなことです。あなたの兄上もきっとそう思っていらっしゃるでしょう」
オデッセウスは、平気な顔で言葉を返した。
この程度の噛み付かれ方ならば、かわいらしいものだった。
オデッセウスの飼う獅子は、喉を食い破る勢いで、噛み付く。
本当に噛まれたならば、オデッセウスは、死ぬ。
しかし、パリスは、オデッセウスから、目を離さなかった。
「トロイには、もう一人、馬鹿が増えたようなんだ。軍師どのは、ご存知かな?名をヘクトルという。出来もしない和平について考え、渡せるはずも無い手紙を書きながら、軍の指揮をとっている。こちらの風習は聞いた。私の大事な兄上をどうやってたらしこんだ。軍師殿」
見るからに高貴な衣装に身を包んだパリスの女装に、兵士たちは、股の間に隠された短剣まで探すことなど出来なかったのだろう。
オデッセウスは、首筋に当てられた光る短剣を、すこしばかり情けない思いでみつめた。
体格で言えば、オデッセウスの方が上だ。
どう見ても温室育ちのパリスに馬乗りになられ、砂の上に転がされるなど、それほど実戦の勝敗に拘らないオデッセウスでも許しがたい事態と言えた。
しかし、パリスは、思っていたよりもずっと機敏だ。
どこにこれだけの技を隠し持っていたのか、上手く間接を踏みつけて、オデッセウスに逃げることを許さなかった。
パリスは、オデッセウスの耳元に唇を近づけると甘く囁いた。
「寝技は得意なんだ。あんたが思っているとおり、俺にはこれ位しか自慢できるものがなくてね。これだけならば、兄上よりもきっと上だ。誰でも俺に、すぐ足を開く」
オデッセウスの首に短剣の切っ先を埋めたまま、パリスはオデッセウスの髪を噛んだ。
「兄上は、どうだった?姉上以外の女は、俺は、全て食ってきたよ。あの人は、とても優しかっただろう。物足りなくはなかった?」
甘い声が、オデッセウスの耳を擽った。
「…パリス王子は、そんなに兄上がお好きなのですか?」
王子は言葉のとおり、とても繊細な口付けをオデッセウスの首筋に落とした。
初めて触れる身体だというのに、間違いなくオデッセウスのいい部分を選び出して触れていった。
「兄上は、国の宝だ。私の理想だ。賢しげな豚になどくれてやるわけにはいかない」
みぞおちにかけられた体重と、首筋の短剣。
いつもオデッセウスを怯えさせていた圧倒的な力の差がなくなっても、まだ、オデッセウスは、男の下に組み敷かれる自分を馬鹿馬鹿しく思った。
身体を自由にされることは、もう、どうでもよかった。
アキレス以外の男でも同じように感じることが出来ることが、今、伸し掛かっている男の兄によって証明されていた。
パリスが女物の衣装を捲り上げ脱ぎ捨てながら、オデッセウスの下帯を毟り取っていく。
オデッセウスよりもよほど細い腰が、光の中で滑らかに光る。
実際、パリスは美しい男だった。
これが女だったら、世界が変わったかも知れないと、腰を持ち上げられながら、オデッセウスは思った。
驕慢で、何もかも欲しがる美しい女は、男を奮い立たせる。
国を傾けることも、盛り立てることもする。
そのくらい、パリスは、魅力に満ちた顔をしていた。
トロイは、惜しいことをした。
ヘレンが、メネラオスを捨てて逃げるのも当然だと、オデッセウスは思った。
濡れたような甘い目でじっとオデッセウスを見つめながら、腰を動かすパリスは、自分から、これだけ自信があるといいきるだけの技量があった。
最初、パリスは、何の準備も無いオデッセウスの中に、指を押し込もうとした。
だが、オデッセウスの顔が顰められると、すかさずパリスは、指先を離し、オデッセウスの目の前で、指を噛んだ。
指の先から、赤い血が零れた。
「…お前」
オデッセウスは、驚いた。
強姦者のすることではなかった。
パリスは、当然の顔をして、蕩けるような笑顔を見せた。
「兄上なんかじゃ、物足りなくさせてやるよ。俺じゃなきゃ、ダメだって言わせてやる」
パリスは、オデッセウスの首に短剣を押し当てたまま、それは、それは、丁寧に、オデッセウスの穴を解した。
オデッセウスが嫌がるようなことは何一つしない。
決して胸を触られたくないオデッセウスが短剣で傷を受けようとも、逃げる素振りを見せると、それ以上は全く触れようとしなかった。
オデッセウスの逃げを許し、だが、それ以外の場所でオデッセウスを追い詰めた。
すべてに余裕があった。
腰骨を煩わしくなるほど撫でられ、オデッセウスは、そんな部分に自分の快感が眠っていることを知った。
背中を時として痛むほど噛まれ、自分のそんな部分が弱いということを思い知った。
声が押さえられなかった。
「普段、どんな獣とまぐわっているんだ?ここばかりは、随分こなれているようだが、身体はまるで、乙女のようじゃないか」
パリスは、随分と年上の軍師が、押さえきれない声を上げて身を捩るのを、見下していた。
オデッセウスの穿たれている穴は、パリスのものを味わうようにうねってみせた。
だが、他の部分は、まるで開発されていなかった。
随分と感じやすい身体をしているというのに、パリスが触れるたびに驚き、オデッセウスは身体を強張らせた。
「こんな初心な身体をして、どうやって、兄上を誘惑した?どんな手管を使ったというんだ?みせてみろよ。ほら、ここがいいんだろう?擦ってやるから、俺も誘惑してみせろ」
パリスは、侮辱するように、オデッセウスを冷ややかな目で見た。
そうしながら、オデッセウスの背を噛み中を抉った。
オデッセウスは、唇を噛み、声を殺そうとした。
だが、声の冷たさとは別に、最愛の女でも可愛がるようなパリスの細やかな愛撫に、うめく声を押さえることが出来ずにいた。
肛虐には、オデッセウスだって慣れていた。
だが、それ以外の部分に触れられることに、オデッセウスは慣れていなかった。
アキレスと、まるで恋人のように触れ合うことなんてごめんだった。
だから、いつも激しく交わるだけだった。
アキレスが手を伸ばしても、オデッセウスは跳ね除けた。
そうできるだけ、頭を強く押さえていた。
「どうしてほしい?兄上がするように愛してやろうか?」
パリスは、オデッセウスの背中に、羽のように軽い口付けを繰り返した。
「…止めろ」
オデッセウスは、首を捩って、振り返った。
首筋に当てれた短剣が、皮膚に食い込んだ。
振り返った先にある男の顔は、兄と同じように、額に汗を浮かべていた。
「止めて欲しい?そう、そうだよな。兄上じゃ、物足りなかったんだろう?ここは、随分、乱暴にされる方が好きみたいだし、本当は、酷くされるのが、好きなんだろう」
何かにとり憑かれたような熱い目をしたパリスは、オデッセウスの首に食い込んだ短剣が血を流しかねない位置にあるというのに、激しく腰を使った。
「…ああっ!ああ…ああっ!」
深い奥を、角度を変えながら、何度も突かれ、オデッセウスは、高く声を上げた。
パリスの滑らかな手で、腰を押さえつけられたまま、後ろから突き上げられるのは、堪らない快感だった。
パリスは、腰に爪を立てた。
それすらも、その部分の良さを思い知らされたオデッセウスにとって、快感になった。
「…んっ…あ」
軍師は、今までにない嬌態を見せた。
「こういう女を知ってるよ。頭のいい女ほど、獣みたいに犯されるのが好きなんだ」
パリスの声が、オデッセウスに断定した。
「遠慮して損をした。やっぱり、お好みの可愛がり方をしてやらないとね」
オデッセウスの首筋ぎりぎりの砂の中に短剣を突きたてたパリスは、オデッセウスの穴の中に指まで押し込んで、激しく泣かせた。
「今後、一切、兄上に近づくな。自分がそれだけの価値などないことが良く分かっただろう?」
強姦者に激しく犯され、よがり狂った軍師は、足へと血の筋をつけていた。
オデッセウスのものではない。
パリスの噛んだ指から出た血だ。
あれだけ、酷いことをされたというのに、オデッセウスが負った傷は、自分から大きく身を捩った時についた首にできた小さな裂傷だけだった。
「返事をしろ。オデッセウス。それとも、もう一度、豚と呼ばれたいか?」
パリスは、小さな子供の癇症のように、激しく声を苛立たせた。
オデッセウスは、顔を上げた。
のろのろと視線を上げた先にいるパリスは、豪華なベールで顔を隠していた。
現れた時と同じように、美しく女物の衣装で装っていた。
「お前がトロイの世継ぎであればよかったのに…」
「何を言っている?」
パリスは、顔を顰めた。
「お前ほど弱さを巧妙に隠す卑怯者がトロイの王であったなら、ギリシャは、きっとトロイを攻めあぐねるに違いない」
オデッセウスは、略奪者の顔をじっと見つめて、呟くように言葉を漏らした。
声がかすれていた。
こうなるまで、パリスがオデッセウスを追い詰めた。
「俺は、国なんていらない。俺の欲しいものは、愛と平安だけだ。さぁ、約束を。オデッセウス。今日の失態をすべて闇に葬りたいのなら、俺と約束をするんだ」
パリスは、砂に膝をついた。
そして、口付けばかりは、兄と同じにとても優しく、オデッセウスに誓いの言葉を言わせた。
オデッセウスは、約定を守るつもりなどなかった。
卑怯ものというのならば、オデッセウスだって、引けを取らないのだ。
ごろりと毛皮の上に横になったオデッセウスは、切れてしまった喉の皮膚を撫でながら、ぼんやりと考えた。
トロイの兄弟が、同じ人間であればよかったのに。
そうしたら、どれ程、強く卑怯であっただろう。
そして、その姿を思い浮かべた時、自分の獅子とよく似た人間の出現に、オデッセウスは自分の趣味の悪さを笑った。
END
無理無理なお話。(笑)
あちこち破綻してますが、目を瞑ってください。
夏樹が悪いんです。
急にパリオデ読みたい!と、言うから。(笑)
ありえない…本当にありえないであろうカプですが、うちでは、有りということで。(笑)