オデッセウス大作戦

 

「それで、皆様方には、一丸となり先陣を務めていただき…」

天幕の中では、朝の軍議が行われていた。

オデッセウスがよく通る声で、各国の王へと、今日の配置を告げていた。

アガメムノンは、舐めるような目をして、作戦を説明するオデッセウスの太腿を見ている。

「後陣を務めます我々に、皆様方の戦い振りを披露していただくとともに、そちらにひきつけられているトロイ兵の後ろを付く形で、この8つに分けました隊が、2重、3重の波のようにトロイの兵へと後ろから襲い掛かり…」

アキレスは、回された羊皮紙を見入った。

オデッセウスの声で説明されていた陣形は、あまりに無駄が多いような気がしていた。

どのような作戦を考えているのか、アキレスが思う限りでは、オデッセウスの考え出した一つの大きな一団とそこから、後ろへと長く続く細分化された兵の陣形では、今日の戦に、勝ちはありえなかった。

オデッセウスの言うように、丸まった形の先陣の一団が油断を誘い、奇襲をかけるにしても、足の速いアキレスの隊や、イタケの兵は、ずっと後ろへと配置されていた。

これでは、兵士たちが、トロイ軍に肉薄する頃には、トロイはもう逆襲の準備が万端に整っていることだろう。

近頃の戦いは、消耗戦に近い、とにかく我慢をしいられるような、持久型の戦闘ばかりだったが、それでも、先陣を務める一団は、この戦いをアガメムノンへの奉仕だと考えているような、そんな戦闘を舐めている老王達の隊ばかりで固められていた。

こんな爺たちの一団など、へクトルに一気に叩き潰されることは目に見えていた。

あそこの弓手たちは、甘くは無い。

城壁から、一斉に矢を打ち込まれ、逃げ惑う王達の顔が、アキレスには、目に浮かんだ。

部下の手によるものだろう、丁寧に書き込まれた今日の陣形をアキレスの目はじっと見詰めた。

それは、何かの形に似ていた。

アキレスは、気付いた。

吹き出すのを止める事ができなかった。

手に持たされた羊皮紙を握り締め、肩を震わせ、こみ上げる笑いに耐えた。

冷たい視線が、矢のようにアキレスを射た。

「……どうした?アキレス」

オデッセウスだけが、にこやかな顔で、アキレスを見た。

近頃の戦いには、派手な動きが無い。

それだけに自分達が先陣を務めても、大きな傷を負うことなどあるまいと考えている爺達など、自分達が先陣を切ることに不満でもあるのかと、今にも剣を抜きそうな形相で、アキレスを睨んだ。

アガメヌノンも、機嫌の悪い顔を隠そうともしない。

アキレスは、どうしても笑いの形になってしまう口元を隠し、目でオデッセウスを睨みながら、返事を返した。

「…いや、構わないでくれ。悪かった。先に進めてくれ」

珍しく謝るアキレスに、天幕の中は、ざわついた。

オデッセウスは、面白がる顔で、アキレスの表情を楽しんでいた。

「意見があるのなら、言ってくれて構わないぞ?アキレス」

「……いい。別に、意見などない」

アキレスは、笑いを堪えるために、不機嫌な顔になりながら、隣りへと乱暴に羊皮紙を回した。

平和ボケした爺たちは、オデッセウスの意見を採択し、今日の作戦の無事を祈った。

 

 

「おい。オデッセウス」

天幕を出たところで、アキレスは、オデッセウスを捕まえた。

オデッセウスの緑の目は、アキレスが、何を言い出すのかなど分かっていると言いた気な機嫌のいい色をしていた。

海に光る太陽の光をうけて、深い緑がきらめいている。

「なんだ?アキレス」

「お前、本気で、あの陣形を作るつもりなのか?」

アキレスは呆れていた。

軍師は、口元に笑いを浮かべた。

人の良さそうな笑い顔に、近くを通る兵士たちが、朝の挨拶を投げかけている。

「なかなか、いいデザインだろう?」

オデッセウスは、笑顔で頷いて見せながら、アキレスに返事を返した。

オデッセウスの態度はそつが無かった。

アキレスは、その笑顔でオデッセウスがどんな恐ろしい悪巧みをしているのかを知っていた。

「……お前、あの陣形、あれは蛸だろう?いくらイタケの紋章が蛸だからって、蛸型に、陣形を組んで、どうするつもりなんだ?」

オデッセウスは、とても嬉しそうな顔でアキレスを見た。

まるで、優秀な生徒でも持った教師のようだ。

「気付いたか。アキレス。なかなか面白いだろう?」

「あれじゃ、爺たち、一辺に叩き潰されるぞ」

そんなことなど分かりきっているオデッセウスは、アキレスの忠告を聞きながら、楽しそうだった。

「あんな奴ら、一回、叩き潰されればいいんだ。ヘクトルは、持久戦ばかりを狙っている。どうせ、今日いきなりあの陣形を取ったところで、早急には対応できない。爺たちも、かすり傷程度さ。でも、物見遊山にトロイに来てるわけじゃないんだ。いつも、いつも高みの見物って言うわけにはいかないってことも思い知ってもらってもいい」

瞳に一切の陰りを浮かべず、自軍の敗戦を指揮する軍師は、砂の上に絵を書いた。

先ほどの羊皮紙にあったものより、随分乱暴な絵だったが、蛸が、足を動かしている絵だとアキレスにはわかった。

オデッセウスは、嬉しそうに笑う。

「一応、爺さんたちが窮地に陥ったら、こうやって、俺たちが駆けつけるってことにしてあるんだ。面白いだろう?蛸が、怒っているみたいだ」

低地、高地に、分かれて配置される弓矢隊と、槍や、剣を構える者。

理に叶った配置には違いないのだが、画面は、海で暴れる蛸の絵に違いなかった。

アキレスの隊は、3本目の足だ。

そして、アキレスは、それ以上のオデッセウスの策略に気付いていた。

何に苛付いているのか知らないが、オデッセウスはとんでもない意味を持たせて陣形を整えていた。

「……お前、それだけじゃない理由であの作戦を立てただろう?」

オデッセウスは、嬉しげに大きく口を開けて笑った。

目が無くならんばかりに細められ、とても嬉しそうな顔だった。

オデッセウスの手が、抱きつかんばかりに、呆れているアキレスの肩を叩いた。

「すごいぞ。アキレス。そこまで気付いてくれるとは思わなかった。一晩頭を絞ったんだ。なかなか誰の頭が禿げてたか思い出せなくて」

「…オデッセウス、幾らなんでも、頭の禿げてる奴ばかりを蛸の頭のところに持ってくるのは、やり過ぎた。お前、よっぽとこの戦いに飽きたのか?爺たちが、このことに気付いたら、お前、殺されるぞ」

にんまりと自慢気に笑うオデッセウスの顔を眺めるアキレスの声は、あきれ果てていた。

蛸の頭の部分に、配備された王たちは、漏れなく頭が薄かった。

そのことに気付いてから、アキレスは、軍議を最後まで聞いていることは、苦行に等しかった。

 

オデッセウスは、砂に書いた蛸の頭を蹴り飛ばして消した。

時同じくして、アガメムノンへの追従に忙しかったらしい王達が天幕から出てきた。

老王たちは、オデッセウスが消した蛸の絵の上を通り過ぎた。

オデッセウスは、にこやかに挨拶を交わした。

「ミュケナイ王は、殿達の御武運を祈ってくださりましたか?」

「今日の先陣を賜ったことを感謝しますぞ。オデッセウス殿」

「殿達に先陣を切っていただきますれば、我々の出番など無いでしょう。ですが、後陣をしっかりと守らせていただきます」

オデッセウスは礼儀正しく王達へと膝を折った。

老王達からしてみれば、幾ら頭が良かろうとも、オデッセウスも若輩な王に過ぎない。

老王達は鷹揚に頷く。

「オデッセウス殿の立てた作戦だ。今日は勝利の上手い酒が飲めますな」

禿げているから選ばれたのだとは知らない王は、嬉しそうにオデッセウスを褒め称えた。

アキレスに見せていた顔とは違う顔で、オデッセウスが笑った。

「酒宴のおりには、私からも、一樽届けさせていただきます」

王達は、笑いながら通り過ぎた。

オデッセウスの隣りに立つ、アキレスへは、一瞥たりともくれようとしなかった。

老王達は、アキレスが、戦況を好転させることを重宝と思えども、オデッセウスが、アキレスを用い過ぎることを良くは思っていなかった。

老王達が通り過ぎると、オデッセウスは、表情を変えた。

「…だって、つまらないじゃないか」

これは、先ほどの会話の続きだろう。

アキレスは、頭の良過ぎる軍師に呆れた。

つまらないで、老王たちはヘクトルの矢面に立たされた。

アキレスだって、何度も邪魔になるから、さっさと死んでくれと何度も思った王たちだった。

しかし、アキレスは、何度も剣を振り上げるところまで行きながらも、一度もその首を取ったことはなかった。

オデッセウスは、老王たちの信頼を得ているくせに、その生命を軽々しく扱う。

アキレスは、真実冷たいオデッセウスの優しげな顔を見ながら、軍師をたしなめた。

「トロイだって、そうそう体力が続くわけがない。戦いが長くなれば、持久戦になるのは、当たり前だ」

「だが、前は、もうすこし、作戦にも捻りがあったぞ」

オデッセウスは、つまらなそうな顔をして不満を言った。

「お前みたいに、そうそう楽しく作戦ばかりを立てているってわけにもいかんのだろうさ。なんと言っても、相手は国の存続をかけて戦っている王子だ」

オデッセウスは、額に皺を寄せた。

しかし、急に顔を明るくして、アキレスを見上げた。

「なぁ、ヘクトルは、この陣形が蛸だと気付くと思うか?」

とても嬉しそうな顔のオデッセウスに多少の警戒をしながら、アキレスは言った。

「気付くんじゃないか?あいつは、馬鹿じゃない」

アキレスは、少しだけ、ヘクトルに同情しながら付け足した。

「お前に自分が馬鹿にされていると必ず気付くだろう」

オデッセウスは、そんなアキレスの気持ちなど考えたりはしないようだった。

「じゃぁ、今日は無理にしても、明日の陣形を烏賊にしてくるとか、そういうことをすると思わないか?」

「……オデッセウス。ヘクトルは、城壁までの陣地を守るために、ぎりぎりで戦っている。そこまでお前の遊びに付き合ってくれるほど、余裕があるとは思えない」

「だが、烏賊の形に陣形を整えたとしても、先の三角の部分に、盾を持たせ、その後ろに長く弓矢隊。足の部分に、動きのいい槍や、剣の部隊を持ってくれば、あそこの軍なら勝てないわけじゃない」

「わざわざ、そうするだけの必要があるのか?」

アキレスは、トロイ軍に烏賊の陣形を引かせることまで考えているオデッセウスの倦み方に一抹の不安を憶えた。

「今のヘクトルは、あまりに、面白みにかける」

オデッセウスは、へクトルの後の無さを考慮にいれてやることもせず、断罪した。

オデッセウスは、トロイの城壁を目の前にしながら、長く攻めあぐねさせられているヘクトルの知略をとても愛していた。

それは、その戦略を破るため、何度も命がけの戦場へと追いやられたアキレスが良く知っていることだ。

だが、オデッセウスの表情は曇らなかった。

それどころか、含みを持った笑いを唇に浮かべ、アキレスを見た。

「じゃぁ、アキレス。賭けをしようじゃないか。へクトルが、烏賊の陣形を作って応えてきたら、俺の勝ち。このままの持久戦が続くようなら、お前の勝ち。お前が勝ったら、閨でお前のいう通りにしてやろう。俺が勝ったら、俺の言うとおりだ」

アキレスは、オデッセウスが、戦いのほかにも飽きていることがあることを思い知らされた。

色気のある顔つきをして、アキレスを見下すオデッセウスの表情を見ていれば、他のどういう意味にもその言葉を受け取ることは出来なかった。

オデッセウスは、日々、戦況の変わらぬ、この戦いと同じくらい、アキレスのやり方にも、飽きたと言っていた。

倦んでいるのは、戦いになのか、閨でのことになのか、問いただすだけの勇気がアキレスにはなかった。

きっと、軍師は、ここまでのやり取りを計算に入れて、今日の作戦を立てていたに違いなかった。

「……好きにすればいい」

アキレスは、今日、衝撃を受けるに違いないヘクトルト同じくらいオデッセウスに頭を押さえつけられたような気分になった。

結局、アキレスは、オデッセウスに適わなかった。

せめて、アキレスは、オデッッセウスに言った。

「それよりも、オデッセウス、今日の本当の作戦を爺たちに気付かれて、締め上げられないよう気を付けろよ」

「あいつらに、そんな頭があるものか」

ギリシャ諸国の王達は、軍議の際、すべてオデッセウスの言いなりだった。

今日の作戦に、どんな意見も質問も、差し挟む者はいなかった。

陣形が蛸であるのに、である。

羊皮紙に描かれた図形を見て、まだなおである。

 

オデッセウスは、にこやかに笑いながら、戦の準備が整ったことを告げに来た兵士と肩を並べて歩き出した。

アキレスは、良い人にしか見えないその背中を見ながら、自分に努力することを課した。

 

 

          END

 

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やった!DVDが発売だvv

これをアプしたら、久々のオデたんを堪能しますv

ずっと待ってたんですvvv