シーズン1まで見終わったところで書いています。
ファースト・コンタクト
昼食を食べに、外へ出ようと思って、偽装用の売店を通り抜けようとしたジャック・ハークネスは、奥の部屋で夕べのデートの相手が深いため息を落としているのに気がついた。
基地内で昼食を食べようとしている同僚たちのために飲み物を用意するイアント・ジョーンズの表情は暗く強張っている。
青い目は影を落とし、少し寄せられた眉は、イアントに悩み事のあることを容易に想像させる。
それでもイアントの手は、なめらかに動き、温めていたポットの湯を切ると、ティースプーンにすりきりの茶葉を正確に人数分プラス一杯、ポットへと入れている。
ジャックが地上へ上がろうとした時、下にはまだ、二人残っていた。オーエンとトシコだ。
暗い表情のままポットに湯を注ごうとするイアントを見つめていたジャックは、コホンとわざとらしい咳払いをした。
びくりとイアントの肩が揺れる。そして、顔があげられる。
「……あっ、ジャック、あなたの飲み物もご用意しましょうか?」
慌てたように口元に笑みを張りつけ、手を止めたイアントをジャックは見つめる。イアントの視線は定まらず、おどおどとしたそれは、今すぐ逸らされそうだ。
「……コーヒーの方が?」
それでも、イアントは職務に忠実だ。
ジャックは、じっと見つめる自分の目がどれほど相手の胸をかき乱すものなのかを十分に自覚していた。
大方の屋敷で素晴らしい執事として働くことができるであろうイアントが、自分が口にしたくせに、ジャックのための飲み物を用意し始めることができなくなり、それどころか、地下の二人のために暖められたポットまで冷めてしまいそうだった。それでもジャックは、入口付近の壁に寄りかかったまま、イアントを見つめた。
とうとうイアンとの目は耐えきれなくなったようにそらされ、口元に張り付いていた笑顔はあいまいな形に変化する。
「イアント」
ただ、ジャックが名前を呼んだだけで、ストイックなスーツの肩がびくりと強張る。
「……はい。ボス。いえ、ボス。どうか、……どうか私を見ないでください」
ジャックは、壁から身を起し、イアントを怖がらせないようゆっくりと近づく。
「夕べのデートは君を満足させなかったかな?」
夕べのサーモンは十分においしく、始めてのデートの慎みにふさわしく、ジャックは、情熱的で優しいキスしか、この部下にしなかった。
「なぁ、イアント、君はここに妖精が一匹住み着いていることに気づいてるかい?」
微笑んで話題を変えたジャックの言葉に、緊張に体を強張らせていたイアントは驚いたように顔を上げた。
「えっ? 平気なんですか?」
時の裂け目を監視し、人間界と密接に関わる、他生物を管理または排除するのがトーチウッドの仕事だ。
とっさにイアントの目が見えない生物を探し捕らえるために動く。
ジャックの見つめる視線の先にその妖精がいるとでも思ったのか、イアントは慌てたように自分の肩へと視線をやった。
実際、それは正解だ。
スタンダードなイアンとのスーツの肩には、小さな妖精が一匹腰掛ける。
それは、イアントが自分に気づいたことを喜び、くすくすと笑っている。
「こないだの事件の時、一匹紛れ込んだみたいで、まぁ、たいしたことはできそうもないから、様子を見てる。イアント、近頃、少し不思議なことが起こらなかった?」
「……ここにいれば、毎日、不思議なことだらけですから」
ジャックの言葉に、正直に困った顔を見せたイアントを上司は笑った。
「それは、そうだろうけど、もっととても些細な不思議なことで」
促せば、イアントは記憶を探るため、視線を上へと逃がす。
「えっと……そうですね。自分のミスかと思っていたのですが、……朝、ここに寄ると、閉めたはずの砂糖壷の蓋があいていたり、スプーンの位置が変わっていたり」
「悪いことばかり?」
思い当たることがあったのか、急にイアントの目が、楽しげに輝く。
「ああ、もしかして、グエンか、トシコがしてくれているのかと思っていたのですが、後で片付けようと思っていた机の上がきれいになっていたり、私のためのお茶が用意されていたり」
「そうなんだ。どうやら、君のことが大好きみたいでね」
だから、追いだしにくくてと、ほころんだイアンとの口元を眺めながら、ジャックは苦笑した。
「本当なんですか? 本当に妖精が?」
思いがけない種明かしをされたイアントはリラックスし、とても楽しげな様子だ。残念なことに、イアントは妖精の姿をとらえることができないでいるようだが、何度も自分の肩を見つめる。
「なんで俺が、君を狙うライバルがいると、わざわざ嘘をつかなければならないんだ?」
ジャックは、見えないものを見ようと、何度も肩の上の空間を見つめるイアントの肩を、まるでゴミでも付いていたというさりげなさでさっと払った。
妖精は、抗議の声を、キィキィと上げる。
「うるさい」
「はっ?」
事情のわからないイアントは不思議そうな顔だ。
「イアント、君は油断しすぎだ」
ジャックは、間近の目をじっと見つめた。
「えっ?」
瞳に懇願するような色を浮かべる。
「俺でさえ、ほとんど触れたことのない唇に、奴がキスしている」
「えっ?」
とっさに口を隠したイアントの動揺を、妖精は楽しくてたまらないと言わんばかりの態度で、跳ねまわった。
動揺に目を泳がせながら、防ぎようのない事柄に対してすら自分に慎みを求めるのか、イアントは次第に頬を赤くしていく。
それでも、何とか動揺を理性でねじ伏せたイアントは、赤い頬をして目をそらしたまま、口を開いた。
「いることもわからない相手にキスされていたのだとしても、それは私の落ち度ではありません」
ジャックは、じっとイアントを見つめ続けていた。
「勿論だ、イアント。俺も、そんな小物相手に嫉妬するような心の狭い人間のつもりはない」
彼を好きでたまらない妖精に纏わりつかれたまま、その視線に長く耐えていたイアントは、突然机に両手をつくと大きく息を吐き出した。
「ボス……」
「二人きりの時にはボスはやめて欲しいと昨日も言った。イアント」
情けなくも潤んだ目で見つめてくるイアントの頬に、羽根のある小さき者はそっと唇を寄せている。
「この口は、俺の名前を知っているはずだろう?」
ジャックは、イアントの頬をそっと撫で、もちろん妖精は追いやった。
昨夜のデートの間中、いや、それよりもデートの約束を取り付けるため口説き始めた時からずっとかけ続けてきたプレッシャーによる重圧に、もう白旗を上げる寸前のイアントは、すっかり疲れ果て、とてもかわいそうな様子で、ジャックは微笑まずにはいられなかった。
ジャックは、キッチンに一つだけおかれた固い椅子を引きよせ、座る。そして、イアントの手を引く。
ためらう彼をじっと見上げ、詐欺師の笑顔だと自覚のある顔で誘った。
「おいで。イアント」
逆らえない彼を膝の上に座らせる。顎をとらえて唇を寄せた。
「ジャック……」
とっさに、イアントが顔をそむけ、ジャックは仕方なく頬へと柔らかく唇を押し当てた。そのまま、強張る頬に何度もキスを繰り返す。
「キスは、もう、何回もしただろ、イアント? それとも、俺のキスは、奴に負ける?」
ジャックが目を向けた食器棚の上の何もない空間で、困惑を顔に張り付けるイアントの目が泳ぐ。
イアントは、困惑をしていた。それもそのはずだ。無理やり座らされた上司の膝の上で、尻の下に欲望に硬くなりつつあるものの存在を感じている。
「勝つとか、負けるとかでなく」
だが、もう今のイアントの困惑は、ルールを破り、職務中に自分が肉欲に負けてしまうことへのもう力ない抵抗にしかすぎない。
そこまでのプレッシャーを、ジャックは手を緩めることなくかけ続けてきている。
「イアントの何でも難しく考えるところが好きだよ」
ジャックは、愛情深くイアントの頬を撫でる。
「私は、あなたに相応しくありません」
イアントの頬は強張ったままだ。
「うん。わかってる。俺は君に相応しくないからね。恋人にして欲しいと頼みながら、何一つ秘密を明かさず信用できないし、君の望むような紳士的なふるまいも苦手だ。君のような忠誠心を持って恋人とも向き合えない」
「わかっています。……わかっているんです」
ジャックは、愛しくイアントの頬を撫でた。
「でも、俺とキスしたいと思ってくれている?」
とうとう、イアントは落ちた。
「……はい」
はいの返事の後、先にキスしようとした妖精をジャックは捕まえ放り投げた。
「ジャック?」
「いや? ああ、ちょっとルールを守らない奴がいてね」
イアントとのキスは、生真面目な老職人の手で作られた甘いケーキを食べるようなものだ。
厳選された新鮮な素材を、正確な目盛のついたカップで計り、完璧な時間で焼き上げる。彼が食する人に向ける愛情の甘さ以外に、味には押しつけがましさはどこにもない。
清潔な肌は、しっとりと柔らかく、求める舌は、こちらが不安になるほど素直だ。
「ジャック……ジャック……ジャック」
ばたんと扉があき、オーエンが飛び込んできた。
「イアント、茶、まだ……?」
俯いたまま歩いてきたオーエンは、顔を上げ、こわばりつかせた笑顔を見せた。
「……お前っ!……いや、……うん。そうだな。……今は、昼休みだしな。イアントに茶を用意させようとした俺が悪い」
イアントもジャックも、シャツの裾はズボンから引きづり出され、その下の肌へと互いの手は伸びている。
「邪魔しないから、続けてくれ。……おっ、湯は沸いてはいるんだな。ああ、葉も入ってる。イアント、いつもすまないな。砂糖、砂糖はっと」
不適切なまでに衣服の乱れた様子の上司と同僚のことを決して目にいれない挙動不審さで、オーエンは背を向けたまま、ぬるくなった湯をポットに注ぎ、飲み物の用意を進めている。
もし、イアントに普段の気配りをするだけの余裕があれば、トシコのために、もう一度ポットを温めなおし、オーエンの手を止めて、茶葉が緩やかに開いていくために、自分の手でそっと湯を注ぐだろう。
だが、キスで息を乱すイアントにはそこまでの余裕がない。
「オーエンは気にしないってさ。イアント」
ジャックは、膝の上のイアントの頬に口付けると、厚顔にもキスの続きを再開するため開いたまま固まってしまっている唇を塞いだ。
さすがに、イアントが抵抗する。
きゅっと眉を寄せ、オーエンが振り返る。
「……あのな、ジャック、気になるに決まってるだろう!……でもな、意見を申し立てたところで、お前が行いを改めるわけがないことを十分知ってるんだ」
迷惑顔のオーエンは、静かに虚空に向かって指を立てた。
何もない空間に指示を出す。
「GO!」
妖精は愛らしいばかりの存在ではない。
簡易型のキッチンの中では、時ならぬ嵐が強烈に吹き荒れる。
「こいつは、イアントのことも、俺のことも好き。でも、ジャック、お前のことだけ、嫌いなんだ。知ってるだろう?」
END