ハニクマ 6

 

だるそうに起きて来たクマを見たアナキンは、おや?っと、思った。

クマの様子が昨日までとわずかに違う。目を擦り、ぼんやりとダイニングへと現れたクマは、今まで毎朝だったアナキンの足に纏わり付くという動作もせず、椅子によじ登り始める。

「おはようございます。マスター」

今日は、オビ=ワン期待のホットケーキの日だったので、アナキンは、師の前にふかふかに焼きあがったホットケーキを差し出した。

あくびをしたオビ=ワンは、フォークとナイフを手に持ち、アナキンを見上げる。

「アナキン。蜂蜜……」

もう、たっぷりと蜂蜜はかかっているというのに、オビ=ワンは、まだ、アナキンに求めた。

クマは、自分で取りに行かない。

「マスター、お手伝いはして下さらないんですか?」

クマは、眉の間に皺を寄せ、何故、自分が?と、迷惑そうな顔で、アナキンを見上げた。

「……いえ、別に手伝って欲しいというわけではないんですが」

あまりに師らしい、その表情にくすりと笑ったアナキンは、テーブルの上にある蜂蜜の瓶を手に取った。

とろとろの黄金をホットケーキの上にたらして行く。

眠そうだったオビ=ワンの目が、きらきらと輝きだす。

「この位にしましょうか?」

「まだ、だ。まだ。アナキン!」

「皿から零れますよ?」

部屋の中は、すっかり甘い匂いだ。その中で、クマが、恨みがましく弟子を見上げている。

クマの目は、いつもどおり艶々だ。毛皮だって、艶を放っている。かわいらしいことには違いないのだが、しかし、師の姿から、生き物の生臭さが抜け、丁寧に作られたぬいぐるみであるかのような、そんな上品さを感じたアナキンは、どうやらクマの発情期が終わりにさしかかったのだと気付いた。

未だ世間の動物達は、発情期の季節を迎えてもいない、と、いうのに、クマときたら、もう終わったらしい。子孫を残さなければならないような状況だったら、さぞ、交尾相手は迷惑したことだろうが、しかし、アナキンは、クマと子孫を残すつもりなど全くないので、別段困らなかった。

いつものラブラブ光線は出ていないが、それでも、クマは、まだ発情期の余波を引きずっているのか、自分のホットケーキを切り分けて、アナキンに食べさせてくれる。

「うまいか?」

たっぷり蜂蜜のかかったホットケーキは、アナキンにとって少しばかり辛い。アナキンは、もしゃもしゃとなんとか甘い塊を飲み下す。

「……ええ、まぁ」

しかし、クマだって、自分のホットケーキが減ってしまったことは、とても辛かった。

クマの中では、発情期がもたらすアナキンを酷く愛しいと思う気持ちが揺れ動いている。そのため、つい、アナキンにホットケーキを分け与えてしまったのだが、ふと、正気に戻った師の中では、自分がわざわざ弟子へとフォークを差し出してしまったことに、悔しさがこみ上げるのだ。弟子は、完全に無理をして甘いホットケーキを飲み込んでいる。あんなにまずそうに、この美味しいものを食べる奴になど、わけてやる必要は無い。

そう思うのに、クマは、アナキンに向かって手を伸ばしてしまうのだ。まだ、発情期をぬけきってない師は、弟子が気になってしょうがない。

「アナキン。口に蜂蜜が付いてる」

 

アナキンは、発情期を終え様としているクマが、昨日までと同じパターンでにじり寄ってきたことに、面白さを覚えていた。

いままでのパターンなら、アナキンは、嫌というほど、クマに口を嘗め回されるとこになるのだ。だが、落ち着いてきたらしいオビ=ワンが、果たして、どこまでやるのだろうかと、もう嘗め回されることに慣れてしまったアナキンは静観していた。

いつもどおり、クマは、アナキンの膝に乗る。アナキンの膝の上に立ち上がったクマは、弟子の顔を両手で挟んだ。むーっとキスの形になっている愛らしいクマの口がアナキンに近づいてきた。やっぱりこれは、世話を焼く振りをしたクマのキスだよな。と、つい、アナキンが考え、面白がって口に笑みを浮かべてしまうと、はっと、師が我に帰った。

「……あー。つまりだな……」

体勢は、クマが無理やりアナキンにキスを求めていた。弟子の顔を挟んで、逃げられないようにしているこの状況に、さすがのクマも、弟子は被害者であるとしか思えなかった。

クマは、自分が、アナキンにキスしたいと思っていたこともわかっている。

発情期中の自分がどのような行動を取るのか、うすぼんやりと自覚しているオビ=ワンは、逃げも隠れもできないその状況に正気の自分が立ち会うことになって、額に汗が浮かぶのを感じた。衝動さえ収まってしまえば、その気持ちすら信じがたいが、発情期中のオビ=ワンは、どんな常識や、良識も適わぬ強さで、アナキンが愛しくて仕方が無いのだ。髭さえいなければ、クマにとって、アナキンはかけがえのない一番大事で、アナキンに触れていられさえすれば幸福で、それを邪魔されるのが一番嫌だった。

時にその衝動は、ジェダイの規律さえ、破りそうなほど高まってしまうほどなのだ。

しかし、そんな発情期を、自分に残る野生だと、オビ=ワンは誇りに思っていた。そう思っているから、オビ=ワンは、自分に発情期が訪れることを恥ずかしいなどとは思わない。

しかし、正気に戻ると、結構、その行動は、困りものだった。

オビ=ワンは、口ひげを無意識に触る。

 

アナキンは、どうにかしてその場を誤魔化そうとしている膝の上のクマに、くすりと笑った。

クマは、どう、この状況を上手く誤魔化そうかと、思案に暮れている。

あまりにその姿がかわいらしかったので、弟子は、今回の発情期では、髭の下だと思い知らせてくれた師にちょっとした仕返しをしたくなった。

アナキンはテーブルの上に手を伸ばす。クマが切り分けたホットケーキを一切れ摘まむと、口にくわえる。

「マスター。どーぞ」

アナキンは、クマに向かって、口を突き出した。

クマが真っ赤になっている。

正気に返ったらしく、顰めつらしい顔をしていたクマの鼓動が、一気に跳ね上がっていた。

アナキンが、自分に餌を差し出してくれているということが、冷静になったはずのオビ=ワンの頭の中に、愛の鐘が鳴り響かせたのだ。

たしかに、アナキンは、この発情期中、せっせと努力していたオビ=ワンに一度も応えなかった。

そんなアナキンが、オビ=ワンに愛のプレゼントを渡そうとしているのだから、発情期を抜け切ってないクマの常識や良識はまたもや、ふっとんでも仕方が無い。

オビ=ワンはあたふたと慌てふためきながらも、アナキンを待たせはしなかった。

男前にきりりと顔を引き締めたクマの口がアナキンに近づく。

クマは、そっと弟子を抱きしめると、その口から愛のプレゼントを貰い受けた。

オビ=ワンの鼓動が、ドキドキとせわしなく、アナキンも、なんだか、幸せな気持ちだ。

クマの口が、あむあむと、ホットケーキを食べながらアナキンに近づく。

アナキンは、師が唇に触れるまでじっとしていた。

柔らかくクマと、弟子の唇が重なり、それでもアナキンは、おとなしくキスを受け入れていた。

クマの舌が、アナキンの口の中から、全てのホットケーキを奪っていく。

アナキンはにっこりと笑った。

「マスター、大好きですよ」

弟子の言葉に、嘘はないが、しかし、弟子は、正気に戻りつつある師の中の発情期の嵐を少しばかり呼び戻してやれと、たくらんでいた。

オビ=ワンは、真っ赤になったまま、照れまくった。

「からかうのは、よしなさい。アナキン」

だが、そう言った直後、オビ=ワンは、はっと我に返った。

とにかく、この時期のクマは、どちらのモードにも入りやすい。

正気に戻り、渋い顔になったクマは、唸った。

弟子とキスできたことが嬉しくて、うきうきしてしまった自分が急に悔しくなったのだ。

オビ=ワンは、眉の間に深い皺を刻んだ。もう、クマは、その場を誤魔化すことさえ、面倒になっている。

弟子を抱きしめていた腕を外したクマは、自分の席へと戻った。そして、自分を落ち着けるために、ごくごくとミルクを飲んだ。

「マスター。ミルク、もう一杯、入れてきましょうか?」

アナキンが、クマに問いかける。

クマは面映い。

いや、普段なら、当たり前だ。と、コップを差し出すわけだから、どうやら、また、クマは、発情モードに戻ったらしい。

「……私がする」

クマは、アナキンの手助けをしないではいられず、すとん。と、椅子から飛び降りると、とたとたと走りだした。だが、冷蔵庫を開ける前に、クマは、すっかり正気に戻った。それは、もう、魔法が解けたかのように。

「……アナキン」

弟子のためのパシリになるなど、師にとって許せるはずもなく、クマは、じろりとアナキンを振り返った。

椅子に待つアナキンは、にこにこと師を見つめている。

「どうしました? マスター」

愛情に満ちたその目で見られると、クマの心は揺れ動いてしまうのだ。

それでも、正気が30パーセントほど残ったクマは、弟子の笑顔に、どうにも胡散臭いものを感じていた。

だが、アナキンは、ダメ押しをする。

「俺もお手伝いした方がいいですか?」

アナキンが、オビ=ワンのために席を立とうとした。クマは、アナキンに好意を示され、残り30パーセントの正気もうせてしまった。胸が勝手にドキドキしだすのだ。たった、これだけのことで発情期から抜けきって無い悲しいクマは、簡単に恋の奴隷となってしまう。

不快だった気分が、すっかり夢見心地になり、クマは冷蔵を開ける。

「いい。アナキン、座っていろ。お前も飲むか?」

殴ってやろうと思っていたことも忘れてしまうほど、クマは、弟子の世話を焼かずにいられないのだ。踏み台に乗った師は、ミルクの入れ物を出すと、アナキンを振り返る。

「すみません。俺、コーヒーの方が」

普段の師には言えないような、ずうずうしいことを口にしながら、アナキンは、頑張るクマを楽しく眺めていた。

完全に本能に支配されているわけでない師が、どこか、おかしい。と、首を捻りながらも自分のために何かをしてくれるというのが、アナキンにとってたまらなく楽しい。しかも、師は、発情モードに入ってしまえば、一生懸命なのだから、たまらなくかわいらしい。

クマは、自分のミルクを冷蔵庫に戻すと、弟子のコーヒーを用意するため、踏み台の位置をずらしている。

「マスター、優しいなぁ」

「こんなことくらい当たり前だ」

胸を張ったクマが照れる。

普段のクマにとっては、決して当たり前ではないのだから、師は、正しく無い発言をしているのだが、アナキンは、そのことについては目を瞑った。

危なっかしい手つきで、クマが豆を轢く準備をする。

だが、ここで、またもやクマは正気に戻った。

スプーンを持ったクマの肩が怒っている。何故、自分が、弟子のために、コーヒーなど煎れる準備をしているのか、正気のクマには納得いかないのだ。

正気にさえ戻れば、オビ=ワンは、アナキンのためにコーヒーを入れてやる義理など感じない。

あまりににこにことアナキンが自分を見つめているのに気付き、オビ=ワンは、弟子を疑った。

「……アナキン。お前、わざとやってないか?」

「いいえ? 全然」

アナキンはしらを切ると、席を立った。手を止めたオビ=ワンの代わりに、アナキンは、てきぱきとコーヒーを煎れる準備をする。

踏み台の上でむっつりと腕を組んでいたクマは、アナキンの匂いに包まれた。また、クマはぽーっとなってしまう。

げに恐ろしき発情期の罠。

我知らず、クマは、すりすりとアナキンの体へと自分の毛皮を摺り寄せていた。

「マースタ」

アナキンが、オビ=ワンに注意を喚起する。

はっと我に返ったオビ=ワンは、弟子に擦り寄っていた自分に気付き、バツの悪そうな顔で、じりじりと踏み台の上を後退した。

落ちそうになったクマをアナキンは抱き止める。

「マスター、ほら、危ない」

アナキンに抱かれてしまっては、クマはイチコロだ。目を潤ませ、頬を赤くしながらも、しかし、表情に疑いをにじませているクマに、アナキンは、にこりと笑いかけた。

「アナキン。お前、絶対にわざとだ」

「全然そんなことありませんってば」

 

だが、その後も、弟子と師は、しのびやかに駆け引きを続けていたのだ。

その結果、今、晩御飯後のクマは、用意された菓子を口に運ぶ回数も少なくなりがちに、ソファーの上で煩悶している。

スクリーンには、今日のニュースが流れている。

それを眺めるクマの悩みの内容は、今、隣で眠る弟子の頭を張り飛ばすか、それとも、抱きしめるか。だ。

散々クマにちょっかいをかけてきたアナキンが、どうしたことか、クマの足元で眠っていた。

ぐっすりと眠る弟子の寝顔を見つめれば、クマは、アナキンが愛しい。しかし、今日何度もアナキンの前で恥ずかしい思いをした師は、この眠りさえ、弟子が自分を罠に嵌めようとする行動のような気がしてならなかった。

無防備なメスの姿は悩ましい。発情期の余波にあるクマは、そう考える。しかし、同時に、冷静になりつつあるオビ=ワンは、弟子ごときに迷わされてはならないと。と、強く思うのだ。

絶対に、アナキンは、わざとやっている。

今日のアナキンは、やたらとオビ=ワンの側にいたがった。そして、アナキンが側にいれば、完全に発情期が終わりきっていないオビ=ワンは、動揺してしまう。弟子は、一々アナキンの行動に揺さぶられる師の様子が楽しくてやっているに違いないのだ。それが師にはたまらなく悔しい。

眠るアナキンがオビ=ワンの服の端を掴んでいた。クマは、そんな些細なことに、切ないほどアナキンが愛しく感じてしまう。

オビ=ワンは、アナキンを張り飛ばしたかった。

だが、抱きしめもしたい。

煩悶するクマは、アナキンを起こすことにした。

師は、弟子と話をつけようと決めたのだ。

「……アナキン。そろそろ起きなさい」

偉そうに命令するクマに、アナキンは、ゆっくりと目を開いた。実は、いつものオビ=ワンが帰ってきたことに、ほっとしてアナキンは思いもかけず、本当に眠り込んでしまっていたのだ。だが、弟子は少し前から目が覚めていた。悪趣味にも、悩む師のかわいらしさを楽しんでいたのだ。

クマがアナキンを揺さぶる。

「起きるんだ。アナキン」

アナキンは、まだ眠そう振りをして、クマに手を伸ばした。

「マスター……」

渋い顔をしているクマがかわいらしくて、アナキンが、今日の仕上げとばかりに、オビ=ワンを自分の胸へと抱きしめると、また、目を瞑ろうとした。

「マスター。俺と一緒に寝ましょ」

オビ=ワンは、とんでもないセリフと共にアナキンの腕に抱きしめられ、くらりと意識を失いかけた。つい、クマは本能に支配され、弟子の胸へと顔を摺り寄せる。その上、野性味たっぷりにアナキンに股間を押し付けようとして、しかし、ふと師は、我に帰った。

「おいっ!」

発情期の余波を残し、判断力低下中のオビ=ワンでも、さすがにこの弟子の行動には、強い作為を感じた。誘うセリフのせいではない。

普段弟子は、師が求めない限り抱き上げたりしないのだ。弟子は、クマを尊重し、決して、愛玩物扱いを決してしない。それなのに、アナキンが嫌がるクマを抱き寄せる。

「おい、アナキン。からかうのはいい加減にしろ!」

アナキンは、クマがあまりに暴れるので、あれっという顔をすると、では。と、口を開けた。

「ねぇ、マスター。そのお菓子、俺に食べさせてください」

クマが手に持ったままだった菓子をアナキンがねだった。アナキンは口を開けて待っている。

「……!!」

クマはもだえた。

発情中のクマにとって、食べ物を分け与えてやるのは、愛情を示す大事な行為なのだ。

オスとして、オビ=ワンは、メスの願いを叶えてやりたい。飢えているというのなら、満たしてやりたい。

しかし、絶対に、アナキンは師をからかっているだけに違いなくて。もうここまでくると、オビ=ワンはそのことがはっきりとわかった。師は、欲しくも無いはずの甘い菓子をねだるアナキンに負けるわけにはいかなかった。

オビ=ワンは、アナキンに食べさせてやりたい欲望と戦う。

手に掴んでいる菓子を無理やり自分で頬張る。

アナキンが目を大きくあけて驚いた。

クマは、にやりと笑う。

「残念だったな。アナキン」

しかし、アナキンも負けてはいなかった。

「あっ、酷いな。マスター。じゃぁ、せめて、甘い味のするキスをしてください」

アナキンは、発情期中、嫌になるほど師に顔を嘗め回されたので、もう、師とキスすることに、なんのためらいもなかった。

アナキンは、クマに向かって、唇を突き出す。

「お前〜〜!!」

弟子にキスをねだられ、オビ=ワンがぷるぷると震えた。

師は、初めて、自分に発情期があることを恨めしく思った。

しかし、師は、アナキンにキスしたい。

「なんですか? ダメ? マスター、俺のこと嫌いになっちゃいましたか?」

アナキンがわざとらしく悲しそうな目をする。

クマは、怒鳴った。

「……好・き・だ・とも! くそうっ! お前は、散々私の発情期に迷惑したと、言いたいんだな!」

いえ。べつに。アナキンは、それなりに楽しかったクマの発情期を振り返り、そう返してやりたかったが、欲望に負けたクマがふらふらと吸い寄せられるように、チュウをしてきたので、おとなしく黙った。

キスをするクマは、喉の奥で唸っている。

「俺達、ラブラブですね」

今日、楽しくオビ=ワンと過ごしたアナキンは、髭以下といわれたことへの溜飲を下げていた。

「ああ、そうだとも!!」

オビ=ワンは、今までの潤みとは違った涙目になりながら、弟子にキスをし、そうしながらも、弟子の頬をつねっていた。

 

 

END