ハニクマ 5

 

髭の客さえ帰ってしまえば、クマは、いつものクマだった。オビ=ワンはちゃっかり、アナキンと同じソファーへと座り直し、カップに残った蜂蜜入りのミルクをうまそうに飲んでいる。

しかし、アナキンとオビ=ワンの間には、30センチほどの距離が開いていた。師は、30センチどころか、弟子の膝の上に乗りたそうにしていたが、アナキンが、それを無視していたのだ。

部屋の中は、アナキンがクマを引き寄せるため、ミルクにたっぷりと蜂蜜を仕込んだものだから、蜂蜜の甘い匂いが漂っている。その中で、二人は沈黙している。

クマは、50センチあった距離をじりじりと30センチまで詰めたように、また、尻を動かし、弟子に近づいていっていた。さすがに、アナキンだって、わざわざ、座りなおすような大人気ない真似はしない。

しかし、自分の位置が、髭よりも下だと分かった今、アナキンは、発情期の師匠に対して素直に両手を広げ、受け入れることができなかった。あれほどクマの発情期に手を焼いていたにも関わらず、どうやら、アナキンは、クマの一番であったことが嫌ではなかったようなのだ。それが、クワイ=ガンどころか、それに似た髭以下だと言われて、アナキンは、ショックを受けている。ちょっとしたアイデンティティーの崩壊だ。

ちらちらと視線を寄越して、自分の機嫌を伺うクマの様子は、とてもかわいらしいのだが、それにほだされてしまうには、アナキンの心は傷ついていた。

しかし、クマが自分勝手であることは、今に始まったことではなく、それに慣らされながら育ってきた弟子は時間さえかければ、機嫌が直ったはずだった。

実際、アナキンは、クマのカップの中身がもうほとんど無いことに気付いていた。心のどこかで、もう一杯入れてきてやろうか。と、弟子は考えていたのだ。

 

そこに、コムリンクが鳴った。

コムリンクに応えたアナキンは、眉を寄せた。

「本気なんですか?」

苦渋に満ちたマスターウィンドゥの声が答えた。

『仕方がないのだ。向こうからの指名なのだから』

「本気なら、構いませんけど……」

アナキンの意識がコムリンクに向いた隙に、さっと間を詰めたクマが、アナキンを見上げていた。艶々の目は、媚を含んで、アナキンを見上げている。さすがのクマも、先ほどの自分の行動を反省していた。

髭のベイルがいたとはいえ、大事なアナキンをないがしろにしすぎたと、クマは思っている。おかげで大好きなアナキンが拗ねてしまった。だが、もし、もう一度ベイルが現れたら、クマは、間違いなく同じ行動を繰り返した。発情期に入ると、クマは、目の前の事象に即反応してしまう。髭がいたら、アナキンも霞む。

アナキンは、通話の邪魔もせず、待っていたクマに向かって口を利いた。

「マスター、任務だそうです。交渉相手として、オビ=ワン・ケノービをご指名なんだそうです」

ジェダイきっての交渉人というよりは、発情期の今、愛玩動物としてのアピール度が高い師匠は、アナキンがやっと口を利いてくれたことに、ほっとし、膝に乗る準備をしながら、弟子を見上げた。

クマは、ふかふかの手を弟子の膝に着いている。

「アナキン、お前も行くか?」

「……いえ、俺は、指名されてませんので……」

弟子が嫌がらないのをいいことに、ちゃっかり、クマは、アナキンの膝に乗った。そこで、クマは、首を横に振る。

「じゃぁ、私も行かない」

クマは、手に、クッキーを握っていた。それを食べもせず、アナキンを見上げるクマは、きっと食べ物で、アナキンを懐柔する気なのだ。そもそも、弟子をこの程度の方法で懐柔しようとするのが発情期のクマなのだ。交渉の席でジェダイとしてその責が務まるのか、どうか、かなり不安だ。

「マスターウィンドゥ、マスターは、行かない、と、言ってます」

菓子を口に押し込もうとした師を交わしながら、アナキンは、コムリンクへと返事をした。

愛情を込めて差し出した菓子を拒否され、クマは、しょぼんと、唇を噛んだ。潤んだ目が、アナキンに愛を請うている。

『……』

コムリンクからのあまりにもそっけない返事に、メイスは、思わず沈黙した。愛らしいあのクマがイヤイヤと首を振っているのかと思うと、メイスだって、無理強いはしたくなかった。しかし、騎士団の任務として、この用件は、緊急を要するのだ。

『アナキン、オビ=ワンに代わってくれ』

「わかりました」

メイスの要求どおり、アナキンが、コムリンクを師匠に差し出すと、クマは、それにもイヤイヤと、首を振った。

「私は出ない。私は、アナキンと一緒にいたいから、任務は引き受けないんだ」

集音感度の良いコムリンクは、オビ=ワンの声をメイスに伝えていた。

『任務なんだぞ』

「任務でもだ。私は、今、アナキンと離れるなんて絶対にイヤなんだ」

『オビ=ワン・ケノービ。今回の交渉場所は、お前の好きなあの蜂蜜の星だぞ』

発情期なのだから仕方がないとは言え、アナキン。アナキン。と、弟子の名ばかりを繰り返し、メイスをせつなくさせているクマに向かって、テンプルの策士は、オビ=ワンの弱点をついた。

『今の時期は、レンゲか?レンゲの蜂蜜はあの星で採れる蜂蜜の中でも、最高級だそうだな。収穫時期の今、きっとどこにでも、ふんだんに蜂蜜があるんだろうな』

クマの喉がごくり。と、鳴った。クマの口の中には、じわりと唾が湧き上がっている。その味を想像するだけで、頬に幸せな笑みが浮かんでしまう。

あの星の蜂蜜で、しかも、とれたてのレンゲの蜂蜜と、言ったら、それは、宝石と代わらない価値があった。どこの蜂養業者だって、銀河一と認める、それは、とろとろの黄金なのだ。

だが、クマは、その誘惑を振り切ろうとした。

身を引き裂かれでもしているかのような、狂おしい表情で、アナキンを見上げた。

クマの目は、食欲と、愛情の狭間で、揺れ動いていた。あまりに瞬きを繰り返すので、艶々の目は零れ落ちそうなほど潤んでしまっている。

アナキンは、とりあえず、クマに笑いかけた。

しかし、アナキンの内心は、こうだ。「なるほど。俺は、髭の下で、しかも、蜂蜜よりも下というわけか」実は、かなり弟子は、拗ねている。

それでも、出来た弟子は、クマが困らないように口元を笑いの形にキープしていた。

だが、クマが大決断をした。

プルプルと震えながら、コムリンクに向かってはっきり宣言した。

「メイス。私は行かない。私は、アナキンと一緒にいたい」

メイスも驚いたが、アナキンも驚いた。蜂蜜。ホットケーキ。クッキーに、プリン。クマの好きな食べ物は、いくらでもあるが、発情期のクマは、その好物のなかでも最高峰である蜂蜜より、アナキンを優先させた。

思わずアナキンの顔に本物の笑顔が浮かぶ。

「オビ=ワン。これは、任務なんだ」

メイスはクマを説得する。

「私は、休暇中だ」

「特別な理由がない限り、任務のほうが、休暇より優先される」

「特別な理由だ。今、私には任務がこなせるとは思えない」

はっきりとした愛情を見せるクマが愛しくて、アナキンは、会話に割り込んだ。

「いいんですよ。マスター。さっきのことで俺に気を使っているのなら、気にしないでください」

「いや、アナキン。お前に寂しい思いをさせるなんて、そんなのは、絶対にできない」

「……そんな」

際限なくいちゃつきそうな師弟にメイスは、想定内のことではあったが、一番避けたかった譲歩をした。

「……わかった。オビ=ワン。……では、アナキンも同行させる」

テンプル内の誰もが、今のオビ=ワンに仕事をさせる以上、クマとアナキンをペアで動かすことが最良だと思っていた。

だが、メイスだけは反対していたのだ。要するにやきもちだ。

「いいのか? メイス」

クマの目が輝いた。

大好きなアナキンと一緒に、蜂蜜の星へ。クマにとっては、これほど幸せな任務はない。幸せの塊のようになったクマがアナキンに尋ねた。

「行くか?アナキン」

アナキンは微笑んだ。クマは、ふかふかと、毛皮さえ膨らませている。

「ええ。ご一緒します。マスター」

発情期のクマは、アナキンと一緒に任務に当れて、ご満悦だ。嬉しそうに微笑むクマは、アナキンの胸へと顔を摺り寄せた。

「じゃぁ、お前にも、たくさん、蜂蜜がもらえるよう、ちゃんと交渉してやるからな」

「そんな、マスター、マスターの分だけ、貰えればそれでいいです」

「いや、アナキン。あのうまい蜂蜜をお前にも是非、食べさせたいんだ」

オスは愛するメスのために張り切っている。

『……オビ=ワン。お前、蜂蜜を貰いに行くんじゃないぞ? 任務で行くのだということを忘れるな』

メイスの声は、あまり、師弟に聞こえていない。

 

 

発情期中の、超危険状態で、なんとか、交渉場所の星についた師弟は、つつがなく、交渉を纏めた。ちなみに、どういう風に危険だったかというと、艶々でいい匂いのクマがあまりにかわいいせいで、途中何度も攫われかけたのだ。それを交わし、連れ去られないためにも、アナキンとしっかりと手を繋いだクマは、そのままの格好で、交渉に臨んだ。しかし、クマは、交渉における弟子の杞憂をすっかり晴らした。

「条件については、双方これで了承していただけますかな?」

クマジェネラルは、いつもどおり、双方に、逃げ道の残る曖昧さを含んだ、とても政治的な合意点をすばやく見出したのだ。

クマは、全く隙のないやり方だった。三日の予定の任務を一日残すその手際のよさも水際だっていた。

この残り時間の配分は、政治家たちに、十分議論しつくした。と、感じさせたに違いなく、しかも、早く終わった交渉は、激務をこなす政治家に、気分のよい帰途を約束した。

これでいて、アナキンのことで一杯のクマの頭はほとんど働いていないというのだから、普段のオビ=ワンが、どれほど余分な脳みそで、腹黒いことを考えているのかと、アナキンは唸った。

本当に、クマはほとんどの関心をアナキンに向けていた。交渉中も、きゅっと、弟子の手を握っていた。艶々の黒い目が何度も、アナキンの顔を見上げる。

実は、アナキンに熱を上げているこの国の王女すら、今回のクマには参った。

今回の調停の見届け人として、その場に参加していた王女は、クマとアナキンに蜂蜜の生産過程を紹介すると言い出した。一昨年、蜂蜜樽にダイブして、一樽分の蜂蜜をだめにしたクマは、この星で悪名高かったのだが、それを補って余りあるほど、今回のクマはとてもかわいらしかった。

やきもち焼きのクマは、アナキンが王女に取られないよう、交渉が済むすぐ、弟子の首にかじりついた。

それは、嫉妬心からの行為であるのだが、ジェダイナイトにしがみつくクマの姿はとてもかわいらしい。

クマ単体でもかわいいというのに、とても格好いいジェダイがふかふかのクマを抱っこしていた。

王女は浮かれている。

「アナキン。お前の分、たくさん貰ってやるからな」

甘い匂いの漂う花畑を歩きながら、クマは、弟子の耳元でささやく。

 

しかし、今週のアナキンは、もしかしたら、あまりいい星まわりではなかったのかもしれない。

花畑を横切り、蜜工場にたどり着いたアナキンたちを、当たり前のことだが、蜂蜜だけでなく、たくさんのミツバチが待っていた。

発情期のクマは、とても甘い匂いをさせていた。そして、その弟子もクマがべったりと張り付いているせいで、すっかりいい匂いをさせていた。匂いにつられ、ミツバチたちが、興奮する。

「こら、おとなしくしろ。今、たらふく食べてきたところだろう?」

なだめる蜂飼いたちは、ピーク時の忙しさに加え、遠い存在である王族の来訪に浮き足立っていた。

王女が、蜂たちの巣箱に近づいたのに気付いたとき、誰にも止める暇がなかった。

あの混乱の時、一体誰が、保存用の樽を固定していたロープに躓いたのかは、わからない。

とにかく、誰かが、それに躓き、一杯まで詰まっている3樽の蜂蜜が、勢いよく倉庫の2階から師弟めがけて降ってきた。

いつものクマなら、口をあけて空から注ぐ蜂蜜を受け止めていそうなものだが、なんと、クマは、フォースを使い、弟子をその被害から守った。

王女は、蜂から逃れたものの、クマがフォースで砕いた樽からあふれ出た蜂蜜を全身に浴びて、世界一甘いプリンセスとなっている。

しかし、アナキンは、何の被害も受けていない。

アナキンの首にしがみついているクマの片手が天を向いていた。

「大丈夫か? アナキン」

「……マスター」

アナキンの笑顔は蜂蜜よりも更に甘く、とろけそうだった。

「マスター、蜂蜜より、俺のほうが好きですか?」

髭の件で、アナキンを傷付けてしまったと分かっているクマは、今度は間違えなかった。

床に溢れる蜂蜜に見向きもしないクマが、うなずく。

「マスター……」

 

 

 

だがその後、王女を蜂蜜まみれにしたクマは、不敬罪で星への出入りを禁止された。

……発情期後のクマが、アナキンに八つ当たりしまくったのは、言うまでもない。

 

 

END