ハニクマ 2
アナキンは、膝の上に甘くいい匂いのするクマを乗せていた。
午後のクマは、大事なアナキンが、自分の側にいることにすっかり満足しており、ぽりぽりとクッキーを頬張っている。勿論、アナキンにも分けてくれる。と、いうか、発情期のクマは、自分の愛情の対象であるアナキンに、必ず自分の食べているものを一口分けてくれた。師の嗜好は、発情期だろうがなんだろうが変わらないので、甘いケーキや、クッキーが弟子の口に入る。いや、押し込まれる。
「おいしいか? アナキン」
「……はぁ、まぁ」
しかし、アナキンは、オビ=ワンが口元へと運ぶクッキーを一生懸命喉の奥へと押し込んでいた。アナキンは、オビ=ワンに一部の不安も抱かせるわけにはいかなかった。今日、アナキンは、弟子の後をついて回ろうとするオビ=ワンを一人この部屋に残し、出かけなければならない。ヨーダから、直々に、一人カウンシルへと来るよう言いつけられている。
昨日、朝起きたら発情していたクマは、全くもって弟子の側から一歩も離れようとしないので、アナキンは仕方なくクマと一緒にカウンシルに出向いた。そうしたら、とても大変な目にあった。
去年の春は、アナキンが自分の視界の中にさえいれば、じりじりと側に来たそうにしていたものの、仕事に関する限りオビ=ワンはその欲望を我慢していた。一歩、また、一歩と、弟子ににじり寄り、メイスにキロリと睨まれようと、くりくり艶々のお目々で メイスを骨抜きにし、アナキンの半径15メートル範囲で、文字通りうろうろと、クマのごとくしていたのだ。去年までは、それだけだった。
しかし、今年のオビ=ワンは、季節を先取りし、先に来てしまった春のせいで、ホルモンバランスでも狂わせたのか、様子が違った。去年までは、発情期であろうとも、もう少し、その外見のぬいぐるみめいた雰囲気をいつものごとく漂わせ、「あらあら、マスター・ケノービったら、どうしてそんな甘えっ子になっちゃったの?」と、かわいいもの好きの女性マスターたちの目を細めさせる程度だったのに、違うのだ。クマは、外面がいい。だから、少なくとも、外にいる限り、なんとかぎりぎりアナキンは、オーダーをこなすことができていた。
それが、今年のオビ=ワンは、ぬいぐるみというよりは、小動物だった。いや、もともと、師匠は、ぬいぐるみではなく、小動物なのだが、それにしても。
その日、艶々、ぴかぴかのおそろしく愛らしい外見をして、アナキンの足元に纏わりついているオビ=ワンを見たヨーダは、クマのことを一目見るなり、「今年も、来たか……」と、呟いた。そして、ナイトにもなり、そろそろオーダーの結果に対して責任を増してきたアナキンを手招き、注意を与えようとしたのだ。例年アナキンは、発情期の師匠を抱かえようとも、任務をきっちりこなしてきたつもりだった。だが、どうやら違っていたらしい。あちこちから、苦情がヨーダの元に寄せられていたのだ。
ヨーダに呼び寄せられたアナキンが、小さな緑の偉人の側へと歩み寄ろうとすると、クマは当然のようにアナキンの後をついてきた。ヨーダが首を振っても、嫌々と、言う。
「マスター・オビ=ワン、ワシが呼んでいるのは、オヌシの弟子だけじゃ」
後日、何故、これほどヨーダが発情期のクマに対して、排他的な態度を取るのか、アナキンが聞いたところによると、発情期にあるオビ=ワンは、脳のほとんどが本能に支配されているため、どれほどしたり顔で、うむうむと話を聞いていたところで、まったく頭に入っていないのだから、話をするだけ無駄だと言っていた。本能に支配。アナキンの手を握ったままだったとはいえ、あれほどまじめな顔をして、人の相談にだって乗っていたくせに、クマの頭にあったのは、アナキンとエッチすることだけ。
弟子から離れるようにと、再度ヨーダから言われたオビ=ワンは、普段の外面の良さなど忘れ果てたように、むっと顔を顰めた。艶々の目を更にうるうると潤ませ、きっとジェダイの第一位にある者を睨みつけた。
「言わせていただきますが、マスター・ヨーダ」
なんと、クマは食って掛かった。
それでも、オビ=ワンは、最初なんとか交渉というスタイルをとっていた。それが、上手くいかないと知ると、次第に子供が駄々を捏ねるがごとく、地団駄を踏み始める。
「絶対に、嫌です! アナキンは、私のなんです!」
泣きそうになって、ふうふう唸っているオビ=ワンが主張しているのは、このメスが自分のものだということだ。いや、弟子は、メスのクマではない。と、いうか、ジェダイだ。今は、仕事の話をするために、カウンシルに出向いているのだ。
しっかりとアナキンの足に抱きつき、その短くもピカピカの爪をヨーダに向かって振り回しかねないクマに、緑の偉人は、呆れたため息を落とした。
そして、その後、どんな人物に対してだろうが、オビ=ワンはアナキンを独占して離したがらず、アナキンは、本来自分一人、別チームで当っていたはずのオーダーの打ち合わせにまでクマを膝に乗せて出席した。
確かに、クマは、弟子に交尾を迫らないかもしれないが、これでは、全くもってジェダイオーダーを逸脱している。激しい執着は、暗黒面を呼ぶ。
なんとかして、オビ=ワンを、一人、家へと置き去りにしなければならないアナキンは、あいかわらず、すりすりと弟子の胸へと顔を擦り付けているクマを見下ろしながら、いつ、ここを立つのが得策なのか、タイミングを計っていた。あまりにクマが、アナキンにぴったりと体を摺り寄せているので、すっかりアナキンまで、甘い匂いをさせている。
「マスター、俺、ちょっと」
まるでアナキンは、トイレにでも立つような気軽さで、膝上のオビ=ワンに声をかけた。
師匠は、トイレの前に立って弟子を待ってしまうほど、アナキンにご執心なのだが、さすがに、それは、アナキンが嫌がるので我慢している。変わりに、トイレの中のアナキンにむかって、大きな声で名前を呼ぶ。仕方なくアナキンは、それに応える。
今回アナキンは、それを利用して、ここから脱出するつもりだった。オビ=ワンの声に反応し、アナキンの声を発する装置は、夕べクマが眠ってしまった夜中に製作した。
「マスター……」
しかし、なんと今年のクマは、とうとう弟子のトイレにまで離れないつもりだった。師匠をソファーの上へと移し、立ち上がったアナキンの後を、クマは別の用事でもあるかのような顔をして付いてくる。
アナキンは、立ち止まった。その足にクマがぶつかった。
「あっ……」
と、小さな声を漏らしたクマが、ものすごいショックを受けたという顔をした。
アナキンは、泣き出しそうに潤んだ師の目に動揺した。
「どうしたんですか? そんなに痛かったですか?」
「いや……」
師は、自分の胸に手に差し込み、やはり暗い表情だ。胸が苦しくなるほど、それほどきつくぶつかったのだろうかと、アナキンは、心配した。師匠の体は、丸く、柔らかく、ぶつかられた方は、それほど痛くないのだ。しかし、師は小さい。
胸から出された師匠の手は、クッキーのカスまみれだった。オビ=ワンは、アナキンがトイレを済ますのを廊下で待つ間、先ほどのクッキーを食べながら待とうと、胸にクッキーを忍ばせていたらしい。それが、弟子とぶつかったことによって割れた。
それは、師匠にとっては、悲しみの声を上げてしまうほどの出来事だったようだ。
「すみません。そんなこと知らなかったものですから」
「いいや、いいんだ。ぶつかった私が悪い。痛くなかったか? アナキン」
この時期のオビ=ワンは、やたらとアナキンに優しい。普段だったら、拗ねてしまってしばらく口を利かなくなるような出来事が起きても、アナキンを許す。クマは、とても、アナキンを愛している。そうだから、勿論、激しくアナキンに執着もする。
オビ=ワンは、ソファーによじ登り、テーブルの上のクッキーを取ると、急いでアナキンの側に戻ろうとした。
しかし、あまりに急ぎすぎ、クッキーに手を伸ばす際、おかしな体勢をとったのがまずかったようだ。
「クキっ」
と、クマの腰がいい、クマはそのまま固まった。今度は、本当に負傷だ。
「どうしました? マスター」
オビ=ワンは、ちゃんと発情期が訪れる程度には若かったが、体をいたわったほうがいい程度には、年を取っていた。はっきり言えば、プチ中年だった。ぴきんと、クマが固まったままでいるので、不審に思ったアナキンは、師匠へと近づいた。
オビ=ワンが、へっぴり腰で両腕を上げる。そのポーズは抱っこ。
「……腰を、……やってしまったようなんだ」
泣きそうな顔をしたクマに、ぎっくり腰になったと言われ、アナキンは、笑いそうになる自分の口元を引き締めなければならなかった。
情けなく眉を寄せ、不安げにアナキンを見上げる師匠は、本当に愛らしい。
アナキンは、オビ=ワンを抱き上げた。いい匂いをさせているクマは、しっかりと弟子にしがみつく。
くったりとアナキンの膝にうつぶせているクマをスピーダーに乗せて、アナキンは、カウンシルへと出勤した。いくらヨーダからの命であろうとも、一人では、歩くこともできないクマを家に置き去りにするわけにはいかない。
「すまない。アナキン。お前に、こんなことをさせてすまない」
カウンシル内でも、ずっと抱っこで運ばれるクマは、発情期で、やたらと男気が溢れているので、アナキンに迷惑をかける不甲斐ない自分をしきりに責めていた。
アナキンは、艶々の目でみあげてくる師匠に笑いかける。
「いいえ、俺の大事なマスターですから」
ヨーダは、苦虫を噛み潰した顔をして、ジェダイ師弟を待ち受けていた。
「やっぱり一緒に来おったか……」
オビ=ワンがぎっくり腰になったため、やむを得なく一緒に来たのだという説明は受けたのだが、用もないメイスが、偶然を装い、何度もこの部屋へと覗きに来るほど愛らしい様子のクマと、そのクマを床に下ろそうともせず、当然のごとく抱き上げている弟子にヨーダは苛々させられていた。一応、弟子は、本来部外者であるはずのオビ=ワンをここへ連れ込んだことへの配慮なのか、的はずれな気の使い方をヨーダにし、クマを肩に担ぎ上げ、その顔を後ろ向きにさせている。だが、クマの手は、引き剥がされてたまるものか。と、ばかりに、ぎゅっと弟子の首を抱きしめている。
クマは、全身で、アナキンが自分のものだと主張している。
なんという激しい執着心。
雑多な人種が集う、コルサントでは、人種的特長、文化などは、お互いに尊重されしかるべきものだった。つまり、クマの発情期も、クマという生物が持って生まれた本能なのだから、誰も否定すべきではない。
しかし、ヨーダに尻を向けたまま、腰が痛い。と、訴えているにしては、結構幸せそうにぽりぽりクッキーをむさぼり続けるクマに、ヨーダは、眉間に深い縦皺を刻んでいた。
弟子も、クマの病んだ腰に、負担がかからないよう、しっかりとオビ=ワンの体を支えている。
なんだかんだと言ったところで、この弟子だって、クマから離れようと思っているとは思えない。
また、メイスが部屋に入ってきた。
「マスター・ヨーダ。お話し中に、何度も申し訳ありません」
そういうメイスの顔は、色が黒いからわかりにくいが、うっすらと頬を染め、クマに視線を流している。
眉間に寄る皺がどうしても増えていくヨーダは、ジェダイにあるまじきことを思った。
いっそこの3人まとめて、暗黒面に落ちてしまえばいい……。
END
クマ〜はいらんかね〜。クマ〜だよ。クマ〜。
流しのクマ売り、冬花からでした。