ハニー・ハニー・ハニー 7
師弟はダイニングのテーブルで額をつき合わせていた。
アナキンに負けないようデーターパッドを覗き込むクマは、行儀悪くも椅子の上に立っているのだ。
二人は自分たちに示された任務のよい攻略法を練っていた。
アナキンの側にはいい香りのコーヒーが置かれている。
「……セキュリティーは万全だな」
クマは、短い腕を組んでうなっていた。
「確かに、これは、なかなか難しそうですね」
アナキンも眉をひそめている。
データーが展開され、家の間取りが映し出された。
ターゲットの家は大きな館だ。
「アナキン。家族構成は?」
「美人の妻に、小さな娘が一人」
アナキンの言葉に、ビスケットに手を伸ばしていたクマの眉がぴくんと動いた。
「アナキン、どこで妻が美人だと?」
「まぁ、いろいろです。それより、マスター、ひとつ案があるんですけど……」
アナキンは、疑い深い目をしたオビ=ワンの黒い目を覗き込み、しかし、困ったように笑うと、口をつぐんでしまった。
カウンシルからの帰り、くしゃみをしたクマの口の周りは、ホットミルクで、白く濡れている。
クマの吐き出す息は、幸福そのものといった甘いはちみつの匂いがする。
弟子が何を言い出したかったのか気になるクマは、ビスケットを手に持ったまま、弟子に向かって首をひねった。
「どうした? アナキン」
「いえ、マスター、寒いの嫌いですもんね。やっぱり、やめときます」
ビスケットを頬張ったオビ=ワンは、心外だと口を尖らせた。
白髭だけでなく、ビスケットのクズでも口を汚しているクマが似合わぬ、いや、ジェダイらしい狡知をめぐらしたような目の色をする。
師は、アナキンにからかうような笑みを浮かべた。
「アナキン、私はジェダイだぞ。私は、確かに寒いが嫌いだが、任務のためなら、もちろん我慢する」
胸を張ったぬいぐるみもどきのクマにアナキンは、苦笑した。
このクマは、つい先日、任務途中に暖を求めるあまり、背中の毛を焦がしたのだ。
「本当ですか? じゃぁ、無理にとは言いませんが、とりあえず俺の立てた計画を聞いてくれますか?」
「勿論」
「ターゲットの奥様から聞いたんですけどね。彼、娘を溺愛してるらしいんですよ。娘に物を買ってやるのが好きで、好きで、しょうがないらしいんです」
「だから、なぜ、お前が、彼の奥方と知り合いなんだ」
「まぁ、それはいろいろです。で、ですね、ほとんど毎日というくらい、彼は娘にプレゼントを贈っているらしいんですが……」
箱の中に閉じ込められているオビ=ワンは、弟子の計画に乗ったことを後悔していた。
セキュリティーが万全の館に忍び込むのは確かに難しい。
特に、今回の任務のターゲットに当る議員は、愛娘が誘拐未遂にあったばかりで、通常ですら過剰だった警備をさらに、強化していた。
「すみません。お荷物をお届けにあがりました」
「またか。ここに置いて。ん? 金属反応がある」
「ええっと、荷札には、ぬいぐるみと……」
「ああ、じゃぁ、またしゃべるやつなのか? 近頃のおもちゃは、機械内蔵のものが多いな」
配達員に運ばせた箱は、中に入ったオビ=ワンの不安をよそに、金属探知機には掛けられたものの、無事邸内に入り込むことができた。
アナキンが立てた計画は、オビ=ワンの外見的特長を生かし、子供のおもちゃとしてクマが家へと配送されるというものだった。
そのため、リボンを掛けられたかわいらしい箱のなかに、師はぬいぐるみとして収まっている。
しかし、寒い。……クマはとても寒いのだった。
その日は、雪でも降り出しそうな空模様で、箱の中にいるとはいえ、クマはくしゃみをこらえるのにも必死だった。
ちなみに鼻水は、もうぬぐった。
寒さは荷物に紛れ込んだ時からずっとで、オビ=ワンは震えっぱなしなのだ。
歯の根が合わず、かちかちという音がしていることを、この際、クマは見逃して欲しいと思っている。
「結構重いな。どうする? お嬢様の部屋に運んでおくか?」
「ああ、それがいいだろう。しかし、また、ぬいぐるみとは、本当に子供に甘い人だな」
警備の男たちが、クマジェダイの入った箱を運ぶ。
しかし、クマは、この注意の必要なときに、ぶるりと震えてしまった。
「おい。今、中身が動いた気がする」
「気のせいだろ。傾けたんじゃないのか?」
「動くおもちゃなのかな?」
寒いのだ。とにかく寒いのだ。
冷や汗で更に背中が冷たくなった師はぬいぐるみらしく見えるよう、ローブも着ていない。
震えないよう歯を食いしばる師の鼻水がたれてきた。
今度、クマは暗い箱の中、必死にくしゃみをこらえている。
箱の中で、クマは、一人百面相だ。
オビ=ワンたちは、今回の任務のターゲットである議員をとある交渉の場にどうしても引きずり出す必要があった。
原種のエネルギーを産出、流通させている星の代表である彼の一言が、大きな影響を与える会議の場があるのだ。
愛娘が誘拐未遂にあったばかりの彼は、その会議に出席し、敵対団体から家族に攻撃を受けるのを恐れ、現在家から一歩もでなかった。
しかし、出てもらわなければ困る。
セキュリティーの手から、子守に手渡されたオビ=ワン入りの箱は、子供部屋で遊ぶ、小さな娘に手渡された。
寒かった外に比べれば、暖房の効いた部屋の中は天国だったが、子守の手によって箱から出されたクマは、娘の意識が逸れるまで、真剣勝負でぬいぐるみの振りをしなければならない。
「くまちゃん!」
まるで愛らしい花が咲いたようなあどけない笑顔でクマを迎え入れた小さなレディは、オビ=ワンを床に座らすと、散々もみくちゃに撫でた。
「くまちゃん、お髭があるね」
くるくるとした髪をした天使のような子供が、クマの髭を引っ張る。
大きな黒目を瞬きせぬよう気をつけながら、痛て。痛て。と、オビ=ワンは内心必死で堪えていた。
子供の手がオビ=ワンの頭を撫でる。額を頬をと擦り寄せる。
「くまちゃん、幼稚園好きかなぁ」
子供はいろいろ思いつく。
子守は、優しく返事を返した。
「ええ、たぶん、好きですよ」
たぶん、この子の好きな遊びなのだ。
名高いジェダイであるオビ=ワンは、子守とともに、彼女の幼稚園に入園することになった。
小さな子供にしては、しっかりとしゃべる娘は、子守とともに、ジェネラル・ケノービを呼ぶ。
子守は勿論返事をした。
しかし、オビ=ワンは、ぬいぐるみなのだからと、子供に返事を返さなかった。
めっと、子供はオビ=ワンを叱る。
「くまちゃん、先生がお名前を呼んだら、お返事をするんです。もう一度呼びますよ。くまちゃん」
「……」
ぬいぐるみもどきの沈黙。
落胆した顔の子供が、口を尖らす。
「だめです。くまちゃん。ちゃんとお返事してください。先生が呼んでるんですよ。お返事しない子は、だめなんですよ」
「変ですね。割に重いから、話をするくらいのことはするかと思ったのに」
不思議そうな顔の子守が、子供の髪を撫でた。
のんびり座っているふりをしていたが、クマは、内心、次に返事をしたら変なのかどうかと、汗がだらだらと出そうなほど悩んでいた。
子供は、本気でがっかりしている。
子守の手が、スイッチを探すためか、クマへと伸びる。
「きっとどこかを押すと……」
「触っちゃダメ! もう一回、お名前呼びます」
きっと彼女の通う幼稚園では、きちんと返事ができるまで繰り返し、出席を取るのだろう。
清ました顔の小さな先生は、もう一度子守の名を呼ぶ。
子供と遊びなれている子守は楽しげに返事を返した。
「はい」
「上手ですね。じゃぁ、次、くまちゃ〜ん」
子供の声が期待に満ちて、オビ=ワンを呼ぶ。
しかし、いまさら返事をするのも変だと思い、オビ=ワンは、思い切って口を噤んだ。
子供の目が陰る。
「あれ、お返事は?」
「くまちゃ〜ん。くまちゃ〜ん。くまちゃ〜ん」
「くまちゃんは、恥ずかしがりやさんですか?しょうがないですね。今日だけ、先生が代わりに返事をして上げますけど、ずっとはダメですからね」
「くまちゃ〜ん。は〜い」
かわいい声がオビ=ワンの代わりに返事をした。
そのかわいらしさに、オビ=ワンの頬が緩みそうになる。
ドアが開いた。
「あっ! パパ」
娘は、笑顔でくしゃくしゃになった。
「遊んでいるのかい?」
ドアから顔を覗かせたターゲットは、愛娘を前に情けないほどでれでれと目じりを下げていた。
ぬいぐるみの振り続けるオビ=ワンは、生真面目な顔をした彼を知るだけに、議員の変わりよう驚いた。
彼は、普段にこりとも笑わない。
「パパは、お仕事で少し疲れてしまったからね。お前の顔を見て、元気を補給しにきたよ」
オビ=ワンなどまるで目に入っていない議員は、普段の顔など忘れたかのようにしまりのない顔で娘に笑いかけながら部屋に入ってきた。
「パパにキスさせておくれ」
父親の腕が娘を抱きしめる。
娘は、笑いながら身をよじった。
「唇はだめよ。唇は、ママだけなんだから」
甘い声で笑う娘は、父親に頬を差し出しながら、オビ=ワンを指差し「パパ、キスしたかったら、くまちゃんにして」とねだった。
娘しか見ていない男は、手を伸ばし、クマを引き寄せる。
ぎりぎりまで、娘に唇を近づけ、そこでいきなり男はオビ=ワンにキスをした。
娘は、きゃっきゃ、きゃっきゃと、喜んでいる。
しかし、議員と、オビ=ワンは笑っている場合ではなかった。
どれほど、クマの外見がぬいぐるみに似ていると言っても、内臓まで綿というわけではないのだ。
唇を合わせてしまえば、そこは粘膜だから、濡れた感触が伝わる。
議員は押し付けた唇をひん曲げて、初めてクマを真正面から見た。
眼鏡下の癇症な目の辺りがひくついている。
クマは、顔を知っているという程度の男に、キスされたショックでわめきだしたかったがこらえ、ぎゅっと口を閉じていた。
議員は口を開いた。
「……マスター・ケノービ……」
議員は、オビ=ワンの名を知っていた。
「え? パパ、それ、クマちゃんの名前?」
そこにある緊張感に気づかない娘だけが、陽だまりのように笑っていた。
「ああ、ああ、そうなんだ。パパ、このクマちゃんとちょっとお話があるから、少しこのクマちゃんをパパに貸してくれるかい?」
男は、握り締めた拳を隠しながら、娘にだけ笑顔を向ける。
「え〜〜」
「ほんの少しだから。なぁ、頼むよ」
子供はしぶしぶ頷く。
「……ちょっとだけよ」
「マスター・ケノービ。これは一体?」
書斎のドアを閉めた男は、細面の顔に不機嫌を貼り付け、オビ=ワンを見下ろしていた。
ここにたどりつくまでに、議員もオビ=ワンも唇をぬぐった。
お互い、あのミスについては、触れるつもりもない。
クマは、礼儀正しく頭を下げた。
「失礼いたしました。あなたが、説得する機会さえ与えてくださらないので、こうしてお邪魔させていただきました」
男は荒々しくオビ=ワンの前を横切った。
「まったく、ジェダイのやり口には驚かされる。これが、ジェダイ! これが銀河に名の轟くジェダイのやり方。まるで泥棒と代わらない。私は文書で回答したはずだ。私は、家族を危険にさらしたくはない。今回のことは、本星でも、私の行動を支持してくれている」
男は、冷たく交渉を打ち切ろうとした。
オビ=ワンは言った。
「だが、議員、あなたならわかってらっしゃるはずだ。これからのことを考えれば、今回行動を起こすのは間違いではない」
男は、オビ=ワンを睨んだ。
「そのために、家族を犠牲になどできない」
男は、にべもなかった。
だが、断られたここからが、交渉の腕の見せ所だった。
背中を向けようとする男の足元にオビ=ワンは近づいた。
こんな外見だが、オビ=ワンは、交渉にかけてはかなりの勝率を誇っている。
男のズボンを引っ張る。
「ご家族は、必ず守ります。我々ジェダイが責任を持って、警護に当たらせていただく」
議員はそれを嫌がり、足を動かした。
「私の家族なんだぞ。娘を傷つける真似など決して許さん」
「ジェダイの腕を信用しませんか? ジェダイが警護につく限り、あなたのご家族は銀河一安全です」
「ジェダイだから? こんな汚いまねをするジェダイのくせに !?」
頭に来ている議員は注意力が足りていなかった。
乱暴に動かした足がオビ=ワンに当たった。
それは、たいしたことのない衝突だったが、小さなクマは、ふっ飛んだ。
ちょうどドアが開く。
「パパ、まだ? もう、くまちゃん返して」
子供のちょっとは、本当にちょっとなのだ。
パパの部屋を覗きに来た、娘は大好きなパパがクマを蹴るのを見てしまった。
子供にとってそれは、衝撃だった。
「パパがクマちゃん、蹴った!! クマちゃんに意地悪するパパなんて大嫌い!!!」
彼女は大声で泣きだした。
変則技だったが、今回の交渉もオビ=ワンの勝利だ。
議員の美人な妻と、一緒のテーブルでお茶を飲みながらの警護は、全く悪くない任務だった。
しかし、子供が外で遊ぶと言えば、師弟は彼女についていかなければならない。
スコップとバケツを持って庭の土を掘り返している少女の側に、アナキンひとりだけが立っていた。
彼女が泥遊びに夢中なのをいいことに、クマは、寒いと、弟子のフードの中に逃げ込んでいるのだ。
「マスター、すっかり、彼女のお気に入りになりましたね」
アナキンは、クマ用の小さなティーセットまで渋面の父親に買わせた少女の愛情をすこしばかり面白がっていた。
只今、クマは、少女の隣の席が指定席なので、礼儀を教えるためにも、師はずいぶんとマナーに気を使っていた。
勿論、弟子の膝によじ登り、弟子が眉をひそめるほど紅茶の中に蜂蜜を入れることもできない。
「お前こそ、ずいぶん、議員の奥方と仲がいいじゃないか」
オビ=ワンは、ずっと気になっていたことを弟子の背中で呟いた。
クマは、茶器を配る美人がアナキンに微笑みかける時、媚を含んで見つめていることに気づいていた。
それは、決して面白い光景ではない。
「そうですか?」
師の言葉を軽く流すアナキンの目は、ジェダイらしく十分に周囲に配られており、しかし、少女から片時も離れなかった。
クマは背中で不機嫌な顔だ。
「なぜ、あんなに親しげなんだ? アナキン」
弟子は笑う。
「何故でしょう」
「ねぇねぇ」
振り返った少女がアナキンを見上げた。
すっかり泥で手を汚した天使が、自分の作った泥のケーキをクマに勧めるつもりだったのだ。
しかし、居たはずのクマがいない。
子供は、クマがアナキンのフードに入っていることを見つけた。
とたんに、子供はスコップもバケツも放り出す。
「ずるい! くまちゃんだけ、私もおんぶ!」
泥んこの天使は、両手を上に上げた。
「ずるい〜! 抱っこ。抱っこ!」
「マスター、降りてください。彼女がマスターのこと真似して抱っこって言ってます」
「いいじゃないか。そのくらいお前には、簡単なことだろう?」
オビ=ワンは、自分の任務は、すでに前段で終わっていると思っていた。
弟子に打ち明けるつもりはないが、一生遠くに挨拶をするだけのはずだった男とキスまでしたのだ。
クマにはまるで降りるつもりはない。
「降りないんですね?」
「寒いじゃないか」
クマがフードから出てこないので、しかたなくアナキンはどろんこの少女を抱き上げた。
「一緒だね。くまちゃん」
「完璧な警護体制だな。アナキン」
アナキンは、どろんこの前に小さなレディ。後ろに寒がりのクマを背負い苦笑いをした。
END