ハニー・ハニー・ハニー 12

 

カビたせいで腹に出来た皮膚病も、弟子の小まめなケアにより、ほとんど完治したオビワンは、今日も、だれだれの格好だった。

とにかく毎日暑いのだ。生きたぬいぐるみだと言い切ってもいいようなオビワンは、むくむくの毛で全身を覆われており、とにかく夏の暑さには弱い。

今だって、クマは、自分の体温で温まったソファーを嫌い、少しでも冷たいところを探して、もうつぶせに寝転がったままずりずりと動いている。力なく這いずるその姿からは、ジェダイとしての威厳は見えない。行き倒れのようだ。

「ア、アナキン……暑い……」

情けない顔をしたクマがうるうるに目を潤ませて、ソファーの端に座っていたアナキンを見上げていた。

皮膚病は治ったものの、いまだ、まだ、ピンクの地肌が見える産毛のような毛しか生えていない禿げた腹を晒したクマは、アナキンに向かって手を伸ばす。

しかし、アナキンが手を差し出してやらないものだから、短いクマの手は、ばたりとソファーの上に落ちた。

クマは、悲壮な声を上げる。

「酷い。私の弟子は本当に酷い! クーラーの温度は変えられないようにするし、アイスは一日一個だし!」

もう何度もその文句を聞いているアナキンは、クマは無視していた。

仕方がないのだ。アナキンがちょっと目を離した隙に、部屋を冷やしすぎて、夏風邪を引きかけたのはクマなのだし、腹がぽっかり禿げているのに、そんな冷えやすい腹をしているというのに、アイスの大食いをして、トイレの住人になったのもこのクマだ。

「マスター、我慢です。ドクターに言われたでしょう? あなた冷房病にかかりかけてたんですよ」

「……なぁ、アナキン」

弟子が懐柔されないものだから、クマは、作戦を変えてきた。

アナキンに、毛皮のクマがにじり寄る。

アナキンの片腕は、機械仕掛けの義手だから、ひんやり冷たく、クマのお気に入りなのだ。

クマがぴとりとアナキンの腕にしがみつく。勿論、クマにしがみつかれた弟子は、暑い。

「マスター、そういう嫌がらせもやめてください……。俺だって暑くないわけじゃないんです。あなた、自分がテンプルで人気下降気味になってる理由を知ってらっしゃるでしょう?ねぇ、マスター、夏のマスターは、見てるだけでも暑いんですってば。なのに……」

冷たく見下ろしたアナキンの嫌味にも、クマは屈しなかった。しっかりとアナキンの腕にしがみつき、だらだらと汗を流している。

弟子の義手が冷たいといったところで高々しれているのだ。それなのに、クマは、アナキンの膝によじ登り、しっかりと義手を抱きしめる。

クマには、狙いがあったのだ。

クーラーの温度が下げられない以上、捨て身の態度で挑んできたクマの狙いといえば、アイスだ。

仕方なく、アナキンは、ソファーから立ち上がった。

「今食べたら、もう、この後はないんですからね」

ソファーに移されたクマがにんまりと笑う。

しかし、クマは、アナキンの仕事ぶりでは満足しないため、いそいそと後をついて行く。

 

「アナキン。替われ。私がやる!」

今日、オビワンがアナキンに所望したおやつは、アイスではなく、カキ氷だった。

赤いシロップがたっぷりかけられ、その上からは、白くて甘い、とろとろのミルクがかかった、カキ氷。

最初、アナキンが作っていたのだが、アナキンの盛りでは我慢ができなかったオビワンが台によじ登り良くぞここまで盛ったものだというほど高い山を作り上げた。

出来上がった氷のバランスの良さは、ほとんど芸術品だ。

また無駄に、オビワンはジェダイとしての修練の結果をこんなところで発揮している。

「……マスター、そんなにたくさん食べたらお腹を壊します」

アナキンは、あきれ果てながら、クマを見下ろしていた。

クマといえば、もうスプーンを用意し、目の前の山を制覇してやろうと、すっかり興奮している。

いつの間に食べたのか、もう口ひげが赤いシロップに染まっていた。

「分けてやらんぞ。アナキン」

「いえ、欲しいとは言ってません」

アナキンは、カキ氷の頭がキーンとなる冷たさが苦手だ。

それにオビワンの目の前にある代物は、どうみても甘すぎでそれもいただけない。

「でも、ほんと、マスター。そんなに食べるとお腹が痛くなりますよ」

「アナキン。お前は、一日一回だと、私に約束させただけで、一回分の分量に関してはなんの約束もさせなかった」

威張って言うクマは、食べるのをやめようとはしなかった。氷の入った器を囲い込むようにして、ばくばくと平らげていく。

それでも、やはり、冷たさは感じているらしく、時々、きゅっと強く目を瞑って、何かに耐えている。

身悶える小さなクマはかわいらしいが、そんなときでも、氷の器を手放さないのだから、さすが師匠、すばらしい食い意地だと、アナキンは呆れながら見ていた。

「取りませんってば、マスター。それにね、確かにあの約束をしたとき、量については確かに話し合わなかったかもしれませんけど、普通常識の範囲を想定してお互いに納得してるって思うに、決まってるじゃないですか」

「アナキン。お前は、甘い! 甘すぎだ!」

オビワンが、シロップで濡れたスプーンを振り回した。

スプーンについていた雫が飛んで、ぴちょりと、アナキンの上着を濡らす。クマときたら迷惑なことこの上ない。

氷を食べたことで多少体温の下がったらしいオビワンは、機敏に椅子から飛び降りると、どこかに向かって走っていき、紙を手に戻ってきた。

それは、クマと、アナキンとの間で作られたおやつに関する契約書だ。暴飲暴食に突っ走るクマを止めるため、アナキンが師との間に取り決めを作ったのだ。

クマは、二人のサインが入った紙をばんっと、テーブルに広げる。

「これを見ろ、アナキン。これのどこに量についての記述がある。この契約を結ぶ前に、お前は二人の間で結ぶ契約は、すべて常識の範囲内で運用されることとするといった約款を作ったわけでもない。お前は、交渉の詰めが甘いんだ。お前はどこか、他人が慈愛に満ち溢れた善人で構成されていると思い込んでいるような、そんな気楽なところがある。一体この宇宙のどこに愛が溢れてるんだ? そんなぼんくらな善人がどこにいる?」

力説するクマが、これで愛を尊ぶジェダイ騎士団のマスターなのだから、アナキンは、時に、ジェダイのあり方について疑問を覚える。しかし、クマが自分も宇宙の一員として、自らを悪人だと認めているようなので、アナキンは、頷いた。

「すみませんでした。マスター。ええ、確かに、俺の周りには、善人など……」

「だろう?」

強く、同意したクマは、しかし、自分が何に同意したのか気付いたようだ。

ごほんと、咳払いをすると、しらっと何食わぬ顔で、スプーンを手に取った。

「アナキン。交渉に当るときには、水も漏らさぬ隙のない条文を作成するべきなのだ。そして、それを運用するときは、多少、条件を緩和してやる。それが、優位に立って交渉を進めるためのセオリーというものだ」

このクマは、時に説教臭い。

「お前は、考え方に甘いところがあるから……」

その弟子の甘さにどれほど助けられているわからぬくせに、くどくどと言葉を続けるクマに、アナキンは素直に頷いた。

「はい、すみません。マスター」

交渉事にかけてのオビワンは、確かに、騎士団の中でも、一、二を争う腕前だ。

このクマは、かわいらしい見かけに反して、ずいぶんずるがしこい。しかし、それをクマの美点だと認めているアナキンは、オビワンに逆らわなかった。

いや、基本が甘いアナキンは、目の前に聳え立っていた氷の山が、どんどんと師匠の腹に収まっていくのに、呆然として言葉も出なかったということもある。

クマは、美味そうにカキ氷の山を制覇しつつあるのだ。

 

あと、一口、二口で、器の中の氷がなくなる。と、いう時になって、オビワンは、手からスプーンを取り落とした。

「や、やばいぞ。アナキン……」

顔色をなくしているクマは、ぷるぷると小刻みに震えている。

皿に山盛りの氷を食べてやばいといえば、やはりあれでしかなく、禿げた腹の辺りを押さえてうずくまるクマに、アナキンは、慌ててクマの腹を撫でた。

禿げている腹の中では、ぐるぐるとやばそうな音がしている。

「マスター……大丈夫ですか?」

オビワンは、黒い目をうるうるさせて泣き出さんばかりだ。ぐっと唇を噛み、腹の痛みに耐える姿も痛々しい。

「歩けます? 大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか! バカっ!!」

暴言を吐き捨てたクマは、腹を撫で擦る弟子の手を振り払うと、一目散にトイレ目指して駆け出した。

 

「マスター。どうです?少しは落ち着きましたか? ねぇ、今回のことでわかったでしょう? 契約書の文面、量についても、一文をいれましょうね」

トイレの外で、アナキンがオビワンに声をかけた。

トイレの中で、クマがわめく。

「こんな時に何を考えているんだ。お前!」

しかし、すぐさま、クマは呻く。

「痛いっ、痛いっ、痛い! 腹が痛いっ! アナキンっ!」

「だって、マスター、現に今、お腹を壊してるじゃないですか。あなた、冷たいものを食い過ぎなんですよ」

前の契約書を取り交わした時も、アナキンは、アイスの大食いをしてげっそりとやつれたクマの前に紙を差し出し、文面の確認すらする気力のないクマにサインをさせた。

オビワンの弟子は、ちゃんと師の教えを実践している。相手の意志が弱ったところをタイミングよく押さえると、契約というものは、うまく運ぶ。これはいつも師の言う言葉だ。

「腹が壊れたのは、カキ氷のせいじゃない!」

しかし、今日のクマは、あれほど苦しそうだったというのに、言い返す声が、おかしな程の強気だ。

アナキンは、あっ、と、思いついたことがあった。

「じゃぁ、なんのせいですか?」

答えない師を置き去りに、うめき声の聞こえるトイレの前を立ち去った弟子は、冷凍庫を開ける。

買い置きしておいたはずのはちみつアイスがない。

「……マスター。あなた、アイスの盗み食いをしましたね。どおりで、今日は、大好きなアイスを食べたがらないはずです。わかってますね。明日は、おやつ抜きですよ!」

また、強い腹痛に襲われているらしい、クマがトイレから切ない声を上げる。

「ああ、アナキンっ!……アナキン、腹がっ!!」

「アイス食った上に、あんな山盛りのカキ氷を食べたんじゃ、当然です!」

 

 

一回りも小さくなったのではないかというほど、悄然と肩を落としたクマが、ソファーにちんまりと座っていた。

テーブルの上には、カキ氷は大盛りにしない。と書かれた新たな契約書。

下痢止めの横に置かれたペンで、オビワンは先ほどサインをした。

「マスター、大丈夫ですか?」

禿げている上に、下した腹に腹巻をしているクマは、仕方なさそうに肩をすくめている弟子を、うるうるの目で見上げた。

「……アナキン、今晩は甘いミルク粥を作ってくれ」

クマは、まだ、食べる気らしい。

 

END