ハニー・ハニー・ハニー −10−
夏が近づいてくる中途半端なこの時期を乗り切るのがクマにはとても辛かった。
「アナキン……暑い……」
ぐったりとクマはソファーに伸びている。
手は伸ばされ、足も伸ばされ、そうしていてもクマはサイズが小さいからそれほど邪魔にはならないが、そこには栄えあるジェダイマスターとしての威厳はまるでなかった。
ダレダレのクマが、少しでもソファーの冷たい部分を探して転がる。
「なぁ、アナキン。クーラーの温度をもっと下げよう……」
天然ものの毛皮を着込んだ師匠は、この時期の急激な温度の上昇についていけないのだ。
だが、人間のアナキンは、夏冬の調度中間あたりといった中途半端なもふもふであるクマとは違うので、オビ=ワンの望む温度にすると凍えてしまう。
「申し訳ないですが、俺にとってこれが限界です」
部屋の中だというのにアナキンはローブまで着込んでいる。いきなりの暑さに参ってしまったクマは、恐ろしく部屋を冷たくしているのだ。もし冬に部屋の温度がこれだったら、師匠は確実にアナキンのローブの中へと逃げ込んでいるはずの温度だった。しかも、クマは、部屋を暖めておかなかったアナキンに怒るに違いない。
だが、体温調整が上手くいかず身体が火照っているクマは、それでも暑いと感じている。
よろよろと短いクマの腕が伸ばされ、その手が空調のリモコンを掴んだ。
クマは温度を下げる。
「マスター。寒いですってば」
唇を紫色にしながらも精一杯我慢していたアナキンは、クマの手からリモコンを取り上げた。
アナキンが温度を元に戻す。ついでに、1.2度上げておく。
「やめろっ! 暑い! アナキン!!」
まん丸の目を吊り上げたクマがフォースでリモコンを弟子の手から取り戻した。勿論、アナキンもそれを黙って見過ごしたりはしない。
「マスター、フォースの乱用を禁じたのはどこの誰でした?」
「うるさい。お前だって使ってるじゃないか!」
リモコンは空中に浮いていた。リモコンの位置は師弟のちょうど中間だ。
ホロネットで話題のヒーローになるようなジェダイたちが、それを自分のほうへと引き寄せようと真剣になってフォースをぶつけ合っている。
「アナキン。やめろ。私は暑くて体調不良だからフォースを使ってるんだ。元気なお前はフォースを使うな!」
「マスターがやめたら、俺もやめます」
「暑いんだ! 暑いんだ! 暑いって言ってるだろうが!!」
どうにも冷えない自分の身体を持て余すクマが切れるのは早かった。
むくりと起き上がったクマは、エレガントの見本だと言われる普段を忘れ去り、本気になって弟子に吠え掛かる。
ちなみに、リモコンはみしみしと音を立て、後ほど弟子の手によるメンテナンスが必要な状態になっていた。
オビ=ワンのフォースが直撃したのだ。
クマはとても気が立っている。
アナキンはため息を落とす。
「わかりました。マスター、一つ提案があります。俺、風呂に水を張ってきますから、マスターそこで涼んでください」
水風呂というのは、なかなかいい提案だった。
幼い頃より空調の利いた空間で暮らすことになれたクマには、それは思いもつかないことだったが、水の少ない惑星からコルサントに来た幼かったアナキンにとって、水風呂というのは、辛い修行の後のひそかな楽しみだった。
熱く腫れ上がった腕や、足、いくつもの打ち身を水に浸けては、痛みをしのいできた。
奴隷上がりには空調設備が作り出す不自然な冷気が合わなかったこともある。
しかし、芳醇な水を気ままに使うことは、幼かったアナキンにとって、贅沢な遊びだった。
おまけにアレは、気持ちよく身体が冷えて爽快だ。
「マスター。用意できましたよ」
「めんどくさい……」
だが、クーラーの冷気で、身体がだるくなっているクマは、動こうともしなかった。
毛皮つきの師匠が暑がる気持ちもわからなくはないアナキンは、仕方なく、クマを抱き上げて運ばせていただくべきかどうか、お伺いを立てる。
「だるい。……このままここで寝る」
クマは、ソファーのクッションにしがみついた。
部屋の中は極寒だ。
「そうやって去年腹を壊して大好きなホットケーキ食べられなくなってたのって誰でしたっけ?」
アナキンは切り札をちらつかせた。
明日の朝は、ホットケーキの日だ。
ホットケーキと怠惰に過ごす今を秤にかけたクマが迷う目をした。
「……じゃぁ、運べ」
クマは偉そうに弟子をこき使う。
しかし、弟子に運ばれながらも、クマはまだ文句を言っている。
「大体お前が、寒がりなのがいけないんだ」
「マスターだって冬には寒い、寒いってわめいてましたよ」
「今は、暑いんだ!」
「でも、あんなに冷房を効かせてちゃ、風邪をひきます」
アナキンはクマをバスルームに押し込め、部屋の温度を手動で切り替えた。やっと冷気が緩みだし、ほっとして、アナキンがローブを脱いだ頃には、バスルールからはいい気分で歌を歌いだしたオビ=ワンの声が聞こえる。
あれでいて、クマはとても歌が上手い。
のびのびと広がる豊かな声を聞いているとアナキンまで口元に笑みが浮かぶ。
「マスター。いい加減にして出てきてくださいね」
「おう!」
第何次だかのクマ対アナキンの冷房大戦は、アナキンの機転により、無事収束を迎えたかのようにみえた。
のだが。
ぼとぼとと水滴を落としながらご機嫌にクマはリビングを横切っていた。
あれからすっかり水風呂に浸かることが好きになったオビ=ワンは、今日もたっぷり浸かってご満悦だ。
しかし、クマは、水で濡れた毛皮を拭きもせず歩き回るものだから、歩いた後にはウォーターロードが出来ている。言葉ほどきれいなものではない。ところかまわずぶるぶるっと身を振るって水気を飛ばし、それで入浴の後始末を終えようとする師匠に、アナキンは大変迷惑をこうむっている。
顔に飛んできた水滴を拭いながら、アナキンは師匠に注意を与えた。
「マスター。ちゃんと拭かないと、風邪ひきますよ」
「平気だ」
冷えた身体の今、クマは、このまま寝てしまおうと、アナキンを振り向きもせず、ぺたぺたと廊下を歩いている。
水に濡れているせいで、クマはいつものもふもふに比べると大分スマートだ。
ただし、腹の辺りはあまり変わりがないが。
「ねぇ、マスター。べとべとに濡れたあなたのシーツを毎朝替えているのが誰だか知ってますか?」
アナキンの嫌味が背中を追った。
「アナキン。お前だ。それが何だ?」
つやつやのかわいらしい目をしているくせに、振り返ったクマは底意地の悪い顔で笑う。
「ここしばらく天気が悪いし、そんなことしてるとベッドがカビますよ? マスター、あなただって、黴ちゃうかもしれませんよ」
「そんなことあるわけないだろう?」
水滴を落としながら進むクマの足は止まらない。
冷たいのが気持ちいいのだ。
アナキンだってクマの毛皮を着ていれば、そう思うはずだとオビ=ワンは思っている。
「私はジェダイだぞ。その私がカビるなんてそんなことはあり得るわけないだろう」
だが、しかし。
この世にフォースの奇跡があるように、そんなことだって、あるのだ。
数日後、部屋に取り付けられている空気清浄機が激しく稼動していた。
特にオビ=ワンが側に寄ると、動く。
「おい、アナキン。これ、壊れてるぞ」
いつかのリモコンを当たり前に弟子に修理させたように、クマは当然と弟子に直すようにと命令した。
しかし、アナキンがカバーを外し、覗き込んでみたところで、どこも壊れているようなところは見当たらない。
「おかしいな」
首を捻るアナキンに、クマは、クッキーを手に、弟子へと近づいた。
一緒になって覗き込むクマは、その構造が分かっているわけではないが、ふむふむと頷き、意味もなく潤んだ目でじっとアナキンを見つめる。
クマの手がスイッチを入れた。
じっとオビ=ワンがアナキンを見つめたのは、だめなら弟子がストップをかけるはずだとタイミングを計っていただけだ。
オンになった清浄機は激しく部屋の中の空気が汚れていると告げて動く。
「やっぱり壊れてる」
「……マスター」
アナキンは、すぐ側へと寄ったオビ=ワンに、ものすごく告げ難いことを口にしなければならなかった。
その嫌な匂いを人間のアナキンの鼻ですら感じたのだ。繊細なセンサーを持つ、機械がこれを見逃すはずがない。
オビ=ワンは、不思議そうに首をかしげた。
「なんだ? アナキン」
クマの口からはクッキーのかすがポロポロと零れている。
アナキンはそれも気になったが、しかし、今はそんなことにこだわっている場合ではなかった。
「マスター。あなたが部屋を汚してるんです。あなたから湿っぽい嫌な匂いがすごくします」
アナキンは、ぐいっとオビ=ワンを捕まえた。
いきなり暴挙に出た弟子に師匠が驚いている間に、アナキンはオビ=ワンの上着の背中を捲る。
「うわっ!」
アナキンは、クマの毛皮をかき分けて、気が遠くなりそうになった。
そこに、湿った嫌な匂いの原因を見つけたのだ。
つやつやの毛皮をかき分けてみれば、根元には、こんもりしたカビが点在している。
「マスター、あなた、痒いとか、気持ちが悪いとかないんですか! マスター、カビが生えてる。本当に、カビが生えてるんですよ。あなた!」
アナキンは、つい大声を上げた。
「だから、風呂上りには身体を拭けって言ったでしょう! 洗濯ものだってなんだって、こう天気が悪ければ渇きが悪いんですし、マスター、あなただってきちんと拭かなきゃ、乾かないでしょ!」
自分の師匠がカビていたと知った弟子のショックは大きい。
「どうして! どうして、こんなことになるんです! ああ、もう! 今日だってシーツを替えたのに。ベットマットも風に通して、黴ないようにしたってのに、本体のマスターが黴てて、もう、ほんとどうしたらいいんだ!」
クマは、拗ねたような顔をしていた。
「この時期は汗を一杯かくし、毎日痒いんだ。お前だって、もしクマだったら、どのくらい毎日辛いかわかるのに」
アナキンは、自分がもしクマだったとしても、身体にカビを生えさせはしない。と、思った。
「そんなの、とりあえず、毎晩、身体をちゃんと洗って拭いてってしてれば、こんな酷いことになったりしなかったはずです! あっ! マスター、あなた、水風呂に入ってただけで、身体洗わずにいましたね!」
「……」
アナキンの腕に抱えられ、ぷら〜んと足が地についていない師匠は、それだけでもかなりむかついていたのだ。
その上、アナキンの言葉に反論できないクマは、事実だからこそ言われたくないことというものが世の中にはあって、わざわざそれを口にするアナキンは無礼な奴だと思った。
「アナキン……」
クマは反省を装い、ツヤツヤの目でアナキンを見上げた。
弟子の顔が近づけられると、いきなり自分の背中をかきむしる。
勿論、手に持っていたクッキーは口の中へと放り込んだ後のことだ。
「……マスター……」
黴の胞子が飛び散る部屋の中で、アナキンが凄惨に笑った。
その笑みに部屋の温度が下がったかと感じたほどだった。
さすがに、クマもごくりと息を飲む。
「いくらかわいい顔してても、カビてるクマは嫌われますよ。このまま皮膚病にでもなって禿になりたくなかったら、俺に洗わせなさい!」
石鹸のいい匂いをさせ、ふかふかに乾かされたクマが、ソファーにちょこんと座っていた。
「マスター、今日は俺のベッドで一緒に寝ますからね。マスターのベットは、しばらく使用禁止です。あなたがそんなにカビてたんだ。何度か太陽に干さないことには、きっとベッドだってカビてたりするに違いなんだ!」
翌朝、クマと一緒に寝たアナキンは、嫌というほど蹴飛ばされ、寝不足の顔でホットケーキを焼いていた。
「アナキン。お前、寝ると体温が高くなるから、嫌だ」
クマも大層機嫌が悪い。
アナキンと一緒に寝たせいで、クマは汗びっしょりで目覚めたのだ。
しかし、明け方の寒い時間にアナキンを布団代わりにしたのは、師匠だ。
そして、暑くなったクマは遠慮なくアナキンを蹴り飛ばした。
「……マスター。ホットケーキ焼けました」
それほど虐げられていても、カビクマをどうにかしたいと真剣に思っているアナキンは作戦通り優しく笑いながら、ホットケーキに蜂蜜をかける。
とろとろの黄金に、くまの目がきらきらと輝く。
「もっとですか?」
「ああ、勿論!」
もうすっかり師匠の機嫌は上向きだ。
今日は天気がよかった。
「マスター。今日は、ちょっと出かけましょうよ」
アナキンは、クマを公園にでも連れ出して、天日干しするつもりだった。
絶対の絶対に干してやるつもりだった。
END