ハニー・ハニー・ハニー マイナス1
もうすぐ、冬になるというその日は、朝から雨が降っていた。
おかげで少し温かかったのだが、オビ=ワンが、アナキンを連れて出かけようとする頃、雨は止み、しかし、代わりに霧が辺りを覆った。
「これは……スピーダーで飛ぶのは無理か?……」
霧は深く、手を伸ばした指の先さえも見えないという状態だ。
オビ=ワンは、眉の間に皺を寄せ、霧深い辺りを見回した。
クマの短い手は、恰好よく胸の前で組まれている。
しかし、ひょろりと背の高い弟子は、ブレイドのある短い髪が濡れるのに顔を顰めながら、すたすたと前を歩いた。
「俺は、別に困りませんけど?」
アナキンが3歩も進めば、師には、細長い弟子のシルエットしか見えない。
それほど霧が濃いのだ。
「アナキン……いくらなんでも、無理だろう……」
クマは、扱いの難しい年若い弟子を止めようと後を追った。
だが、深い霧の中から長い手が伸びて、オビ=ワンを攫い上げる。
「おわっ!?」
近頃、にこりとも笑わないアナキンは、面白くもなさそうに師を腕の中に抱き上げるとすとんとスピーダーの差席に座らした。
「まぁ、あなたなら、無理かもしれませんね。マスター」
アナキンは、てきぱきとクマのシートベルトをセットする。
オビ=ワンの顔は引きつった。
目の前のフロントガラスからは、霧の間から、ぼんやりにビルの光が見えるだけなのだ。
それほど霧は深い。
弟子はその中を飛ぼうと言うのだ。
「……アナキン……、無茶だと思うぞ?」
それでも、クマは、思春期に入ってすっかり気むずかしくなった弟子の前で、師の威厳を保とうと、まだ穏やかに説得しようとしていた。
弟子は、さほど困った顔もせず、計器類に目をやっている。
「なぁ、アナキン、今日、テンプルに向かうのは無理だと連絡しよう。それほど急ぐ用事でもないだろう」
「どうでしょう? 俺は無理だと思いませんけど。でも、しっかり掴まっておく必要はあると思いますよ。俺は、大丈夫ですけどね。周りの皆は、大丈夫だとは限りませんから」
ふわりとスピーダーが浮く。
クマは無意味に短い足に力を入れ、踏ん張った。
オビ=ワンの声に焦りが混じっている。
「なぁなぁ、アナキン、霧の日には魔物が出るという本を昔読んでやったことがあるだろう?」
「ああ、途中からマスターが、面倒くさくなって、俺に読ませた本でしたっけ?」
スピーダーは勢いよく加速する。
クマは、とうとうわめいた。
「だから! だから、やめておこうって言ってるんだ! おい! アナキン! アナキン!」
「マスター、口開けてると、舌噛みますよ?」
ブレイドを後ろへと払ったアナキンは、とても冷静にオビ=ワンに言った。
突然霧をかき分けて、目の前には、赤のスピーダーが飛び込んでくる。
テンプルまでの道のりで、3度のニアミスをし、勿論、それを難なく切り抜けたアナキンは、それなりに楽しげな顔をして、自分のシートベルトを外した。
クマは、大きく目を見開いたまま、その目に涙を盛り上げ、シートベルトを硬く握ったままの形で固まっている。
悲鳴の形に開かれた口は、もう、声も上げていない。
「なかなか、スリルがありましたね。マスター」
機嫌のいいアナキンは、逆立っているクマの髪を直してやりながら、師のベルトも解除する。
かちりと音がすると、オビ=ワンは、やっと安全地帯にたどり着いたことに気付いたように、一気に文句を言い出した。
「死ぬかと思った! どうしてあんな無茶ばかりするんだ! こんなことで命を落とすなんて、ジェダイとして恥すべきだ! アナキン、お前は!」
師の涙ぐんだ目など、とっくに弟子は見たというのに、クマは、ばたばたと顔を振って、涙に濡れた真っ黒な目を誤魔化そうとしている。
音を聞き分け、師の気付かなかったもっと何台もの危なっかしいスピーダーを回避して飛んでいたアナキンは、形だけ、オビ=ワンに同意した。
「はいはい。わかってます。すみませんでした。マスター」
謝罪の意は、まるでない。
「まったく、お前ときたら」
ぷりぷりと怒る師は、しかし、あまりに恐ろしかったドライブに腰に力が入らず、座席を立つことができなかった。
アナキンは、それに気付いて、オビ=ワンを優しく抱き上げた。
「マスター、俺のこと見失わないでくださいね」
だが、濃い霧の中にオビ=ワンを着地させたパダワンは、そっけないほどの言葉とともに、歩き出す。
師弟の前に立ちふさがる霧は本当に濃く、オビ=ワンは、前を歩く弟子の後をついて行くのにかなり真剣にならなければならなかった。
何かの特殊能力でも有るのではないかという程、アナキンは霧の中を難なく障害物を交わしていく。
その後ろを歩けば、クマも何にもぶつからずすいすいと歩けるはずなのだが。
そして、ぜひ、オビ=ワンはそうしたかったのだが。
いかんせん、ヒューマノイドの中でも長身の弟子とぬいぐるみもどきの師ではコンパスの長さが違った。
近頃、何度も、何度も、そう、何度も!「もうちょっとゆっくり歩いてくれ!」と、言わなければならない師は、もうつむじ曲がりの弟子に対して希望を述べることに飽きていた。
唇を噛みしめた悲壮な顔をしたクマは、一生懸命弟子のシルエットを追っている。
しかし、霧が濃い。
すぐ側にあるはずのテンプルの外観すら見えない。
クマは、一生懸命にアナキンの後を追った。
霧で、周りが見えないせいか、やたらとテンプルまでの道のりが遠い。
あまりに早くあるく弟子に腹を立てた師は、とうとう走って弟子に追いつき、手を伸ばすと弟子の手を握った。
「アナキンっ!」
ぬいぐるみのクマと、こうやって手を繋いで歩くのを近頃若い弟子は、ものすごく嫌がるのだ。
オビ=ワンは仕返しだとばかりに、しっかりと弟子の手を握った。
「待て。アナキン」
しかし、握った手の感触が違い、クマは不思議に思った。
ひょろりと高いシルエットはアナキンなのだ。
常人と違い、戦いを知る押さえ込まれた獰猛さも、シルエットが伝える。
しかし、クマの握る手は、アナキンの瑞々しいさに比べ、ずいぶんとかさかさとしていた。
「……アナキン?」
この乾燥具合は冬になったからか?と、クマは思うが、それにしても手は筋張っている。
クマが見あげる相手の頭頂部は、遙か彼方高くあり、そこはもう、霧が掛かって見えなかった。
位置的には、アナキンと一緒の位置に頭がある。
「なぁ……アナキン……?」
あまりにも乾いた手の平の感触に、ほぼ、99パーセント相手がアナキンではないと、確信しながらも、一縷の望みをかけてクマは上を見あげた。
「その声は、オビ=ワン・ケノービか?」
聞こえてきた声にオビ=ワンは、慌てて握っていた手を放した。
アナキンではない。
それどころか。
わざわざ屈んだらしい相手は、迷惑そうな目をしてオビ=ワンを見下ろした。
「どこの小さな子供が間違えたのかと思ったら」
そこにいたのは、ドゥークー伯爵だった。
縦にひょろながいシルエットは、確かに、ドゥークーと、アナキンは似ている。
しかし。
弟子よりも更に年期の入った迷惑そうな顔で見下ろす老人に、オビ=ワンは後ずさった。
ドゥークーは、クワイ=ガン・ジンの師だった。
そのため、クワイ=ガン・ジンのパダワンだった頃には、何度かオビ=ワンはドゥークーと会っているのだが、見下ろす厳格な目は、昔からオビ=ワンが苦手とするものだ。
いや、もう、苦手というより……。
「……あ、あの、申し訳ありません。この霧で、弟子がはぐれてしまったようで……」
オビ=ワンは、ドゥークーが怖かった。
この老人には超然としたこところがあり、それは、なにやら魔物めいていていた。
パダワンの頃のオビ=ワンは、クワイ=ガン・ジンを尋ねてくるこの冷たい目で自分を見つめる老人が、いつもいつも怖かった。
もし、この老人の気に障ることでもしようものならぬいぐるみめいた外見の自分は、本物のぬいぐるみにでも変えられてしまうのではないかと思い、そして、いまでもその思い込みを修正することが出来ずにいた。
ドゥークーが何をしたというわけでもないのだが、オビ=ワンの額に冷や汗がにじみ出していた頃、クマが後ろをついて来ていないことに気付いた弟子は、慌ててとって返していた。
「マスター! マスター!!」
アナキンは、理由もなく師に突っかかりたくなる気持ちのままに、クマを無視して先を歩いたことを悔やんでいた。
クマは、ジェダイとしては、全く悪くない師なのだが、どんくさい。
「マスター! マスター! どこですか?」
ドゥークーは、霧の中を見通すような魔力でもあるような目をしてアナキンの声がする辺りを見ると、オビ=ワンに視線を向けた。
「お前の弟子が、呼んでいるようだが?」
その目には、恐ろしい程の威圧感がある。
「ええ、はい。……あの」
クマは、知らず、じりじりとドゥークーから逃げていた。
オビ=ワンは、ドゥークーのヨーダとはまたひと味違った長寿さに不気味さも感じていた。
オビ=ワンが会った最初から、ドゥークーはもう年寄りだった。
ドゥークーはもうこれ以上は歳を取れまいというそんな老人めいた容貌のくせに、しかし、いつまでもカクシャクとしている。
いつか、クワイ=ガンも言っていた。
「きっと、マスタードゥークーは、自分のところに来た死に神に、礼儀がなっていない。と、叱りつけ、もう一度出直して来いと、追い返しているに違いないんだ」と。
「マスター! ああ、もう、あの人は、ちょろちょろとどこへ!」
焦るあまり苛ついたアナキンの声は、かなり近くでしているのだった。
しかし、霧のため、姿は見えない。
ドゥークーは屈めていた身体を起こした
「どうやら、オビ=ワン・ケノービ、お前の方が迷子になったようだな。そうやって人の迷惑を考えもせずふらふらするのは、クワイ=ガン・ジンの教えか?」
霧の彼方高みから、ドゥークーの声がオビ=ワンに振りかかった。
癇性がちなドゥークーの声には、苛立ちが含まれている。
「いえ、あの……」
オビ=ワンはまるでパダワンのように直立不動で立ったまま、厳格なドゥークーの声を聞いていた。
ぬいぐるみにされる……。ぬいぐるみにされる……。
魔力で縛り付けられたように手も足もでず、心のなかで、ああ、やはり霧の日に出かけたものだから、あの本のように魔物に会ってしまったのだ……。と、らちもなく思っている。
「マスター! マスター!!」
アナキンの声がオビ=ワンを求めていた。
魔物老人の声が、オビ=ワンに言った。
「返事をしてやったらどうだね。ジェダイマスターよ。君の弟子はかなり必死のようだが?」
「ええ……あの……」
オビ=ワンもアナキンを大声で呼びたかった。
この乾いた魔物に説教されている位だったら、アナキンにねちねちと迷子になったことを当てこすられていたほうがずっといい。
しかし、クマも、ドゥークーの前で、アナキンに助けを求める大声を上げるのにはためらいがあった。
ここで助けを求めたら、ジェダイとして、なんとみっともないのだと、本当に魔法でもかけられそうな恐さがある。
返事を渋るオビ=ワンに、ドゥークーは、やはり、小さな者へのどんな親切もかけようとせず、くるりと踵をかえした。
「私は、用があるから、行かせて貰う」
気の短い老人だ。
きっと決断の遅いオビ=ワンに痺れを切らしたのだ。
老人の背の高いシルエットが霧の中にすっかり隠れて、クマは、魔力から解放されたように、やっと額ににじんだ汗をぬぐった。
すっかり汗をかいている。
「マスター!!!」
この霧の中、とうとう小さな師を見つけたアナキンが、眦を釣り上げながら、クマを腕に抱き込んだ。
「マスター! 返事くらいしてください!」
しかし、叱るアナキンの手はしっかりとオビ=ワンを抱き締める。
クマは、必死にアナキンにしがみつた。
「アナキンっ! アナキンっ!! アナキン!」
あまりのオビ=ワンの必死さに、アナキンはびっくりしている。
「マスター、どうしたんですか? 何か怖い目にでもあったんですか?」
オビ=ワンは、アナキンが嫌がるのを承知の上で、ローブの中にごそごそと潜り込んだ。
アナキンは、軽く顔を顰めたが、そんなものは、ドゥークーの迫力に比べれば大したものではない。
それより、死にそうな程怖い目にあったオビ=ワンはしっかりとアナキンにしがみつく必要があった。
クマは、若く張りのある弟子の肌に額を擦りつける。
「……ああ、もう、そりゃぁ、怖い目に……」
アナキンだって、この霧の中、誰の目も気にしなくていいのなら、クマを大事にするのは決して嫌ではなかった。
ただ、素直にそれを表現するのは、まだためらいがあるだけで。
オビ=ワンは、アナキンのローブから顔だけ出して、弟子を見あげた。
「なぁ、……アナキン」
ほっとしたクマの目はしっとりと濡れていた。
それは、それは、愛らしい。
クマは、ドゥークーぬいぐるみにされると心配していたようだが、されたところで外見に代わりがあるようには見えない。
ローブの中でしっかりと抱きついてくるクマに、弟子はすこし怒ったような複雑な笑みを浮かべた。
「まるで、あの本の中の旅人みたいに魔物にでも会ったような顔してますよ。マスター」
そういう弟子の腕は、クマをしっかりと抱き締めている。
「ああ、アナキン、本当に魔物にあったんだよ。やはり、霧の日の外出は良くない」
頑迷なクマに、弟子は、笑った。
「じゃぁ、帰ります?」
「ああ、……そうしよう」
ドゥークーとの邂逅で、すっかり疲れ果てたクマは、あまり考えもせず、答えを返した。
そして、帰りのスピーダーの中、また弟子に泣くような目にあわされるわけだが。
帰りもまた3度死にかけたクマは、疲れ果て……、テンプルに出向けないとの連絡を入れるのを忘れた。
ヨーダが小妖精めいた顔を顰め、わざわざホログラムでオビ=ワンを叱る。
本当に、霧の日は魔物が横行する。
END