髪が……
アナキンは、ダイニングの椅子に座っていた。
「マスター、ちょっと痛いです」
傷ついた方の片目を瞑り、顔をしかめている年若い弟子は、まだ舌を焼くほど熱いコーヒーがたっぷりと入った白磁のカップに指をかけていた。
彼の後ろに立つ、これもまたマスターと呼ぶには若すぎるジェダイは、なみなみと黒くカップの中で湯気を立てる液体に、頬がひくりと動いている。
テーブルの上には、まだ、フォークが載ったままの汚れた食器が何枚か。
先ほどまでのディナーの余韻を残し、部屋の中には暖かく湿った空気が漂っている。
「アナキン。ミルクを用意してやっただろう?」
「嫌です。そんなの」
「今日までに死ぬほど飲んだんだろ。胃が悪くなったらどうするんだ。アナキン」
アナキンは、口元にカップを運びながら抗議を込めて背後のオビ=ワンを見上げた。しかし、師は、その抗議をねじ伏せる強さでアナキンの視線の行く先をテーブルの上のミルクピッチャーへと誘導した。
「アナキン、一体、何日寝てない?」
弟子は、目の下に濃い隈を作っている。
「マスター、痛い」
アナキンは、オビ=ワンの質問を無視し、自分の長い髪に柔らかい獣毛のブラシをかける師匠に対して、また、一つ小さな苦痛の声を上げた。
食後のコーヒーすら味わう前に、アナキンの師匠は、弟子の髪を梳かすためのブラシを取り上げた。
そして、ずっとその作業にいそしんでいる。実は、手つきは、とてもやさしい。気付いていないのかもしれないが、オビ=ワンの口元に浮かんでいる柔らかい笑みは、張り詰めていた弟子の心が舐め溶かされてしまうほどの温かさだ。
「髪くらい、毎日梳かせ。縺れまくってるじゃないか」
「ずっと縛っていたから、問題なかったんです」
師匠の言葉に従わないアナキンは、ミルクを入れようとはせず、薫り高いコーヒーを旨そうに喉へと流し込む。
「お前は、髪に癖があるんだから、毎日丁寧に梳いてやらないと、すぐ絡まってしまうんだぞ」
「まぁ、そうなんですけど……ね」
オビ=ワンの持つブラシが、また髪の縺れにひっかかった。
「ジェダイたるもの、どんな状況になろうとも最低限の身だしなみくらいは」
ぶつぶつとオビ=ワンが文句を言う。オビ=ワンの手が、そっと髪の縺れをほぐしていく。
「俺は、完璧に格好いいですから、多少髪が縺れている程度では、何の影響もありません」
アナキンの手がオビ=ワンの髪へと伸びた。
「そりゃぁ、マスターの髪は、まっすぐですから、梳かすのも簡単でいいんでしょうけれど」
淡く、壁全体が光る照明の光に輝きながら、艶やかなオビ=ワンの髪は、肩へとさらりと流れていた。巻く癖を持ち、ふわりと広がるアナキンの髪とは性質が違う。
アナキンは、胸の下まで流れるオビ=ワンの髪を撫で下げていき、毛先に一本見つかった枝毛にくすりと笑った。
「マスター。それにしても、あなたの交渉術は、ますます磨きがかかってますね」
「俺、あと一月くらいは、あなたの顔が見られないと思ってました」
長引き、重複し、その上、負傷したジェダイのオーダーまで、押し付けられたアナキンは、この半月あまり、そして、この先一月程度は、自分にプライベートな時間がやってくることなど想像もしていなかった。こんな贅沢な時間は、どれだけ欲しようと本来アナキンは手の届かないものだった。それが、今、穏やかに、師匠の手によって、髪を梳かれている。
オビ=ワンは、自慢気な笑みを唇に浮かべた。
「放っておくと、お前は、家を忘れてしまいそうだからな」
オビ=ワン・ケノービは、アナキンの3件の、そして、今晩には手をつけなければならない予定となっていた1件のオーダーを調整した。
「急ぎだと。絶対に、一秒だって早く終わらせろと、馬鹿みたいに怒鳴られてたっていうのに」
寝食すら満足に取れない状況でアナキンが当っていたオーダーを、オビ=ワンは、粘り強い交渉と、時には暴言だとすら思われた通信文にてねじ伏せた。アナキンは、オビ=ワンに引きずられるようにして、家へと連れ込まれた。スピーダーに押し込まれた時には、オビ=ワンの髪から香る嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いに、安堵のあまり意識を失ったほどだ。
「マスター。さっきから、痛いって言ってるんですけど」
アナキンの癖毛は、ずっと手入れを怠っていたことで、いくつもの縺れを作っていた。それにブラシが何度も引っかかる。確かにそれは、ぴりりとした痛みをアナキンに与える。しかし、そんな痛みなど、ほんの小さなもので、このジェダイナイトを煩わせるものではなかった。
若いナイトは甘えているのだ。
「きれいに梳いてやれば、ずっと素敵なのに」
「今度は、俺がマスターの髪を梳かしてあげましょうか?」
オビ=ワンがいつのまにか身を近づけていたことによって、アナキンの肩に、師の毛先が触れていた。癖のない分、オビ=ワンの髪は、すこし固めだ。会わなかった半月の間も、どうやらオビ=ワンは髪を切らなかったようで、毛先が、多少不揃いになっている。
「そうだな……」
オビ=ワンは、ブラシを持つ手を止めた。魅惑的な提案に対して、思案するように髭を撫でる師匠は、しかし、アナキンにブラシを渡さなかった。
こつんと、ブラシは、テーブルに置かれる。
ふわりと、オビ=ワンが、アナキンに覆い被さる。
弟子の首を抱き、前へとまわされた腕は、きゅっと、アナキンを抱きしめていた。
「なぁ……」
柔らかく指がとおるようになった弟子の髪に、オビ=ワンは顔をうずめて、ねだる。
「ほら、マスター、やっぱり、俺、濃いコーヒーを飲んでおく必要があったでしょう?」
眠ってしまっちゃ困りますもんね。と、アナキンは唇にくすりと笑いを浮かべ、手に持っていたカップをテーブルに置いた。
アナキンの髪が柔らかく師の手をくすぐり続けると、師は、発情した。
その手触りが、師の何かを刺激するらしい。
弟子の髪を梳きたがる師と、梳かされることに満足している弟子は、その行為の行く先を知っていた。
だが、許し合うのだ。
アナキンは、オビ=ワンの顔にかかる指を通し、そっとかき上げながら、師の唇を奪った。
柔らかい。
気持ちいい。
オビ=ワンの体がアナキンの膝の上へと崩れ落ちてくる。アナキンは、その重みをうれしく受け止める。
唇は、角度を変え、何度も重なった。
絡む舌が、くちゅりと音をたてている。
互いの指は、とうの昔に絡んでいる。
半開きになったオビ=ワンの唇が濡れていた。
一筋、髪がそこに張り付いている。
アナキンの指が、オビ=ワンの唇にかかっている髪を取り除き、唇をそっと撫でた。
師は、弟子の指をピンクの舌で舐める。
「マスター。俺、かなり燃料切れになってるんで、最初に謝っておきますね。もし、マスターのこと満足させられなかったら、ごめんなさい」
「……!」
もうすっかり、その気になり、うっとりと睫を伏せていたオビ=ワンが、はっとしたように目を見開いた。
弟子の指を口に含み、吸い上げる自分のはしたなさに、急に気付きでしたのか、むっと顔をしかめている。
「そんな、私は、それほどしたがってなんか!」
「……そうなんですか? 俺、てっきり、めちゃくちゃやりたくなったから、俺のこと奪還しにきたんだとばかり……」
笑うアナキンは、お上品にきゅっと閉じられてしまったオビ=ワンの唇をもう一度開かせるため、キスを繰り返した。
次第にオビ=ワンの唇が緩んでいく。
膝の上で抱きとめられているオビ=ワンの髪と、アナキンの髪が絡らまっている。
END
「穴帯ロン毛萌ゑ」に投稿しようと書いた作品です。そして、今、やっぱ、こんなの……だめだとか、悩んでいます。
でも!でも!フォーって一緒に叫びたい!やっぱ、恥を捨てて、投稿しよう。