百年後の再会
部屋の中は、かすかに埃の匂いがした。
この部屋に誰も立ち入らなくなってからどのくらい経ったのだろう。
テンプルの中は静かだ。
ルークは、初めて足を踏み入れたベン・ケノービ(いや、ここでの名なら、オビ=ワン・ケノービと呼ぶべきだろうか?)の部屋の中を見回しながら、部屋の中が割合きれいに片付けられていることに驚いた。
ルークは、すこしばかり(いや、かなりか?)偏屈だったベンが、これほど几帳面だとは思わなかったのだ。あの洞穴の生活を見る限りでは、そんなきれい好きにはみえなかった。
何もかも終わった安堵感の中、自分を導いてくれたベンの意外な一面に部屋をぐるりと見まわす。
じゃぁ、ベンは、あそこでの生活をそれほど楽しんではいなかったのかな?でも、すごく馴染んでたみたいだけど、実は、テンプルでの方が無理してた?
ルークの口元に笑みが浮かぶ。しかし、その笑みは一瞬で固まってしまった。
ルークが視線を動かしたその先で、今まで居なかったはずの少年が引き出しをガタガタと開ける。
未だ機能が低下しているとはいえ、ここはフォースの加護を受けるジェダイテンプルで、しかも、ルークは力を持つジェダイだ。
部屋のドアが開いた形跡もないのに、少年は、突然ここにいた。
「……君は?」
引き出しの中をかき回していた少年が顔を上げる。
にこりと笑う。
「あっ、ルークじゃないか。私がわからないのか? ああ、そうだな。若返りたいといっても、これはちょっと戻り過ぎだな」
照れくさそうに笑ったベア・クランと言って差し支えのなかった年齢の少年は、いきなり青年になった。
ルークは、目の前で起こった現象に、目を見開くしかない。
しかし、落ち着いてみれば、彼はジェダイだった。今はない風習であるブレイドまで編んでいる。
「君、ジェダイ……だよね? それは何かの特殊な能力?」
しかし、青年はルークの質問を聞いてはいなかった。
「うむ。なかなか、思い通りの姿でいるのは難しいな」
ルークに向かって親しげな口を利く青年は、姿よりもずっと落ち着いた声で話すと、にやりと笑った。
「気を抜けば、すぐお前の知ってる姿になれるんだがな。でも、それじゃ、私が嫌なんだ」
ルークの目の前で、青年はまるで早送りのように年を重ねていき、部屋に差し込む光に輝く金髪が長くなり、そして、また、短くなった。
顔には髭が蓄えられている。
「おっと、しまった。これは、いきすぎ」
男が笑う。その余裕ある雰囲気に、ルークは誰かを思い出した。
「……もしかして、ベン!? えっ、フォースって姿かたちが選べたの?」
「そう。そうだよ。……まさか、ここでルークに会うとは思ってなかった」
そういえば、この姿のケノービ将軍をホロの中で見たと、ルークは思い出した。
あれは、どこの星域での戦いのホロだったか。
しかし、戸惑うルークを他所に、何かが気に入らないのか、短い髪を持ち上げため息をつくオビ=ワンは、肩をすくめる。
「ああ、急いでいたとは言え、もう少し時間を選べばよかった。いくら自分の持ち物でも、やはり勝手に漁ってるところを見られるのは、なんだか疚しいような気分だ」
オビ=ワンは、ルークを見、いつかのように親しげに笑った。だが、それが済むと、もう言い訳は終えたといわんばかりに、また熱心に引き出しをかき回し始めた。とても忙しそうだ。
しかし、オビ=ワンは、焦って苛立っているという雰囲気ではない。とても楽しげで、若いからだという理由もあるのかもしれないが、今までルークが見たこともないほど、浮き立った雰囲気だ。
探し物に夢中のオビ=ワンは、もうルークなど眼中にない。
「ここじゃない……。ええっと、じゃぁ、あっちか?」
中のものを引っ掻き回し、散らかすだけ散らかした引き出しを開けっ放しにしたまま、オビ=ワンは移動した。
いやだが、本当は、あまりにリアルに自分とその周りの世界を再構成してみせたオビ=ワンのフォースの力に、ルークが錯覚を起こしただけ。
オビ=ワンが立ち去った後の引き出しは、元からそうだったように、整然と閉まっていた。
フォースであるオビ=ワンの現世との関わりは、精神的な世界だけだ。ルークは、目の前の人が、本当に自分を導いてくれていたベンのその人なのだと理解する。
すると、引き出しを引き出し、クローゼットを開け放つオビ=ワンが、手も止めず、ルークに言う。
「あ〜。ルーク。確かに、私は、お前の考えているものなのだが、これから暫くの間は、私をベン・ケノービのフォースなのだと理解せず、幽霊だと思っていてくれるとありがたい」
ルークの許しも得ず、心を読んだオビ=ワンは、盛大に音を立てて、部屋中の引き出しを引っ張り出しはじめた。
初めてみるほどせっかちなオビ=ワンは、引き出しの中をちらりと見ると、すぐさま面倒くさくなったのか逆さにして中身をぶちまける。
その中から、目的の物が見つからなければ、すぐ次の引き出しに移る。
しかし、どこをどうかき混ぜようが、現世に物質的な影響を与えることの難しいフォースのすることだけに、後片付けの憂いのないルークは、ローブ姿も若々しいオビ=ワンに対して、小さな苦笑で見守った。
「ベン。何だって? フォースじゃなくて幽霊?」
「そう。幽霊。だから、ここにいる私は、フォースによってこの世界と関わり続けているジェダイではない」
オビ=ワンは言葉を返すが、自分の探し物に夢中のようで、青い目はルークを見ない。
ルークは、腕を組んで机にもたれ掛かると、どうやら現世に未練をたっぷりと残しているらしい幽霊の動きを面白がって眺めていた。
「ねぇ、何を探してるの? ……僕、ベンの髪がそんな柔らかい色をした金髪だなんて知らなかったよ。ベンってば、実は、ホロの映像より、実物の方がハンサムだね」
すると、褒め言葉に、ちらりとオビ=ワンが目を上げる。
「ありがとう。ルーク。私も、ずっとそう思っていた」
若い姿のせいだけとは思えないほど、今までに比べ、あまりにも付き合いやすいジェダイマスターに対して、ルークは思わず笑ってしまった。
だが、また軽口を叩こうかと思ったところで、オビ=ワンの手が止まる。
「……あった」
小さな声。
ごちゃごちゃにした引き出しの中から、取り出したその小さなものをオビ=ワンは、大事そうに抱く。
「何? それ、何?」
ルークは、かつてないほど親近感を覚えたオビ=ワンが探していたものに興味が湧いて近づいた。手元を覗き込んだ。
オビ=ワンは、手のひらに載る小さな虫型ドロイドを、大事そうにそっと指を開いてルークに見せる。
物質の性質だけをオビ=ワンの力で分離させられたそれは、やはり淡く透き通っていた。
「カプセルワーム?」
「かな? 私には虫の種類はよくわからないんだが、アナキンが、お前の父親が私に作ってくれたものだ」
小さな虫を見つめるオビ=ワンの笑顔が輝いていた。
ルークはあまりに幸せそうにオビ=ワンが笑うので、戸惑った。
それは、簡単なドロイドにしかすぎない。機械弄りに長けていたというルークの父の伝聞を思えば、その価値など手慰み程度の代物に違いない。
しかし、オビ=ワンは、ルークに見せることすら惜しむように、久しぶりの太陽光で羽ばたきを思い出した虫をまた手のひらの中に隠してしまう。
「お前の生まれる前のジェダイは、自分のものを持つことが許されなかったんだ。だから、これは、物を持たないアナキンが私にくれた、たった一つの宝物」
「……そんなものしかくれなかったの?」
自分が口にしたかった父さんというそのたった一言がなかなか言いだせず、ルークは躊躇い、そんな自分にふてくされた。
しかし、オビ=ワンは、そんなルークの心情を気に留める様子はなかった。
オビ=ワンの宝物の価値を認めぬルークにも。
突然なにか、思いついたらしいオビ=ワンは、整然と締められている引き出しをまた引き出しはじめ、遠慮なく中のものを床へとぶちまける。
「あった。このメモリーは、アナキンの始めて書いた報告書だろ。あっ、そうだ。たしか、こっちにも!」
オビ=ワンは、足の踏み場もなく部屋の中のものを散らかした状態を上手く再現し、また、そこへ引き出しの中身をぶちまける。
「そう、これ、アナキンが任地から寄越したホロだ。それから……」
欲張りなオビ=ワンの探し物はいつまで経っても終わらなさそうで、ルークは、あまりにも楽しそうに探し物を続けるオビ=ワンに呼びかけた。
「幽霊のベンは、わざわざそのカプセルワームを取りに来たの?」
「ああ、そうだよ。私は、ずっとこのドロイドを取りに来たかった。やっと全部が終わったからな。ここに来たんだ」
「それは、すごく大事なもの?」
いつの間にか、オビ=ワンは両手一杯にものを抱え込んでいた。
古いデーターパット。ホロのデーター。手書きのメモまで何枚か持っている。
「そう。こんなにいろんなものを抱え込んだ今、そう言うのは恥ずかしいがな。ほんとは、ここに、ドロイドだけを取りに寄ったんだ。でも、今の私はただの幽霊なんだし、いろいろ欲しがったところで問題あるまい」
どういう加減なのか、時々、オビ=ワンの姿は、ルークの良く見知ったベンに近くなる。
それを修正するオビ=ワンは、思い切り幼くなる。
ルークは笑った。
「ベン。若作りするの、無理があるんじゃない?」
「いや、そういうわけじゃなく、私の意識がなかなか肉体のあったころのイメージから離れるのが難しくてな。そこからもぎ取って形を作ろうとすると、どうしても印象深い時代の姿をとろうとするんだ。本当になりたいのは、もう少し、若い頃の髪が長くて……」
と、言いながら、髪を引っ張ってみせたオビ=ワンは、十分マスターとしての品格を備えていた。
この偉大なジェダイにとって重大な事柄があった時代というキーワードは、ルークにあることを思い出させた。
「ねぇ、今の姿のときに、もしかして、……父さんがダークサイドに落ちた?」
「……ああ、そうだよ。ルーク」
オビ=ワンがためらいもせず、きれいな笑顔で返すことに、ルークは戸惑った。
手塩にかけて育てたパダワンがダークサイドに落ちたマスターの心の傷を思えば、それは、もっと、微妙な取扱いが必要な事柄だ。
しかし、オビ=ワンはやすやすと口にする。
「だからかな。若い頃をと思うと、私はどうもこの姿に定着しやすい。でも、私としては、もう少し前のもっとアナキンと上手くいっていた頃の姿をとりたい」
「……なぜ?」
ルークは、オビ=ワンが何を言いたいのかわからなかった。
ルークにとっては、ベン・ケノービの姿だって、十分だと思った。
あれは、威厳があった。若い今の姿より、さらにジェダイとしての品格があった。
「だって、ルーク。私はこれからアナキンに会うつもりなんだ。大好きな人を迎えるなら、その人が一番好きでいてくれた時の姿でいたいじゃないか」
「えっ?」
オビ=ワンが返したその言葉の意味を、ルークはどう受け取るべきか困った。
まだ、ルークが答えを選べぬうちに、短い髪が首筋を覆うようになり、オビ=ワンは緩やかな若返りを果たす。
柔らかい色をした金髪が襟足を覆い、髭は若い顔にまだ馴染んでいないようだった。
「……父さんにとって、ベンの髪が長いことに意味がある?」
聞くことに躊躇を覚えながらも、ルークはオビ=ワンを質すしかすることがなかった。
聞き逃すにしては、オビ=ワンの口にしたことは、ライトサイドに戻った弟子を迎える師匠としては不適切だった。
定着しやすい姿があると言ったのは本当のようで、せっかく首筋を覆っていたオビ=ワンの髪が、また次第に短くなる。ムスタファーの時と同じくらいに。
だが、ルークにとっては、まだそちらの方が好ましい印象だ。
しかし、オビ=ワンは懸命に微調整を繰り返す。
ルークにとってオビ=ワンが取ろうとする姿は違和感があった。
若くどこか硬い印象のオビ=ワンには、髪の長さだけが理由とは思えない色気がある。
「アナキンにとってか、……う〜ん、それはわからないな。だが、私にとっては意味があるだよ。ルーク。……なぁ、ルーク。父親がダースベーダーだったという以上の驚愕は世の中にそうそうないと思わないか?」
ルークよりは年嵩だが、違和感の多い若々しい青い目が、悪戯に輝く。
ルークは男の取扱いに悩み、曖昧に返事を返した。
「……まぁ、そうだね」
「だろうな。だったら、もう、お前はどんなことにも驚かないだろ。実はな、私はこの姿でいた頃にアナキンにレイプされたよ。それから、まぁ、……うん。私は、お前の父親の愛人だった。私の心情的には、恋人だったがね」
「……ベン?」
ルークは、自分の耳を疑った。
あまりにオビ=ワンは、あっさりと重大なことを口にした。
しかし、それは、ベンの人生の中でも、トップシークレットと言っていいような事柄ではないのか?
目の前の若いジェダイは、腕一杯に物を抱え込んだまま、幸せそうに笑った。
「驚いたか? 悪かったな。ルーク。でも、一度誰かに、私がアナキンの恋人だったと言ってみたかったんだ」
ルークは、ただ、唖然と聞くことしかできなかった。
「……言いたかった」
オビ=ワンは、噛み締めるように繰り返す。
「ああ、やっと言えた」
そして、嬉しそうに笑う。
「ルーク。私は務めを果たし終える日がとても待ち遠しかった。何故って、わかるだろう? いや、若いルークにはまだわからないかもしれないな。肉体のあった晩年は、やはりなかなか辛いものだったよ。人より鍛えてあるとはいえ、どんどんと体力は落ちる。身体は利かなくなる。……800年も生きたマスターヨーダと違い、普通のジェダイでしかない私にとってそれは力の衰えだった。だから、肉体から開放され、フォースになったときは、嬉しかった。……自由になったと思った。でも、私は生前からフォースの世界と近くなるよう訓練をしていたから、肉体の死を持って、終わりというわけにはいかなかった。いや、終わりでは私も困ったのだ。私にはやらなければならないことがあった。……でも、やっと終わったんだ。……なぁ、ルーク。暫く私にも人並みの死後ってものがあってもいいだろう?」
オビ=ワンは、にこりと笑うと、ルークへと尋ねた。
ルークは、頷くことができなかった。
オビ=ワンが何を言い出したのか、ルークには理解しがたい。
父がベンをレイプした? 愛人? ベンは、父を恋人だと思っていた? 人並みの死後?
衝撃的な単語ばかりが並ぶが、説明は足らず、ルークには、賢者であったベンが口にする言葉としてそれらがふさわしいとは決して思えなかった。
しかし、ベンは、いや柔らかな金の髪を持つオビ=ワンは、ルークを混乱へと引きずりこんでおきながら、楽しげに鏡を覗き込む。
「髪、短いより長い方がいいだろう? 短い方が似合うって結構皆に言われたんだがな、でも、長い髪の私にアナキンの欲望が刺激されたんだとしたら、やっぱり、こっちで会うほうが効果的だと思わないか?」
ルークの悩みに比べ、あまりに低俗なその質問は、ルークの動揺を簡単に苛立ちへと転化させた。
「……父さんは、どっちが似合うって?」
息子は聞く。
「それがな。ルーク。あいつは、一言だって私を褒めたりしなかったんだよ」
オビ=ワンは、鏡を覗き込み、髪を直す。
「失礼な奴だろう?」
「……馬鹿じゃないの? ベン! あんたおかしいよ! 何が、恋人だよ。あんた、変だよ!」
ルークは怒鳴っていた。
しかし、責めるルークの声に、オビ=ワンは動じたりしなかった。
「うん。ルーク。変なのは十分分かってるんだ。でも、私は、務めを果たし終え、自由になったら、何よりもまずこうしようと思っていた。あいつの気持ちを揺さぶることの出来た頃の容姿を取り戻し、私の大事な宝物を取りに帰って、あいつに会いに行こうって」
あまりに簡単にオビ=ワンが自分の奇矯さを認めるので、それにまた、ルークは苛立だった。
ルークには、ベンの気持ちがまるでわからない。
ベンが父を愛していた?
それも、今ですら恋愛感情で?
「それって、ジェダイとしてどう? それがあの偉そうなことを言って、僕を導いてくれていたベンの言うこと?」
「ルーク。さっき、私は言っただろう? 私はフォースじゃない、私は幽霊だって」
「フォースも、幽霊も一緒じゃないか!」
怒鳴ったルークは、一瞬、見慣れたベン・ケノービが寂しそうに笑うのを見た。
だが、ベンがルークを意識したのは、僅かの間で、白髪の老人は、いきなり腕の中に抱え込んでいたものを次々に床へと落とした。
それらはベンの力が形作っていたに過ぎないから、床にぶつかるよりも前に形を失う。
たった一つ、虫の形をしたドロイドだけを真剣な顔で選別した白髪のベンはしょうこりもなくまた、姿を若く調整し始める。
「やっぱり、こんなにはいらないな。これじゃまるで、一人になった後、アナキンの思い出に浸るための準備をしているみたいだ。私はアナキンを取り戻すんだから、やっぱり、余分なものはいらない。これだけあればいい」
「やめてよ、ベン! その姿、ベンらしくない!」
しかし、金に輝く髪を取り戻したオビ=ワンは、ルークの意見を聞き入れず、愛しそうに部屋の中を見回す。
浮き立つ気持ちが溢れているらしいオビ=ワンの視線が、長くルークに留まることはない。
ここにいるオビ=ワンを、ルークはベンだと認めたくなかった。
ここにいるジェダイは、ルークの知らない人物だ。
こいつの言うことは、おかしい。
駆け出しそうなほど若いオビ=ワンを眺めながら、ルークは冷たい声を出す。
「……僕も要らないってこと?」
もっと、目の前の人物を傷付ける言葉を選ぶはずだったのに、自分が口にしたことにルークは驚いた。
ルークは寂しかった。
ここにいるベンは、一緒に戦ったルークのことを気に留めもせず、ルークの父親のことしか眼中にない。
若いオビ=ワンは笑った。
「なぁ、愛しい吾子よ。私は、十分仕事をしたと思わないか? 少しばかりの休暇が与えられてもいいと思わないか?」
オビ=ワンの情熱は、ルークの子供じみた甘え程度では、くじかれなかった。
「ルーク。お前だって、休暇中なんだろう? 私にだって、僅かな休暇が与えられてもいい」
「休暇って、それで何をするの? ベン、父さんに会いに行くって、母さんが父さんのことを待っているとは思わない?」
ルークは、真面目にベンの言うことに取り合う自分をおかしくなっていると思った。
しかし、目の前の男は、手のひらに載る小さなドロイド、たった一つを宝物だと、とても愛しげに抱いているのだ。
「母さんだって、父さんのこと待ってるはずだよ!」
「わかってる。……でも、もしかしたら、出し抜けるかもしれない」
艶やかな金色の髪をした若いジェダイが、決意のある声で言う。
そして、オビ=ワンの表情はがらりと変った。
オビ=ワンは、急に、そわそわとしだす。
「ああ、そうだった。だから、私は慌てていたんだよ。ルークに会えたのは嬉しかったが、思わぬ道草を食ってしまった」
居ても立ってもいられないというほど、オビ=ワンの表情が輝いた。
「アナキンを待たせたくない。ルーク、悪いがそろそろ失礼させてもらうよ」
オビ=ワンは、小さな虫のオモチャだけを持って、身を翻した。
どこへ行くつもりなのか、窓へと駆けていく。
その理解しがたいひたむきさが腹立たしくて、けれど反面かなしくもあり、ルークは、すり抜けられることを知りながらも、窓の前へと立ちふさがった。
「ねぇ、ベン! どうして父さんが、ベンのこと好きだって信じてるのさ!」
オビ=ワンは、ルークの目の前で立ち止まった。
しかし、酷い言葉をぶつけられても、若い顔から幸福さは消えない。
「……そんな、私がアナキンから愛されてるなんてことは、さすがの私でも思ってないよ。ルーク。ただ、私がアナキンのことを好きなだけなんだ。だから、全ての務めを果たし終えて自由になったら、少しの間だけでいいから、自分の思い通りにしようって決めていただけなんだ」
ルークは、目の前に立つ若い男のベンにあるまじき軽佻さが疎ましかった。
「ルーク。行かせてくれないか? 私は、急いでいるんだ」
ルークなど簡単にすり抜けることができるフォースであるオビ=ワンが言う。
この態度をルークは偽善だと思った。
ルークは、オビ=ワンの前からどかなかった。
「父さん、あなたのこと好きにしながら、母さんとの間に、俺とレイアを作ってたんでしょう? ねぇ、一度もあなたのことを褒めない男が、今なら、あなたを大事にすると思う?」
ルークは、自分が何をしたいのかわからなかった。
苛立つのだ。
この男のひたむきさは、ルークからすれば、浅慮の果てとしか思えない。
「父さんは、ベンが嫌いになってるかもしれない」
だが、そんな言葉も、オビ=ワンの幸福にルークは爪を立てることができなかった。
どうして、ただ、あの父親に会うということだけにそれほど熱心でいられるのか、ルークには、全く理解できなかったが、男は、今、幸福で満ち溢れている。
男の気持ちは窓の外にばかり向かっている。
本当に、ずっと、そればかりを願ってきたかのように。
だが、それは、オビ=ワンが手の中に持つ、たった一つの宝物と同じほどの価値でしかないものではないのか?
ルークは、目の前のジェダイを敬愛していた。
だから、彼にベンの思慮深さを思い出して欲しかった。
「……なぁ、ルーク。よぼよぼの爺だったベンが、髪の長さ一つでウキウキするのは、そんなに腹立たしいか?」
「気味が悪いよ」
拗ねたようにルークは、短く返した。
それでも、オビ=ワンは、光に輝き項を隠す金色の髪を嬉しそうに撫でた。
「でもな、ルーク。私は、これが嬉しくて仕方がない。ジェダイとしての務めがひと段落した今、やっと私は、自由に自分の姿を選ぶことも出来ようになったんだ。……ルーク……幽霊になり、私は、初めて誰かに愛を告げることができるんだよ。肉体を持つジェダイとしてアナキンと一緒だった頃、それは私の一生に許されないことだと思っていた。お前の成長を待つ間に、フォースの世界と深く関わるようになって……あの世界でなら、それも出来るかもしれないと希望を持つようになったけれど、……アナキンが生きている間は、私にはジェダイとして果たさなければならない務めがあった。……ルーク。お前の成長を見守り、そのお前が、アナキンをライトサイドへと引き戻す手伝いが出来たことはとても嬉しかった。でも、……悪い。これからしばらくの時間、私は、ジェダイとして過ごすことを拒否する。つまり、今もだ。……これ以上、手間取って、お前の母親に先を越されたらと思うと、私は、居ても立ってもいられない」
とうとう、オビ=ワンは、ルークの脇を通り抜けようとした。
本当にこの男は、浅はかだ。
ルークの気持ちを理解しようとしない。
「ベンは、いつからそんなに父さんのこと好きだったの?」
ルークはまだ、オビ=ワンの邪魔をした。
「そんなのずっとだよ。ルーク。アナキンは、師匠を選ぶことなんて出来なかったが、私には弟子を選ぶ権利があった。私があの子を選んだんだ」
オビ=ワンは、少しイライラしてきている。
そんなにも父に会いたいのか?
「ベン、ベンって、父さんしか、経験の相手がないんでしょう? だからって血迷ってるだけじゃないの?」
「まぁ、それもあるかもな。でも、言っただろう? 弟子は師匠を選べないが、師匠は弟子を選べるんだよ。私は、アナキンから強引な暴力を受けた後も、あいつの側にいることを選んだ。そう。お前の母親と関係があることをうすうす知りながら、それでも、自分の待遇にも甘んじた。一度だって、アナキンに言ったことはないけれど、私がアナキンのことを好きだった。側にいたかった。きっと、アナキンが私を襲ったのだって、ずっと私が迷っていたからだ。私は、アナキンに好意を抱く自分を惜しんで、自分の感情を切り捨てることを選べず迷っていた。もしかしたら、あの時の被害者は、私ではなく、アナキンかもしれない」
「あなたが、フォースで父さんの心を操った?」
「そうだ」
オビ=ワンは、きっぱりと肯定した。
堂々と言い放つオビ=ワンは、かつてないほど、清々しい顔をしていた。
ルークは、あまりのことに、呆れた。そして、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
ベンは、もう先に進むことしか考えていない。
それでも、ルークの口は、男が前に進もうとするのを、まだ邪魔した。
「ねぇ、そんなにも、好きだったというのなら、何故、ベンは父さんと一緒にダークサイドに落ちなかったの?」
「だって、ほら、あの時は」
オビ=ワンが、困ったような笑みを唇に浮かべた。
男は腹を撫でるように手を動かす。
「……もしかして、ベン。母さんの腹に俺たちがいたから、……はっきりと裏切りを見せ付けられて、腹を立てた?」
ルークは、テンプルで過ごしていたオビ=ワンも、自分を導いてくれていたベンも、実は、真実のオビ=ワンではなかったのではないかと、思い知った気がした。
テンプルの部屋を几帳面に片付けたオビ=ワンも、洞窟で薄汚れた毛布一枚に身をくるんでいたベンも、どちらも立派なジェダイだった。きっとこんなに簡単に弱みを晒したりしない。
だが、目の前に立つこの男は、弱さを曝け出して、それでもどこか幸せそうに笑うのだ。
「我慢できなかった。あの時ばかりは、アナキンを選べなかった。いや、アナキンをダークサイドから連れ戻すためにも、自分があの時、アナキンを切り捨てたという選択は正しかったと、今も思うよ。あいつに付いて、ダークサイドに行かず、お前の成長を見守ることにした、自分の選択も正しいと思っている。でも、確かに、あの時、アナキンが私のためにダークサイドを選んだのだといったなら、私は、誤った選択をしていたかもしれない。いや、したいよ。そうだったら、絶対にそうしたい……馬鹿だろう?」
照れくさそうに、オビ=ワンが笑う。
「うん。……ほんとにね」
ルークは、男の言葉を肯定した。じりじりと、駆け出すときを待ち焦がれている男の情熱に、ルークは圧倒され、もはや受け入れるしかなくなっていた。愛するという感情は、ルークにとってもとても身近だ。
前時代を代表するような冷静なジェダイだったはずのベンが、愛しか胸に持っていない。
会えるかどうかもわからない父のために、いますぐ駆け出したいと焦っている。
ここにいる男は、ルークの良く知るベンではない。
だが、好ましい。
若い男に対して、ルークが感じるのは、ベンに対して持っていた尊敬や畏怖ではなく、背中を押してやりたくなるような、恋に破れたならば、肩を抱いて慰めてやりたくなるような、そんな仲間意識だ。
ルークは、自分が何かを許してしまったことを感じた。
「父さんは、やり方が上手くはなかったけど、でも、ジェダイのあり方を変えた。ベンの気持ちだって、今ならテンプルも受け入れる。……でも、ベン。きっと母さんに敵わないと思うよ」
ここにいるジェダイは、あまりに自分に正直だ。
自分で認めるほど、ベンは馬鹿だ。
だから、あんなカプセルワームのドロイド一つで、顔だけは美形だったアナキン・スカイウォーカーにころっと参ってしまったのだ。
「……敵わない……か?」
しかも、ベンは本当に馬鹿で、ルークの意見に対しても局所ばかりを意識し、目には、一気に不安が増す。
「母さんも、大概父さんのこと、好きだったじゃん。多分、ベンに負ける気はないと思うよ」
肉親に恋をしているのだと打ち明けられたむず痒さからも、ルークは、ベンに意地の悪いことを言ってしまう。
「でもな。ルーク。フォースになりたては、少し気を抜くと、自分にとって印象深い土地に引き寄せられ、そこを順繰りに回って歩くことになるんだ。結構アナキンは、ぼうっとしたところがあったから、私とアナキンしかしらないあの星で待ち伏せすれば、きっとアナキンを捕まえることが出来る」
あれほど知略に長けていたのに、恋の駆け引きは知らぬのか、一生懸命、ずさんな計画を立てていて、とてもかわいらしい。
「だからさ、ベン。ベンと父さんしか、知らない思い出の星があるように、母さんと父さんだけの思い出の星だってあるかもしれないって思わないの?」
若いジェダイは、必死だ。
「でもな、ルーク。どこの星がアナキンにとって印象深いかは」
その様子は、まるで自分に言い聞かせているようで、ルークはこの馬鹿なジェダイを完全に許した。
「わかった。わかった。ベン。ベンが、絶対に父さんをひっ捕まえて、告白する気なのも、もう一回恋愛し直すつもりなのもわかった。でも、ベン、僕は、ベンを応援しないからね。……僕は、父さんと、母さんともう一度一緒になって欲しい」
オビ=ワンは、するりと、白髪の老人へと姿を変えた。
すり抜ける手で、ルークを抱きしめる。
ずるいと、ルークは思う。
「応援なんて要らない。ルーク。すまない。私は、自由になった身があまりに軽くて、自分の心を押し留めることなんて出来ないんだ」
「もう、いいよ。行っちゃって、ベン。人生で一番大切な宝物が、そんな虫のオモチャだなんていうベンがかわいそうだから、とりあえず、ベンの方が先に父さんと会えることを祈っといてあげる。でも、父さんは面食いだから、きっと母さんに惚れ直しちゃうと思うけど」
「……私も、ハンサムなんだろう? ルーク」
オビ=ワンは、ルークの心を読んだかのように、ムスタファーでの弟子と決別を選んだときの姿をとった。
厳しい選択をした後のその顔は、ルークのよく知るベンに近く、やはり、ハンサムだとルークは思う。
「うん。ハンサム。すっごいハンサム。ほら、ベン。母さんに出し抜かれるよ」
オビ=ワンは、やはり、その姿を選ぶのか、初めて父親と結ばれたのだという、髪を長くした若い顔へと姿を変えると、ルークに笑った。
「お前のこと、ゆっくり待っててやるからな」
オビ=ワンは、ルークをすり抜け、窓辺にたった。
ルークは振り返る。
「父さんと喧嘩しないでよ?」
「するよ。まず、一杯恨み言を言ってやるつもりなんだ。それから、たくさんキスをする。好きだとも、たくさん言う。ずっと言いたかったんだ」
「あっ、そ。じゃぁ、どうなったか、100年くらい後に教えて」
だが、返事もせずに、若いジェダイは、慌しく飛び出して行ってしまった。
そこにルークの知るベンのスマートさは、まるでない。
ルークは、暫くそこに立ち止まっていたが、一つ大きな息を吐き出すと、オビ=ワンが開けていた引き出しを開けた。
そこには、羽の取れてしまった虫のドロイドが大切にしまわれていた。
実物は、太陽光に当てようが、もはや何の動きもしなかった。塗装も剥げている。
こんなゴミと間違われそうな宝物を取りに戻ったベンが悲しい。
しかし、コレが大事なものなのだと言い切るベンが、ルークは愛しいと思う。
ルークは、100年くらい後になら、三角関係に悩む父親の話を聞いてやってもいいような気がした。
END