VS劇場 16
今日は
本国から離れた国での就寝前にふとショーンは思った。
「……近頃のあいつの態度ときたらどうだ?」
言わせて貰えばショーンの態度だって恋人を持つ身として決して褒められたものではないのだが、有名な俳優のために整えられたホテルに泊まる金髪は、最近プレスで見かけるヴィゴの態度は許せたものではないと判断を下していた。そして、近頃といえばそれしか恋人の情報を持たないショーンは、枕をポンポンと叩き、自分好みの高さにすると目を瞑り、翌日には、ヴィゴを訪ねた。
「ショーン?」
目を見開き驚きをあらわにしたヴィゴに、ショーンはにやりと笑った。
「あんた……、一体?」
ヴィゴにとってどれが本業なのかショーンには判断の付きかねる時が概ねなのだが、沢山の職業を持つ男の経営する会社のオフィスにショーンは立っていた。ヴィゴが驚きから立ち直れずにいる間に、秘書をしている女性の服装を褒める。
「とってもチャーミングだ」
女性はにっこりと笑ってショーンの褒め言葉を受け入れてくれた。
「よう。元気そうだな。ヴィゴ」
「ああ、……ありがとう……あんた……こっちにいたのか?」
「そう」
そっけなく答えたショーンは、ヴィゴが経営者として振舞わねばならないオフィスをわざわざ選んで、ここへと顔を出していた。ここでは、さすがのヴィゴも、ショーンを抱きすくめ、キス攻めにすることは出来ない。そして、出来なければ、ショーンは、自分の不機嫌をヴィゴにじっくりとわからせてやることができた。
「実は今は……ちょっと」
ヴィゴの目が突然の行動力を見せ付けた恋人の意図を測りかね、頼りなくショーンの顔を這い回った。それでも、手に持っていた資料を机に置く。ショーンはヴィゴが気付く前に、彼女からここの社長がこの後打ち合わせを控えていることを聞いていた。打ち合わせはオフィス内のものだけでなく、社外でも一件控えている。
「わかってるさ。ヴィゴ。忙しい君をいくらでも待つ時間が今日の俺にはたっぷりある」
にこにこと笑顔で世間話をしながらヴィゴの仕事が済むのを待ったショーンの前に、肩を窄めるようにして恋人が立ったのは、ランチを挟んで3時間もたってからだった。オフィスの女の子たちを上機嫌にさせるショーンの笑顔は完璧で、土産のノンファットケーキを秘書に渡しながら、この後のスケジュールを白紙にしてもらうため頼むヴィゴは空恐ろしい気持ちだ。
「ヴィゴ、終わったのか?」
「ああ、待たせて悪かった」
「いいや。いきなり来た俺が悪い」
「悪いなんて、……ショーン」
女の子たちと、また会う約束をしながらオフィスを出るショーンは、ヴィゴの隣というよりは半歩前を歩いていて、打ち合わせの最中にちらりと顔を上げたときも、移動のとき声をかけたときも、笑うショーンの緑の目が冷たく光っていることに気付いていたヴィゴは、勿論、恋人が不機嫌だということは嫌というほどわかっていた。ショーンは再会のハグすら許さないが笑顔も崩さない。ヴィゴには、ショーンを不機嫌にさせた理由も思い当たる。
「あの……な、ショーン」
けれども、一緒にタクシーの後部に乗る恋人はいい訳すら許さなかった。ショーンは、ヴィゴがオフィスでの仕事用に借りているアパートに着けばソファーに座り、もうオフィスで十分にしたはずの世間話を始める。
「……ショーン、悪かった」
ヴィゴは、くしゃりと顔を崩したあの笑顔を見せながら、わざわざ一人掛けのソファーを選んだ恋人にとうとう根負けし、謝罪の言葉を口にした。過去にはここでセックスしたことすらあるソファーに腰掛けているというのにヴィゴはひとりぼっちで、ショーンに指一本触れることが許されていない。
やっとショーンが、本気で不機嫌を露にし、ヴィゴを睨んだ。
「なるほど、悪いとは思ってるんだな」
ヴィゴの喉元まで出かかった、ではショーンの行状はどうなのかという言葉を飲み込んだ。ヴィゴにだって、ショーンが何をしているか、知りたくなくともプレスが教える。けれど、恋人はちびちびと舐めていたグラスのブランデーを飲み干した。ヴィゴが注げば、ふんっと鼻で頷く。
琥珀の液体は、もう何杯もショーンの喉へと消えている。ショーンにも、ヴィゴが酒の力を借りて、なし崩しに持ち込もうとしているのはわかっていた。だが、ショーンはヴィゴがグラスに酒を注ぐのを断らなかった。楽しむというには早いペースで乾いていくグラスは、会話が続かないせいもあったが、ショーンが手元の残りを気にかけもせず、深く考え込んでいるせいでもあった。ショーンは、もう十分だと感じている酒をまだ喉へと流し込みながら、そろそろ帰り時間を逆算し始めた自分に、ヴィゴを許さないまでも、とりあえずキスや、それ以上の気持ちのよい恋人としての権利を自分は味わってもいいのではないかと、問いかけていた。けれど、ソファーに深く腰掛けるため足を組み替えながら、ショーンは、ふと自分が、まだヴィゴのキスを受け入れたくないと、本気で思っていることに気付いてしまった。ヴィゴを許すため、笑おうとしても、引きつったようにしか笑いが浮かばない。酒瓶を持ったままのヴィゴに困ったような表情を浮かべさせた皮肉な笑みは、普段、優しいばかりの恋人の裏切りに思った以上に自分が傷ついていたことを気付かせた。気持ちのいい恋人のキスは、今飲んでいる酒以上に、自分の体を熱くするに違いないことをショーンは知っていた。例えば、無理やりにでもヴィゴがキスをしてくれば、そして、あの魔法の舌で唇をノックされれば、自分が口どころか、足まで開くに違いないことをショーンだって知っていた。
けれども。
あまりに長くショーンの気持ちが浮上せず、ヴィゴは、今日のショーンを自分がもみくちゃにして可愛がることの出来る素敵な恋人だと思うことは諦めた。けれど、斜めにしか視線をくれない恋人の前で策もなく機嫌をとり続けていれば、自分の不実がどれほどの決意をこの怠け者にさせ、ここへと来させたのかと、ヴィゴは反省の気持ちが湧いた。ショーンはヴィゴの大事な恋人で、ショーンはそれを疑う必要などない。それを誠実に証明する必要は、自分にこそある。
ショーンは、不意に席を立った恋人の背中を、気弱に視線で追った自分を悔しく思い小さく顔を顰めた。しかし、ドアを開け、顔を見せたヴィゴが持っているものを見て、今度はヴィゴへと思い切り顔を顰めた。
「何だ? 何をするつもりなんだ? ヴィゴ?」
「うん?……ああ、いや、あの、ショーンさえ、嫌じゃなければなんだけど」
情けない顔をして笑う恋人の顔が、実のところショーンはあまり嫌いではない。こんな情けない顔で口説かれる相手は自分だけだろうと思うからだ。だが、ヴィゴが手に持っているのは、大きなブランケットだ。
「ピクニックに行く?」
「ああ、ああ、今日は天気もいいし、少し時間は遅いけど、勿論、それでもいいんだが、……あのな、あの……」
口ごもるヴィゴの言葉の続きをショーンは腹を立てたまま予想した。
ベッドまでは連れ込めそうもないから、ここでやりたい?
普段だって自分からは誘いの言葉を口にしないくせにショーンは思った。
どうしてもというのなら、それを受け入れてやってもいい。
ヴィゴの態度に対する不満は不満として、ショーンだって仲直りの方法としてそれを期待していなかったとは言うつもりはなかった。だが、まだヴィゴへの不信感と折り合いのつかないショーンは、表情にその気持ちを出さないようにしながら手の中のグラスにまた口をつけた。じっと見つめていれば、ヴィゴの顔は、眉が寄せられますます情けない表情になっていく。もじもじと言い出せずにいるくせに、厚顔な願いを言い出すに違いないヴィゴをショーンは冷たく見据える。
「あの、ショーン。……今日は日差しが暖かいだろ? だから、二人で昼寝を……」
……その……できれば、裸で。と、付け足したヴィゴは、その後、上掛けと枕を大慌てで取ってくると、ソファーを押しやり、床の上からそっとショーンに手を伸ばした。僅かに首をかしげて嫌か?と尋ねる恋人の策略に乗せられるのはショーンにとって業腹だったが、この辺りが折れ時だということもショーンにはわかっていた。そうしなければ疑念が本当にショーンの中で根付いてしまう。それでも、金髪は守られるはずもないことを不機嫌に念押ししながらグラスを置いた。
「本当に昼寝をするだけなんだろうな」
「……ああ」
情けないほど気弱に笑ったヴィゴの顔は、オフィスや、プレスの写真でみる顔とはまるで違って、ショーンはほんの少し、ヴィゴを好きだと思う自分を許したくなった。
「……マジか」
ショーンは、暖かな料理のいい匂いで目が覚めた。すると、自分を包み込んでいたはずのヴィゴの腕はなく、その代わり、ブランケットが必要以上にショーンを包み込んでいる。いや、信じられないような満足感がショーンを包んでいた。
日差しが暖かだとはいえ、裸で眠るにはやはりこの季節は寒い。不機嫌な顔のまま、ショーンが服を脱いでしまうと、暖かな肌をした恋人は冷たい体を優しく抱きしめてくれた。恋人は、ショーンに肩が寒くないか?と、ブランケットを引き寄せる。
きっとすぐにセックスになるんだと、どこか投げやりな気持ちで、ヴィゴの腕の中で横になっていたショーンに、ヴィゴがしたのは、瞼へのおやすみのキスだけだった。ヴィゴは、ただ裸のまま抱き合って眠ることをショーンに求めたのだ。
「寒くないか? ショーン?」
何度も恋人はショーンの肩へとブランケットを引き寄せる。ショーンは、恋人の体臭に抱かれながら自分への欲望をヴィゴが感じなくなったのか悔しく思ったりもした。床に積んである雑誌の数を無意味に数えてみる。
だが、ヴィゴの嘘くさい寝息を聞いているうちに、本当に寝入っていたショーンにとって、その時間は思った以上の安らぎを与えていた。
せわしなく求め合い欲求を満たしあう慌しいセックスも、勿論恋人同士には必要だ。しかし、土埃の匂いのする床で眠って体が痛くなっているというのに、目覚めたショーンはその痛みを全く問題だとは感じない。途中、やはり床の固さから何度も目を覚ましたショーンは、ヴィゴが体勢を変えようとするショーンにほんの少しでもいいから触れ続けていたいと、そっと身を寄せてくるのを感じた。
ヴィゴは何度もショーンをブランケットで包んでくれた。
ショーンも、本当に寝入ってしまったヴィゴの顔を眺めながら短い髪をそっと撫でた。
「ショーン。目が覚めたか? そろそろ寒くなるから、起こそうかと思っていたんだ」
もう服を着ているヴィゴは、シチューでも作ってくれていたのか体からいい匂いをさせながら、ショーンのために、脱ぎっぱなしになっていた洋服を差し出した。
ショーンは、ジーンズに足を通して、目を擦った。
「……ヴィゴ。あんたが好きだよ」
緑の目が恋人を見上げる。ヴィゴの唇に笑みが浮かぶ。
「悪いな……ショーン。俺の方がもっと好きだから、あんたの負けだ」
二人のキスは、長い付き合いの恋人同士として、申し分ないだけ長く甘いものだった。
END