VS劇場−15−
「ショーン。初めて自慰したのっていつだ?」
「はっ?」
同じベッドに横になったヴィゴが、頬杖をついたまま何かを書いているのには、気付いていたショーンだったが、あまりにも唐突なヴィゴの言葉に、思わず手に持っていた雑誌を取り落とした。
雑誌は、ショーンの顔を直撃する。
「痛っ……」
「大丈夫か? おい?」
雑誌を取り除き、ショーンの顔を覗き込んだヴィゴは、恋人の高い鼻にキスをした。
「よし、つぶれてないぞ」
「当たり前だ。ヴィゴ」
ショーンは、じろりとヴィゴを睨んだ。落ちてきた雑誌は、鼻と、いうより、最近、掛け始めた眼鏡に衝撃を与え、鼻の付け根に、痛みを与えていた。ショーンは、眼鏡を外し、痛む、鼻の付け根を揉む。
「爺臭い仕草だな」
「誰のせいだと」
ショーンの睨みに、わざとらしいほど、ついっと、視線を外したヴィゴは、ボールペンの尻を噛みながら、何かを紙に書き込んでいった。
痛みが引いたショーンが、雑誌を持ち上げ、読み始めると、ヴィゴは、また、ショーンに尋ねる。
「ショーン。待ってるんだが、さっきの質問に対する答えは?」
さっきのとは、何歳で初めて、自慰をした?と、いう奴で、一体いつまでヴィゴはそんな趣味の悪い質問を繰り返す気なのかと、ショーンは思った。
「……なんでそんなことを答えなきゃならない?」
身を起こしたショーンは、厳しい顔をしてヴィゴを睨んだ。
ヴィゴは平気で笑い返す。
「なんでって、そりゃ、知りたいからに決まってるだろ」
「だから、なんで、知りたいかってことだ」
「大事な問題だから」
ヴィゴと話をする困難を思い知ったショーンは、ヴィゴが書き込んでいた紙に答えがあるに違いないと、ボードごと、それを取り上げた。だが、用紙に書かれた文字を、ショーンは読み解くことができない。
元々ヴィゴは、かなり独特の文字を書く方だったが、それ以上に、ここに書かれた文字の羅列は、意味不明だった。
「残念だな。ショーン。これは、情報保秘を考慮した作りになってるから、問題シートを一緒に見なきゃ、何が書いてあるか、わからないぜ?」
にやにやとヴィゴはショーンの顔を覗き込む。
「そうか、下手なだけじゃなく、……とうとうヴィゴが宇宙語を綴るようになったかと思ったから、それで安心したよ」
嫌味を織り交ぜて、ボードを返そうとしたショーンは、もう一枚、紙が挟まれていることに気付いた。
問題シートという奴らしい。
のたくったミミズのようなヴィゴの文字と違い、印刷されたその文字は、簡単に読むことができる。
ショーンは眼鏡を押し上げ、文字を流し読みした。
そこにはたくさんの質問があったのだ。
たとえば、ヴィゴが言い出した、Q12 あなたがはじめて自慰をしたのは?( 才)
つづいて、Q13 どのくらい、自慰をしますか? (一日 一週 一月 一年 )
Q14 その時、どこを触りますか?( )
Q15 器具を用いますか? 1 YES 2 NO
Q15 どのくらいの時間続けますか? ( 分)
質問は、自慰の方法に限らず、実に多彩で、一体何の目的があって、これほどプライベートな問題に突っ込んでくるのか、といいたくなるようなものばかりだった。
Q151 性行為を始めて行った年齢は?( 才)
Q152 その時、エクスタシーを得られましたか? 1 YES 2 NO
Q153 それは、1 異性? 2 同性?
Q154 現在のパートナーと同じ人ですか? 1 YES 2 NO
200問にも及ぶ質問に、ショーンは、眉をひそめる。
「おい? なんだ? これ?」
この質問が自分に向けられたものなのかと、ショーンの目は、半ばヴィゴを睨んでいた。
「何、怒ってるんだよ。ショーン」
ヴィゴは、心外だといわんばかりに、口をきゅっとすぼめた。いい大人のくせに、こういう子供っぽい顔を平気でするところが、ヴィゴの魅力の一つではある。
「なにかって? ショーン、それは、あんたが、俺達のセックスに不満があるみたいだから」
「はっ?」
ヴィゴは、眉をひそめたままのショーンからボードを取り返すと、魅惑的な軽い流し目と共に、ショーンに質問した。
「わかるところは、書いてみたけどな。あんたしか知らないこともたくさんあるんだ。質問に答えてくれ。ショーン、初めて自慰したのっていつ?」
しかも、この男は、自分の見せ方を知っていて、表情を切り替えるタイミングが早い。
極プライベートなことを至近距離で恋人にじっと見つめられたまま質問され、ショーンはどきまぎとした。
「……だから、なんでそんなことを聞かれなきゃならないんだ……一体何のために……」
ショーンは、思わず赤くなった頬を隠すように顔を背ける。
「満足のいく性生活が送れるように、俺達の間の問題点を洗い出してもらうんだよ」
ヴィゴは、ポールペンの尻を噛んだ。
「あんた、この間、すごく怒っただろう? ヴィゴにはついていけないって」
「そりゃぁ、あんなことされれば!」
あんなこと、というのは、ヴィゴがショーンの腕をベッドに繋いだことだ。
そのくらいで、やめておけばよかったのだろうが、つい、悪乗りしたヴィゴは、そのセックスで感じていったショーンに目隠しをして、そのままキッチンまで引きずっていき、そこでもう一度やった。
ヴィゴにとっては、なかなか楽しい遊びだった。
「……俺は、ああいうのも、ショーンが喜ぶかと思ったんだよ」
だが、歩かされ、自分の居場所を見失ったショーンは、ものすごく怖がってしまった。
いきはしたものの、目隠しがぐっしょり濡れるほど泣いてしまったショーンに、ヴィゴは、反省したのだ。
「だからさ、お互い、何が向いてて、何に拒否反応があるのか、この際、はっきりさせたらいいかと思ったんだ」
ヴィゴはごくリラックスした態度を装い、ボードを持ったまま、ショーンの膝の上に頭を乗せた。
驚きはしたようだが、ショーンはヴィゴの頭を払い落とすような真似はしない。
ヴィゴは、やっと本当にリラックスし、眼鏡のある恋人の顔を見上げる。
「自慰については、答えにくい? じゃぁ、ちょっと違うところからいこうか。これな、やってると、そのうち答えるのが恥ずかしくなくなって来るんだ。あんまり数が多いから、羞恥心も麻痺するって感じか?」
ヴィゴは、ショーンが答えやすそうな質問を捜し、問題シートの方へと視線を走らせる。
「じゃぁ、Q75 現在、性生活を共にするパートナーが居ますか? 1 YES 2 NO。これは、1だな」
ヴィゴは、ショーンの顔を見上げ、表情を確かめながら、回答シートに答えを書いた。
「Q76 それは、何人ですか? おい、ショーン、一人って書いて大丈夫か?」
あまりにさりげなくヴィゴが尋ねるものだから、浮気の可能性を最初から受け入れている様子の恋人にショーンの機嫌は下降した。ショーンは、ぼそりと答える。
「書けよ」
ヴィゴはにやりと笑った。
「へぇ、嬉しいね。Q76 どのくらいセックスしますか?(一日 一週 一月 一年 )難しいとこだな。会えば、一日に、1.2回ってとこだし、会えなきゃ、年に片手くらい、ってことになりそうだ」
ヴィゴは答えを待たず、空欄のまま、進めようとした。
ショーンが、首をかしげる。
「いいのか?答えなくて」
近頃掛け始めた眼鏡のせいもあるが、その様子は、神経質そうで、ヴィゴはショーンがかわいらしく感じた。
ショーンが、ヴィゴの取り組もうとしていることに対して、真剣に向き合ってくれるのも嬉しい。
「平気だよ。別の問題で、同じようなことを尋ねてフォローしてくれる。これは、多分、結婚して、一緒に暮らしているようなカップルを対象にした質問だろう。別々に暮らしてる間柄だと、ほら、Q98 パートナーとのデートで、セックスを求められたら、応じますか? 1 YES 2 NO Q99 パートナーとのデートで、セックスを求めますか? 1 YES 2 NO。ショーン、両方とも、YESでいい?」
ショーンが頬をほんのりと赤くしながら、そっけなく頷いた。
俯むかなければならない位置にヴィゴがいるからとはいえ、何度も眼鏡を押し上げるしぐさが、とてもキュートだ。
急に、ヴィゴが、ショーンにむかって、手を伸ばした。
「なぁ、ショーン、ごめんって言ったら、この間のこと、許してくれるか?」
ショーンがヴィゴを怒鳴りはしたものの、うやむやになっていた問題が、いきなり二人の間に引き寄せられ、ショーンは小さなため息を落とした。
「悪いと、思ってるのか? ヴィゴ?」
「まぁ、多少は……」
優しく顔を撫でていく恋人の指先が、眼鏡のふちに触れた。
「正直な答えだな」
ショーンは、反省していると言い切るには曖昧さの残るヴィゴの顔を、レンズ越しに眺めながら苦笑するしかなかった。
「ショーン……」
くるりと身を返したヴィゴが、ショーンの腰を抱いた。
ヴィゴは顔をショーンの股間に押し付けるとくぐもった声で話し出す。
「ショーン。200問に答える間に、一応俺も考えた。俺は、あんたを喜ばすことより、自分の快楽を優先しやすい。だから、ショーンがかなり嫌な目にあってることは、分かってる。でも……あのな。あんたがとても好きなんだ。その……、できれば、もう少し、ショーンにも協力的になって欲しい」
謝罪していたはずのヴィゴが自分の要求を突きつけ、ショーンをかき口説く。
ショーンはあっけにとられた。
「ショーン。あんたは、年とともに、すごく俺の好みになってるんだ。だから、つまり、……、俺は、あんたの側にいると、いつもやりたくなって。……、あんたにしてみたいことや、して欲しいことや、ほんと、自分でもどうかと思うほど、色々あるんだ。あんたといると欲望に手がつけられなくなるというか……」
ヴィゴは、思い悩んでいたことを吐き出すように、ショーンに尋ねた。
「……なぁ、ショーン。ショーンは、俺とセックスするの本当は、あまり好きじゃないのか?」
しかし、ショーンの答えを待たず、ヴィゴは舌打ちした。
「悪い。ショーン。……また、俺は……。いつもこうだ。今回だって、妥協点を見つけるつもりで、こうやって資料まで取り寄せたってのに」
見上げるヴィゴの目をじっと見下ろしていたショーンが、眼鏡を押し上げた。
「ヴィゴ。お前の答えが書かれたシートってここにあるのか?」
「あるが……」
「見せられる?」
眼鏡越しに挑発的に笑ったショーンを、ヴィゴは、きれいだと、思った。
「何が知りたいんだ? ショーン?」
ショーンがヴィゴの目の中を覗き込む。
「ヴィゴのすべて」
「嘘だ……」
「嘘じゃない。俺だって、ヴィゴが一体、いつ自慰を覚えたのか知りたいよ。初めてやったのは何歳だったのかとか、俺相手で、満足しているのか。とか」
ショーンは、問題のシートを引き寄せた。
また、眼鏡を押し上げる。
「ヴィゴ。質問に答えようか? Q12 あなたがはじめて自慰をしたのは? 俺は、11歳。覚えたては、盛りがついたように毎日したよ。今は、たまに。……器具っていうか、道具を使うこともある。……あんたのせいだ。何にもなしじゃ、満足できない時がある」
眼鏡のせいでストイックな印象をかもし出していたショーンの顔が、赤く火照っていた。
ヴィゴは慌ててベットから降りると、自分の回答用紙を手に戻った。
ショーンは差し出されたものを受け取る。
「……この字で、相手が読めるか?」
ショーンは眉を顰めた。
眉間に皺をよせたままショーンは、ベッドの上に身を倒すと、問題シートと照らし合わせ、真剣にヴィゴの回答を読み取っている。
ヴィゴは笑み崩れた。
「ショーン、あんたのことが好きだ」
「知ってる」
ショーンの答えはそっけない。
それどころか、ショーンは、先ほどの問題をもう一度二人が寝転ぶこのベッドの上に載せた。
「ヴィゴ。ごめんって言ったら許すか?ってのと、ごめんなさい。と、謝るのは別物だ」
答えを追っていたショーンが舌打ちする。
「くそっ、あんたの方が早い」
「何が?」
ヴィゴは、ショーンの隣に頭を寄せて、回答用紙を覗き込んだ。
ショーンが眼鏡を外し、ヴィゴにキスをする。
「アレは、もうしないか? ヴィゴ」
「……わからない。この結果しだいか? もしかしたら、ショーンにだって向いている遊びかもしれないし」
むっと顔を顰めたショーンの唇を今度はヴィゴが塞いだ。
「嘘だよ。こないだは、悪かった。ショーン。いきなりじゃ、あんたが安心して楽しめるはずないことわかってたはずなのに」
ヴィゴは、ショーンの眼鏡を手に取ると、二人が踏まない位置へと動かした。
「なぁ、ヴィゴ。本当に、この答えを送ったら、二人の問題点がわかるのか?」
質問の内容は、ただの調査なのではないかと思われる、的外れなものも多かった。
ヴィゴは、ショーンの隣で腹ばいになった。
「お互いの性的な好みなんかは分析して回答してくれる。だから、それを参考にすれば」
そのままヴィゴは、手を伸ばしてショーンの釦を外しながら、にやにやと曖昧な笑みを浮かべた。
「……実はな、ショーン。それ、二人で取り組めた時点で、二人の相性は、50パーセント。お互いの答えを見せ合えた時点で、70パーセントと診断されてな」
ヴィゴの唇が、ショーンの肌にキスを落としていた。
「回答中に、セックスに至ったら、二人の相性は、全く悪くない。と、そうやって、資料に書いてあった。……やるか?」
じっと見つめてくるヴィゴの目を見返しながら、ショーンはにやりと笑う。
「ヴィゴ。俺に、眼鏡をかけて欲しいか?」
ヴィゴは驚いたように目を開いた。
「なんでだ?」
「あんた、教師としたことあったろ」
ショーンがにやにやと性質悪く笑う。
「ショーン。ああ、くそっ、俺は、どんなのでも、あんたが好きなんだ」
しかし、ヴィゴは、眼鏡を引き寄せた。
「……だが、悪くない、提案だな」
にこりと笑った協力的なショーンは、回答用紙を放り出した。
眼鏡をかけると、うっすら頬を赤くしたまま、ヴィゴとキスするため目を瞑る。
END