いいわけ
ショーンは、不機嫌にホテルのティールームでコーヒーを飲んでいた。
お互い無い時間を遣り繰りしていることは、わかっていた。
だが、約束の時間にもう、一時間もヴィゴは遅れていた。
「お待たせ。ショーン」
ヴィゴは、特に走るでもなく、荷物を持とうとするドアマンを断り、すこし小首を傾げるようにしながら、ティールームに現れた。
ショーンは、少し顎を反らし気味に、ヴィゴを睨みつけて待ち受けた。
「お早いお着きで」
「ご機嫌斜め?」
後ろから着いてきたボーイに椅子を引かれながら、ヴィゴは、笑顔のままコーヒーと頼んだ。
ショーンを見て、顔中に皺を寄せるような特別な笑顔を見せる。
つい、ショーンは、ほだされた。
「言い訳を聞く位の余地はある」
「そう、じゃぁ、聞いてもらおうか」
ヴィゴの持ち物は、いつもの大きな鞄の他に、チョコ。花束。本。何通かの手紙。
言い訳を聞かなくとも、上手くお忍びでこの国にたどり着いたショーンと違い、ヴィゴは、どこかで、予定がばれて、ファンに囲まれてしまったんだとわかった。
気さくなヴィゴは、時間の許す限り、彼女達を邪険にするような真似をしない。
「実はね。ショーン」
ヴィゴは、にやりと嬉しそうに笑った。
「空港についたら、まず、バイキングの扮装をした沢山の男に囲まれてね」
いきなりとんでもない話を始めたヴィゴに、ショーンは、一体それは、どんな状況なんだと、眉を寄せた。
「彼らは、いきなり剣を抜いて俺を追ってくるわけだ。だけど、俺は、あんたとの約束があるから、応戦なんてしている暇は無い。卑怯だったが、俺は逃げたわけなんだよ」
「おい?ヴィゴ?」
ショーンは、特撮の撮影でもしていたという話なのではないのかと、皺を深くして、ヴィゴを見た。
「必死で走っていると、隣りを同じようにすごい速さで走る男がいる。誰だと思う?フェイディヴィス。知ってるかな?マラソンの語源になったマラトンの戦いで、伝令を務めた男なんだけど」
「おい、ヴィゴ」
ヴィゴは、ショーンの戸惑いなど、無視して、楽しそうに話を続けた。
大きな身振り手振り付きだ。
「知らないかい?まぁ、いい。その彼が、俺に、一緒に走ってくれって頼むんだ。でも、俺は断ったよ。何故って、ショーンとの約束があったからね。見ず知らずの男の頼みなんて聞いていられるわけがない。で、彼と別れて、後ろから追ってくるバイキングをかわしながら走っていると」
ショーンは、すわり心地のいい椅子に態度悪く半身になって反り返った。
顎をしゃくって、ヴィゴに続きを促した。
ヴィゴは、堪えた風もなく、にっこり笑って続きを口にする。
「すごい美少女が、湖のほとりで泣いてるわけだよ」
「へぇ、それ、誰?」
ショーンは、混ぜっ返すような口調だ。
「残念。それが、近くに寄ったら、少女じゃなかった。少年だったんだけどね。ナルキッソスだった。湖が濁って、自分の顔が見られないと、泣いてたんだ」
「環境団体にでも、抗議してもらったらどうだ?」
ショーンは、投げやりだ。
「俺は、話を聞いて、でも、力になれそうになかったから、励ましの言葉だけをかけて、走りつづけた。だって、まだ、バイキングが追ってきていたんだ」
ショーンは、コーヒーを飲み、煙草に火をつけた。
ヴィゴはとても親切に、ショーンの手元へと灰皿を押してくれた。
「凄い奴らなんだ。こんな大きな盾と、剣を持っててね」
「執念深い奴等だな」
「まぁ、バイキングだからね。戦って、戦って、やっとバルハラの女神に抱かれる日を待つ彼らだ」
「ふーん。それで?」
全く興味の無い顔で、ショーンが、続きを促すと、ヴィゴは、もっと話を大きくした。
「彼らを振り切るために、全力で走る俺に、声をかける女がいたんだ」
「一緒に走ったのか?すごい女だな。誰?」
「マリア様」
「神話がごちゃませだな。で、何の用?キリストが迷子になって探してくれって?」
ショーンは、適当に話を作って、ヴィゴにあわせた。
ヴィゴは、嬉しそうに大きな声を出す。
「なんで、知ってるんだ。ショーン!」
手でも叩きそうな勢いだ。
「小さなキリストが、迷子になってるから、探してくれって、あの美しい人が」
ショーンは、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「で、探してやったのか?そりゃ、忙しかったな」
「そう、キリストは、すぐ見つかったんだけどね。そうしてると、いきなり、ゼウスが現れて」
ショーンは、もう、どうにでもしてくれという気分だった。
「…神様総出演か?豪華なこって」
すると、ヴィゴは、ごそごそと、自分の鞄から、何かを取り出した。
「ゼウスがさ、ナルキッソスを慰めてくれたお礼に、この箱を俺にくれたんだ」
テーブルに置かれた箱は、真新しい木でできた、だが、とても凝ったデザインの箱だった。
ヴィゴのセンスのよさに、感動する一瞬だ。
だが、ショーンは、誉めてやるのが癪に障って、話の続きを促した。
「なんで?お前にゼウスが、この箱をくれるんだ?ナルシスと、ゼウスは親戚か?」
「さぁ?彼が、ゼウスのお気に入りなんじゃないのか?」
「…そう…で?その箱がなに?」
ショーンは、疑い深い顔のまま、ヴィゴと箱を見比べた。
この話のおちをどうヴィゴがつけてくるのか、とりあえず、最後まで聞く気になっていた。
「いやね、これ、使い勝手が良さそうだし、ショーンのプレゼントにしようかと思うんだけど、貰ってもらえるかな?パンドラの箱だけど」
ヴィゴは、さり気なさを装いながら、最後の言葉をやけにはっきり口にした。
「…パンドラの箱?」
ショーンは、そんな神話があったことを思い出し、すこしばかり、あっけに取られた。
「そう。パンドラの箱。ゼウスがくれたんだ。俺は、まだ、空けてないから、多分、多くの厄災と、でも、最後には希望が入ってるはずだ。ショーン。君にプレゼントするよ。遅れちゃったお詫び。いいものばかりが入ってるわけじゃないけど、でも、素敵なデザインだろ?貰ってくれるかな?」
ヴィゴは、少しばかり遠慮気味に、だが、素敵なプレゼントを渡せることに嬉しそうな顔を見せ、ショーンに箱を押しやった。
ショーンは、改めて、ヴィゴと向き合った。
「…ヴィゴ。お前、今の言い訳、本気でとおると思ってるのか?」
「そうだよ。ここに、俺が、止むを得ない理由で遅れたって証明になるパンドラの箱もあるじゃないか。ゼウスは立派な男だったぞ。なかなかいい男でもあった」
ヴィゴの顔はいたく真面目だ。
ショーンは、鼻の上に皺を寄せた。
「信じられない奴だな。本当に。せめてちゃんと理由をいえよ。俺は、怒りゃしない。どうせ、ファンサービスをしていて遅れたんだろう?」
「違うって。ショーン。バイキングに追われて…」
ショーンは、もう一度説明しようとするヴィゴを遮った。
「マラソンだか、マラトンだかに会って。キリストを探して」
そのショーンをまた、ヴィゴが遮る。
「違うよ。ショーン。キリストを探す前に、ナルキスに会ったんだ」
「もう、どうでも、いいよ。ヴィゴ。で、おやさしいヴィゴに、ゼウスがパンドラの箱をくれたと」
ショーンは、強引に話を纏めた。
ヴィゴは、何が嬉しいのか、にこにこと笑っていた。
「そう。そうだよ。ショーン。つまらないもので悪いんだけど、パンドラの箱。貰ってくれる?」
「…ヴィゴ、お前、ちゃんと謝れ。許してやろうと思ってたけど、気が変わった」
ショーンは、低い声で言った。
「なんで?ショーン?」
ヴィゴは、にこにこと笑う顔を崩さない。
「そんな嘘ばっかりのせいで、1時間も俺は待ちぼうけだったわけだ」
「嘘じゃないよ。ここに、ほら、パンドラの箱」
「こんなの偽者に決まってるだろ!」
ショーンは、大きな声でヴィゴを怒った。
なかなかいいデザインだと思った箱をあえて、ヴィゴへと押し戻す。
ヴィゴは、すこし傷ついたように、小首を傾げた。
「なんで?ショーン。俺が言う事、信じられないのか?」
「信じられるわけが無い」
「じゃ、パンドラの箱。開けてみろよ。そうすれば、そこら中に厄災が広まり、俺の無実が証明される」
そう言われると、ショーンは、気軽に手をかけていた箱が、とたんに怖いもののような気がした。
蓋が開かないよう、つい、かけていた手を引っ込めてしまう。
「…なんで」
「開ければいいじゃないか。ショーン。大丈夫。まだ、誰も開けてない箱だから、ちゃんと希望も箱の底に入ってる。厄災だけってわけじゃないから、ショーンは、極悪人になるわけじゃない」
箱は、ティールームの机の上に、ぽんっと、なんでもなく置かれていた。
古めかしい意匠デザインの割に、箱そのものは、とても新しい。
そう、まるで、ギリシャの大神から、今貰ったばかりだという言葉とおりに。
「ショーン、俺を追って、バイキングがやってきたら、一緒に戦ってくれよ」
にやにやと笑うヴィゴを前にして、ショーンは、眉の皺を深くした。
END
BACK
百万回もこういう流れの話は、読んだことがあるだろうなぁ・・と、思いつつ。
モーちゃんお誕生日月間中なんで。枯れ木も山の賑わいってことで(苦笑)
書く方は、すっごく楽しいんですよ。こういうの(笑)