SV劇場 −8−
常夜灯の明かりに照らされたショーンの家のドアの前に立ったヴィゴは、ためらいを自分の胸の奥深くまで押し込めたようと、髪をかき上げた。引きつりそうになる自分の顔になんとか笑みを浮かべようと努力する。
だが、そこに浮かんだのが笑みなどというものではなかった。
こわばる顔を無理に動かしただけだと自分でも感じる。
だが仕方がなかった。
笑うための材料となるものを何一つ、ヴィゴの心の中に持っていない。
頬を緩められるような幸福感などというものは、ショーンとセックスするようになって以来、ヴィゴのポケットの中から出てきたためしはなかったし、だからと言って、そんな自分をあざ笑うことすら、今のヴィゴにはできなかった。
いくら優しいショーンのセックスが知りたかったからといえ、そのセックスで嘔吐し、オーランドに自己への嫌悪感を植えつけてしまったことは、あまりに罪深い。
果たして、あの時、ショーンに大事にされているオーランドに嫉妬していなかったのか、と、尋ねられれば、ヴィゴはそれを否定することもできなかった。
だが、ヴィゴが苦しくえずき上げた時、オーランドは瞬きも忘れたように大きく目を開け、その目は今にも涙が盛り上がりそうだったというのに、ヴィゴの背をさすった。
タオルを、水の入ったコップをと用意し、ひたすら謝ったオーランドの柔らかな心を、好意を向けられているのだからとヴィゴが傷つけていいということはない。
自分を取り繕うため浮かべようとしていた笑みを諦め、ヴィゴはドアを開ける。
ためらっている間に、約束の時間は過ぎてしまっている。
「ショーン……」
ヴィゴは、ソファーに掛け、新聞を読むショーンに声をかけた。
ショーンはゆっくりと目を上げた。
緑の目は不機嫌そうだ。
いや、この場所でならいつもとおりの目だ。撮影所で見せる柔らかな笑顔などここではショーンの頬には浮かばない。
だが、酷く臆病になっているヴィゴは、ショーンの目を見ていることができなくて視線を不自然にずらした。
「それ……」
ヴィゴは、そこでオーランドの帽子を見つけた。
忘れ物らしい帽子は、ごく自然にショーンの座るソファーの端に置かれたままになっている。
夕べ二人は、会う約束をしていた。
……していた。
ヴィゴは、緊張で張り詰めていた身体から力が抜けるのを感じた。
ヴィゴは、オーランドのことが嫌いではない。
甘ったれた、かわいらしい青年は、努力家だったし、人に対して誠実で、優しい。
ヴィゴは自分のせいで傷ついたオーランドに罪のつぐないをしなければならないと思っていた。
ショーンのことは愛している。
ショーンの側にいられるのであれば、どれだけ傷つこうと我慢が出来るはずだと思っていた。
傷でもいいから欲しくなって、ヴィゴはショーンから無理やりセックスを引き出したのだ。
だが、ショーンの家に、オーランドの忘れものがあるという、ただそれだけで、ヴィゴの頬に涙が伝った。
ヴィゴは、自分でも驚いた。
ほどぽろぽろと涙が零れ落ちていくのをどうにも止めることができない。
「ヴィゴ……」
ドアから一歩は入っただけの場所で、いきなり泣き始めたヴィゴに、ショーンが顔を顰めた。
機嫌悪くひそめられた目の色に気付いたヴィゴは慌てて片手を上げる。
「ショーン……悪い」
ヴィゴはぐいっと涙を拭った。それでも涙が止まらなかった。
自分を落ち着けるように深呼吸をし、だが、まだ涙は止まらない。
止まらぬ涙に、ヴィゴは顔を覆った。
「すまない。ショーン。すぐ、だから。すぐ、やれるように準備するから、少し……待ってくれ」
ショーンにとっての自分の価値をヴィゴはわきまえていた。
自分は、ショーン好みのセックスをさせてやることができるというただそれだけの存在だ。
自分が泣くことは、ショーンを苛立たせる。
わかっていたが、手で顔を覆ってしまうと、ヴィゴの喉からは嗚咽がこみ上げてくるのを我慢することができなかった。
自分にも止められない衝動がこみ上げ、大きな声でヴィゴは泣く。
ただ泣くことにこれほどの快楽が潜んでいたのかと、呆れるほどに泣くことは気持ちが良く、夢中になってヴィゴは泣いた。
激しい息継ぎ、鼻をすすり上げる音、ごうごうと鳴る血管の中の血液。呻く自分の声。
ただ、自分の出している音だけが耳を打つ。
顔を覆っている手のひらからはもう涙が溢れ出していた。
「……ヴィゴ……いつまで待てばいいんだ?」
ようやく、新聞を捲る音と、冷めたショーンの声がヴィゴの鼓膜によみがえった。
ヴィゴは涙でぐちゃぐちゃに濡れたそろそろと顔を挙げる。
「ショーン……悪い」
ヴィゴの口元には、笑みが浮かんでいた。
涙がヴィゴに微笑むだけの力を与えたのだ。
おもねる様な笑いを浮かべたヴィゴを、ショーンは軽蔑の眼差しで見る。
「汚い。お前」
真っ赤に目を腫らし、顔中を涙と、鼻水で汚していれば、確かにきれいだけといいがたい。
涙の余韻を残し、上ずる声で謝ったヴィゴは、自分のシャツで顔を拭った。
「すなない。ショーン……」
汚れたそれはついでに脱ぎ、床に放る。
「待たせて悪かった。汚い顔は見えないようにしてやるから……」
ヴィゴは、俯いてショーンの脇をとおりぬけようとした。
もう、冷静にショーンのセックスを受け入れられると思っていた。
だが、あれほど涙を流しても、まだ、ヴィゴの中には、激しい感情がくすぶっていたのだ。
いや、泣いたことによって感情の箍が外れやすくなってしまっていたのだろう。
ショーンの足が視界に入ったその瞬間、ヴィゴは、オーランドを思いやることは勿論、ショーンに対してすらどんな配慮をすることも忘れてしまった。
ただ叫んだ。
ヴィゴは、それが吹き出すのを止めることができなかった。
「畜生! 俺の何がダメだって言うんだ! 俺は、ショーンが好きなだけなんだ! なんで俺が、ショーンを好きになっちゃだめなんだ! ショーンが、好きなんだ! 畜生! ショーンが好きなんだ!!」
自分の感情を持て余し、まるで何かの発作のように床を踏み鳴らし、わめきたてたヴィゴは、顔を真っ赤にして、まだ叫んだ。
「ショーンが、好きなんだ! ショーンが好きだ! 好きだ!!」
眠る前に何度もヴィゴが夢想したハッピーエンドの物語なら、きっとこれで、全ての誤解が解け、ショーンが優しく抱きしめてくれる。
だが、実際ヴィゴの与えられたのは、ショーンの平手打ちだった。
強い殴打にヴィゴの頭は大きく振られた。
打たれたところは、痛いというより、熱い。
「……それで?」
ヴィゴは、ショーンを見た。
「……好きなんだ」
呆然としながらも、ヴィゴの口は自然と言葉を繰り返していた。
「ああ、聞いた。だから、何だ?」
ショーンは、まっすぐにヴィゴを見つめる。
冷たい目だ。
「……好きなんだ。ショーン」
繰り返すうちに、ヴィゴの心は小さく縮みあがり、涙がまた溢れ出した。
涙が熱く腫れ上がった頬を伝い落ちていく。
ヴィゴは、その場にうずくまった。
もう泣くことには熱心になれなかった。
ヴィゴの中の情熱の火は、消えそうなほど弱まってしまっている。
ヴィゴは、誰に促されたわけでもないのに、そろそろとショーンの腰へと手を伸ばし、ジッパーを下げた。
下着の中から掴みだしたものを、ヴィゴは口に含む。
それ以外、自分には何も出来ないのだ。
ヴィゴは、打ちのめされたような思いで、口の中のペニスを味わった。
それでも、ショーンのものを口に含めることが嬉しい。
そこに自分の価値を見出せるのは嬉しい。
ヴィゴが舐めるのにまかせていたショーンの手が動いた。
ショーンは、ヴィゴの頬に触れた。
きれいなカーブを指先に持つ長い指が、熱を発しているヴィゴの頬を撫でていく。
ヴィゴは、また、どんな風にショーンに傷つけられるのかと、覚悟を決めながらも、少しでも優しくしてほしくて、熱心にフェラチオを続けた。
「ヴィゴ」
ショーンは、ヴィゴの膝を蹴った。
「ヴィゴ。もういい、やめろ。……ヴィゴ」
「ショーン……」
ヴィゴは、すがるようにショーンを見上げた。
自分の奉仕が気に入らないのかと、さらにショーンのペニスを深くくわえ込もうとする。
あふれ出した唾液に濡れたヴィゴの顎をショーンが掴んだ。
「ヴィゴ。もう、……いい」
きつい声で言ったショーンは、立ち上がりかけている自分のペニスをヴィゴの口から吐き出させた。
濡れたそれを下着の中へと押し込む。
「嫌なのか? ショーン……」
知らずヴィゴの頬にはまた涙が伝っていた。
それを取り上げられたなら、もう、ヴィゴにはショーンに近づく手立てすらない。
ショーンが大きなため息をつき、ソファーにどんっと、腰を下ろす。
暫くショーンはそのまま動かなかった。
ヴィゴは、ソファーの上にあるオーランドの帽子を見ていた。
部屋の中は静かで、時計の針が動く音まで聞こえる。
ようやく、目の上を覆い黙り込んでいたショーンが身を起こした。
床に座り込み、固く身体を緊張させていたヴィゴの手を引く。
「ここに座れ。ヴィゴ」
ショーンは、ソファーの隣へとヴィゴを座らせた。
オーランドの帽子がつぶれる。
「話をしよう……」
ショーンが口を開いた。
ショーンは、自分の顎を撫で、自分で言い出したくせに、目をそらして話にくそうな顔をしていた。
END