SV劇場−7−

 

昼間撮影所で顔を合わせれば、夕べどんなことがあろうとも、ショーンとヴィゴは仲の良い共演者の仮面を外さない。

「へぇ、あんた、ここをためらっていると解釈するのか」

「なんだ? ヴィゴの考えは違うのか?」

「……違う……と、いう程じゃないが、なんだか、違和感があるな」

だが、年若いオーランドは、二人ほど己を律することが出来なかった。

スタジオの片隅に置かれた椅子に座るショーンの姿を見つけ、側へと走り寄ってきたオーランドは、当たり前に隣に立つヴィゴに気付き、気まずそうな表情を浮かべた。駆けるようだった足が止まっている。

ショーンは、そんなオーランドに気付いていたが、表情すら変えなかった。

壁にもたれかかって俯くようにコーヒーを口にしていたヴィゴが、オーランドに気づき、はっと口を開いた。

「オーリ……」

オーランドはぎこちなく笑う。

「……別に用事があったわけじゃないんだ。俺、邪魔になりそうだね、ごめん」

「ああ、オーリ、悪い。ちょっと待ってくれ」

ヴィゴは、慌てて壁から身を起こすと、踵を返そうとしたオーランドへと強引に近づいた。ヴィゴの手が伸び、オーランドは腕を掴まれる。

オーランドの目が逃げ場を求めるように、ショーンへと視線を流した。だが、ショーンは、足を組んだまま椅子に腰掛け、ただ、二人を見ているだけだ。

「オーリ」

ヴィゴは、オーランドの目を覗き込むようにして、真摯にオーランドを見つめた。ヴィゴの目は、オーランドに許しを請うている。

ヴィゴに触れた夜から、会う勇気も沸かず、何とか彼を避け続けてきたオーランドは、今、初めてヴィゴと対峙したのだ。何をヴィゴが謝ろうとしているのか分かっているだけに、オーランドは謝罪の言葉を聞きたくなかった。

「ヴィゴ。……あのさ、あの、別に、俺、気にしてないから」

オーランドは、ヴィゴが好きだった。今だって、とても好きだ。それだけに、吐くほど彼から強く拒絶されたことに、オーランドは深く傷ついていた。ヴィゴに謝られ、もう一度あれが本当にあったことだと目の前に突きつけられるのは耐えられなかった。

嘔吐物にまみれながら呆然とした顔をしていたヴィゴを、なんとか笑顔で送り出し、その後、オーランドは泣きながらその場をきれいにしたのだ。

「あのさ、ヴィゴ。ちょっとだけ、ショーンに話をしてもいい?」

ヴィゴが口を開く前に、オーランドは、なんとか自分の腕を取り戻した。逃げているという態度を隠し切れもせず、小さく呟くオーランドはヴィゴの顔も見ず、ショーンの影へと回り込む。

「あのね、ショーン。今日、ちょっと遅くなりそうで」

「ああ、平気だ。オーリ。気にするな。待っててやった方がいいか? それとも、別の日にするか?」

「あっ、うん。出来れば、待っててもらえると、すごく嬉しい」

「よし、じゃぁ、待っててやるよ。だが、適当な時間には切り上げるからな」

「うん」

ショーンの大きな手が、極自然に、オーランドの髪をかき混ぜた。オーランドが小さく笑う。

ヴィゴは、呆然と二人を見ている。

だが、ヴィゴは、すぐに表情を切り替えた。

「なんだ? オーリ。ショーンに乗り換えたのか?」

いやらしさを装って笑うヴィゴの様子に、オーランドは困ったように微笑んだ。

「あの……」

オーランドは、無理をして作ったとわかる健気な笑顔を顔に浮かべるとヴィゴに頼んだ。

「あのさ、ヴィゴ。俺が、二人のことすごく邪魔してるのは分かってるんだ。でも、ごめん。ちょっとだけ、ショーンのこと俺にも貸して」

ヴィゴは、ショーンが自分のものだとは、まるで思っていなかった。そう思いたかったが、ショーンは、ヴィゴをそんな待遇では受け入れてはくれなかった。

「それは、ショーンの自由だから」

ヴィゴは無意識に両手を広げ、自分の腕の中は空なのだとオーランドに示していた。自分でそれに気付いたヴィゴは、強く手を握る。紙コップのコーヒーがあふれ出しそうになり、ヴィゴは慌てて力を緩めた。

ヴィゴは衣装の隠しにしまいこんであった煙草を取り出す。

安物のライターで火をつけていると、オーランドの小さな声が聞こえた。

「あのさ、ヴィゴ。俺が悪かったんだから、ヴィゴは、気にしないでね」

オーランドは、ショーンの衣装を強く握っている。

「もっと早く謝りたかったんだけど。……俺が、無理なこと言ったもんだから、ヴィゴに気持ちの悪い思いをさせちゃってごめんね」

オーランドは、ヴィゴに謝罪すると、ヴィゴからの返答は聞きたくないとばかりに身を翻した。

ヴィゴは、走るオーランドの若い背中を見送りながら、煙草に吸った。

苦い。

「俺の犬が、ショーンのところで飯を食うようになった」

ヴィゴは、いらだたしげに髪をかき上げると、ショーンを睨んだ。ショーンは、動じない。それどころか、笑いを顔に浮かべている。

「セックスの最中に吐かれれば、100年の恋だって冷めもするさ」

ショーンは手を伸ばし、ヴィゴが持っていた煙草を一本取り上げた。

口に咥え、ヴィゴに側へ顔を近づけるよう顔を突き出す。

ヴィゴは、仕方なくショーンに顔を近づけた。

間近の緑を見つめながら、ヴィゴは尋ねる。

「聞いたのか……?」

煙草の小さな赤い熱が二人の間を繋いだ。

ショーンの煙草から煙が上がる。

「聞いたよ。だからって、別段、あんたの庭まで行って、餌付けしたわけじゃない。首輪が緩んでたみたいだな。大事なら、ちゃんと繋いどけって言ったろ」

ショーンは、嫌味なほどに軽やかに笑った。

「……あっちにするのか?」

ヴィゴはコーヒーが衣装を汚すのを恐れ、手近な机を探しながら、ショーンに尋ねた。

ショーンの目を見つめたまま、答えを聞く勇気がわかず、ヴィゴは目を伏せている。

ショーンの顔に苛立ちが浮かんだ。

「あっちにするってのは、どういう意味だ?」

ヴィゴは、絶望で身体の力が抜けるのを感じ、コーヒーを手放していたことに安堵した。もとよりヴィゴは、ショーンにとってモノの数に入っていなかったということなのだ。ショーンは、ヴィゴからオーランドへと乗り換えるのだという意識すらない。

ヴィゴは煙草を強く噛んだ。

「オーリに、貸してくれって頼まれたからな。俺こそ、あんたたちの仲を邪魔しないようにしないとダメだろ?」

ショーンはほとんど吸っていない煙草を床に投げ捨て、靴で踏みにじった。

顔を上げたショーンは、驚くほど冷たい目でヴィゴを見た。

「ヴィゴ」

ヴィゴは、これまでの夜をショーンからどんな切り捨て方をされるのか、じっと身構えた。

「あんたのせいで、オーリは今、インポテンツだ」

しかし、ショーンが言ったのは、別のことだ。

だが、それは、恐ろしい告白だ。

ショーンが口元に嫌な笑いを浮かべた。

「なんとか勃たせてやってもな、あいつ、真っ青になって吐きそうになるんだ。ヴィゴ」

ショーンは、とても意地悪く、ヴィゴの表情が変わるのを見逃しはしないとじっと視線を当てていた。

「ショーン……」

「あいつは、自分が他人に気持ちの悪い思いをさせるんだと思い込んでる。たかだか、どっかの変態が優しくされるセックスじゃ燃えないってだけなのに、かわいそうな話だろ?」

「嘘……だ」

「俺が、なんでわざわざあんたに嘘をついてやらないといけないんだ。オーリは、まだあんたのこと好きだって言ってたぞ。健気じゃないか。あんたに嫌な思いをさせたくなくて、あいつはあんたに近づかない」

ヴィゴは、思わず、オーランドが去っていった方角に振り返った。

勿論、もう、オーランドがいるはずもない。

ショーンは、さっきまで目を通していた台本へと視線を動かした。

「さっ、ヴィゴ。余計なおしゃべりは、こんなところでやめにしようじゃないか。なぁ、お前、明日の夜は、うちに来いよ」

ショーンは、ヴィゴの顔が泣きそうに歪むのを満足げに見つめた。

もう、ヴィゴはあのショーンを苛立たせる挑発的な笑みを浮かべない。浮かべられない。

ショーンは、昨日の晩だって、ヴィゴを殴ってやろうかと思ったのだ。

あのヒステリックな笑い。

まるで自分が被害者であるかのような振る舞い。

当然と、ヴィゴは、自分からショーンの腹へと乗り上げる。

「さぁ、ヴィゴ。なんで、ここがためらっているという解釈じゃ違和感があるのか、教えてくれ。俺にはそう読み取れるんだよ。なぁ?」

ヴィゴは、そろそろとショーンに近づいた。

「ショーン? ……本当に?」

「何が?]
ショーンは、にやりとヴィゴを見た。
だが、ショーンは、ヴィゴにセックスを強制しながら、もう顔を切り替えていた。
「俺には、ヴィゴが違和感があるっていう方が理解しがたいよ。なんでヴィゴはそう思うんだ?」

信頼する共演者に意見を求める熱心な俳優しか、ここにはいない。

「ヴィゴ。じゃぁ、あんた、この場面のこの二人に一体どんな感情があるって言うんだ?」

 

ヴィゴには、答えられなかった。

 

END