マッチ売りの少女
雪の降る寒い夜でした。
ショーンは、履く靴もなく、裸足で、町の中をさ迷っていました。
「マッチは、いりませんか?」
腹がすいて、力の入らないショーンの声は小さく、振り返るものもいません。
ショーンの踵は、踏む土の冷たさに赤く色づいていました。
ですが、ショーンは、マッチを売らないことには、帰ることも出来ませんでした。
ショーンは、小さな声で、マッチを売ります。
雪は容赦なくショーンの身体を凍えさせます。
ショーンは、貧しく、マッチが売れないことには、今日食べるパンのひとかけらだって、ありはしないのです。
「マッチは、いりませんか?」
ショーンは、精一杯人を呼び止めました。
たまに振り返る人は、マッチの籠を見ることはせず、ショーンの顔ばかりを見ていきました。
ショーンは、金色の髪と、緑の目をしていたのです。
美しく整ったショーンの顔立ちは、マッチ売りとは別の商売を想像させました。
緑の目は、暮らしの疲れに、少し力を失い、誰かの庇護を求めていました。
こけた頬も、皮手袋で温まっている自分の掌で包んでやりたくなるような、そんな雰囲気を纏っていたのです。
「いくらだい?」
ショーンの美貌に足を止め、聞く人は、マッチの値段などよりも、ずっと高い値段を口にしました。
ショーンは、そのたびに、首を横に振りました。
「売り物ではありません」
暗がりで、顔を伏せるショーン。
自分を恥じるように俯く顔に、男達は、このやり取りを駆け引きだと思います。
「そんなはずはないだろう?値段が気に入らない?」
「そうではないんです」
「こんな場所でなんて言わないよ。温かいベッドと、食事も約束する。悪い条件じゃないだろう?」
腕を伸ばす男に、ショーンは、顔を上げ、ふるふると小さく顔を横に振りました。
「すみません。本当に、違うんです。マッチを1箱。それだけを買って頂きたいだけなんです」
ショーンは、客になってくれるかもしれない男の手を振り払うこともできず、瞳を涙で潤ませながら、必死になってマッチを男に勧めました。
「そういう趣向なのかい?じゃぁ、マッチの値段はいくら?」
正当なマッチの値段を口にするショーンに、男は、驚いた顔をしました。
「馬鹿にしているのか?」
「違います。本当に、私は、マッチを売っているだけなんです。どうぞ、マッチを買ってください」
男は、しばらくの間、じっとショーンの顔を見つめました。
「じゃぁ、君の顔の側で、火をつけることを許すかい?」
ショーンは、小さく、ため息を落としました。
この申し出は、初めてではありませんでした。
「…どうぞ。旦那様。お好きなだけなさってください」
ショーンは、この一本向こうの路地に立つ、本当にそういう商売をしている人間達に苛められる原因となっている仕事を始めました。
いえ、ショーンのしていることは、何もありません。
ただ、細い路地の暗がりで、顔を上げて立っているだけ。
男は、マッチに火を灯し、ショーンの顔をしげしげと眺めます。
「綺麗な目をしているね」
ショーンは、近づく小さな炎に目を瞑りたくなるのを我慢しています。
マッチの炎は直ぐに消えてしまいます。
「本物の金髪かい?きらきらしている」
こんな路地で売られるマッチ箱の中には、そんなに沢山のマッチなど入っていません。
ショーンの顔を満足するまで堪能できなかった男は、次の箱をショーンから買います。
次々に擦られるマッチの燃え残りは、ショーンの足元の雪を汚していきました。
男は、この寒い晩にコート一枚羽織っていないショーンの薄汚れたシャツをマッチの火で照らしました。
「すこし、服を緩めないか?」
「…すみません。それは、できないんです…」
ショーンにとって、この商売は、許される限界でした。
はんぱな商売の仕方をするショーンを向こうの路地の人間が、どんなに嫌おうと、これ以上のことは、ショーンにはできません。
「そう。じゃぁ、今度は、君の商売が変わったときにでも、また、寄らせてもらうよ」
籠に入っていた、マッチ全てに火を灯した男は、近い将来への確信を持って、ショーンの肩を叩き、路地から出て行きました。
ショーンは、手の中に握り締めた僅かのお金を、強く握り締めます。
「たった、これだけ。…これだけしかない…」
ショーンの生活は、困窮していました。
マッチを売るために、自分から、男達に火をつけることを提案しなければならないほどです。
そんなショーンの噂は、密やかに男達の中を流れていき、全く商品が売れない日などなくなっていました。
身なりは薄汚いけれども、目の覚めるような美貌が、夜の路地で、マッチの炎に耐え、顎を上げているのです。
暗い欲望を刺激される男達が、ショーンのマッチを買いました。
一本、また、一本と、マッチの炎が、ショーンの緑の目を照らします。
けれど、そういうなまぬるい商売のやり方は許されるはずもありませんでした。
ショーンは、何度も、貞操の危機に晒されました。
ショーンの一枚しかない洋服に火をつけ、裸にしようとする人間も出ます。
逃げるショーンを助ける者は、いませんでした。
それどころか、あくまで身体を売らないショーンを妬み、ショーンから商品のマッチを取り上げ、めちゃくちゃにする者しか、この町にはいませんでした。
今晩も、ショーンは、必死で逃げ出したところでした。
全てのマッチを買い上げてやるから、ここで性器を晒すんだという変質的な男に掴まったのです。
逃げる途中で、商品は、雪の上に落ち、湿ってしまいました。
今晩は、仕事になりません。
ショーンは、悲しくなって、たった1箱残ったマッチを自分でそっと擦りました。
逃げる途中で、窓越しに見た、温かな家の中の情景が浮かびます。
おいしそうな食事と、暖炉の炎。
ショーンの手元には、暖を取ることも出来ないほどの小さなマッチの炎しかありません。
「腹が…減ったな…」
ショーンは、ここ3日ばかり、何も口にしていませんでした。
ショーンは、また、マッチを擦ります。
目の前には、温かく、幸せな情景が浮かびます。
「……消えないでくれ…」
箱の中のマッチは、僅かな本数しかありませんでした。
最後のマッチが消えるのと一緒に意識を失いそうになったショーンを抱き締める腕がありました。
腕は、倒れこむショーンを優しく抱きとめました。
意識が薄れていく、暗い視界の中で、ショーンは、口を開きました。
「…旦那様の衣装が汚れます…」
ショーンが見た彼の衣装は、この町では、見たこともないほど、上等でした。
柔らかな毛皮が、意識を暗闇へと引き寄せます。
「構わない」
声は、力強く、温かでした。
柔らかな毛皮の感触は、ショーンに安堵を与えます。
「……今日は、お売りするマッチがありません。……変わりに、私を買ってください…」
とうとう、ショーンは、禁断の言葉を口にしました。
このまま、ここにいたら、死んでしまうと思ったのです。
空腹に耐えられませんでした。
言ってしまうと、開放感がショーンを包みました。
後戻りできなくとも、これで、餓えはしのげます。
男の腕に抱かれたまま、ショーンは、意識をうしなってしまいました。
いつもとはまるで違う、ふかふかのベッドの上でまどろんでいたショーンは、髪を撫でられ、はっと目をあけました。
「目が覚めたか、ショーン」
「……ブラッド?」
目を開けた先にある、見覚えのある顔に、ショーンは驚いて、飛び起きました。
しばらく会っていませんでしたが、友人のブラッドです。
ブラッドの家ならば、このふかふかのベッドにも納得が行きました。
ブラッドは、ショーンと違って金持ちです。
ですが、ショーンだって、かつてはそのブラッドと肩を並べて歩けるほどには、金持ちでした。
だから、2人は、幼い頃から、仲が良かったのです。
思ってみなかったブラッドの顔を見て、ショーン自身は、言葉も無くすほど驚いていたつもりでした。
ですが、腹が音を立てました。
ブラッドが笑います。
「飯ね。わかった。すぐ、用意させる。相変わらすで、おもしろいな。ショーンは」
ベルを鳴らし、使用人を呼ぶブラッドは、楽しそうな顔をしてショーンを見ています。
「……悪いな」
ショーンは照れ笑いを浮かべました。
ですが、すぐに開いた扉の向こうから現れた人物の表情に、そんな笑いを浮かべている状況ではなかったことを思い出しました。
慇懃な態度で、食事を運ぶ使用人は、ショーンを見下げた態度が隠し切れていません。
「…やぁ」
ショーンが、挨拶をしても、無視します。
当たり前です。
ショーンは、かつて、この屋敷に勤め、この屋敷のものを相当数盗み出し、とんずらしたのです。
「友達として、この家を訪ねてくれていた間は、彼女はショーンのファンだったのに」
ブラッドは、食事を運び終わった使用人が出て行った扉を見ながら、肩を竦めました。
「今でも歓待されるなんて思ってない」
ショーンは、仔細に構わず、胃が痛むほどの空腹に、早速、食事に手をつけました。
ブラッドは、味わうというよりは、ずっと乱暴に口の中へとスプーンを運ぶショーンを、ベッドに腰掛けたまま見ています。
「すこし、変わったか?ショーン」
「さぁ…そうかもね」
ショーンは、顔を上げようともしませんでした。
そんなショーンにブラッドは言いました。
「ショーン。君は、また、ご両親との約束を破った。もう、本当に、家には戻れないと思った方がいい」
ブラッドの言葉に、ショーンは清々とした笑顔を見せました。
ショーンは、ブラッドよりは、すこしばかり階級がさがりましたが、十分裕福な家に育ちました。
しかし、悪い癖があって、いい年をしているというのに、家の事業などそっちのけにしていました。
サッカー賭博です。
上流な世界で密やかに行われる大金を使った賭けにも、酔いどれが集まる下町の酒場で行われるコインがメインの賭けにも、ショーンは名を連ねました。
あまり才能はありません。
けれども、負けたものほど、熱くなるのが賭博です。
それだけでも大層、家の者はショーンに手を焼いていたというのに、ショーンは、女癖も悪かったのです。
結婚には何度も失敗しました。
そこで、男子を儲けてくれていたら、まだ、許しようがあったのですが、生まれたのは、かわいらしい女児ばかりの赤子だったのです。
ショーンの両親は、我慢の限界を迎えました。
ある朝、ショーンは、3人目の妻に逃げ出されたショックを味わっていました。
苦労してもらった嫁だけに、ショーンよりももっとショックの大きかった両親は、ドラ息子を家から叩きだされました。
「勤め先を用意しておいた。しばらく、あの方を見習って、人生を学んで来い!」
行く先は、幼馴染だと言っていい、ブラッドの家でした。
ブラッドは、ショーンとは違い、立派に家業を盛り立てていました。
安心した両親は、もう、引退しているほどです。
しかし、勤めたブラッドの家のものをショーンは、盗み出しました。
それでショーンは、また、賭けをして負けたのです。
両親は、本当に、あきれ果て、もっと厳しい生活をさせるため、下町へとショーンを放り込みました。
「ブラッド、幾らで俺を買う?」
下町に追いやられ、最初から、女相手の商売を始めたショーンは、家の使いだというものに、このまま商売を続ければ、もう、二度と家に戻れないと思いなさいと言われました。
おまけに、ショーンの家が作っているマッチを山ほど与えられ、それを全部、自分の手で売りさばいたら、謝罪だけは聞き入れてやるという両親の言葉を伝えられたのです。
勿論、金は与えられませんでした。
それでも、ショーンは、酒場を飲み歩き、たかり歩いていました。
ショーンは、甘く考えていました。
ショーンは、嫌になるほど、両親に愛されて育ったのです。
このままずるずる生活していれば、そのうち親も諦めると思っていました。
けれども、今回は、ショーンを愛しすぎ、甘やかしていた両親も、腹をくくっていました。
ショーンをこのままにしておいては、ダメになると心に決めていたのです。
ショーンの予想をはるかに越えて、ショーンは下町で放って置かれました。
人にたかりつづけているというのに、身についた賭け事は、止めることが出来ず、ショーンの生活は、貧困の一途を辿っていきました。
あくまで、マッチを売らせようという、両親のせいで、付近の口入れには手が回り、ショーンは簡単に日銭を稼げる仕事につくことも出来ませんでした。
だからと言って、借金を重ね、人にたかりつづけるにも限界があります。
ショーンは、本当に、マッチを売るくらいしか、生活の糧を得ることが出来なくなっていました。
それでも、売ったマッチの代金を貯めておけと言われていないと、ショーンは、口に入れるものの変わりに、賭け事をすることをやめませんでした。
そうして、空腹のあまり、倒れたところに、ブラッドが現れたというわけです。
「幾らで買って欲しい?ショーン?」
「幾ら出す?ブラッド?」
ショーンは、どうやら、見張りがついていると言う自覚の元、売春だけは止めていました。
それが、金になることは、最初の一晩で十分に知っていたのですが、一晩で稼ぐ金よりも、家に帰れさえすれば、金庫の中には金が唸っていました。
本当は、馬鹿馬鹿しくてやっていられなかったのですが、真面目にやっているというアピールのため、マッチを持って街角に立ちました。
ショーンは、早く両親の怒りが解けることばかりを願っていました。
どうして、こうなったのかは、考えませんでした。
だから、ショーンは、すこしでも沢山のマッチを売りさばいて、掛け金を手に入れるため、マッチの炎に顔を照らされることにも躊躇いはありませんでした。
身体を売っているわけではありません。
硬い表情は、炎を恐れていたためと、ショーンの前に立つ人間に、おかしな奴が多かったせいでした。
緊張が、ショーンの顔を怯えたように見せました。
けれども、それは、商売を繁盛させました。
彼らは、ショーンの哀れな様子に、心引かれているようでした。
借金の方に、持っていた洋服と、靴を取り上げられたショーンは、薄汚れていく自分をちょうどいいと感じていました。
泣きそうな顔をしてみせると、客は、引きもきりません。
そうして、街角に靴もなく立ちつづける日々を送るうちに、ショーンは学んだことがありました。
それは、自分の買い手が、女性だけではないことでした。
ショーンは、意地の悪い顔をして笑いながら、ブラッドの青い目を見つめました。
「買い手が、ブラッドでよかった。ブラッドなら、間違いなく金を支払ってくれるからな」
食器を空にしたショーンは、ベッドの上にひっくり返りました。
「いっそ、清々したよ。ちまちまマッチ売りなんかして、親に許される日を待つなんて真似、やっぱり向いてない。俺らしくとっとと、もっと簡単な方法を選んどけば良かった」
ブラッドは、ショーンの膝の上から、食器の乗った盆を片付けました。
「ショーン。ご両親のもとへ帰ろうという気はなくなったのか?」
「ここで、ブラッドに養ってもらう」
ショーンは、簡単に言いました。
横になったまま、ブラッドを見上げてにやりと笑いました。
「いいだろ?ブラッド。いや、旦那さまか」
ショーンは、街角でマッチを売る生活をしているうちに、女達よりも自分に高価な値をつける男の存在を知りました。
たかりを続ける生活をしているうちに、ただではいつまでも、親切を引き出すことができないということも知りました。
ブラッドは、厄介者だったショーンを引き受けました。
働くということをしたことのないショーンに、簡単な屋敷の仕事を回し、両親との仲を取り持とうとしてくれました。
屋敷のものを盗んだショーンにすら、いつまでも優しかったのです。
ショーンは、ブラッドが、どういう気持ちを自分に抱いていたのか、裏路地で学んできました。
友情だというには無理がありました。
今回、ショーンが、学んだことと言えば、このことくらいだったのです。
「ブラッド。どういうのが、好みなんだ?こんな薄汚れた格好でも平気?」
ショーンは、今まで、外そうとはしなかったボタンを外し始めました。
家に帰ることを諦めてしまえば、真面目に働くことなど、ショーンには面倒だと言う以外にありませんでした。
「面白いことをしようか。ブラッド。とても、人気があった遊びなんだ」
ショーンは、二つ目のボタンを外したところで、不意に思いついたように、にやりと笑いました。
ブラッドに、全ての窓にカーテンを引くよう言いつけました。
高価な厚いカーテン生地は、部屋の中を真っ暗にします。
そして、ショーンは、部屋の明かりを消すことを要求しました。
「俺の商売道具、持ってきてくれた?」
最後一本になった蝋燭の火を消そうとしていたブラッドに、ショーンが言いました。
「どうするんだ?」
「まだ、湿気ってるかな?ちょっと、貸してくれ」
夕べ、雪の上へと転がったマッチは、幸いなことに箱だけが濡れていたようでした。
ショーンが眠りつづけているうちに乾いた外箱は、マッチを擦りつけると、小さな炎を灯します。
「ブラッド」
炎を吹き消したショーンは、ブラッドにその箱を渡しました。
「好きなだけマッチに火をつけてくれ。好きなところを照らしてくれればいい」
ショーンは、自分で、枕もとに近い最後の蝋燭を吹き消し、3つ目のボタンを外しました。
ブラッドは、ごそごそと物音を立て、服を脱いでいくショーンの誘惑に勝つことが出来ませんでした。
マッチにそっと火をつけます。
ショーンが腕からシャツを抜いているところでした。
マッチの小さな炎の中、ショーンの滑らかな肩が動きます。
この屋敷で最後に見た時より、ショーンは、ほっそりとしていました。
これ以上は無いという窮地に追い込まれているというのに、賭け事を止めなかったショーンは、食べることすら惜しんで、僅かな金で賭けを続けたのです。
ブラッドは、そこまで打ち込む気持ちが理解できませんでした。
火は消えます。
「…ショーン。こんなことが何で楽しい遊びなんだ?」
「ブラッドは、つまらない?もっと近くに火を近づけてくれて構わないんだぜ?もっと、ブラッドの見たいところに」
小さな明かりとはいえ、マッチの火の光になれた目は、急に暗くなった部屋のなかで、ショーンの顔さえも見えません。
ブラッドは、もう一度、マッチを擦りました。
ショーンの金髪が、ちかちかと光ります。
「ブラッドは、俺の顔が好きなのか?マッチ1箱の100倍金を出すと言われても脱がなかった俺が脱いでるんだぞ。他に見るところがあるだろう?」
緑の目は、炎を映し、挑発的に輝いていました。
唇が、カーブを描いて、ブラッドを馬鹿にする笑いを浮かべます。
「マッチは、全部で何箱?全部使っても、ブラッドが見たいところが見られるかな?」
言葉の途中で、マッチは消えました。
暗闇が、ショーンの言葉を飲み込みます。
ブラッドは、マッチを擦りませんでした。
「ブラッド?どうして?こういうのは、楽しくない?」
ショーンは、また、ごそごそと服を脱ぐ音を立てました。
ブラッドは、誘惑に耐え、マッチの箱を握り締めていました。
「ブラッド。火をつけて」
ショーンの声が、ブラッドに命じます。
「見たかったんだろう?どうして、火をつけない?」
暗闇の中、ショーンの手が、ブラッドに伸びました。
ブラッドの腕を捕まえ、そのまま手まで探り当てたショーンが、ブラッドから、マッチの箱を奪っていきます。
擦れ合う硫黄の匂いがしました。
ジリジリと音を立てるマッチの小さな火は、太腿まで、ズボンをずり下げたショーンの体を照らします。
「見て。ブラッド」
ショーンは、炎を自分のペニスへと近づけます。
金色の毛のなかで、大人しくしているショーンのペニスだけが、明るく照らされ、ショーンの表情は闇に沈みました。
ブラッドは、ごくりと喉を鳴らしました。
その音をショーンが笑います。
マッチの炎は、ショーンのペニスに陰影をつけ、それを照らすショーンの手の美しさをはっきりとブラッドに見せ付けました。
暗闇に融けていく下腹部の滑らかなふくらみや、膝立ちになった真っ直ぐな太腿。そして、色の判別がつかない小さな乳首が、かすかに見えます。
ブラッドは、炎が消える寸前に、ショーンの皮膚が、泡立っているのに気付きました。
ショーンは、酷く緊張しています。
それは、ブラッドを怒らせました。
「ショーン。本当に、自分をこういう方法で売るつもりなのか?」
ブラッドは、怖い声で、ショーンに言いました。
この状況を恐れ、肌を泡出せているくせに、ショーンは、まだ、笑いを続けています。
「もう一本、擦って欲しいか?ブラッド?」
ブラッドは、闇の中のショーンを捕まえ、ベッドの上に押し付けました。
身体をひっくり返し、うつぶせにさせると、足を開かせて、頭をベッドに押し付けました。
そして、ゆっくりと腰を引き上げます。
「ブラッド!」
「静かに。ショーン」
ブラッドは、動かないようにと、ショーンに言いつけ、マッチの火を付けました。
闇のなか、ショーンの尻が白く照らされます。
ブラッドは炎を近づけました。
小さな穴による皺の様子や、そこを隠すように生えている薄い毛。
そして、垂れ下がる二つの玉。
足の間には、唇を噛むショーンの顔も見えます。
「動くなよ。やけどをするといけない」
ブラッドは、炎が消えるたび、すぐさま、マッチを擦りました。
指をショーンの尻にかけ、大きく開いて、詳細にショーンを眺めます。
頭を下げたままのショーンは、次第に顔を赤くしていきました。
血が頭に溜まっているのでしょう。
苦しそうにしています。
ブラッドに引き上げられた腰を小さく捩っています。
炎に照らされた陰毛が、ちかちかと光を反射します。
「動くと、危ないぞ」
ショーンは、ふうふうと息をつきます。
屈辱に、唇を強く噛み、目を瞑ってもいました。
「ショーン。そろそろ、言ってみろ。ごめんなさいだ」
ブラッドは、熱さえ感じるほど近づけていたマッチの炎を、ショーンの尻の間から離しました。
ショーンの顔を照らします。
ショーンは、強情です。
唇を噛み締めたまま、体勢すら崩そうとしませんでした。
「…ショーン」
ショーンの体は、強張っています。
ペニスは、小さく項垂れたまま、大きくなる気配など微塵もありません。
ブラッドは、泡立っているショーンの足をそっと撫でました。
「いまなら、冗談で許してやる」
「…ブラッド。俺の売り物は、本当にこれしかないんだ。高い値段で買ってくれ。お前に売れなかったら、俺は今度こそ、町で誰にでも身体を売る」
マッチの火が消え、ショーンの顔は闇に隠れました。
ブラッドは、ショーンの腰を抱きました。
びくつく身体を抱き起こし、自分の膝の上に載せました。
うっすらと見える髪を撫で、背後から、ショーンの顔を撫でます。
顔は、涙で濡れていました。
「…マッチ…なんて、売ってたって…全然…金にならない。…食うものも買えない…」
しゃくりあげるショーンの頬を撫でながら、ブラッドは、食うものくらいは買えたはずだと思いました。
なぜなら、ショーンのマッチには、元手がかかっていません。
客がついていたのも、ブラッドは知っていました。
どうせ、ショーンは、手に入った金の全てをサッカー賭博につぎ込んでいたに違いないのです。
それでも、ブラッドは、ショーンの言い分を聞きました。
「ブラッドは…知らないだろうけど…雪の降る町に立つのは…本当に寒いんだ」
ショーンは、泣きながら、自分の不幸を嘆きました。
どうして、そうなったのかという反省はありません。
「お坊ちゃま育ちの俺が、コート一枚なしに…雪の上で…マッチ売りだぞ。…そんな…生活長く耐えられるはずないじゃないか!」
鼻水もたらして、ショーンは、激昂しました。
「どうせ、あいつらは俺を許す気もないんだ。それなら、いつまでもマッチ売りなんて続けてられるか。もっと楽に金を稼いで何が悪い!」
ブラッドは、拳を握るショーンの顔をぬぐいました。
「本当に、ショーンは、俺に買われる気があるのか?」
ブラッドは聞きました。
ショーンが、小さな声で応じました。
「…俺の好きなように生活させてくれるなら…」
「つまり、賭け事を止める気はないんだな」
「小さく賭けることにも慣れたんだ。ブラッドのくれる小遣いの範疇で止める」
ブラッドは、ショーンの柔らかい胸の肉を手の平で撫でました。
ブラッドの触れたところから、肌は泡立っていきます。
「ショーン。こんな状態でも?」
ブラッドが抱き込んだ背中も、緊張に硬くなりました。
口付けた項は、そんな生活を承諾しているとは思えません。
ショーンは、あくまで言い張りました。
「ブラッドが買ってくれると、一番ありがたい」
「意思は変わらない?」
「変わらない。ブラッドが止めるんなら、別口を探す。もう、あんな生活はうんざりだ」
ブラッドは、闇になれた目で、ショーンの体を眺め、ペニスを手の中に握りこみました。
緊張に小さいままのペニスをくちゅくちゅと動かしました。
サービスなのか、ショーンが小さな声で喘ぎます。
手の中のペニスは、まるで変わりがありません。
ブラッドは、苦笑いをしました。
「ショーン。そこまで無理してくれなくていい。殴りかかったりしてくれなければ、それでいい」
ブラッドは、誰かにショーンを買わせる気など毛頭ありませんでした。
そんなことになるくらいだったら、どんな値段だろうが、自分が買いました。
ブラッドは、触れてみたかったショーンの肩に唇を落とし、何度もキスを繰り返しました。
ショーンは、己の立場というものを、冷たい雪の上で知ったようでした。
途中、何度か、かなり切迫した顔で、ブラッドを止めようとし、今までなら、殴りかかっていたに違いない感情的な目を見せたというのに、ショーンは、止めるとは言い出しませんでした。
今は、苦しそうな顔をして、ブラッドのものを咥えこんでいます。
力が入りすぎた体は、ブラッドにとって、心地いいとは言えませんでした。
けれども、憧れ続けた年上の友人を抱く快感は、肉体の快感を凌駕しました。
痛むほど締め付けるショーンの尻を撫で、苦しそうに上下する胸にキスを落とします。
「ショーン…好きだ。もう、告白していいだろう?好きなんだ。側にいてくれるなら、ショーンの願いをすべて叶える」
ブラッドは、少しでも、ショーンに快感を与えようと、小さいままのペニスを擦ります。
手で作り出される快感に、僅かにショーンのペニスは、大きくなりましたが、ブラッドが中で動くと、その苦しさから、また、小さくなってしまいます。
初めてのショーンには、身体の中で感じる小さな快感を上手く捕らえることはできませんでした。
ブラッドの突き上げに、確かに、なにか感じるものはあるのですが、内臓を押し上げられる苦しさに、それはどこかへと紛れてしまいます。
苦しさの方が多い、性交でした。
けれども、ブラッドの手が、優しくショーンの体をなだめようとしています。
「じゃぁ…ブラッド。…セックスの回数を…制限させて…くれ」
ショーンは、息苦しいと感じる呼吸の間に、最初の願いを口にしました。
同じ仕事ならば、楽がいいに決まっています。
ブラッドは、ショーンに口付けました。
舌が、ただでさえ苦しいショーンの呼吸を奪っていきます。
ショーンは、顔を振って逃れようとしました。
ブラッドの唇は、しつこいほど、ショーンの頬に口付けます。
「ショーンは、ずるい商売のやり方を憶えたんだな」
ブラッドは、それしか売るものがないと言っていたはずのショーンのやり口に苦笑しました。
それでも、苦しんでいるショーンのために、浅い挿入ばかりを繰り返し、早い終わりを目指しました。
手は、休みなく、ショーンのペニスを扱きます。
「…じゃぁ、…ブラッド。もっと良くなるように…お前が…やり方を考えろ」
ショーンは、ブラッドが結論を出すより先に、答えをブラッドへと預けてしまいました。
駆け引きもなにもあったものではありません。
こういう考えのなさが、ショーンの人生を転落へと導いているということを、いつか教えてやるべきかと、ブラッドは思いました。
ショーンは、食いしばった歯の間から、息を押し出していました。
少しでも快感を拾おうと、ブラッドの手の動きに合わせ、腰を動かしています。
「…ブラッド」
サービスでしょう。ショーンは、何度か、ブラッドの名を呼びました。
こんなショーンをブラッドは何度か夢で見ました。
気持ちはどうあれ、ショーンは、ブラッドの腕の中にいました。
ブラッドは、金で買えた愛しい人を抱くことに専念しました。
こうしてブラッドに買われたショーンでしたが、3日もしないうちに、ブラッドの家に迎えがきました。
ショーンの両親が寄越した使いです。
しっかりと見張りとつけていた両親は、ショーンが倒れたこと。
そして、そのショーンを連れ去った者がいることを掴んでいました。
たまたま、見張りについていたものが、ブラッドの顔を知らず、また、間抜けにも、馬車で現れたブラッドの後を追いきれなかったため、探し出すのに時間がかかっていたのです。
根っこの部分でショーンに甘い両親が、ショーンをそのまま放置するなどということはできませんでした。
そうでなければ、ここまで、ショーンも甘えた性格に育つはずがないのです。
むっつりとした顔の使用人が、ブラッドのドアを叩いた時には、生温く大人に育ったショーンは、まだ腰が痛いと、ベッドの上でごろごろとしながら、ブラッドに小遣いの金額を交渉中でした。
キスのたびに、金額の上乗せを口にしました。
ブラッドは、その度、頷きます。
ブラッドは、今までの人生において、年上の友人に否を唱えたことがありませんでした。
ブラッドという友達が、身近にいたことも、ショーンの問題点が野放しにされた原因だと言えるでしょう。
「ショーン様に、お客様です」
扉越しに、使用人は、ブラッドへと声をかけました。
「ブラッド様にもお目にかかりたいと、お待ちになっていらっしゃいます」
使用人は、ブラッドからの返事が返るのを待っていました。
ブラッドは、直ぐに行くと答えました。
ブラッドは、ショーンよりはるかに堅実に考え、こうなることを予感していました。
ショーンの両親が揃って甘いことなど、嫌になるくらい知っています。
ベッドの中の、ショーンは、ただ、ただ、驚いた顔をしていました。
「こんなところまで、借金取りか?」
間の抜けたことを言っています。
ブラッドは、まだ、正札も取れていないような愛人に最後の口付けをしました。
「ご両親の迎えだろう。ショーン。用意をした方がいい」
ショーンは驚いた顔のままでした。
ブラッドは、ショーンを送り出し、一人まだ、シーツも乱れたままの部屋へと戻りました。
ショーンは、家からの迎えに、ブラッドへの未練も見せず、扉を後にしました。
それは、そうです。
家に帰れば、身体を売ってまで、ブラッドからの小遣いを貰わなくとも、好きなように暮らせます。
ブラッドは、ショーンが残したマッチを擦りました。
マッチの炎に、自分で、自分のペニスを照らして見せたショーンの緊張した顔が甦ります。
火が消えました。
ブラッドは、もう一本、マッチを擦りました。
一度も見たことのなかった、金色の縁取りのあるわっかと、唇を噛むショーンの顔が目に浮かびます。
思っていたよりもずっと、ショーンのその部分は、隠すことを知りませんでした。
劣情を煽るように薄かったショーンの毛は、マッチの炎の下で、ブラッドの視界を妨げませんでした。
火が消えました。
マッチは、二本しか残っていませんでした。
けれども、ブラッドは落胆しませんでした。
この先は、闇の中で行われたことで、マッチを擦ったところで、ブラッドに見えたものはないはずでした。
滑らかだったショーンの肌の感触は、マッチの炎なしに、ブラッドの中に甦ります。
懸命にブラッドを受け入れようとしたショーンの苦しげな息は、ブラッドの耳だけが、聞いていたのです。
「また、追い出されたら、今度こそ、買いとってやるからな」
ブラッドは、温かなシーツを抱きしめ、ショーンの匂いを吸い込みました。
こういう友達がいるせいで、ショーンは、いつまでも更生しないのです。
END
INDEX
久々に、ひたすら笑える話を書こうと思い立ったのに…何故??
なんだか、微妙な感じの話になってしまった(苦笑)