やさしい嘘をついてね
「おはよう、リグスビー、ねぇ、ねぇ、君、チョウの彼女って知ってるかい?」
「え?」
事件さえ起きていなければ、コンサルタントなど特にやることもないはずなのに、一番乗りを果たしていたジェーンに、職場につくなりそう言われて、リグスビーは、驚きに目を見開いた。
「え、チョウって、彼女いたのか? 全然、聞いてないぞ、俺……」
リグスビー的に言えば、張り込みだなんだと、結構、長時間一緒に過ごす同僚に、彼女がいることを秘密にされていたなんていうのは、結構、ショックだ。ソファーで足を組むコンサルタントが、晴れやかな笑顔を浮かべて、おやおやと目を細めるから、思わず、苛ついてドスンと机に鞄を置いてしまう。
「あいつ、水臭いな……」
「僕もさ、全然知らなかったんだけど、昨日、チョウの家に少し寄らせて貰ったら、あちこちに痕跡があってさ」
「母親ってことは?」
今日は日差しが暖かで、少し乱暴に席に腰掛けながら、リグスビーは袖を捲る。
「違うよ。僕、金髪の髪の毛が落ちてるのを見つけちゃったから、追求したんだよ」
だが、ソファーのコンサルタントは、涼しい顔で、いつもどおりの3ピース姿だ。
「なんで、ジェーンが、チョウの家に寄るんだよ?」
「ちょっと調べてみたい昔の事件があってさ、チョウが、個人的にその事件のメモを残してるって言ってたから」
話の核心とは、ずれたリグスビーの質問に答えているうちに、ジェーンの口元がいつもの感じのいいだけの笑みとは別の笑いの形になりはじめる。その笑いは、顔中に広がっていった。
青い目は、大きな背中を丸めているリグスビーを面白がっている。
「あ、リグスビー、拗ねてるんでしょう? 僕だけ、チョウの家に寄ったから」
「あいつ、滅多に人を家に入れないんだぜ。俺んちなんて、両親の家にも、ばあちゃんの家にだって、あいつのこと連れてって、一緒にバーベキューだってしたっていうのに」
人を受け入れ、優しく接することが自然とできるリグスビーの美点は、ジェーンをやわらかく微笑ませる。
「今度は、僕も誘ってね」
「いいけどさ。……ところで、ジェーン、そのチョウの恋人って奴、どんな女だった? ブロンドだって? なんか、ちょっとイメージが違わないか……?」
「そうなの? 写真を見せて貰っただけだけど、白人でね、巻き毛のブロンドだったよ。目の色は青、かな? もしかすると、年上かもしれないんだけど、ちょっといない感じの、きれいな人だったよ」
手放しでチョウの彼女を絶賛するジェーンに、リグスビーの肩ががっくりと落ちた。
「……マジかよ……どこで、そんな美人と知り合うっていうんだ。……ジェーン、お前、話を膨らませてるんじゃないだろうな」
疑うようにリグスビーに睨まれて、ジェーンは、肩を竦める。
「好みはあると思うけど、……僕は、彼女のこと美人だと思ったな」
「……マジかよ……」
ジェーンはソファーから立ちあがると、同僚がいつの間にか、凄い美人と付きあっていたというショックで、朝から顔を顰めているリグスビーに、そっと近づいた。丸まっている背中に手を添える。
「ヴァンペルトをデートに誘ってみれば?」
伏せていた顔を少しだけ上げ、リグスビーは、なんだか潤んで見える青い目でジェーンを見上げる。
「……あー、でも、今日は無理。精神的なショックがでかすぎる」
ジェーンは、リグスビーの大きな背中をそっとさすった。
「うん。今日は、やめた方がいいかも。……だって、エイプリールフールだし」
ジェーンは、リグスビーの青い目を、じっと覗き込んだ。
ジェーンが、何かを促すように瞳の中を覗き込むせいで、リグスビーは、青い目を見つめたまま、しばらくポカンとしていたが、エイプリールフールという言葉が、何を意味しているのかに気付くと、慰めを必要とするほど弱っていた青い目が、かっと強く光った。悔しそうに顔を顰める。
「お前っ! ……チョウにブロンドの彼女なんて、嘘なんだな! くそっ、今日は、エイプリールフールか!」
いきなり立ち上がったリグスビーに、タックルされる勢いで、胴を掴まれ、ソファーへと投げ飛ばされたジェーンは、笑い転げている。
「あはは! リグスビー、君ったら、真剣に信じてくれるんだから!」
「大人は、職場で、エイプリーフールなんてやらないんだ!
仁王立ちのリグスビーは、まだ笑っているコンサルタントに悔しそうな舌打ちをして見せる。
「くそっ、この大嘘つきの、ジェーンめ!」
それから、リグスビーは、ジェーンと口をきいてくれなくなり、ジェーンは暇を持て余していたのだが、いつも通り、始業の15分前に出勤してきたヴァンペルトがロッカーを開け、感嘆の声を上げる。
それを追うように、リズボンの嬉しそうな声が聞こえ、オフィスから顔を出したボスは、ヴァンペルトに目配せすると、二人一緒に、ジェーンに近づいてきた。
二人の腕の中には、豪華な花束がある。
「ジェーン、ありがと」
「あなたの世界で一番好きな人になれて、光栄です」
ヴァンペルトは頬を染めている。
「あら、私が、ジェーンの世界で一番好きな人でしょ?」
珍しくリズボンが胸を突き出し、純情な態度で礼を言ったヴァンペルトに張り合うような真似をしてふざける。
二人は、花束についていたカードを見せ合い、笑い合う。
カードにはどちらも、『君が世界で一番大好きだよ ジェーンより』と書かれている。
「こんな、素敵なエイプリールフールの嘘は初めてよ」
「喜んでもらえてよかったよ。で、ものすごく、申し訳ないんだけど、ヴァンペルト、君たちが来る前に、ちょっと嘘付いたら、リグスビーが拗ねちゃってさ、彼に飲み物を……その、そんなことに君を使って申し訳ないんだけど、出してあげてくれないかな?」
こんなにチームのメンバーが盛り上がっているのに、話に入って来ないリグスビーを、ヴァンペルトも変だと思っていたのだ。理由が分かれば、納得のあまり、頬笑みが浮かぶ。
「いいですよ。……一体、リグスビー先輩にどんな嘘をついたんです?」
ジェーンは、曖昧で、掴みどころがないくせに、感じだけはいい、いつもの笑みを浮かべた唇に、しっと指を当てた。
「……それは、秘密」
珍しく、始業のチャイムぎりぎりに駆けこんできたチョウは、その日の朝の、ジェーンの被害には合わなかったようだ。
だが。
チョウは、やたらとじろじろ人が自分を見て行く視線を感じ、不可解さと不快さに苛立ちながら、一日を過ごしていた。そして、とうとう、夕方になると、どうして、こんなに、皆が自分を窺い見るのか、理由を知ったのだ。
ヒソヒソやられているのが腹立たしくて、盗み聞きしたら、こうだった。
「凶悪犯罪班のチョウ捜査官と、あそこのブロンドのコンサルタント、付きあってるんだって」
「本当に? えっ、じゃぁ、二人ともゲイだってこと?」
「結構、悔しいかも。二人とも、感じいいよね」
「そんなの、4月馬鹿なんじゃないの?」
なんで噂になっているんだと思えば、ジェーンがエイプリールフールにかこつけて、何かをやらかしたとしか思えず、何て事をするんだと思いながらも、どこに行っても、すぐ注目される視線の多さに、すごい勢いで広まりつつある噂の威力を感じて、今、職場でジェーンをとっちめるのは、得策ではないと、チョウは、じりじりする思いで、終業時間を待ったのだ。
チームが事件を抱えていない今日、コンサルタントは、チャイムとともに、さっさと駐車場へと引きあげる。
5つだけ数えて、その背中を駐車場に追ったチョウは、痛いほどの勢いでジェーンの腕を掴んだ。
「ジェーン、ちょっと、待て! お前、エイプリールフールなんていっても、ついていい嘘とダメな嘘があるだろう!」
「え? だから、ついていい嘘しか、ついてないよ」
血相を変えてチョウがとっちめているというのに、心外だとでも言いたげに、車のキーを握ったジェーンは眉をひそめる。
「それどころか、朝、君が遅かったから、君には嘘すらついてないでしょ?」
ジェーンと同じように、定時上がりの人間が、駐車場にちらほらと現れ出し、チョウは、掴んでいた腕を離した。
だが、容疑者を締めあげる時の恫喝じみた低い声で、このクソ忌々しい事態に気付いていないらしいのんきなコンサルタンを睨みつけたまま尋ねる。
「じゃぁ、……お前と、俺が付きあっているという噂は、どこから流れた」
「それは、4月馬鹿でも、嘘じゃないでしょ。……でも、」
くすりと、ジェーンは笑った。
「きっと、リグスビーからだと思うよ」
すぐさま職場にとって返そうとするチョウを、慌てて、ジェーンは引き留める。
「違うよ。チョウ。リグスビーが、嘘をついたんじゃなくて、今朝、僕が、チョウにはブロンド美人の彼女がいるよって嘘をついたのを、リグスビーが、人にしゃべったら、人から人に伝わるうちに、話が混乱したんだと思うよ。チョウ捜査官にブロンド美人の彼女がいるって、ブロンドのコンサルタントが嘘ついたんだって。人って、物事を簡単にしたがるから、チョウ捜査官とブロンドのコンサルタントが付きあってるんだって。……ね、それに、僕と付きあってるってした方が、話としても面白いし」
「くそぅ……!」
チョウは、悔しそうに歯噛みする。
「酷いな。いくらエイプリールフールでも、僕がそんなことすると思ったんだ? エイプリールフールに、僕が付く嘘は、誰かを幸せにする嘘だけだよ……君に先を越される不安を覚えたリグスビーは、ヴァンペルトのことランチに誘ってOK貰ってたしね」
ジェーンは文句を言ったが、だが、まだこの事態を腹に据えかねているのか、チョウは、じとりとジェーンを睨んでいる。
ジェーンは肩を竦めた。
「チョウ、リグスビーに友達が多いのは、僕のせいじゃないよ。君は、気にし過ぎだって。今日は、エイプリールフールだし、みんな冗談だって思ってるって」
そう言って、軽く手を振ると、金髪のコンサルタントは帰ってしまったのだが、立て込んだ事件に、大量のデスクワークを抱えたチョウは、まだ、机に戻るしかなかった。
そして、嘘の噂を流されていることを同情する視線や、おもしろがって奇異な物でも見るようにして、通り過ぎて行く視線に耐えながら、書類の作成するしかなかったのだ。
「チョウも、かわいそうにな。ジェーンが、こんなに有名じゃなくて、あんなにきれいな顔した男じゃなかったら、こんな噂にならなかっただろうに」
残業に飽きて、椅子の上で背を伸ばしているリグスビーに、ぼそりとチョウは、悪態をつく。
「原因はお前だ」
呪うように低いその声に、リグスビーは、椅子ごと、チョウに近づいてきた。
「酷ぇよ、それは。俺は、ちゃんと、うちのコンサルタントに、朝っぱらからチョウにブロンド美人の彼女がいるって騙されたって言ったんだ」
「言う時、ジェーンもブロンドだってこと、少しでも頭にあったか?」
チョウが手にもつペンは動きが止まっている。
「……ないけど」
そして、やっと、リグスビーは、気付く。
「ああ! なるほど! そこが原因か。凶悪犯罪班のブロンドのコンサルタントが、チョウにブロンド美人の彼女がいると嘘をついたんだってから、凶悪犯罪班のブロンドのコンサルタントと、チョウは付きあってるんだってに変わったのか! ジェーンが、ハンサムだから、美人の彼女って辺も、話が混乱していくんだな」
リグスビーは、酷く感心している。
「女の噂話って怖ぇな」
「……今度、お前も、同じ目にあわせてやる」
恨みのこもったチョウの声に、リグスビーが震えあがった。
それから、いくつかの仕事を腹立ち紛れにリグスビーに押し付けてやったが、それでも、このところ、立て続けに事件を抱えたチョウは、まだ、デスクワークが終わらず、とうとう、チームで一人、職場に残っている。
そして、周りが静かになってしまえば、やはり、考えるのは、散々皆から注目を集めた今日の自分の立場についてだ。
4月馬鹿の日なのだ。
皆も、半ば冗談だと思ってはいるはずだが、だが、間違いなくゲイ疑惑はかけられた。それも、ジェーンとセットでだ。
それは、厳密には嘘でないが、ジェーンとセックスする関係にあることをチョウとしては、大っぴらにはしたくなかった。特に、職場は嫌だ。
職場では、仕事がしたい。
ジェーンだって、そのはずだ。
だが、そこまで考えて、やはり、チョウは、納得がいかなかった。
あの、ジェーンなのだ。
人の心理を読むことに長け、操ることさえも、嫌味な程に長けた男が、この結果をちらりとも思いつかなかったとは思えない。
社交的なリグスビーが、派手に騙された4月馬鹿について黙っていられるはずはないのは、チョウにだってわかる。
話のネタに、どこででも話すだろうし、その話が噂となって、ねじれて行くことだって、ジェーンには、予測可能なはずだ。
チョウの彼女を年上、巻き毛のブロンドにしたところにも作為を感じる。
どこがひっかかってもいいように、ジェーンは出来るだけ自分に近い容姿の彼女を作りあげたに違いないのだ。
データーにペンを入れていたチョウの手には、力が入る。
「……やっぱり、あいつ!!」
それでも、その後、チョウは、黙々と仕事を続けていたのだが、30分ほどして、いきなり一つため息をつくと、一枚の紙をプリントアウトし、急に席を立つと、帰り支度を始めた。
ドンドンドン!
深夜だというのに、ドアが大きな音で何度も叩かれる。
ジェーンは、不審に思って、急いで階段を下りて行った。
「CBIだ。パトリック・ジェーン、ドアを開けろ!」
「……チョウ?」
聞き覚えのある声に、ジェーンは、不思議な思いで、ドアの鍵を外す。
すると、まるで犯人の家にでも押し入るように、乱暴にドアを開けたチョウは、ジェーンの家に一歩踏み込むなり、一枚の紙をジェーンに突きつけた。
「パトリック・ジェーン。捜査官に偽証をした罪で、連行する」
目の前に突きつけられた紙は、さすがにいつも使っているものだけに、後は判事のサインさえあれば、本物と全くかわらない逮捕状で、どうしたのかとジェーンが目を丸くしていると、すかさずチョウは後ろを取り、痛いほどの力で両手を一纏めにされる。
「……逮捕……?」
現場の迫力で腕をひねり上げてくるチョウに、今にも、手錠の硬く冷たい感触が手首に当てられる気がして、わけもわからず身構えるジェーンの後頭部に、いきなり痛みが襲った。
ぱちんと一つ、チョウが張ったのだ。だが、それがわからず、ジェーンは悲鳴を上げる。
「わ!」
チョウはため息だ。
「わぁ、じゃない。こんなに簡単に捕まえられるなんて、お前、少しは、訓練を受けろ……」
チョウは、掴んでいた手を放し、身体を離すと、まだ、激しく動揺しているジェーンをしげしげと眺めた。
金髪は、ジャケットは脱ぎ、ボタンも緩めてはいるが、あんなに早く帰ったというのに、まだ、職場にいたのと同じ格好だ。そのままの格好で、髪もYシャツもくしゃくしゃにしている。
視線に気づいたようで、ジェーンは、まだ動揺したまま、自分の服を触る。
「……近頃、また、眠れないんだ。だから、少しでも早めに、横になっておこうと思って」
「そんなことは、聞いてない。さっき、逮捕状を見せただろう? お前は連行されるんだ。さっさと戸締りしろ」
「え?」
察しがいいはずのジェーンにも、チョウの言いたいことが分からず、じっと黒い目を見つめた。
「まだ、4月1日だ。嘘の逮捕状だって、まかり通るんだろ?」
チョウは、憮然としたいつもの顔つきだ。
「……チョウ、連行するって、君の部屋に? 怒ってるの? 今日の腹いせに、僕とセックスしようと、思ってる?」
だが、質問している最中に、慣れてくれば僅かに窺い知れるチョウの顔色を読んだのか、ジェーンの表情は、変わっていった。
自嘲気味に笑っていたはずの青い目が、少しだけ悔しそうにしながらも、幸せそうに笑み崩れる。
「そっか。ばれちゃったんだね-」
ふんっと、チョウは、そっぽを向いた。
「お前は、誰かが、幸せになる嘘をつくんだろ」
そうなのだ。
ジェーンは、自分のために、チョウにブロンド美人の彼女がいるとリグスビーに嘘をついた。
その嘘が、リグスビーの口から広まれば、とんでもない噂として広まるだろうことまで、勿論、このコンサルタントは予想していた。
チョウの口からでる好きだという言葉をなど期待はしていないが、……いや、もし、そんなことを言われたならば、どうしていいのか、まだジェーンにだってわからず、それは、口にされたくないのだが、でも、ジェーンは、どうしても、誰かに愛されている自分というものが味わいたくなっていた。
誰かに必要とされ、必要とすることが許される関係。好きなだけ、相手のことを愛してよく、そして、愛されている。
噂のせいで、チョウとジェーンは職場公認のゲイのカップルだ。
激しい職場内恋愛中だというゲイカップルを面白がってわざわざ覗きに来る庶務の女の子たちの視線をこそばゆく感じながら、ジェーンは、今日、一日、神経症的な幸せな幻想を楽しんだ。
「お前が、寝れてないんじゃないかとは、思ってたんだ。最近、イラついてるだろ。スプリングの悪いマットを使ってるからだ。さぁ、俺の家に行くぞ。さっさと、用意しろ」
チョウは急かす。
ジェーンが、この家でどんな風に眠るのかを知っているくせに、それには触れず、スプリングのせいだけにして、腕を引くチョウが、嬉しかった。
「チョウ、優しいね。僕、惚れちゃうよ」
その晩、ジェーンは、やはり、何度も寝がえりを打ったが、背中を向けているチョウは、決して目覚めず、……いや、寝た振りを続けていて、安心して、青い目を開き続けていた。
END