野球と、ボールと、こぶ (S2 10話ネタ)

 

「えっと、僕、ここで寝ててもいい?」

普段から、チームの机の側にあるソファーはジェーンの指定席で、彼が、そこでどんな風に寛いでいても、誰も何も言いはしないというのに、終業間際にもなった今、わざわざ断ってきたのに、チョウは、少し驚いて、書類を書く手を休め、保冷剤で頭を冷やしたまま突っ立っている金髪を見上げた。ジェーンは、一瞬視線の合った目を、すぐ反らす。

チョウは、その態度から、ジェーンには、言うべきなのに言いたくないことがあるのだと、気がついた。ついでに言えば、褒められるような性根の良さを持ち合わせていない金髪の性格だ、頼み事をして弱みを見せるような真似はしたくないわけかと、チョウは、軽く頷いて見せた。

野球のボールを頭でキャッチしたジェーンは、今日、何度も眩暈を味わっているというのに、何度言われようと病院にいきたがらない。

「お前がいびきをかきだしたら、葬儀社に電話をかけてやればいいんだな」

無表情のまま見上げるチョウへと、楽しそうに笑い返したジェーンは、大きく息を吐きながら、ソファーに横になった。ためらいもせず目を閉じていく。

「よろしくね、チョウ」

「死にそうになったら、先に声をかけろ。お前がここで死ぬと、面倒なことになるんだ。死ぬなら、先に、部長の許可を取ってからにしろ」

「チョウが、代わりに取っといて」

 

眠る自分の容態を、誰かが見守っているということは、よほどジェーンに安心感を与えたようだ。あれだけ、皆に、休めと言われながら、とうとう事件の解決まで目まぐるしく動きまわって、決して休もうとしなかったジェーンが、やっと、両目を閉じて、寝息を立てていた。やはり無理をしていたのか、夕暮れの日に照らされる目の下には、疲れを滲ませた隈が色濃く刻まれている。

チョウがいつも思うことは、ジェーンという男は、寝ぞうがいいなということだ。寝返りを打ったりということもほとんどなく、下手をすると、すぐ側で寝ていることすら、仕事を片付けているうちに忘れてしまう。その態度の大人しさは、彼が寝たふりをしている時も、本当にうとうとしている時も、変わらなくて、チョウのボスなどは、「寝てる時だけは天使って、こういうことを言うのね」と、口悪く言って笑っている。

瞼を閉じた金髪を、仕事をしながら背で、一応気にかけていたが、心配していたように、いびきはかいている節はない。

倒れるかもしれないと付いて回った昼間、気を揉んだ分も含め、せっかくジェーンが眠ったようだし、しばらく寝かせておこうと、自分の仕事を片付けているうちに、気付けば、チョウの周りにあったはずのざわめきはすっかり消え失せていた。最後にお疲れと声をかけたリグスビーが去ってから、30分も経っていた。だが、まだ、時刻は、8時を過ぎた程度で、普段ならチームの皆も残業していて、夕食のメニューについて話題になる程度の頃合いだ。

ジェーンはまだ眠っている。

仕事に飽きたチョウは、席を立ち、ソファーのジェーンに近づいた。縺れた金髪に、無造作に手を差し込み、今日、ボールが当たった辺りを探る。

「……んんっ」

やっぱり、頭にはこぶが出来ていて、触られて痛かったのか、ジェーンは目を瞑ったまま、嫌がって首を振る。

「なぁ、ジェーン」

だが、ジェーンが目を開ける気配はない。

チョウは、今日、ジェーンに、野球で挫折した人生を言い当ててられた時から、言いたかったことがあった。

「なぁ、ジェーン、お前は、簡単に俺たちの過去を探り当てる。だが、俺たちは、お前のような芸当はできない。なぁ、お前が昔のことを喋りたがらないもの知ってるが、……別に、辛かったことだけじゃなく、……小さかったころの、楽しかったことの話でもいいいんだ。お前が何に笑っていたのか、何が好きだったのか、どんな楽しいことがあったのか。俺は、聞いてみたいと思ってる。みんなも同じことを思ってるはずだ。……しゃべればいいんだぞ」

そして、チョウは、こぶを触られた痛みを堪えて、額に皺を寄せたまままだ眠るジェーンの額を、褒めるように撫で、唇を押し当てた。この金髪は、痛みをぐっと堪えて泣かない少年のように、今日、立派に仕事をした。

「痛かったはずなのに、ジェーン。お前は、よくやった」

そして、現実的に、チョウは、そろそろ腹が空いたと、夜食を頼むために、いつもの店へと注文の電話を入れる。

「……ええ、2人分です。20分後に取りに行っていいですか?」

 

また、仕事をするために背を向けたチョウの後では、優しく撫でられ、口づけられた額にジェーンが戸惑ったように触れている。

「みんながじゃなくて、君が、聞きたいって言ってくれるのを待ってるんだけどな。……よくわからない。……難しいね、チョウは」

チョウが振り向く。

「起きたのか? ジェーン?」

「うん。今ね。君が、夕食を頼んでくれたから、お腹が減ったよ」

 

END