駐車場からの道のり

 

おはようと声をかけられ、振り向くと、足早にリグスビーがジェーンに追いつこうとしていた。

始業まで後5分前だと慌て、大きな音で車のドアを閉め、駆けてきた捜査官と一緒になろうと、ジェーンは決して急ぐ気などないから、歩く速度をゆったりと落とす。

「やぁ、おはよう」

すると、慌てて追い越して行くとばかり思っていたリグスビーの速度が途端に落ちた。

「ああ、おはよう、……パトリック」

隣に並んだリグスビーが呼んだのは、確かに自分の名前だったが、ジェーンは、聞き慣れない呼び名に、一体それは誰のことだと思い、怪訝にリグスビーを見上げる。

すると、いきなりパトリック呼ばわりしたくせに、その態度が許されないんじゃないかと、不安を露わに緊張したリグスビーの若い口元が目に入った。リグスビーは、大きな肩にも強く力を入れている。

「……だめか? まだ職場じゃないんだ。いいだろう?」

リグスビーの得なところは、口だけは、いつも威勢がいいくせに、態度がそれにまるで見合わないほどしおらしいことだ。勝手に名を呼び、いいだろうと認めさせる態度の口調でいながら、こちらの顔色を伺う視線は、まるでお願いの低姿勢だ。本人は知らないだろうが、威圧感のある大きな身体をした彼のこのアンバランスさがかわいらしくて、彼の願いは、大抵叶う。

「いいけど」

ジェーンも、おかしくて、つい、彼に許可を与えていた。

途端に、リグスビーの顔に浮かんだのは、今日の天気と同じくらい健やかに晴れ渡った笑顔だ。ぱーっと一気に不安の霧が晴れ、にこにこと笑う彼は、胸を張った歩みが大股になり、ジェーンは少しばかり早足で後を追う形だ。その上、浮かれ過ぎのリグスビーが繰り出した第二弾が、またとんでもなくて、ジェーンはリグスビーの歩みに合わせようと早めていた足が思わず止まりそうになる。

「なぁ、パトリック、朝からいきなりこんなこと言うのも変だけど、お前ってやっぱり、きれいだよ。声かけて、振り向いたお前の髪が、太陽の光できらきらしてて、俺、どうしようかとドキドキしちまった。その上、その顔が、俺におはようって笑うんだ。俺、嬉しくて、本当にドキドキしたぜ。思わず、寝坊して、ラッキーで思っちまった」

ジェーンはむず痒い。だが、まるでうわごとのようなリグスビーの言葉も足も止まらない。

「お前って、実はセンスもいいよな。今日のシャツも、お前のきれいなブルーの目の色をさりげなく引き立てる色ですごくいい。似合ってる」

褒めまくってくるリグスビーが本気なのかと、ジェーンがその顔を見上げれば、決してジェーンと目を合わせない彼は、照れ臭がっているのかまっすぐ前に視線を据えたまま歩いていた。だが、はにかむような横顔は恋人を褒めそやすのをやめようとしない。

「パトリックは、足も長いよな。後ろから見た時さ、尻からのラインがすげぇ格好よくて、歩き方も格好いいし、なんでお前がスターじゃなくて、こんなところでコンサルタントなんてしてるんだって思っちまった」

「……うん。まぁ、時々僕もそう思う」

ジェーンはどうしたものかと、とりあえず冗談で返した。

すると、いきなりリグスビーは目がなくなるほど顔をくしゃくしゃにして笑いかけてきた。

「本当だぞ。本当に、お前って、すごい美人だ。俺、パトリックみたいな美人と付き合えて、すげぇ幸せだよ。神様に感謝しなきゃだな」

本気なのかと、顔中を探るように見つめてみても、こんな時ばかり、リグスビーは自信を持って笑っている。

「……そうなのかい?」

「勿論、そうさ。こんな幸せ、なかなかない」

照れ臭がって顔を赤くしているが、リグスビーは、はっきりと言い切った。

なんとなく、そうじゃないかと思ってはいたが、リグスビーは惜しみなく恋人を褒め讃えるタイプのようだ。

まだ続けている。

「お前、きれいだし、もてるのにさ、こんな俺なんかと付き合ってくれてありがとうな。本当に俺って、ラッキーな男だよ。だって、俺の恋人が、こんなブロンド美人だぜ」

遅刻しそうだと慌てて駐車場に滑り込んできたにしては、嬉しげに照れつづけるリグスビーは、ジェーンを褒めるのに忙しくしており、後ろから駆けてきた3人に追い抜かれた。

今止まったばかりのブルーの車から飛び出してきた4人目にも追い抜かれそうになっている。

さすがに、ここまで手放しなのは、むず痒くはあったが、ジェーンは容姿を褒められるのが、昔から嫌いじゃなかった。

「パトリックってさ、」

リグスビーは、ジェーンの金髪の巻き具合や、柔らかさなど、最近ではほとんど聞くことのできなくなった話題を熱に浮かされたように熱心に語っている。

反応を気にしなきゃならない聴衆の他に居ない今、ジェーンは、耳に心地いいその褒め言葉をわざわざ遮る気など全くなかった。

むしろ、幾らでも聞くから続けてという気分だ。

リグスビーもやめようとしない。

「なぁ、俺のこと、いやらしいって言うなよ。パトリックはさ、尻の形がすげぇいいのな。腿からこう、きゅっと上がった尻にさ、後ろからお前のこと見つけたとき、もう目が吸い寄せられるっていうか、足がまっすぐで、太腿も細すぎなくて」

ジェーンに口を挟ませないほど情熱的に語り続けながら、駐車場からの階段を上がっていく最中に、自分がジェーンよりずっと歩幅が大きかったことに気付いたのか、リグスビーは、急に歩調を緩めた。

自然、ジェーンが先を行くことになる。

「あのさ、ウェイン」

階段を上がりきったところでジェーンは振り返り、いきなりリグスビーの名前を呼んだ。

驚いたように大きく瞬きし、今まで以上にリグスビーは顔を真っ赤に染めた。初めて名前を呼ばれたことを嬉しがる正直なその態度は、とてもかわいらしかった。

ジェーンはリグスビーのスーツの袖を掴んでその下の肌へと触れるために、手を伸ばす。

「ジェ、ジェーン! 嬉しいけど、職場じゃ」

警備員の立つ職場の入り口のすぐ前だというのに、そんなことをするジェーンにリグスビーは慌てた。

その間に、計算通りジェーンは、職場への検査ゲートを通過する。

「僕はセーフ」

そして袖の下から黒い腕時計の剥き出しになった腕だけがゲートのこっちで、身体は向こうのリグスビーに笑いかける。

「だけど、残念、今、ジャスト9時だ。リグスビー、君は遅刻」

時計を示す。

「げっ!」

リグスビーの顔が引きつった。

ひらひらとジェーンは手を振る。

「リズボンに遅刻のこと言いつけといてあげるね。リグスビー」

「ジェーン!」

リグスビーは慌ててゲートをくぐり追いかけながら、吠える。

振り返ったジェーンはにっこりと笑う。

「そうそうその調子。もう、ここは職場だからね、ちゃんと、そう呼んでね、リグスビー」

 

END