手錠

 

 

他の班が呼び出した容疑者の付き添いらしい彼女と、やけに話しこんでいるなと、文書化された裁判用の資料をチェックしながら、視界の隅では捕えていたのだ。

暇人の金髪は、廊下の待合用ベンチの隣に腰掛け、20分も話し込んでいたかと思うと、やたらと嬉しげな顔して銀色に光る手錠を見せびらかすように胸の前に持って、戻って来る。

「いいでしょう? みんなは持ってるけど、僕だけ持ってないからさ。彼女に頼んで貰ってきた」

「おもちゃだろ」

「うん。オモチャなんだけどさ、リグスビー、君のに比べても、どう? 結構よく出来てるでしょ?」

他所の班がひっぱった容疑者が当たりかどうかなんて知ったことではないが、犯人かもしれない者の関係者と、内部の者が接触するのは、あまり好まれることではない。しかし、この金髪のコンサルタントは、いつまでたっても、そのことを理解しない。

いかめしい捜査官に、取調室に連れ込まれるBFを取り戻そうと、大声で怒鳴っていた彼女の派手なプリントのバックの持ち手に取りつけられた厳つい銀の手錠がカチャカチャと音と立てるのを、チョウも皮肉なものだなと気付いてはいた。

だが、彼氏が取り調べ室に連れ込まれるのを間違いだと、怒り収まらず、大声でアピールしながら廊下を落ち着きなく歩き回る若い女が、やっと諦めてベンチに掛けると、もうそれで、フロアーを占める捜査官たちは、視線を書類に落とし、いつもの業務に戻ったのだ。

何本かの電話がせわしなくコールするフロアーの中で、ふらりと立ち上がり、ショートパンツが腰掛ける待合のベンチに近づいていったのは、暇人のジェーンだけだ。

ジェーンが何をやらかすにしろ、彼女は、別の班が手掛けている事件の関係者であり、視線を寄こしたリグスビーも、面白がるように一瞬口を曲げて笑ってみせると、ジェーンの背中がドアに辿り着く前には、報告書をまとめるための、サインを求めて、保安官事務所へ電話をかけ始めた。

詐欺師の口先で、彼女を怒らせるか、濃すぎる化粧を悔い改めるような奇跡の改心でもさせるか、それとも、犯人は自分だとでも言いださせるような真似でもするのかとでも思いはしたが、まさか、ジェーンの目的がバックについていた手錠だとは予想外で、思わずチョウも、いとも楽しげな顔で手錠を見せびらかす、男を見上げてしまった。

ジェーンは、リグスビーに、本物を出してと頼み、それをつき合いのいいリグスビーが受け入れると、二つを重ね合わせて、ほら、大きさも一緒と、やけに嬉しげだ。

「今度からは、僕が犯人を逮捕しちゃおうかな」

「お前がやったら、警察の逮捕手順が不適当だったと、裁判の時に不利になる」

だが、そこで、昼を知らせるチャイムが鳴った。

「やべっ、俺、昼の約束入れてたんだった」

途端に、リグスビーが慌てて机の上を片づけ出す。

「ジェーン、手錠……ああ、いいよ。 ヴァンペルト、悪い。ジェーンから手錠を取り返しておいてくれ」

ジェーンは、まだ手錠を重ね合わせて遊んでおり、それと見た途端、取り戻すのを諦めたリグスビーは、ヴァンペルトに頼むと、もう、PCの電源を落として、財布を掴むとばたばたと駆けだしていく。

「相変わらずだね、リグスビーは。いいのかな、彼、さっきの電話で、すぐ折り返してくれって言ってなかった?」

いつのまにそれを聞いていたのか、ジェーンは、それなのに昼に出かけたリグスビーを笑う。そんなジェーンに、ヴァンペルトが、さっそく手を差し出した。

「ジェーンさん、……わかっていると思うんですけど、本物の方を返してくださいよ」

不自然なほど笑顔がぎこちなくなるくせに、なにかというと、ジェーンに辛辣な言葉で切り込もうとするのは、ヴァンペルトが憧れのリズボンの真似しようとしてるからなんだよと、もうふた月も前にジェーンは笑っていた。

しぶしぶといった態で、右手で手錠を返そうとしたジェーンは、ヴァンペルトの手のひらの上に乗せるまえに、突然、左手に持っていた方を乗せた。そしてすまして言う。

「それが本物だよ」

一瞬戸惑ったヴァンペルトは、だが、ジェーンの稚気に顔を顰めるだけで、もう片方を調べようともしないでリグスビーの机の引き出しを開けると、中へと手錠をしまった。

「……わかるの?」

「毎日持ってるものですから。重さでわかります」

ヴァンペルトは、自分の席に戻ると、簡単に机の上を片付ける。

「私も、お昼に行ってきます」

「やられたね」

からかうつもりが、軽くいなされて、ジェーンが視線を合わせてきたのを、チョウも、そっぽを向いて無視してやったのだ。

 

 

「ねぇ、チョウ、おいしい?」

だが、その日の昼食は、ジェーンが見つけたという、おいしいパン屋のサンドイッチで、手早く机の上の書類を片付け、ランチを広げたジェーンと一緒に、チョウも机に腰掛けている。局には、簡易キッチンまであるというのに、なぜか、ジェーンは水筒まで持っていて、カラフルな紙コップに紅茶を注いで勧めてくる。まるでピクニックだ。だが、誘いを受けた立場のチョウは、その程度のことに、文句をつけるつもりはなかった。

ジェーンが美味いと言って差し出す食べ物に、外れはなかった。

「おいしいでしょ?」

一体、局の側のどこにこんな店があったのか、実直なばかりで、角が潰れて包み方の見栄えすらよくないサンドイッチは、なのに、馬鹿に美味い。

サンドイッチの包みを剥がしながら、指先についたマヨネーズを舐めるジェーンは、パンにかぶりついているチョウを見つめ、青い目を自慢げに細める。

「……僕の才能に、感心してるでしょう?」

指先を舐める口元が笑っている。

「お前の鼻の良さに、感心している」

どっちのものとも二人の間で曖昧に置かれたままだったシュリンプのサンドを、するりとチョウは自分に引き寄せた。それを、ジェーンは目の端で追っている。

「そうなんだよね、なんだか、おいしいお店って匂いでわかるんだよね。あ、こっちにあるぞって気がして、で、そっちに行くと、必ず、おいしい」

だが、無事チョウのエリアに辿りついたサンドイッチを咎めのせずに、ジェーンはグルメ評論家気どりのことを語りだす。しかし、チョウは、どうせ腹に溜めるなら、ジェーンの蘊蓄よりも美味い昼飯の方がずっとありがたい。水筒の紅茶を注ぎ足し飲みつつ、次の包みを解き、大きく口を開ける。

「この店はさ、最近、代替わりしたばかりなんだって。店の構えは、両親の時のまんまで全然冴えないんだけどね、このマスタードは絶妙の配分だし、これからきっと流行るよ。僕が予言するんだから、絶対」

だが、ねぇ、と、ジェーンは、不意に、パンを口元へ運ぶ手を止めた。

「チョウ、そのエビのは、君にあげるんだから、少しは僕の話も聞きなって。せっかく一緒にランチを食べてるんだから、少しは、会話をしようよ」

けれども、その言葉の途中にすら、チョウは席を立った。味が物足りなかったのだ。

「コーヒーを入れてくる」

チョウの背中を、ジェーンのため息が追いかける。

「……君って、間違いなくずいぶん失礼なんだけど、なんで、皆、誤解してるのかな?」

 

そして、コーヒーを片手に席に戻ると、チョウは、まるで手品のように急に現れたジェーンのオモチャの手錠で繋がれたのだ。

ガチャリと手首を噛んだ金属の輪っぱは、ヴァンペルトだけでなしに、チョウもそうだろうと計っていたように、おもちゃだけあって本物よりずいぶん重い。しかし、予想より、ずっと性能はよく、スムーズかつ痛いほど窮屈にチョウの左手首に嵌まった。

にやにやと笑う金髪は、思い通りに捜査官を捕獲したことにずいぶん満足そうだ。

「これで、ゆっくり話ができるね」

チョウの手首を拘束しているのと反対側の銀色を自分の手首に当てると、ジェーンは、ガチャリと自分も手錠の縛につく。

すまし顔でにっこりと笑ったジェーンが繋がった手を触れ合わせ、指を絡めてこようとするから、チョウは迷惑だと眉を顰めた。だが、構わず、ジェーンは指と指とをからめ合わせる。仕方なく、チョウは、入れてきたばかりのコーヒーをごくりと飲んだ。

本音を言えば、昼休みで皆が出払った今、手を繋がれて入るくらいのことは、どうでもよく、第一、おもちゃとはいえ、手錠で繋がれているのだ。万が一、人に見られたとしても、そっちの方が注目を集めるに決まっている。

それよりも、デスクの上の電話が鳴って、チョウは手錠で繋がったままの腕を、強引に引っ張った。

よろけながらもジェーンが椅子から立ち上がり、かいがいしく、手錠のままの手で受話器を取り上げる。どうしようかと困った顔をしていたから、寄こせと言うと、ジェーンは、チョウの耳に受話器を押し当てる。

「あ、連絡をありがとうございます。保安官。この間は、お世話になりました。申し訳ないです。その件を依頼したリグスビー捜査官は、今、昼で外に出ていまして、……戻ったら、もう一度こちらから連絡させます」

しかし、受話器を置くなり、もう一件だ。急かすようなベルの音に、ジェーンが急いで取り上げる。

「……あー、それはですね、うちの班が扱っている事件じゃないんです。担当の者から、電話させますので、申し訳ないのですが、電話番号を伺ってもよろしいでしょうか?」

肘でジェーンをどつくと、ジェーンは慌てて、ペンを手に取った。チョウは、手錠で繋がれていない方の手に握ったままのコーヒーのマグを手放していないのだ。両利きというわけでもないようだが、ずいぶんと器用にジェーンで文字を書く。

「はい、では、この番号に、担当から、必ず連絡をさせます。ご協力をありがとうございます」

だが、ペンを放りだしたジェーンは顔を顰めている。

「なんかさ、手錠、全然楽しくないんだけど?」

マグのコーヒーに悠然とチョウは口をつけた。

「だったら、やめればいいだろ」

ジェーンは、憮然と手錠の鍵を外しだしたが、その手に握られるのが、ただのヘアピンで、チョウは顔を顰めた。

「鍵は?」

「彼女、今日は、持ってなくて」

「さっさと外せよ。また、電話が鳴るぞ」

「うるさいな。僕の腕を信用してよ。ほら」

と、チョウの手首を締めていた手錠をジェーン外したのだが、そこで本当にまた電話がかかって来たのだ。電話のベルに気を取られ、そっちを向いたジェーンの左手首に、チョウは、外れたばかりの手錠をガチャリと嵌めた。これでジェーンは両手を繋がれた。

「チョウー!」

「うるさい。電話だ。黙ってろ」

チョウは電話に出る。

「ああ、わかった。2時だったな。なんだ。お前、今から、昼なのか? もう、こっちに戻ってるのか? なんだったら、30分程度なら、時間を遅らすぞ。3時には、俺も人に会う約束が入ってるんだが、それまでなら、なんとか……ああ、わかった。じゃぁ、2時30分に」

電話を切って、振り向けば、さすがに窮屈そうに腕を折り曲げたり伸ばしたり、眉を顰め、やり辛そうにジェーンが手錠の鍵を外そうともがいている。

チョウはその愉快な様を眺めながら、残りのサンドイッチとコーヒーを楽しんでいたのだ。

「外せた!」

しかし、3分もする頃には、右手の手錠を外したジェーンが、にやりと笑ってヘアピンを見せつけつつ宣言したので、チョウは、ふらりと席を立ち、銀色の拘束具を手首にぶらぶらとさせている金髪に近付くと、いい匂いのする身体をぎゅっと腕の中に抱き込み、首筋に唇を寄せて、驚きの声を短く上げさせた。職場での突然の抱擁に、動揺して身動きできずにいるジェーンの手首をチョウは掴む。確保した腕を強く引き、勢いよく腕の中の身体を回すと、有無を言わせず、背後を取ったチョウは、もう一度金髪の両手を手錠で繋ぐ。

ガチャリと無慈悲な音がして、手首に銀色の固い金属が食い込むのに、ジェーンが茫然と青い目を見開く。

「チョウー!!」

「手錠の扱いなら、俺たちの方が、二枚も三枚も上手だ」

「僕、まだ、全部サンドイッチ食べ終わってないんだよー!」

せっかくおいしそうなのを買ったのにと、金髪がうるさくて仕方なく、チョウは、椅子に座らせたジェーンの口元までサンドイッチを運んだ。

食い意地も汚く、サンドイッチに齧りつきながら、ジェーンが上目づかいに、チョウを見つめる。

「……あのさ、チョウ、この状態じゃ、さすがの僕も、鍵なしじゃ、手錠外すのが無理って知ってる?」

後ろ手のまま、ごそごそとジェーンは、ペアピンで手錠と格闘していたのだが、やはり、無理なものは、無理だ。

「お前、どうせ、暇にしてたじゃないか。誰も困りはしない」

「……やっぱり、君って、すごく失礼な人間だよね」

 

 

「……あれは、なんで、あんなことになってるの?」

昼からの段取りの確認ため、フロアーに顔をだしたリズボンは、後ろ手に手錠を掛けられたまま、ヴァンペルトのPCを肩越しに覗き込んでいるコンサルタントに目を眇めていた。

「チョウが」

口を開こうとしたリグスビーに、チョウが声を被せる。

「ボス、気にせずに」

それを、地獄耳のコンサルタントは聞きつけていた。

「気にしてよ! リズボン! 酷いんだよ。チョウってば!」

「お前は、関節を外す方法でも、ヴァンペルトと検索してろ」

「……チョウ、特殊戦術班に、今すぐ電話しなさい」

それか、あの目ざわりなコンサルタントを、今すぐ留置所にぶち込んできて。

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、実は、チョウ、僕が手錠してたのに、ちょっと興奮したんでしょ?」

留置所にはぶち込まれなかった金髪は、着替えるチョウの横で、ベッドの上に、ごろごろと寝そべっている。

「だから、あんなことしたんだよね? だって、汗の匂いがね、あの時、ちょっと違った」

ジェーンは、リラックスした青い目に楽しげな表情を浮かべて、チョウの背中をちらちらと、からかうように見上げている。

そして、誘うように目を細めて笑うと、金髪は、やはり、手品のように取り出す。

「実は、……手錠、返してもらったけど、使う?」

 

ベッドに近付き、抱きしめてくるチョウの首に腕を絡めながら、ジェーンは、あーあと、不満声を上げる。

「あーあ、本当は僕が君に手錠を嵌めたいのにな」

 

END