眠る人
不眠症で眠るということが難しいくせに、遅い時間になれば、普通人ぶって言い出す、眠いを口にしなくなり、反対に眠いと思っている自分の異変を気にして、あくびさえも途中で気付けば慌ててやめる。
チョウの部屋に入り浸るようになり、トイレや、シャワーの時以外、鬱陶しく付きまとい、部屋の電気を決して消させない。そんな状態がジェーンに3日も続き限界を超えれば、チョウが今、目にしている光景が毎回見られる。
シャワーを浴びていたほんの10分の間のことだ。
タオルを首に戻ってみれば、金髪は、ソファーの上で気絶したように眠り込んでいた。
着ていたベストさえ脱いでいない。飲み物も半分コップに残ったままだ。テレビは大きな音をさせて付いる。
だが、どこから、どう見ても、金髪をくしゃくしゃにしたジェーンは熟睡中だ。手にリモコンを握り込んだままの身体はソファーへと沈み込むように深い眠りに重く弛緩し、床へと投げ出された足は踵が浮き上がっている。ワイシャツは大きく皺を寄せ、一番上のボタンは開けてあるが、曲げられた首に絡んだ襟元が苦しげだ。
誰も見ていないテレビのニュース番組は、無駄だろうと思う程詳しく事故現場を再現していて、どうしてこの事故が起きたのかを、難しげな顔でキャスターたちが検証している。どうやら、自動車メーカーに責任を負わせる気らしい。
眠っていてさえ、ジェーンがこの事故の行方を気に掛けているとは思い難く、チョウは無造作に眠るジェーンの手からリモコンを取り上げ、うるさく囀る画面を消した。だが、眠っているジェーンにこんな風に触れて、彼が目を覚まさないということは普通ではあり得なかった。
眠りの浅いジェーンは、チョウが寝がえり一つうっても目を覚ます。気を使い、寝たふりを続けているが、眠ることが困難なジェーンはそこからまた長い時間をかけて眠りの切れ端を手に入れる。不眠の気はないチョウは、毎度こいつも大変だなとは思うものの、身体は勝手に眠りに落ちて行く。
そのジェーンが深く眠っている。
普段眠れないのだから、眠れる時には喜んで眠ればいいと思うのに、この昏倒するかのごとく眠りに引き摺り込まれて眠り込む一月か、二月に一度の習慣を、ジェーンが苦手に思っているのを、チョウも知っていた。自らのコントロールを失うのを恐れて、動き続け、チョウに纏わりつき、喋りつづけ、……しかし結局は、いつもいつのまにか、意識を手放していた。
無防備に眠る寝顔は、力が抜けて薄く開いた唇が、静かに寝息を立てていた。
チョウは、弛緩した口元へと手を伸ばし、指でやわらかな唇に触る。
温かく湿った寝息が、チョウの指で撫でていく。指で無造作に唇をなぞろうとも、ジェーンは目覚めない。
こうして眠ってしまえば、どんなことが起きようと、半日は決して目を覚まさない。
ゆさぶろうと、耳元で怒鳴ろうとダメだ。
服を着たまま寝るなと起こそうとしたが起きず、仕方なく、着替えさせようとして、眠った身体の重さが面倒になり、中途半端に服を脱がせたままのジェーンを、チョウはそのままソファーに放置したことがあった。
目覚めた朝、まるで強姦されたかの如く無理に腕を曲げられ片袖だけが脱がされ、ズボンも腿まで下ろされたままの自分の姿に、金髪は何があったんだと、疑い深く眉を潜めてチョウを見た。
もう、チョウは、ジェーンがどこでどんな格好をして眠っていようとも、あんな面倒な真似はしない。
翌日、ジェーンに不審な顔もさせはしないが、しかし、まるで大人しい人形のように眠る珍しいジェーンを見逃すということもしなかった。
手触りのいい金色の巻き毛を好きなように指で梳く。
眠っているジェーンはされるがままで、いくら髪を撫でようとも、触られることの好きな金髪が目元を細めて嬉しそうに笑い返してくるということもない。
チョウは、適当に髪を撫で回して、くしゃくしゃだったジェーンの金髪を更にくしゃくしゃにすると、長い睫毛を閉じたままの整った顔へと視線を固定したまま、自分の短パンの中へと手を入れた。
すでに芯を持ち始め硬いものを握り込む。
詐欺師めいた切れ方の頭が、頼りにもなり鼻にも付く、凶悪犯罪班のコンサルタントは、目を閉じてしまえば、ただの容姿のいい男だ。それも豪華な金髪が甘い顔立ちを彩る稀有な存在だ。警察機構で働けば、それこそ多様なタイプの人間に出会うが、華やかさを惜しみなく振りまけるジェーンのような容姿の人間には、さすがそれほど御目にかかれない。
それだけの容姿でもって、なぜ、ジェーンが鬱陶しい程、自分に纏わり付くのか、チョウはうぬぼれたりはしないが、ジェーンの甘やかに整った顔立ちが好きだった。
眠ったままのジェーンは、穏やかな寝顔を見せるだけで、間近でチョウがその顔を眺めたまま、ペニスの太い幹を扱こうと何も気付かず寝息を立てている。
何故、無防備に眠るジェーンに欲望を覚えるのか、チョウは自分に問うことはしないが、うまそうなものを目の前に差し出されて、無視するような意固地さとは自分が無縁だと知っていた。
舐めるようにじっくりとソファーの背へと凭れるジェーンの整った顔と、力が抜け、とろりとやわらかなラインを見せる色気のある身体を堪能する。
はぁっと深く息を吐き出し、チョウは痺れにも似て腰に溜まる快感の熱を、もっと深く味わうために、ジェーンを視姦したまま、熱を持ち疼くペニスを扱く手を動かし続けた。
誰にも聞かれないのをいいことに、荒くなる息の音も、喉の奥でくぐもり漏れる自分の声も抑えはしない。
それどころか、抵抗もできず眠るジェーンの開いた唇へと、短パンの中から取り出した太く硬い勃起の濡れた先を宛がい、押しつけた。
ジェーンは目覚めない。
兇暴に勃起し、いやらしく濡れた太い雁首の先を温かな唇に押し当てられているというのに、金色の髪に縁取られた寝顔はいっそあどけないほどだ。
のどかに吹きかけられる温かく湿った寝息に、血管を浮き立たせた硬直はぴくぴくと打ち震える。
「……は、ぅっ」
自分の手の動きと、唇の温かみと柔らかさが合わさる刺激に、呻きが漏れた。
穏やかな寝息を繰り返し、柔らかく開くジェーンの口に、漏れ出しているカウパーのぬめりを塗り広げる。
形のいい唇が汚れた。
チョウの腰にぶるりと震えがくる。
ジェーンのたとえ身体の一部分であっても、自分の思い通り犯すのは、ブロンドが隠そうとしている深くやわらかな部分を好き勝手に嬲りまわしているような気分で、ぞわりとチョウの欲を満足させた。
普段のジェーン相手では味わえない身勝手な快感に、高ぶりを覚え、チョウは息を噛みしめながら腕を動かす。
そして、ブロンドがもし見ていたとしたら、驚くかもしれないほど、頬にも髪にもキスした。
ジェーンの名前も何度も呼んだ。
喉の奥で発せられる欲望にかすれた自分の名前を聞けないことをジェーンは悔しがるはずだ。チョウは、欲にまみれた慌ただしさで、ジェーンの髪に触れている。
荒くなっていく息に胸が喘いでいた。
筋肉の盛り上がる肩に力が入っている。
ジェーンの瞼は閉じられたままだ。
ぬめった先端の窪みから溢れ滴り落ちたものがなめらかな唇肉を汚しているのに、寝息は規則正しい。
チョウの太い腰にぐっと力が入った。
熱い血を滾らせ、ドクリとまた膨れた先端をタオルで覆ったチョウは込み上げる息を、噛み潰そうとするかのように奥歯をきつく噛み、低く呻いた。
欲望としてはあるものの、さすがにチョウも、寝息を立てているジェーンの顔へとかけようとは思わない。
だが、迸りを手の中で受け止めながら、ジェーンの全てを目に焼き付ける。
深く息を吐いた。
長くかかって出しきれば、もうチョウは、まるで子供の頭を撫でるように、ジェーンの頭をぞんざいに撫で、用のすんだ自分のものを短パンの中へとしまい込む。
手を洗いに行き、ついでにトイレも済ませ、それから、やっと戻るとジェーンの口元を適当にティッシュで拭って、そのまま寝室に引きあげていく。
それでも、煌々とした照明の下で眠る金髪には、一枚毛布がかけられている。
夜中に、ふと喉の渇きを覚えて目覚めたチョウは、乱れもないベッドの右端に、先に寝ていてと言っていたジェーンが、まだ寝室にも来ていないことに気付いた。時計を見れば、2時半だ。
ジェーンの不眠は、ジェーンのせいではないし、そのことで文句を言う気もないが、不眠とは無縁でも、眠れないでいることの疲れはチョウも知っていて、ベッドの中で身を起こせば、ついため息が出る。
寝室を出て、歩き出せば、灯りの消された薄暗いリビングの中で、テレビの画面が光を放っていた。
その光の中で、ジェーンがチョウへと笑いかける。
「目が覚めた?」
「喉がかわいた」
ソファーにだらしなく座るブロンドを照らすテレビは、ほとんど音を立てておらず、チョウは、またわけのわからない小難しい昔の映画でもジェーンが見ているのかと思ったのだ。
興味も湧かず、キッチンに向かう背中へとジェーンの声がかかる。
「夕食の味付けが、濃かった?」
そうではなく、うまかったとは思うのだが、今、喉が渇いているのも本当で、しかも、眠気は重くチョウの頭を支配しており、面倒くさくてチョウは返事も返さず、コップへとボトルの水を注いだ。
冷たい水を二杯目の半分まで飲み終えて、やっと目が覚めてきた。
それでやっと、ぼそぼそと小さなテレビの声が聞こえてきたのだ。
声に聞き覚えがあった。
そんな訳はないと思いつつ、リビングに戻ってみれば、チョウの顔はこわばる。
「……お前……!」
ソファーに足を投げ出したまま、何?と目を上げたジェーンが眺めていたのは、いつのものなのか自慰する自分の姿だ。
唇を汚されているジェーンは穏やかに寝息を立てている。
「ねぇ、チョウ、僕さぁ、僕とやってる時にも、ああやって君の喘ぐ声が聞きたいな。君のかすれた声、すごくセクシーだ。ねぇ、……まさかと思うけど、何の反応もかえせないようなウブなのが、君のタイプなの?」
見上げてくる金髪は、チョウの勝手な淫行を責めることもなく、純粋に質問をしているだけだが、怒りのあまりチョウの視界はどす黒く濁っていった。
ひそかな楽しみをジェーンに気付かれずに済んでいるなんていう考えは、確かに、都合の良すぎるチョウの妄想だったかもしれないが、映像という形で付きつけられて、頭に血が上る。
ジェーンを今にも殴り倒したいと望む腕には血管が浮き出し、力の入り過ぎた拳は握り込んだ指が痛んだ。
だが、手を上げたならば、たわいもなくジェーンが吹っ飛ぶことは間違いなく、何度も大きく息を吐いて、チョウはなんとかその怒りを乗り越える。
しかし、ジェーンの顔をまともに見ることなどできなかった。見た途端、また殴りたくなる。
「ああ、怒ってるんだ。チョウは。ごめん。その、ね、君が考えてるようなことのために、これを撮ったんじゃないんだよ、……説明する。僕が眠り込んだ時に、君が何かしてるようだっていうのには気付いたし、勿論、それがなんだか知りたかったんだけど、繰り返し、僕がこれを見るのは、どうしたら、こういう時の僕みたいに、君の声を聞くことが出来たり、触って貰えたりするか、その方法が知りたくて、ずっと考えてるんだ」
ジェーンは少し困ったようにチョウに笑いかけてくる。
しかし、チョウは、まだ怒りのやり場が見つからず、肩で息をしたまま、ジェーンを殴らないためだけに無言で寝室へ向かった。
布団を頭までかぶり、不貞寝する。
「おはよう」
起き出してきたジェーンが柔らかく笑う。
「……ああ」
朝食の席につくチョウは、仏頂面のまま短く返事を返した。
「ねぇ、チョウ、一応、ごめんって言ってくれるかな?」
テーブルに近づきながら、ジェーンはいつにも増して愛想のないチョウの仏頂面に笑みを深くする。
何に対して謝罪するのか、ジェーンは言わなかったが、チョウも、目が覚めた時から覚悟を決めていた。
チョウは、昨夜、まず言うべきだったことを、口にした。
「……すまなかった」
「いいよ」
眠っている間にあんなことをされていたのだというのに、テーブルについたジェーンが笑って簡単に謝罪を受け入れ、チョウはいささか居心地が悪い。
ジェーンは、チョウが食べるつもりでいたパンを横取りし、バターを塗り足しながら目尻を下げて、甘やかに笑う。
「君さ、自分で思ってるより、僕のことが好きなんだと思うよ?」
ジェーンががぶりとパンにかぶりつく。
「あんなことされて、平気な僕も、君のことが相当好きみたいだ。困ったよね、お互い」
END