キスしたい日

 

「ねぇ、今日ってさ、君が見たいって思ってた試合のある日だよね?」

事件の参考に、目撃者に話をきくため、木の多い茂った小高い丘から下っている最中だった。

「行くのは諦めた。おい、ジェーン。そこ、気をつけろ。お前は、もっとゆっくり下りてくればいいから」

「えー、今でも、僕が一番最後なんだよ。ほら、僕も颯爽と格好よく。リズボンなんか、一番に降りてるし」

だが、言いながら、ジェーンは大きな石の上から降りるのに手惑い、周りに掴まれる木の枝がないかと探している。

「チケットは? 取ったって言ってたよね?」

危なっかしく小枝を掴んで、やっと下へと飛び降りる。

「現場に出るってわかった時点で、友達に譲る手配をした。今頃は、もう、守衛から受け取ってるだろ」

時計で、昼を少し過ぎつつある今の時刻を確かめながら、チョウは、足元の悪さも難なく乗り越え、危なげなく進んだ先で、ジェーンを待っている。

「夜だったよね? もうチケットを譲っちゃったのかい? 馬鹿だな、チョウは」

「馬鹿はお前だ。だから、保安官の車に乗せてって貰えって」

「ヴァンペルトも、リズボンもよくこんなとこ平気で降りていくよね。ねぇ、チョウ、試合って、テレビ中継するの?」

木の幹につかまり、汗を拭って、ジェーンは、チョウに尋ねる。

「やる。チケットを譲ったかわりに、録画を頼んだ。そんなのどうでもいいだろ。それより、犯人がこのルート以外を選んだって可能性もあるんだ。お前、もう、降りるのやめたらどうだ。迎えに来てもらえ」

「やだよ。今更、迎えに来てもらうなんて格好悪い」

また、ジェーンは大きな石の上から降りられず、ふらついている。

「……わかった。じゃぁ、お前はおいて行く。……勝手に熊にでも食われてろ」

 

「聞いてきたよ。この辺じゃ、熊は出ないってさ。熊が出るのは、もう少し北の山の方」

事件の目撃者である地元の男の家から出てきた金髪のコンサルタントがにこにこと笑いながら、口を開くのに、チョウの隣に立っていたリグスビーは、ぽかんと口を開けた。

「な? ジェーン?」

リグスビーは、思わず説明を求めるように、不機嫌そうな顔で玄関から続いて出てきたリズボンにも目を向ける。

「その馬鹿、どうにかしてよ。ずっと熊の話よ。誰? 熊のこと、ジェーンに吹き込んだのは?」

ちらりとこれ見よがしに、ジェーンはチョウを視線で示すが、チョウは素知らぬ顔だ。取ったメモを片手に、リズボンに報告をしようと待つ姿勢で、まるで動じない。

「え? 俺じゃありませんよ」

関係のないリグスビーの方が、質すようなリズボンのきつい視線にたじろいている。

「ボス。付近の住人に聞き込みをしてきたんですが」

「この辺にいるのは、イノシシなんだって。シカもいるって言ってたよ。畑が荒らされるんだってさ」

 

道に止めてあった車に、一番に乗り込んだのは、ジェーンだった。無駄口を閉じないのを、リズボンが追い払ったのだ。

リグスビーから受け取ったキィを手に、先にエンジンをかけておくためチョウも運転席へと乗り込む。

ヴァンペルトとリグスビー、そして、リズボンは、厳しい日差しの中、まだ険しい顔で地元警察と額を突き合わせていた。まだ、まるで、犯人の見当がついていない。

「ねぇ、チョウ。せめて、今晩の試合、リアルタイムで見たい?」

容疑者の一人すら、名前も挙がっていないというのに、今まで、熊だ、イノシシだとうるさかった金髪が唐突に言い出す。

「無理だろ」

チョウは、前を見据えたままシートベルトを締める。

「そうかな? うん。今のままでは、無理だと思うんだけどね。でも、君がキスしてくれるんだったら、僕が7時までに、家に帰らせてあげるよ」

チョウは疑わしげに後ろの座席を振り向いた。ジェーンは暑いなぁと、クーラーの位置を調整中だ。

「犯人の見当がついてるのか? だったら、言え。CBIから給料をもらってるだろ」

ジェーンは本気なのかもわからない惑わす笑顔で、楽しそうに微笑む。

「給料に見合うように働けって? そうだね、だったら、解決は、明日の午後かなぁ」

そして、身を乗り出してきた。

「だけどさ、チョウ、今、してくれるキス一つで、試合の時間には、テレビの前のソファーに座ってられるけど、どうする?」

 

 

この暑い中、試合までに帰れるようすぐに事件を解決してみせると言い切った悪魔に魂を売ったチョウは、シートベルトを外すと、ボスがいまにも車に近づいてくるかもしれない状況にも関わらず、後ろの座席へと身を乗り出し、得意げに口角の上がっている金髪の柔らかな唇を短く塞いだ。

「したぞ。必ず帰れるよう、解決しろ」

ついでに、金髪の指示通り、容疑者の家のプールへとぶつかったふりで、リグスビーまで突き落とした。

ジェーンは、恋人の仕事の確かさに、満足顔だ。

「なんで!? なんでだよ!! なんで、俺がこんな目に!!」

「ほら、あった。不思議だったんだよね。この町で育った男だって言いながら、猟銃許可証を持ってないなんて。知らないうちに亡くなった息子さんの書類に紛れ込んでた? 素敵な言い訳だ。リグスビー。そのパンクなTシャツ、似合ってるよ」

 

 

7時には、本当に、チョウは自宅のテレビ前に座っていた。

ただし、静かにというわけにはいかなかったが。

「ねぇ、ポップコーンを作ってあげようか。雰囲気だろ?」

バスケットボールには人並みな興味しかないくせに、一緒に観戦するとついてきた金髪が部屋のなかをうろうろとして目ざわりで落ち着かない。

「食べたいでしょ? じゃぁ、キスしてよ。してくれたら、作ってきてあげるから」

テレビの前をうろつかれたくなくて、顔を寄せてきたジェーンに、チョウは素早く唇を合わせる。手に持たされている紙コップのソフトドリンクも、飲みたければキスしてよとせがまれ、手渡される時にも、感謝してるなら、キスしたら?と、言われ、言われるがままに、キスをした。ボールをゴール前まで来た、大きな歓声だ。リングで大きくバウンドした。夢中になって見ているうちに、チョウの前には、バターのいい匂いのするものがこれ見よがしに差し出されていた。うるさいことを言われる前に、チョウはすばやくキスする。

ジェーンの顔を見もせずにしたが、感触から、上手く唇に当たったはずだ。

ポップコーンを抱えたまま、ジェーンが笑って、隣に滑り込んでくる。チョウは、ボールの中から一摘み掴み上げ、食べるのも忘れ、画面に声援を送る。

「あのさ、チョウ、これ見終わったら、キスしてあげるから、僕とセックスして」

3ポイントシュートが決まった。

「よし!!」

チョウは、力強く頷いた。

「そう。じゃぁ、終わるまでは、大人しく待ってるね」

 

END