喧嘩
うたた寝するのに、足元に丸めたブランケットを引きあげるかどうか、迷うような気分にさせられるあたたかな春の日差しを感じながら、ジェーンは持て余すようなもどかしさを感じていた。
周りから見れば、いつも通り呑気に眠っているようにしか見えないだろうが、ジェーンは目を瞑っているだけだ。
後、1時間もしたら、先行で情報だけ入ってきている殺人事件が検事総長からの指示により正式にCBI、凶悪犯罪班の管轄となり、チームが慌ただしく動き始めるだろうことも予測している。
だが、今はまだ、その事件の解決に、リズボンのチームが選ばれるというのは、噂の段階だ。
ジェーンは暇だ。
幾ら、周りで何本も電話が鳴ろうと、応援まで頼んだ他所のチームが防弾チョッキ着用の物々しい姿で大捕り物に出掛けようと、金色の髪をくしゃくしゃにして堂々と昼寝を決め込むコンサルタントには手伝えなんて言われない。もし、言われたとしても、ジェーンは断る。
暇にしていることに忙しい。
しかも、後1時間もしないうちには、リズボンが険しい顔つきでチームのメンバーに召集をかけ、本当に忙しくなる。
ジェーンは、足元のブランケットを引きあげた。
肌寒いというよりは、腹を晒した無防備な態勢でいることが心元なかった。
今、気にかかっていることのせいだ。
腹を覆うブランケット一枚で、危険から身を防げるわけでもないが、ジェーンを落ち着かない気分にさせている元凶がすぐ側で、電話に出、立ち話をし、資料を捲りながらパソコンを打ち込んだりと忙しく動きまわるのに、身体は勝手に防御を求めていた。
それにしても、自分からチョウに謝るなんていうのは癪に触った。
いや、謝ってもう頑固な男に突っぱねられているこの状態を終わりにしたいと軽薄な決断を今にもしたがっている自分がいて、それが一番癪に触る。
キスがしたかった。
別段、特別にチョウのキスが上手いなんて、さすがにそれは嘘が多すぎて、お世辞でだって、ジェーンには言えないが、その男のキスがたまらなく欲しいのだから、自分の馬鹿さ加減が哀れだ。
腹の上で手を組んだ寝たふりのまま、ジェーンは物寂しい唇から寝息のように薄く息を吐く。
最後にキスしたのは、5日前だ。
その日の昼に、ジェーンはチョウを怒らせた。
見たい資料を探すついでに、机の上に放置されていた手帳を捲ったのだ。
仕事とプレイベートの予定が書きこまれたそれを覗き見たのはまずかった。
違う。
それに、チョウは多少機嫌を悪くしただけだ。
本当は、覗いたことよりも、それに眉を寄せたチョウに、僕には見せられないの?とまるで彼を自分のものでもあるかのように、ジェーンは、所有権という名のカードをひらひらとチラつかせた。
しばらく、チョウの部屋を訪ねていなくて、彼のガードは無意識にしろジェーンの訪問を求めて緩みはじめており、だったら彼のベッドに潜り込み気持ちのいい時間を過ごすのは悪くないと、ちょっと傲慢な気分になっていた。
からかうつもりで甘く笑いかけたら、チョウの表情がピクリと動き、無表情に近い仏頂面に浮かんだのは拒絶だった。しかもそれは、面倒事に関わるのを面倒がる彼の社交術としてのものとは違い、嫌悪を伴った本物だった。
腕を組んだまま、じっとチョウは軽薄に笑う金髪頭の顔を見ていた。
機嫌を損ねたチョウは、ぴしゃりとジェーンをガードの外へと弾きだした。
唇を強く押し当ててくる強引なキスだけじゃなく、後ろに硬く太いもの埋められ、擦りあげられるセックスにのたうちながらいい声を上げよがるよう仕込んだくせに、チョウのその独善的な決断のおかげで、ジェーンは、ここ3日、尻が疼くなんていう物悲しい欲望に取りつかれたまま、飢え、じりじりとイラつかされている。
だから、ジェーンは、キスがしたいなんていうのは、お綺麗過ぎる言い方だったと、目を瞑り寝そべったまま自分に自分で苦笑する。
暇だという言葉と、さっきまで解いていた数独パズルの文字列が何度も浮かび上がる頭は、もうあと少しすれば始まる騒々しい捜査への対処として事件の予備情報を脳の片隅へと整理はしているが、実際のところ、うつろな頭の大半をさっきから占めているのは、エロティックな妄想だ。
心地よい、春の日差しに全くふさわしくない、このソファーの肘掛にしがみつく腕がぐらつくほど、激しくバックからチョウに犯されるなんてのも悪くないかもなんていう奴だ。
いや、悪くないどころか、すごくそうして欲しい。
ぐぐっと尻肉を割って奥を狙って突き出される腰に、ああっ!と大きく声を上げて、クッションを掴もうとしているのに、荒々しくチョウが腰を引き寄せるせいで、手は空を切るのだ。
滴り落ちてくる汗が、四つん這いのまま俯く自分の目に入るほど、身体が熱くて、ぶつかり合う肌が汗で滑る。
それに舌打ちしたチョウが、もっと腰を低く落として股を大きく開けと、膝でふらつく太腿を乱暴にこじ開ける。
たっぷりとした尻肉を掴まれ、肉の合間の狭い谷間をぱっくりと左右に開かれ、懸命にアレを咥え込んでいる穴さえも、左右に引き攣れる。
硬く太い彼の凶器は、遠慮なく濡れた肉襞の中を繰り返し抉っていく。
チョウの部屋のシーツの上で、太い腰を腿で強く挟み込んで、彼の興奮を煽るように自分から尻を動かしながら、もっととしがみつく妄想は、繰り返し過ぎて、もう飽きた。
それにしても、そろそろチョウも許してくれてもいいのにとジェーンは軽くため息を吐く。
勿論、チョウのことだから、プライベートを仕事に差し挟み、職場でジェーンを邪険に扱うことなどしていない。
そっけないほど、普通に扱う。
いや、それどころか、弱みを持つジェーンを利用し、面倒な関係者から報告書の内容への承諾を引き出す電話をかけさせた。そんな権限のないジェーンが30分もかけて、捜査中にとっていた言動に対してぶつぶつ文句を言い続ける相手を懐柔した。
だから、そのルールを破って平気な肝の据わったやり方で、何もなかったかのごとく、もう目配せをしろと思うのだ。
ソファーへと投げ出した足元のそんなに離れていない場所では、そんなジェーンの妄想とは全く無縁に、そうですか、わかりました。これからもよろしくお願いしますと、全く親密さが伝わって来ない平坦な仕事口調でチョウが電話を切った。その声だけで、受話器を置く太い腕が、くっきりと脳裏に浮かび、ジェーンは、顔を顰めながらあ〜ぁと、また思った。
ブランケットの下の足をもぞもぞと組み直す。
寒くもないのに腹の上までブランケットを引きあげた理由と同じだ。
焦らされるのが、もう限界なのだ。
どこかの怒りっぽい男のせいで、硬いものをぎっちりと尻の中を埋められ、その大きな雁で柔らかな内壁を抉って掻きだされることに快感を覚えるようになってしまった身体は、長くそうして貰えないでいることに、疼くようなせつなさを訴えている。
していてさえも役に立たない時も多い自分のものが、真面目に仕事をしている周りのみんなに遠慮も、配慮もせず、チョウの気配だけで勃起するのに、ジェーンは情けなさで笑えてくる。
本当に、馬鹿馬鹿しい
脱いでいたジャケットに袖を通して、軽く盛り上がってしまった前を隠しながらトイレに行くしかない状況は、足早に歩き始めたジェーンの目を伏せさせる。
チョウを出し抜き、勝つことなど、ジェーンにとって難しいことじゃないのだ。
堅実な性格だが、勝負にでることも嫌わないチョウの足を掬ってやることなど、簡単だ。
それなのに、個室のドアに鍵をかけるなり、ジッパーを下ろして、生ぬるく勃起したペニスをごそごそと取り出している自分がいることには、ため息すら出る。
明るく清潔なトイレの照明に照らされながらジェーンは、いやらしい刺激を待ち望むペニスを、手の中に握り締め、扱き始めながら、何もなかったかのようななし崩しに持ち込むにしろ、チョウを自分のもののように扱ったことをミスだったと認め謝ってしまうにしろ、この欲望を吐き出して、弱みを少しでも減らしてからだと、薄く唇を開いた。
快楽に流されるまま握り込んで動かせば、じくりと下腹が熱くなり、喉の奥からは甘い呻きが漏れ出した。
身体の芯を疼かせる熱を味わうため、濡れ出した丸い先端を撫で回す胸の中では、自分にこんなことをさせる頑固なチョウの態度にじわりと苛立ちも湧く。だが、腹立たしさをぶつけるように心の中で文句を言い立てれば、同時に、チョウ自身を脳裏に思い描くことになって、彼の硬い胸板への欲望で喉にひりりと渇きを覚えた。
握り込んで扱く手の硬さも、自分の手のこんな柔らかさとは違う。
無造作かつ強引に足を開いて、あれだって無遠慮にぐっと握り込んでくるくせに、じっとジェーンの様子をみつめたまま、たとえ勃ってなくてもいつまでも感じさせてくれる。
そっけないかと思えば、情の深さをみせるその二面性は、落差が大きいからこそ、ジェーンを混乱させ、チョウに興味を持たせた。
力強く太い腕に抱かれて、揺さぶられたかった。
毎回丁寧に開かれるあそこに、硬くて太いものを、じりじりと押し込まれる時の、頼りなさと息の苦しさを思い出せば、掴まれ開かれた足の角度のはしたなさも相まって、恥ずかしさのあまり勝手に頬には赤みが差した。
握り込んだ手の中のものは、漏れ出したカウパーが手の動きで塗り広げられ、くちゃりくちゃりといやらしい音をたてている。
あまりに鮮明にチョウを思い描いていたせいか、最後にした時の、窮屈なほど抱き込まれ捻じ込まれたまま、耳に歯を立てて噛まれた時の熱い息の感触がふと記憶によみがえって、ぞわり腰が震えた。たまらなくなって、物欲しさに疼く箇所をズボンの縫い目の上からあやすように撫でる。
突然、トイレのドアを開ける音がして、どたどたと無粋な足音がタイルを踏んだ。
どきりと驚きにジェーンが息を詰め、手を止める前に、大きな声が問いただす。
「ジェーン、どこだ? ここにいるんだろ。正式な応援要請が下った。現場に出るぞ。どうした? 食い過ぎて、腹でも下ったか?」
デリカシーもなにもあったものじゃない、トイレに閉じこもる理由が、全く現実的なのがチョウらしかった。
便座に座ったままその安定感に思わず安心して、ジェーンは、硬く勃って濡れそぼるペニスを手の中に握ったまま、潤んだ目で天井を見上げる。
「チョウ、……ねぇ、チョウ、一人だよね?」
「出られそうか? ボスはもう車だ」
急かすだけで、ジェーンの心配すらしようとしないチョウは、返事を返さなかったが一人だ。一人分しか人の気配は感じない。
あまりに驚かされたせいか、安堵感のあまり、ふと、意地の悪いひらめきがジェーンに浮かび、自分でもその思いつきの性質の悪さに、唇が弓型に引きあがる。
「チョウ、僕さ、お腹を壊してるわけじゃなくて、実は今、オナニーしててさ。あと3分待ってくれる? そうしたら出られると思うから」
はっきりと聞えるように答えた声に、どんな反応が返って来るか、散々チョウに焦らされたジェーンはおかしかった。
嘘は言っていない。手の中には、カウパーすら漏してビクつくピンクの勃起があり、さっきまでの盛り上がった気分に、うっすら汗までかいて熱くなっている身体は、潤んだ目元だって赤い。突然チョウさえ入って来なければ、実際3分もかからずいけたはずだ。
個室のドア一枚向こうのチョウは沈黙した。驚愕の後には、重苦しい怒りの気配を感じる。
「ねぇ、チョウ、聞いてるかい? そういうわけでさ、申し訳ないんだけど、今、手が離せない状態だから、ちょっと待っててくれるかな?」
ジェーンは舌を出しながら笑いで肩を震わせた。
ドア板越しに、荒々しく息を吐き捨てる音がする。
やっと押し黙っていたチョウが声を返した。
「ボスは車だ。聞えてるか? ジェーン。もう、ボスは車で待っている」
「あとちょっとでいけそうなんだって」
声を返すと、唸り声の後、苛立たしげにタイルを踏みにじる靴音がした。
「……ジェーン、嫌がらせか?」
「そうだったらいいんだけどね、」
ジェーンは、わざとらしく聞えないようなため息を吐き出す。
「実は、こっちもかなり切羽詰まっててさ。どっかの誰かさんが僕がどれだけ色目を使ったところで、へそを曲げたままなせいで、溜まっちゃったんだよ」
「……勃たないだろ。お前のは……」
「酷いな。勃つこともあるだろ」
拗ねてみせると、また唸り声が聞え、ドア越しに押し問答をするのがまどろっこしくなったのか、ドンドンと追い立てるように強くドアが叩かれた。
「勃ってて出て来れないんだな? じゃぁ、今すぐ、扱きながら、尻の穴に指を突っ込め。お前なら、すぐいける。ジェーン、さっさと出して、とっとと出て来い!」
チョウは、嫌がらせのようにガンガンと容赦なくドアを叩き続ける。
「チョウ、君!」
「冗談はいい加減にしろ、ジェーン! 事件だって言ってるだろう! お前、さっさと出て来い!」
兇暴なその音の迫力の前では、下半身を無防備に晒したまま、便座に座っているなど、よほどの心臓じゃなきゃ無理だった。
「………………萎えちゃったよ…………酷いよ、チョウ……」
手の中のものは、本当に弱々しく項垂れ、見る間に縮んでいくそのみじめな様子に思わずがっくりときたジェーンは、なんだか天を仰ぎたいような気分だ。
情けのない声を聞いたドアの向こうのチョウも同じ気分を味わっているらしい。
「……マジなのか? 信じられない男だな、お前は……」
思わず、沈黙だ。
だが、チョウの方が切り替えが早い。
「くそっ! わかった。ジェーン、今晩、部屋に来ていい。だから、今すぐ、縮んだのをしまって、ジッパーを上げて出て来い。さっきから、ボスが車まで待っている。やりたいんだったら、さっさと事件を解決しろ!」
唇を合わせているうちに、このまま先に進むのが惜しい気分になっていて、ジェーンは自分で驚いた。
角度を変えて、何度も重なって来る唇のいつまでもキリのないキスに、チョウが、もう面倒な気分になってきているのだってわかっているのに、ベッドの上の彼に乗り上げたままのこのキスを続けたい。
「出したいんじゃなかったのか?」
義理固くも、非力なコンサルタントの下から動かずにいるチョウが、しつこくきりのないキスに対して、とうとう疑問を差し挟んだ。
「不思議だよね、確かにさ、すごく指かアレを突っ込んで欲しかったんだけどさ、……でも、僕、ホントにキスもしたかったみたいだよ」
「お前、キスがしたかったのか? じゃぁ、気が済んだら寝るのか?」
ほんの少しだが、チョウの仏頂面に肩すかしをくらったような表情が浮かんでいて、ジェーンは間近の顔を見つめたまま蕩けるように目を細め、笑った。
「まさか! 僕が何のためにあんなに一生懸命になって事件を解決したと思ってるんだい?」
「市民の安全のためだろ。……嘘だ。それを聞いて安心した」
チョウの手がやわらかく脂肪をつけたジェーンの身体を撫で降りはじめる。
その心地よさに、ジェーンはうっとりと目を細め、力強い手のひらの感触に湿った息を浅く吐く。
「あのさ、チョウ、謝ったりはしないけど、ごめんって思ってるよ。まぁ、思ってるっていっても、ちょっとだけなんだけどね」
なかば目を瞑ったまま、甘えるようにジェーンはチョウの逞しい肩へと顔を擦りつける。
チョウの手は、もうジェーンの履いているボクサーパンツの中へと滑り込んでいて、しっとりと重く肉のついた気持ちのいい尻を撫でている。
「何のことだ?」
「いいね、そのしらばっくれ方、じゃぁ、僕ももう何もなかったことにする」
にこりと笑って、本当になんの拘りもなさそうにジェーンはキスしだした。
また、しつこいキスに付き合わされながら、チョウは、なんだか自分が損をさせられた気分になった。
END