イースターラビット

 

無事、事件を解決し、チームのメンバーとともに、CBI本部に戻ったジェーンは、部屋の中に違和感があることに気付いた。

心地よい人のざわめきに溢れたフロアの中だ。雑多な人間が入り混じれば、誰かが電話を取ったのか、机の上のペンやメモ帳がなくなっていたり、ファイルなど細かな物の位置が変わることなど、ありふれたことで、普段なら気にもならない。

しかし、今日、戻った部屋の中は、明らかに、何かが違っていた。

だが、それに気付き、思わず足を止めたのは、ジェーンだけだったようで、席についた皆は、もう、報告書や、旅費や経費の計算書、もしくは、留守にした間に溜まった連絡のファックスやメールの処理を始めている。

話しかけようとしたリグスビーが、受話器を手にしていて、仕方なくジェーンは、ぐるりと部屋の中を見回し、自分が違和感を覚える理由を、一人、確かめ始めた。おかしいと感じた位置まで、足を戻す。

だが、見える範囲が広くなり、なんだか、対象があいまいになった気がして、最初に感じた自分の直感を信じた。

自分の愛用するソファーの辺りが一番怪しいと感じたのだ。

近付いて確かめてみれば、ソファーそのものには異変はなく、その横の棚に原因があるとわかった。本が何冊か、前に押し出されたままになっているのだ。いかにも、後ろを確かめてみろと言わんばかりで、何があるのかと覗いてみれば、細かで繊細な細工のされたイースターエッグが出てきた。

「……しまった」

思わず、ジェーンが声を出すと、気のいいリグスビーが、聞きつけてどうした?と聞く。そして、にやにやと笑うとウィンクしてみせた。

「ジェーン、イースターラビットでもいたか?」

ジェーンが手に持っている卵を差してのことだ。

からかうように、リグスビーは、頭の上で手をひらひらさせて、うさぎの耳のようにする。そして、急に真面目な声を出すと、電話の向こうの相手と話しだした。

代わりに、チョウと、ヴァンペルトの視線がジェーンに向けられている。ジェーンは、肩を竦めた。

「……そうだよね、そういえば、最近、イースターエッグのチョコをよく見かけると思ってたんだよ。今日は、イースターだったんだ。……事件ですっかり忘れてたよ」

「まさか、うさぎはいないでしょうけど、どうしたんですか、ジェーン?」

ヴァンペルトの笑顔は無邪気なものだったが、チョウはにやりと笑った。

「今年も卵探しゲームの勝者になったか、ジェーン?」

コンサルタントの眉は、情けなく下がっている。

「……なっちゃったよ」

 

豪華かつ、センスのいいイースターエッグを片手に、顔を顰めているコンサルタントを、手短に電話を切ったリグスビーがたしなめた。

「いつもお前のいる側に隠してあったんだ。絶対にお前に見つけてほしかったんだよ」

「そうだな。まぁ、ジェーンのことだから、そこじゃない別の場所に隠してあったとしても、このフロアの中である限り、一番に探しだすのは間違いないだろうけどな」

言外にどうせお前が見つけたよと人悪く笑うチョウを、ヴァンペルトは不思議そうにしている。

「なんで、その卵が嫌なんですか? とても素敵な細工じゃないですか」

「ヴァンペルトにあげようか?」

すかさず、深紅に彩色された表面に細かなビーズが施された卵をジェーンは、にこりと差し出す。

ヴァンペルトは、両手を後ろに隠した。

「え? だって、なんだか、受け取るの怖いですよ」

慌てて、リグスビーが口を挟んだ。

「ヴァンペルト、受け取るなよ」

そして、受話器を取り上げる。短いプッシュは内線のはずだ。

「あ、ボス。今日がイースターだって覚えてました? ジェーンが、イースターエッグを見つけました。エイミーのとこ、行かせた方がいいですよね?」

返答を聞いたリグスビーの笑みがにんまりと深くなる。

それを見ていたジェーンは目の上を手で覆って、上を向き、大きくため息を吐き出す。

「僕、エイミーに、嫌われてるんだってば」

「諦めろ」

「エイミーって、鑑識のエイミー・ブラッド?」

たかが卵一個に、大騒ぎの男たちの様子が不思議なのか、ヴァンペルトは、目をぱちぱちとさせている。

「その卵って、エイミー・ブラッドが作ったんですか。さすが、とっても器用」

細かな細工のされたイースターエッグの出来栄えは、芸術品の域で、本当なら、ヴァンペルトは、手にとって、その絵付けを眺めたかった。

オフィスのドアが開き、リズボンが顔を出す。

「ジェーン、いますぐ、エイミーのところに行って来て。わかってるわね、去年みたいな粗相は絶対に禁止よ。それから、リグスビー、報告書のことで、ちょっと打ち合わせしたいことがあるから、こっちにきて」

ボスからも強い命令が出て、がっくりと肩を落としたコンサルタントの背中を、冷やかすようにリグスビーが叩いて、リズボンの元へ急ぐ。チョウまで、だらりと伸びているジェーンの腕を叩き、にやりと笑うと、行って来いと廊下を指差した。

「うちが持ち込んだ物を後回しにされないように、精々、ごますってきてくれ」

 

「ごめんなさい。去年のことなら、十分反省してます。……チームからも、もう、許してくださいって伝えてくれって」

ジェーンたちがいる階より2階分上のラボは、手狭ながらに、その実力は州の中でもなかなかの評価を受けている。試験管を振っていた白衣の女性は、入り口に立つなり、謝った凶悪犯罪班の金髪のコンサルタントに、薄いベージュの唇を面白そうに開けた。

「あら、あなたに、謝るなんてことが出来るとは思わなかったわ」

試験管を機械にかけると、手袋を取り、少しふくよかな身体を覆う白衣のポケットに手を突っ込む。

「リズボンと一緒に仕事をしていれば、自然と覚えるんです」

「リズボン。……ああ、リズボン。私、彼女のこと大好きよ。彼女ったら、かわいらしい不器用さんよね。たびたび、お菓子の差し入れをしてくれるわ」

「……リズボンは、遠まわしにあなたのお菓子の味を責めているわけではなく……」

「わかってるわよ。彼女はそんな器用な性格じゃないし、今まで娘以外、誰一人だって、私の作ったお菓子がまずいなんて言ったことがなかったもの。あなた以外にね。……でも、あなたのことも、今じゃ感謝してるわ。私のお菓子が不味いってはっきり教えてくれて」

地元の大学に通う娘のいるエイミー・ブラッドは、年相応に丸みある身体の肩を竦める。肩で揃えられた茶色の髪がやさしげにみえる女性だ。だが、口は容赦ない。さすがのジェーンも劣勢に立たされている。

「……だから、それに、ついては、大変申し訳のないことをしたと……」

「だから、言ってるでしょう? 心にもないことは言わなくていいって。不味いものは、不味いって何で言っちゃだめなんだって顔に書いてあるわよ。コンサルタントさん」

口はきついが、楽しげに笑うエイミーは、機材の奥から小さな袋を持ってきた。

「今年は、絶対にあなたに見つけて欲しくて、わざとらしい場所に隠し過ぎたわね。でも、ほら、あなたのおかげで、今年のエッグハントの勝者は、本当においしいクッキーが食べられるのよ。しかも、ここのは、当たると評判のおみくじクッキー」

毎年、潤いの少ない職場の小さな楽しみとして、技術者の器用な手先を活用し、エッグハントを企画するエイミー・ブラッドは、自作のクッキーを勝者に振る舞っていたのだが、去年、そのクッキーを貰ったその場で食べて、まずいと一言、盛大に顔を顰めたジェーンは、誰もがこっそり心の中で思っていたことを素直に口にしただけだが、腕のいい鑑識の技術者を傷つけた男として、皆から責め立てられたのだ。

リズボンだけでなく、ミネリまでもが、謝ってこいと言ったが、あまりに皆が責め立てるせいで、反対に、ジェーンの足は、ラボへと向かなくなってしまった。もともと、鑑識までコンサルタントが立ち寄る用事もない。

「大丈夫よ。あなたのおかげで、教会のみんなも私がコーヒーの担当に変わってほっとしてるわ」

「あの味で、お菓子の担当をしてたのかい?」

思わず真顔で問うたジェーンに、エイミーは顔を顰め、肩を竦める。

「娘はね、もうずっと前から、ママのお菓子は不味いから、作るのをやめてって言ってたんだけど、好きだったし、あの子は自分が太るのが嫌で、言ってるのだとばかり思ってたの。それにしても、あなた、本当に失礼な男ね。最低よ」

そして、ジェーンと一緒になって吹き出す。散々笑って、

「なんでかしら、料理の味は、ものすごくいいのよ、私」

「料理の腕なら、僕も捨てたものじゃないよ。今度、ランチを作ってきて一緒に食べようか」

想像していたよりも、ずっと上手く関係の修復を果たしたジェーンは、見つけたイースターエッグの芸術的な出来栄えについて、褒め称えた。

「それを、欲しがってくれる人は、毎年沢山いるの。だから、あなたのおかげで今年から賞品がお店のクッキーに変わって、更にみんな嬉しがってくれてるわ」

「なかなかの嫌味上手だね、エイミー」

「一年分の嫌味だから、まだまだ、終わらないわよ。知らないでしょうけど、あの後、リズボンの上司のミネリまで、心配して、ここに顔をみせたのよ。私は、その位、恐いの」

くしゃくしゃに目を細め笑ったエイミーは、店で買ったというおみくじクッキーの袋を差し出す。

「あなたは、信じないかもしれないけど、おばさんの楽しみの一つを勉強すると思って、このクッキーを一つ、取って。本当に当たるんだから」

たわいものない楽しみのために、ジェーンはためらわず、袋の中のクッキーを手に取った。

「これは、店のなかのクッキーの中でも特に当たるっていう奴なの。実は、私は、これのおかげで、あなたの言葉を真実だと受け入れたわ」

一年前、エイミーが引いたおみくじクッキーには、「幸せは時々痛いもの」と書かれていたのだとういう。

教会の仲間も、職場の同僚も、気を使うあまり、真実を伝えてられなかったことを、失礼な金髪のコンサルタントに教えられ、その時、自分がどれほど人に大切に愛されているのか、エイミーは深く感謝したのだと笑う。

「でも、あなたのことが許せたのは、一月も経ってからだけどね」

と、エイミーは続けた。

「今は、ずけずけと嫌味なことを言う嫌な奴のあなたにも、十分感謝してるし、幸せになって貰いたいと思ってるから、おみくじのお告げには、従ってね」

ジェーンが硬いクッキーを噛んで中身を取り出したおみくじには、こう書かれていた。

『真実を聞いてみて!』

ジェーンの手元を覗き込んでいたエイミーは、おかしそうに鼻もちならない金髪のコンサルタントを見つめる。

「あら、あなたでも、怖くて聞けないでいることがあるの?」

ジェーンは苦笑した。

「そんな、人を心のない悪魔みたいに言わないでほしいな」

「リズボンにとっては、あなたは、悪魔みたいなものみたいだけどね」

エイミーは、机を漁ると、リズボンのよこした菓子についていたカードをジェーンに見せた。

『うちには、悪魔がいるんです。許して。  リズボン』

二人は、また笑った。

 

 

鑑識のエイミー・ブラッドと、ちゃんと仲直りするっていうすごい仕事を果たしてきたんだから、家まで送ってよという、全くわけのわからない理由で、ジェーンを家まで送らされているチョウは、隣のジェーンが食べるクッキーのかすが、車の中に落ちるのが気になっていた。

「……それ、貰った奴なのか?」

「うん、そう。チョウも食べるかい? 彼女、今年から手作りはやめて、店で買ってくるようになったから、おいしいよ」

おみくじクッキー以外にも、エッグハントの勝者には賞品を用意していた女性は、クッキーの包みにかわいらしいピンクのリボンをかけていた。

「エイミーってさ、本当に手先が器用なんだね」

「みたいだな」

「へぇ、チョウは、イースターエッグをみつけたことないんだ」

「大抵、事件で外に出ているうちに、エッグハントは終わってる」

「あのさ、ねぇ、チョウ、僕のこと、好き?」

唐突なジェーンの質問は、意味が掴みにくく、答えにくいとチョウは感じた。何を思って、ジェーンがそう聞いてきたのかわからない。

「お前はどうなんだ?」

前を見たまま質問で返した。

「僕……? そうだね、寝てもいいと思う程には好き、かな?」

「俺も、同じだ」

ジェーンは、チョウがそう答えたことに、軽いショックを覚えた。

そして、傷ついた自分に驚いた。

「すごいな。エイミーのおみくじクッキーは、確かに、幸せになるための鍵を隠してるね」

思わず、感謝したくなる。そして、同時に、一年前、彼女が受けただろう真実と言う名の痛みも同じように味わった気がした。

ジェーンがつぶやくことの意味がわからず、眉を寄せたチョウは、怪訝に隣のジェーンを見る。

ジェーンの口元にはクッキーが頬張られたままだ。

「……粉を落とすな」

「ああ、ごめん。でも、少しだけだよ」

車が家の前に止まり、チョウは、サイドブレーキをかけると、明日の朝は何時に迎えに来るのがいいのかをジェーンに聞く。

「やっぱり、チョウって親切だよね」

ジェーンは目を伏せ気味に柔らかく笑い、少しためらったあと、青い目を開け、チョウを見つめた。

「あのさ、チョウ、……おみくじのお告げがあってさ、僕、チョウに少しお願いがあるんだけど、……今より、もう少しだけでいいんだ。僕のこと好きになってくれないかな?」

ジェーンはそっとチョウの唇へと唇を押し当てた。

キスしたまま、ジェーンは青い目を開ける。

驚きに開けたままだったチョウの目を覗き込むのは、吸い込まれそうなブルーだ。

その目が願う。

しかも、控え目に。

「具体的には?」

チョウは、目がそらせなくて、質問した。

ジェーンがおかしそうに笑った。

「じゃぁ、君から、今、僕に、キスしてくれるかい?」

 

その願いは、簡単に叶えられ、ジェーンは、確かに少し、自分が幸せになったことを感じた。

 

 

 

END