CJ 1
腹が痛いと、朝、顔を合わせた時から言っていた。
「帰ったら、どうなんだ?」
「帰ったって、家に一人だからね、ここでみんなに心配して貰っていたいな」
始終、片手を腹に当てながら、にこにこと金髪が笑うので、チョウは、呆れた思いで、ジェーンを放っておいたのだ。
「食べて平気なんですか?」
「うん。さすがに、いつもみたいには無理だけどさ、ヴァンペルト、外に出たついでに、僕のお昼を、パンでも買って来てくれないかな?」
そうして、加減もせずに、子供のように昼を頬張り、午後からジェーンは静かになった。本を開いている時間より、俯いて腹をさすっている時間の方が多くなって、ほらみたことかとチョウは思っていたのだ。
「医者に行ってこい」
資料を取るため、振り返ったついでに、声をかける。はっとしたように、顔を上げたジェーンは、場にそぐわぬほどの華やいだ笑顔を顔から溢れさせ、にっこりと歯をみせて笑った。
「え? ああ、ありがとう。チョウ。でも、平気だよ。リグスビーから消化薬も貰ったし」
まだ封を切っていない薬を目の前で振って見せる金髪は、自分が顔に貼りつけた笑顔のレベルが過剰だということに、気付く余裕がないらしい。
「持ってるだけじゃ効かない。飲んでから言え」
ありがたいことに、その日は、腹痛のコンサルタントを引きづって現場に向かわなければならないような出動要請は入らなかった。とうとう、重大な決意の上、一食抜くことを決意した金髪は、腹が空いたとうるさくさえずりながら、チョウが、テイクアウトしてきた夕食のテーブルの周りをぐるぐると歩き続けている。
「おいしそうな匂いだね。チョウ。あれ? ニンジン、何? 避けてない? 残すの?」
「違う。たまたま、まだ、食べたないだけだ。お前、座れ。家で食う飯くらい、ゆっくり俺に食わせろ」
じろりとチョウが目で、ジェーンが手を付いているダイニングの椅子を示せば、ジェーンは、慌てて席から離れる。
「ダメだって、そんなの目の前で見てたら、すごく食べたくなっちゃうだろ」
「だったら、向こうに行ってろ」
「……ああ、もう! なんでこんな日に、チョウは、そんなにいい匂いのするものを食べるかな? ねぇ、チョウ、明日も君、同じ店だからね。それ、僕、明日、必ず買う」
やっとテーブルから金髪がいなくなって、静かに夕食を終えたチョウは、ソファーで黙りこんで丸まっているジェーンに近づいた。
「どっちが勝ってるんだ?」
「知らない」
「目の前で、テレビが付いてるのにか?」
「チョウ、僕、まだ、お腹が痛いんだよ……」
情けない目で見上げてきたジェーンに、チョウは顔を顰め、肩を竦めた。
「医者に行くか?」
「ううん。医者に行くほどの痛さじゃない」
「だろうな。お前のは、ただの食い過ぎだ」
昼食後、腹痛が酷くなり黙り込んでいたくせに、夕方になってすこし調子が良くなると、紅茶を入れに行った給湯室で、貰った焼き菓子をこの金髪は口の中に放り込んでいた。チョウは、少しテレビの音を絞ると、ジェーンの座るソファーの隣に滑り込む。
「何? チョウ?」
「詰めろ」
ソファーの中央で手足を丸めているジェーンを押しやり、自分は右端にかける。
「優しくないな」
しかし、ぎゅうぎゅうと押しやって来たくせに、急にチョウは腰を上げ、ジェーンは怪訝な思いをする。戻ったチョウは、いない間にと、そろそろと伸ばしていたジェーンの足をぎゅっと踏んで腰掛けた。
「痛いっ」
「ほら、これ、飲んどけ。結局、お前、薬を飲んでないだろう?」
口元に近づけると、唇を尖らせたジェーンに、チョウは、分からない程度に目尻を下げた。
「……苦手なんだよ」
「口開け。飲み終わるまで、尻をどけてやらないぞ」
しぶしぶ開けた口の中に、薬を流し込まれて、ジェーンは顔を顰めた。
「よし、飲んだな。手のかかる」
チョウは、ジェーンの口元に水の入ったコップを押しつけ、ごくりと飲み込ませると、そのままグラスを机の上に置いた。そして、自分の位置を入れ替えると、ジェーンの腹に腕を回して引き寄せ、自分の胸へと凭れさせた。スラックスのボタンを外し、ジッパーを下げるチョウの手を、ジェーンは咎めるように目を眇め、見ている。
「……チョウ、僕、お腹が痛いって」
「一日中、聞いた。知ってる」
だが、手がしたことは実に不埒だ。しかし、責めるようにじっと見ているうちに腹の上で円を描くようにゆっくりとチョウの手が擦りだして、ジェーンはひどく驚いた。
「……僕、そんなにうるさかったかな?」
温かな手で、優しく撫でられているのは、気恥ずかしいのに、だが、同時にとても落ち着く。ぴったりと重ねられた体温が溶け合い、二人の鼓動が、穏やかに重なっていく。ジェーンはゆっくりと息を吐き出す。
「あ、なんか、効く感じ。痛くなくなってきた」
「そうか、よかったな」
END
ちょっと夢見てます。すみません……。