CBI 今日の天気はロブスター便り

 

「……おい、ジェーン、いい加減にしたらどうなんだ?」

不機嫌に背中を向けたチョウの後ろ姿から、目を反らし、リグスビーは心配げに目を伏せる。

「お前、もう、2回も誘いを断ってるだろ……それでなくても、お前の態度」

机に座って談笑中だったリグスビーとジェーンの間に、チョウが仲間に入ろうとしたのだ。そして、夕食を一緒にどうだと誘ってきた。だが、誘われたジェーンの態度は、無視に近かった。しかも、酷く、空々しかった。

リグスビーは、立ち去るチョウを気にし、居心地悪そうに、手を擦り合わせている。

「違うよ。今ので、3回目。君も含めての誘いが2回だっただけだよ。こめんね、リグスビー、せっかく3人でって誘ってくれたのに、断っちゃって」

「いや、俺は、いいんだけどさ。やっぱ、あれか? 先週、お前が誘った夕食に、チョウがドタキャン食らわせたのを」

「本当にね、最悪だよね。チョウって。僕がせっかく予約を入れて、お腹もすかせて、彼の残業が終わるのを待ってたのに」

リグスビーは、はぁっと、大きな背中を情けなく丸めて、せつなげにため息をつく。

「……まったく、食い物の恨みってのは、おそろしいな。たかが、ロブスターだろうが。あれ以来、お前の態度が悪いから、チョウは怒ってどんどん機嫌が悪くなっていくし、全く、居心地が悪いったら。……なのに、まだ、お前、断って。あれは、限界ぎりぎりのチョウからの歩み寄りだぞ。あの今にもキレそうな目を見たか? もう、次はないぞ。……お前が謝れよ」

「ホントに、リグスビー、君って、気の優しい男だよね。今の誘いだって、君がチョウを説得して誘わせたんだろう。僕らに夕食を奢ってくれる気だった?」

にこにこと青い目で人の目を覗き込んで人悪く笑うジェーンに、リグスビーは顔を顰める。

「飯、奢って、お前らが仲直りするんなら、その方がよっぽど楽」

「ホントに君は人がいい。……お金がためられないタイプだね」

ジェーンは笑った。

「ヴェンペルトが苦労しそう」

と言って、ついっと、右にジェーンは目を動かしたのだが、リグスビーは、ヴァンペルトの席があるそっちを見ようとはせず、不自然なほど頑なに目を反らす。

「なっ、なんでだよ。関係ないだろ。見るな、ジェーン。気付かれる」

ジェーンの顔にはにんまりと笑みが浮かぶ。

「ん? ヴェンペルトなら、リズボンの部屋に呼ばれて、今、いないよ。ひっかかった。でも、まっ、いいよね。その代わり、君は、人に恵まれて、出世するだろうから、ヴァンペルトの将来は安心だ」

「だから、ヴァンペルトは関係ないだろう」

真っ赤になったリグスビーが、思い切り顔を顰めて、ぶつぶつ文句を言っているというのに、まるでジェーンは、他の事に気を取られたように、素知らぬ顔だ。そして、ついっと、席を離れる。

「僕、チョウの機嫌取って来るね」

ジェーンは、ひらひらと手を振る。

「おい、お前、いきなりだな」

「うん。でも、金曜日の夕方に仲直りせずに、別れるなんて気分悪いだろう?」

ジェーンの背中は、迷いなく、黙々と資料をキャビネットに収納中のチョウに近づいていっており、リグスビーの肩は、またがっくりと落ちる。

「……そういうのは、先週の金曜に思いついてくれよ……」

この一週間、たかが、ロブスターで、ジェーンは露骨にチョウを無視し、二人の中は険悪で、リグスビーは胃が痛かったのだ。

「でも、仲直りしてくれるなら、……もう、なんでもいい、けどな……」

 

 

ジェーンが近付くと、チョウは、わざとらしくガチャンと大きな音を立ててキャビネットの引き出しを元に戻した。

「恐いね」

「邪魔だ。来るな」

だが、安物のキャビネットが危険なほど大きな音を立てたのと同時に、二人の捜査官に脇を抱えられるようにして連行された容疑者が、玄関口で大声を張り上げ、それに続く、派手に物を蹴る音がする。

馬鹿野郎! 死ね、お前ら、警官ども、全員死ね! 俺は何もやってない! 離せ、このクソ! 俺に触るな!

口汚い罵りに、一瞬、水が引いたように、静まったフロアーの中には、事態さえわかってしまえば、またかという安堵の空気が流れて雰囲気は淀みだし、警備の担当者が、ばたばたと走る。

そんな雑然としたいつもの風景の片隅で、睨みつけてくる捜査官の眼力を物ともせず、ジェーンは笑っている。

「幼稚な威嚇だね、チョウ」

強い威嚇を物ともせず、一歩づつゆっくりと、ワックスの禿げたフローリングを踏みしめ、ジェーンはチョウに近づいて行く。

「すごい、緊張だ。君」

「邪魔するな」

「もう少し、落ち着いたら?」

ジェーンは、じっとチョウの目を見つめ、にっこりと笑う。

「睨んでも無駄だよ、チョウ。僕を誰だと思ってるんだい? 君の本当の気持ちが僕には読めてる。そろそろ認めようよ、チョウ。君がそんなに不機嫌になってるのは、僕と、仲良く話せないせいだ」

どれだけ睨まれようと、ジェーンはチョウの目を見つめ、甘く微笑んだまま、じりじりとチョウへの距離を縮めていく。

「僕が君を許さないから、寂しくて、君には不機嫌になっている。君は、僕に許されて、僕に優しく話しかけられたいんだよ。怒りは時々、願いの裏返しなんだ」

不機嫌に眉を潜めて、きつく睨みつけてくるチョウの目から、決してジェーンは目を離さない。

「不服そうだね。いいんだよ。すぐには受け入れられなくても。でも、僕が言っていることは本当。人は、願って、願って、願っても叶わない時、時々その思いを、怒りに変えてしまう。君は、僕の態度が許せないんじゃなくて、そんな態度しか取ってもらえないことが寂しいんだ。君は、僕と話がしたかったんだよ」

話しながら、とうとうジェーンは、チョウのすぐ側まで近づいていた。ジェーンがチョウの肩にでも触れるように手を伸ばし、途端に、チョウの腕がジェーンを乱暴に押しのけようとした。

その手を、ジェーンが掴む。

「触るな」

「触られたくないんだ。わかったよ。チョウ。ほら」

ジェーンは、チョウから手を離し、両手を広げて見せた。

「ほら、触って無い」

馬鹿にしたようなそのジェーンの態度に、いまにもチョウは爆発しそうな面持ちだ。

だが、ジェーンは、まだ、じっとそんなチョウの黒い目を見つめ続ける。

「僕から、謝った方がいい?」

チョウの瞳孔が、いつもより開いているのを確認しながら、ジェーンはにっこりとほほ笑む。

「どけ」

「うん。退くよ。チョウ。謝罪はいらないんだね」

ジェーンは、足早に歩くチョウの後ろをついていく。もう、チョウは、催眠状態だ。

「やっぱりね、君は僕に謝りたいと思ってる。僕が謝る必要を感じてない」

ジェーンの言葉を無視して歩くチョウの後ろを、平気な顔で、ジェーンはついていく。

大声でわめいていた容疑者はどうやら、一旦、留置所に拘留のようだ。殴られたのか、赤い頬をしてやれやれと男たちが歩いて行く。そんな彼らとすれ違ったチョウは、用などないはずなのに、空きの取調室のドアを開け、中に入る。そんなチョウの後に、するりとジェーンも続いた。

そして、後ろ手にドアを閉めると、ジェーンはチョウの正面で腕を広げた。

「チョウ、そろそろ、君を許してあげるよ。どう? 嬉しい? 君を許してあげる。ほら、君が今、一番したいことをしていいよ」

ここは、机と椅子だけがある、取り調べ室だ。勿論、鍵のかかるプライベートな空間ではない。

だが、ジェーンの言葉が終わらないうちに、チョウの腕は伸び、力強くジェーンを抱き込むと、痛いほどに唇を合わせてきた。足が縺れるほどの勢いで引き寄せられ、抱きしめられたまま激しく口づけられるジェーンは、息も出来ない。合わせられ、きつく吸われる唇も痛い。

息がしたくて、ほんの少し、ジェーンが舌をみせれば、チョウはすかさずそのピンクの肉を捕え、きついほどに吸い上げてくる。口内の奥深くまで、チョウは舌を伸ばし、全てを舐め取っていく。ジェーンは口を閉じることもできない。気持ち良さなど感じる隙もないほど絡められた舌を取り返そうとあがくと、唸りが聞こえた。

「ジェーン……、ジェーン!」

チョウの腕は、ジェーンの腰をきつく抱き込み、逃げることもできない。

抱きつぶされそうなほどきつく合わせられた胸が苦しかった。

「っう……っ、……、」

ジェーンが顔を背けて、キスから逃れようともがいているのに、チョウの手はますますジェーンを捕え、離そうとしない。唇はますます強く押しつけられ、ジェーンの鼻はみっともなくつぶれている。

強引なばかりのキスに、ジェーンが嫌がっているのを悟ったチョウは、なんとか快感を与えようと、唇を何度も重ね直す。

だが、捻じ込まれた舌は、ジェーンの口の中を自分本位に舐め回すばかりで、やはり、まだ、強引だ。

「……っ、んっ……ね、……ね……っチョウ、わかったから。……ねっ、……チョウっ」

終わり。終わりにしようねと、やっとジェーンがチョウとの間に腕を差し込み、言葉を紡ぐと、催眠状態にあるチョウは、あれほど、強引だったのに、あっさりと辛いほどのキスからジェーンを解放した。

だが、まだ、腕の中にジェーンを抱き込んで離そうとはしない。

「そうだよ。チョウ、いい子だね」

きつく抱きしめたままの至近距離から、キスの許可を求めて、チョウの黒い目がジェーンの青い眼をじっと見つめ続けている。

「照れちゃうね。そんな風に見られると」

照れくささに笑ったジェーンは、赤くなった唇で、ふざけるようにちゅっとチョウにキスをした。

すると、チョウは、もっとというように、ジェーンの唇を追いかけてくる。

それを、ジェーンは笑って止める。

「ダメ、ダメ。チョウ、もう、お終い。何してもいいって言って、もしかして、すごいことになっちゃったらどうしようかと思ってたけど、やっぱり、君の自制心はなかなかのものだね。さぁ、じゃぁ、チョウ、仲直りも済んだし、君は、僕がこの部屋から出たら、催眠術をかけられたことも、今あったことも忘れることにしようか。僕に続いて、この部屋を出る君は、ドアの外に出た途端、全部を忘れる。でも、今の満たされた気持ちだけは、覚えてる。僕に許されたいという君の願いは叶えられたんだよ。もう、寂しくなんかないんだからね。君は、怒らなくてもいい。わかるだろう?」

ジェーンは、チョウを抱きしめ、背中を優しく撫でた。

こめかみに、ちゅっと口付ける。

「ごめんね。ロブスターを食べそびれた腹いせに、ちょっと意地悪したかっただけだったんだけど、君が、怒りだすから、面白くなっちゃって」

そのまま、ジェーンは、ぎゅっと抱きしめ続けているチョウの耳元にキスした。

「君が僕に関心を持ってもらいたいって思ってくれてるってわかったの、嬉しかったよ。さぁ、じゃぁ、こんな恥さらしなこと、君は許せないだろうし、忘れちゃおうね。チョウ」

 

 

しばらく姿を消していたコンサルタントは、戻るなり帰り支度を初めて、リグスビーは眉をひそめた。

「……もしかして、ジェーン、もっとチョウを怒らせて、逃げ帰る支度を急いでるんじゃないだろうな?」

「失礼だよ。リグスビー、僕を誰だと思ってるのさ」

そこに、何かが気になっているのか、怪訝そうに眉を寄せ、首をひねるチョウが、席に戻った。

ジェーンはゆっくりと、チョウに視線を移し、リグスビーは、何かをジェーンがやりそうだと、怖々二人を見つめながら、被害から逃れようと背を丸め込む。

「ねぇ、チョウ、来週の火曜にさ、こないだダメになったロブスター、今度はリグスビーも入れて、3人で食べに行こうよ」

恐いもの知らずにも、いきなりジェーンがチョウを誘う。

「わかった。予定をあけておく」

あっさりと頷いたチョウに、お前はどうなんだと、視線を向けられたリグスビーは、キツネにつままれたような心境を味わった。

「ジェーンの驕りだそうだぞ」

しれっとチョウはジェーンが言っていないことまで言う。だが、そこで、チョウも自分の言動に、不審を持ったらしく、首をひねった。

しかし、眉を潜めるだけで、前言を取り消そうとはしない。

「……ああ、うん。行く。行くけど、……ジェーン?」

「リグスビーには心配かけたし、勿論奢らせてもらうけど、リグスビー、これが、パトリック・ジェーンの実力。君、僕のこともっと尊敬していいよ」

ジェーンは、すまして胸を張る。

そして、何かが少し気に入らないらしく、唇を曲げているチョウを見つめると、幸せそうに、目を細めた。

 

 

END