魔法中年ショーン 〜カンガルーパンチ炸裂〜
ショーンは、スタジオの暗がりに置かれた椅子に座り、セットの中で行われている食事の風景を見守っていた。
子役が、朝食を食べ終え、急いでテーブルから離れようとする。
その子に、ショーンの妻役である女優が、しかりつけるような声で追った。
「ダメでしょ!ちゃんと歯を磨きなさい!」
「食べる前に、磨いた!!」
かばんの中に、教科書を詰め込む子供は、大人が見れば、すぐに嘘だとわかる可愛らしくもとんがった声を出した。
ショーンは、埃っぽいスタジオの椅子からそれを眺め、まだ2度ほどしか会ったことのない子役に対し、上手いな。と、口元を緩めた。
ショーンの座る場所に比べたら、10倍も明るいセットの中で、母親役が、子供に近づき、両手で、大きく子供の口を引っ張る。
「うそつき。どこが磨いた歯?昨日の夜だって磨いてないでしょ?この歯じゃ」
子供は、口を尖らせ、母親の顔から思い切り視線を外す。
極自然で、可愛らしいその表情に、ショーンの頬は緩んだ。
ついでにそのがたがたの歯並びを見ていたら、ショーンの頭に、あの朝のヴィゴの電話がよみがえった。
「ショーン!ショーン!俺、さっきまで、絶対にそっちにいたよな!」
植物の怪物と化していたオーランドに酷い目に合わされ、短いエプロンしか身につけていなかったショーンが、慌ててパジャマに袖を通していた時だ。
朝っぱらから、3度目の電話のベルが鳴った。
不安そうなオーランドの目に、ショーンはとりあえずオーランドをぎゅっとハグをしてやり、電話に出た。
「ショーン、俺・・・」
まず、電話が取られたことに驚いたような、そんな遠慮勝ちなヴィゴの声が聞こえた。
そして、次の瞬間には、息背切ったように、ヴィゴはわめきだした。
「なぁ、俺、さっきまで、そっちに居たよな!?違うか?俺、夢でも見てた??」
ショーンは、ヴィゴにどうやって返事をしたらいいのか、思わず悩んだ。
詳しい事情を説明するには、自分が怪物だった時の記憶を忘れているオーランドが、じっとショーンの背中を見つめていた。
オーランドは、ショーンがパジャマのボタンをしっかりと首まで留めた今、ほぼ全裸だった裸を見つめていた熱っぽい視線はなりを潜め、心細そうな視線をショーンの背中に向けていた。
突然イギリスに居た自分のことで、黒目がちな目が不安に押しつぶされそうになっている。
だが、電話のヴィゴも必死だった。
「なぁ、おい、ショーン!俺、おかしくなっちまったのか?なんか、急に、ショーンのところに行って、ショーンがへんてこりんな植物の化けものに痛ぶられてて、俺がフォーマルなタキシードに突然変身して、ショーンが化け物をぶちのめして・・・ああ!しゃべれば、しゃべるほど、嘘みたいだ。でも、確かに、ほんのちょっと前、そうだったはずなんだ。違うか?なぁ、違うか?ショーン!?」
電話口のヴィゴは、パニックに近い声でわめいていた。
ショーンは、ため息を落とした。
確かに、あんな目にあって、しかし、気がついたら全く元通りでは、ヴィゴが自分の正気を疑いたくなっても仕方がない。
「ヴィゴ。落ち着け。大丈夫だ。さっき、あったことは本当だ」
ショーンは、どう大丈夫なんだ。さっきあったことは夢だと言ってやったほうが親切なんじゃないかと思いながら、自分を落ち着かせるためにもわざとゆっくりとしゃべった。
オーランドは、電話の内容が自分にも関係があるのではないかと、必死に聞き耳を立てていた。
背中に突き刺さるオーランドの視線が痛い。
「詳しいことは、今は言えないが、あんたは、口に咥えていたはずの歯ブラシがなくなっているはずだ。違うか?まだ、口の中に歯磨き粉の味が残ってるだろう?」
「ショーン!なんでそのことを知ってるんだ?やっぱり、さっきのことは本当だったんだな!」
「そうだよ。ヴィゴ。あれが、リーのギフトの正体だ。あんたの歯ブラシは俺んちの床に落ちてる。預かっといてやるから、心配するな」
「じゃぁ!ショーン!!さっき、あんたが、やたらセクシーな格好をしてたのも!!」
ショーンは、そのことについて、出来れば忘れて欲しかった。
足元から見上げていたオーランドの声がやたらと遠慮がちだったのが、ショーンにいたたまれないような恥ずかしさを刻み込んでいた。
40代も後半に入って、股間を覆うのが精一杯といった長さのエプロン一枚の姿を晒すことになるとは、セクシーを売りにしていたショーンだって嫌な気分になってしまう。
「ヴィゴ。落ち着いて。何もかも、もう終わってるんだ。もう、心配ないから。大丈夫。もう、ヴィゴがびっくりするようなことは起こらない」
ショーンは、出来るならば、自分に言ってほしい台詞を並べ立てた。
ヴィゴはそれでも、勝手に自分の場所に戻ったようだからいいのだが、ショーンには、オーランドがいた。
オーランドのスケジュールがどうなっているのか心配だった。
それどころか、国に帰してやりたくとも、パスポートを持っているのかどうかすら危うい。
非現実な世界の尻拭いをどうやらしなくてはならないショーンは、思わず重いため息をついた。
「ショーン、本当に大丈夫なのか?何か、困ってるんじゃないか?」
ヴィゴは、自分のなかの戸惑いに折り合いなど付いてないはずなのに、ショーンの心配をした。
そういうヴィゴの優しさが、ショーンは好きだった。
ショーンは、電話に向かって、柔らかく笑い返しながら、ヴィゴの心遣いを嬉しく思って、頷いた。
ガタン!!
その時、椅子の倒れる音がした。
「ショーン!!」
オーランドが大きな声で叫ぶ。
電話口のヴィゴも叫んだ。
「どうした!?ショーン!!」
「・・・・・・!!!!!」
ショーンは、またもや訪れた超常現象に声もなでなかった。
オーランドは消えかけていた。
ショーンは、必死になってオーランドに手を伸ばした。
不安そう顔が、ショーンに向かって必死に手を伸ばしていた。
ショーンは、電話も放り出し、オーランドに駆け寄った。
「ショーン!!」
「オーリ!!」
消えかけているオーランドを、ショーンはぎゅっと抱きしめた。
頼りない感覚だった。
次の瞬間には、オーランドは消えてしまった。
「・・・オーリ・・・・!?」
呆然とオーランドのいた空間を眺めていたショーンの背後で、人が動いた。
「ショーン、電話はきちんと戻しなさい」
「・・・・リー!!」
受話器を電話に戻したリーは、渋い顔でショーンを叱った。
「君の家は、乱雑すぎる。そうやって、いい加減なことばかりしているから、君の家はこんなに散らかるんだよ。受話器は電話に戻す。脱いだ服はたたむ。ひとつ、ひとつ物事は片付けていけばだねぇ・・・」
「オーリが!オーリが!!」
オーランドのいた空間を指差し、わめくショーンに、リーは眉間の皺を増やした。
「だから、片付けてやったんじゃないかね。どうやって彼をアメリカに帰す気だったんだろう?君に任せておくと、いつ片付けるかわからないからね。私が魔法で送り返しておいた」
「・・・じゃぁ、オーリは・・・」
「無事、元の場所に戻っているはずだ。少し記憶は混乱しているかもしれないが、いや、こんなことになるなんて映画でもない限り、あり得ないからね。きっと夢でも見たんだと思っているに違いない」
リーは、背筋の伸びた威厳のある姿で、新米の魔法戦士の指導に当たった。
だが、ショーンは、ほっと肩を落としただけだった。
礼の一つも口にしない。
憧れに満ちた尊敬の目で、その魔法はどうやってやるんだ。という質問を期待していたリーは、がっかりとした。
だが、表情には出さなかった。
安心したらしいショーンは、今度は、ヴィゴとの電話が切れていることに気付いた。
ショーンは、かなり怒った。
「リー!ヴィゴと電話中だったんだ!どうして切っちまったんだ!!」
「君が放りだしておいたからだ」
「目の前でオーリが消えかけてりゃ、電話のひとつや、ふたつ、放り出すだろう!!」
ヴィゴはあの事件を受け止めきれず、かなり驚いていた。
オーランドがいないのならば、ショーンは、ゆっくりと事情をヴィゴに説明してやりたかった。
「ああ、本当に君は、次から次へと、怒ってばかりで。すこし短気すぎる!」
リーの眉間には思い切り縦皺が寄っていた。
短気なのは、ショーンだけではなかった。
「ヴィゴは、君が魔物と戦うたび、呼び出されるわけだから、おいおい事情もわかってくる。色ボケはいい加減にしたまえ。それよりも、もっとスマートに魔物と戦って欲しいもんだ。ステッキで殴り倒したなんて、魔法戦士の中でも君がはじめてだ。みっともない」
「人が命からがら頑張っていたというのに、みっともないだと!?」
「ショーン、私は朝早くから、君のために忠告に訪れたり、君の後始末をしてやったりだ。この私にお茶の一杯も出さず、ずっと立たせたままにしておくなんて、本当に君は、礼儀正しいな」
リーは、じろりとショーンを睨んだ。
ショーンは、リーを睨み返した。
リーだって、悪役の多い役者だったが、ショーンだって負けていなかった。
お互い商売モノの顔でにらみ合った。
「・・・まぁ、なりたての新米戦士にいろいろ望むほうが無理というものなのだろうな。仕方が無い。茶は私が用意してやろう。かけたまえ」
だが、年の功なのか、リーは、リビングの椅子に腰掛けると、魔法でお茶のセットを出した。
そして、政治や経済などの話をして、小一時間、リーはショーンの家のリビングに居座り続けた。
ショーンは、話しの終わる頃、もう、ヴィゴに電話をする気力もなくなっていた。
埃っぽいスタジオの椅子に座ったまま、ぼんやりとあの時のことを思い出しながら、撮り直しするセットの中を眺めていたショーンの肩を叩いた人間がいた。
ショーンは、気軽に振り向いた。
「何だ?」
「・・・・あっ、あの・・・やっぱり・・・ショーン?」
そこで気弱に微笑む人物の顔に、ショーンはあまりに驚いて、ガタガタと音を立て立ち上がった。
「静かに!」
収録中なので、音を立てたショーンに鋭い叱責が飛んだ。
だが、ショーンにとっても一大事だった。
「嘘だろう?・・・・でも、間違いない・・・」
ショーンは、懐かしい仲間の顔をあり得ない場所で見つけ、思わす強張った笑いを浮かべた。
気弱に笑う男は、あの頃に比べて、随分シャープな印象になっていた。
「久しぶり、ショーン・・・」
だが、印象的な大きな目で、なんとか自分の身に起こったことを受け入れようとしている姿は、あの頃のまま誠実そのものだった。
「悪い・・・すまないんだが、すこしだけ、席を外していいか?」
酷く落ち着かない顔をしたショーンの申し出は、オーケーだと受け入れられた。
プロデューサーは、ショーンの後ろに立つ体格のいい男を見上げ聞いた。
「誰だ?いい男じゃないか。ショーンの知り合いか?」
「ああ、そう。ちょっと用事があって。すぐ戻るから・・・・」
がたがたと落ち着きのない音を立て、小道具やら、床を這うコードなどを避けてスタジオを出たショーンは、どうしたらいいのかわらかないと、顔に書いてついてきた男を見上げた。
「・・・・カール」
「・・・ショーン、やっぱり、ショーンだよね。もう、何がなんだか、さっぱりなんだ。信じてもらえるわけないと思うけど、気が付いたら、ここにいて、どういうことなのかと思ってたら、ショーンの背中を見つけて!」
「カール。お前の言うことを信じる。大変な目にあったな」
ショーンは、カールの話し半ばというところで、カールの話を丸ごと飲み込み頷いた。
あまりにショーンが簡単に異変を受け入れるので、カールの人の良さそうな顔は、すっかり困惑を貼り付けていて、眉は八の字になった。
「・・・・ショーン、信じてもらえるのは嬉しいけど、こういう時って、まず、冗談はよせ!って、言うもんじゃないか?俺、自分でも信じられないってのに、何で、そう簡単に信じてくれるんだ?だって、俺、さっきまで自分の家に居たんだぞ?雑誌を見てて、そうしら、ちょうどショーンの記事が載ってて、懐かしいなぁって思ったら・・・」
「それが、原因だな。ああ、カールお前が懐かしいなんて思わなかったら」
悔しそうなショーンに、カールの眉はますます情けない角度になった。
「・・・ショーンのこと懐かしいって思っちゃけいなかったのか?俺がそんなこと思ったから、こうなった?」
「・・・・まぁ、いろいろだ。・・・説明するのは難しい・・・」
ショーンは、魔王とかいうわけのわからない人物に、いきなりイギリスまで飛ばされてしまったカールを可愛そうに思った。
だが、それこそショーンの側の説明をしようと思うと、カールに信じさせるのは難しかった。
カールの言うことだって信じがたいが、ショーンが説明しようと思ったら、狂人だと思われかねない。
ショーンは、とにかくカールを無事にオーストラリアに帰してやりたくて、胸で揺れているペンダントをぎゅっと握った。
カールは、ショーンに受け入れられたことにほっとしたのか、がばりと抱きつこうとした。
「・・・ショーン・・・」
声が、涙ぐみそうになっていた。
ショーンは、その腕をかいくぐった。
「落ち着け、カール。気持ちはわかるが、そういうのはまずいんだ」
「・・・どうして?」
カールは、捕まえ損ねたショーンに縋るような目を見せた。
カールにしてみれば、ショーンは、この場所で唯一の知り合いだ。
だが、ショーンは、抱きつかれて欲情されたら困るとは、真っ昼間のそれも、テレビ局の廊下では説明する気にはなれなかった。
「事情を説明するのは恥ずかしいから嫌だ。とにかく、そこで、じっとしてろ!」
ショーンは、命令するように、言い捨てた。
カールは、捨てられるとは信じていない、忠実な犬の目で頷いた。
「おい、リー!リー!返事をしろ!」
ショーンは、カールを置いて角を曲がった廊下で、体を丸めるようにして、ペンダントに向かって話しかけた。
今の事態をどうしていいのか、ショーンには策が全くなかった。
もう、リーに頼るしかない。
「リー!今度は、カールが現れたんだ。どうしてくれるんだ。あいつをどうやって、戻してやったらいい?」
ショーンは、一生懸命になって、ペンダントに呼びかけた。
だが、ペンダントは、うんともすんとも返事をしない。
最初は小さな声で呼んでいたショーンだったが、全く返事のないペンダントに、次第に声が大きくなった。
「おい!こら!返事をしろって!呼んでるだろうが!」
廊下を通っていくテレビ局の人間が、ペンダントに向かって叫んでいるショーンに不思議そうな顔をした。
ショーンは、愛想笑を返し、ペンダントを思い切り握り締めた。
「おい!俺が変な奴に思われるだろう!!さっさと返事をしろ!リー!」
「安心したまえ、君は、間違いなくおかしな人間に見える」
頭の上から降ってきたリーの声に、ショーンは顔を上げた。
現実のリーが、ショーンのことを見下ろしていた。
その顔は、面白そうだという色合いと、そういうことに熱中する気持ちがわからないと言いたげな感情、一概に馬鹿にしていると言い切るには、熟成した表情を浮かべていた。
懐かしいオーストラリアで、こういう顔をして、リーは、悪戯を仕掛けるヴィゴを見ていた。
「口を閉じたまえ、君は口を開けたままでいることが多い。間抜けにみえるぞ」
リーは、厳しい顰め面にすら見えるその顔のまま、ショーンに注意を与えた。
「・・・リー、あんた・・・」
ショーンは、ペンダントと、リーを見比べた。
「誰がそれを通信機能つきだって説明した?」
「・・・リー」
ショーンの地を這うような声も、リーの表情を崩すことはできなかった。
「ちょうど通りかかったから良かったようなものの、ショーン・ビーンはペンダントに話しかける孤独な人間だと噂がたったら、どうするつもりだったんだね?」
「リー・・・あんた、言うに事欠いて・・・」
「で?なんの用事だね?カールが、こっちに送られてきたんだったかな?」
亀の甲より、年の功。
流石はりーだった。
リーは、飛び掛ってくるのではないかと思わせるほど怒っていたショーンを軽くいなした。
ショーンもカールのことを言われると、心細い思いをしているだろうだけに、冷静にならなければと思ったようだった。
「そうなんだ。リー。カールの奴、オーリのようにいきなりこっちに飛ばされたらしい。どうやったら、送り返してやれるんだ?オーリの時のように、リー、あんた送り返してやってくれよ」
ショーンは、いろいろな文句を言いたがったが、それを飲み込み、リーに頼んだ。
だが、リーは、覚えの悪い新人の俳優でも見るように、ため息をついた。
「ショーン。君は、オーランドの時に私が説明したことを、まるで忘れてしまっているようだね」
リーにしてみえれば、オーランドを送り返したときに、是非質問して欲しかったことだった。
そして、出来れば、手を煩わせることなく、自分で出来るようになって欲しい。
「ショーン、私は説明したはずだ。魔王の手下にされてしまった者は、一度倒してやらないと元に戻らない。早く変身してカールを倒したまえ。そうしたら、私が、カールを送り返してあげよう。カールは何の化け物になったんだ?」
「・・・まだ、カールは、化け物に変わってないんだ。だから、今のうちに送り返しておけば、問題なく終わる」
「ショーン・・・」
リーは、大げさに肩をすくめた。
「ショーン。魔王の手下にされた者は、一度化け物に変わったところを倒してやらないことには、元通りの人間にはなれないと、もう説明しただろう?今、カールをオーストラリアに戻してやっても、ショーンのことを思い出すたび、君のそばに転送されてくる。私は一思いに、倒してやった方が、彼のためだと思うね」
「・・・あんた、人事だと思って・・・」
「何が嫌なんだね?ヴィゴを呼び出すチャンスじゃないか」
ヴィゴは、確かに呼び出せたかもしれないが、その前に、変身という試練がショーンを待ち構えていた。
ショーンは、歯軋りをした。
だが、リーは平気な顔をしていた。
「やはり、悪役スターだ。迫力のある顔をしている」
清ました顔のリーは、廊下を曲がり、落ち着かない瞳をしながら、ベンチに腰掛けているカールを呼んだ。
「カール。久しぶりだね。ちょっと、こっちにおいで。ショーンが君に用があると言っている」
カールは、すぐさま腰を上げ、廊下を曲がってきた。
リーは、ショーンの背を突き飛ばした。
「危ない!」
カールがちょうどショーンを受け止めた。
「・・・・危ないのは、お前だ・・・・」
ショーンは、カールの腕の中で、顔に毛の生え始めたカールを見上げ、うんざりとした顔をした。
獣の手に抱き寄せられ、なんとなく盛り上がっているジーンズの前の感触を味わうのも嫌だった。
リーは、腕時計を眺め、頷いた。
「ショーン、悪いが、私は収録の時間でね。もう、行かなくてはいけない。上手いこと魔法を使って、カールをなんとかしておいてくれ。ああ、そこのスタジオ、今は使ってないみたいだ。そこで、カールを倒し、置いといてくれたまえ。ちゃんと国に帰しておくから」
リーは、身を翻すと、振り向くこともなしに、行ってしまった。
ショーンは、獰猛に唸る半人半獣を抱え込み、なんとか無人のスタジオに転がり込んだ。
「・・・どうするんだよ。俺が変身したら、もっと派手な化け物に変わるんだろう?」
情けないショーンのつぶやきも、半獣が、ショーンに襲い掛かってきたところで悲鳴に変わった。
まだ、何の獣かも想像できない全身が毛むくじゃらの化け物は、ショーンにのしかかり、牙を見せて、噛み付こうとした。
「やめろ!カール!落ち着け!俺は美味くない!!」
獣は唸り、しきりとショーンの顔や体を嗅ぎまわる。
「やめろってば!カール!ちょっと放せよ!!」
カールの鼻は、ショーンの胸や腰、そして、股の間など、遠慮もなく匂いを嗅いでいった。
そして、気に入ったのか、特に股間に鼻を擦り付ける。
「やめろ!お前!本気で怒るぞ!!」
ショーンは、獣カールの頭を捕まえ、必死になって股間から引き離そうとした。
獣は、ショーンのペニスがしまってある辺りに舌を這わせ、しきりに顔を摺り寄せた。
「最悪だ。ほんっとに、最悪!!」
ショーンは、カールの頭を思い切り殴った。
そして、獣が一瞬ひるんだ隙に飛び起きた。
元カールの化け物は、ショーンへの間合いを詰めようとじりじりとショーンに近づいてこようとしていた。
大きな黒目が、カールのままだった。
それが、牙の生えた口から涎をたらし、荒い息でショーンへと踊り掛かる時を待っていた。
ショーンは、苛立たしげに、床を踏み鳴らした。
「畜生!結局こうなるのかよ!」
ショーンは、ペンダントを取り出し、それが大きくなるのを苦渋に満ちた顔で待った。
宙に浮かんだ魔法のステッキは、白銀の光を放射し、30センチほどの大きさにまでなると、ショーンの手の中に落ちてきた。
「カール!こっちを見るな!背中を向けてろ!それが礼儀ってもんだ!!」
ショーンは怒鳴ったが、あいにく化け物になったカールは、人間の言葉を解してはいなかった。
ショーンのステッキを恐れながらも、右へ、左へ、ショーンに飛び掛る時を計っている。
「ああ、もう!畜生!!」
変身などしたくないショーンが、諦めきれず、一瞬今のうちにヴィゴを呼ぶかと、カールから意識を反らした瞬間だった。
カールが、ショーンに飛び掛った。
伸びた爪が、ショーンの上着を切り裂いた。
さすがアクション俳優。
ショーンは、被害を上着だけに留め、後ろに跳び退った。
「どうしてくれるんだ!これは、衣装なんだぞ!!」
しかし、上着は、大きく裂けてしまっていた。
ショーンは羽織っていたジャケットの大きな破れ目を情けない目をして見た。
獣は、ショーンの隙をうかがっていた。
このままでは、スタジオに戻るのが難しい格好にされかねなかった。
付けねらうカールの姿に、ショーンは覚悟を決めて叫んだ。
「セクシー!ショーン!!」
目を焼くようなまぶしい光に包まれ、ショーンの体が宙に浮いた。
ショーンは、足が地に着かなくなった不安で、目をきょときょととさせた。
すると、獣カールがじっとショーンを見ていた。
「見るなって、言っただろう!!」
空中でショーンがいくら怒鳴ろうとも、カールは人語を解しておらず、洋服は変身の手順通りに、びりびりと裂け始めた。
あれほど、しっかりとショーンの体を覆っていた洋服が、小さな布切れへと引き裂かれていく。
肌を晒していくことに激しい羞恥を覚えるショーンが、いくら体を隠そうとしても、変身の間は、思うように体が動かなかった。
またしても、両手を高く掲げてしまった。
どれほど、ショーンが恥ずかしい思いをしていても、小さな乳首は丸見えだった。
獣は、はぁ、はぁ、と、荒い息をついていた。
口元からは、涎が伝い落ちている。
ショーンは、必死に下半身にねじりを入れながら叫んだ。
「見るなよ!馬鹿野郎!!」
だが、ショーンは見てくださいといっているような状況だった。
ショーンの浮かんでいる位置は、カールがほんの少し顎を上げれば見られる位置で、しかもショーンは、ライトを浴びたように、思い切り光っているのだ。
全てを丸見えにしてピンクに肌を染めているショーンなど、真正面から見ているだけでも、僥倖といって良いほどの眺めだった。
それなのに、ショーンは、正面だけなんていわずに、全身サービスしますから。と言わんばかりに空中で回転を始めるのだ。
ぴったりと合わさった足が少しばかり左右ずれ気味に曲げられているのは、恥じらいという名のオプションなのかと思いたくなるほどだった。
獣の息遣いはますます荒くなっていたが、高所恐怖症のショーンにとって、この回転の瞬間は魔物以上に耐えられない恐怖だった。
ただでさえ、不安定で怖い場所にいるというのに、更に体が回りだすのだ。
「カール!助けてくれ!カール!!」
ショーンはポーズを決めたまま叫んだが、獣度の高くなっているカールは、恐怖のあまり、ぷっくらと立ち上がっているショーンの小さな乳首、真っ白な肌。柔らかく肉の付いた下腹部、濃い目のヘアーなどに目を奪われていて、ショーンの声など聞こえていなかった。
恐怖で縮み上がっているペニスも可愛ければ、丸みのある盛り上がった尻もショーンはキュートだった。
回転が進むにしたがって、カールの目には、普段は決して見えるわけのない、ショーンの股の間もあわらになった。
つまり、前を覆う陰毛に比べれば、すこしばかり毛の薄い玉周辺。
そして、運がよければ、つつましく閉じている肛門なども見ることができた。
カールは、その幸運な一人だった。
少しでも体を隠そうとショーンが身をよじった時に、うっすらピンクがかったそこを拝むことが出来た。
カールの体が、大きく変身し始めた。
毛むくじゃらだった体には、もっと毛が生え始め、大きさは、人間の3倍にもなった。
ショーンは、天地が逆さまになる恐怖で、目を瞑ってしまったので、カールが更に変身した姿を見ていなかった。
地に足が着いたショーンは、目を開け、脱力した。
「・・・カール・・・・お前、さっきの方が迫力があった・・・」
変身したカールは、カンガルーだった。
ショーンは、見上げるほど大きなカールに、思わず同情した。
今日のショーンの変身ルックは、カンガルーのカールに合わせ、サファリパークの飼育係とでもいいたいのだろうか。短い半ズボンに、膝下の白い靴下。上は、温暖な地域だからか、ノースリーブの探検家もどきと、言った格好だった。
「俺もおかしいが、お前も、おかしい・・・」
思わず肩を落としたショーンに、カンガルーカールは、すばらしい跳躍力を見せた。
一瞬のうちに、ショーンの懐に入り込んでいた。
カンガルーは、何を考えているのか、ただでさえ、布地の面積の少ないショーンの飼育係ルックを剥ぎ取ろうとした。
「やめろ!こら!やめろ!」
この間もショーンは思ったのだが、変身ルックは布地が弱かった。
カンガルーカールの爪で、簡単にショーンの上着は切り裂かれた。
一撃しか浴びていないというのに、もう、ショーンは、上半身裸だ。
ピンク色の乳首がつんと立ち上がっていた。
ショーンは、魔法のステッキでカールをぶちのめし、反撃した。
だが、カールは、オーランドほど弱くなかった。
大きな体でひょいひょいとショーンのステッキを避けると、悪戯に爪でショーンの服を切り裂いていく。
ショーンの体は、次々に肌の色を見せ付けていった。
下半身の半ズボンもやばかった。
「魔法だ!そうだよ。魔法だよ!」
ショーンは、カールから逃げ惑いながら、ステッキに呪文を唱えた。
「お願いだ。カールを足止めしてくれ」
ステッキが白銀に光った。
カールの足が、床に張り付いたように動かなくなった。
すばらしい飛距離を誇っていたカンガルーの足も、動かなくなったらおしまいだった。
カールはあの大きな黒い目をぱちぱちとさせながら、瞬間接着剤でも踏んでしまったかのように、床からはがれなくなった足で、何度も跳ねようとした。
ショーンは、ここぞとばかりに、魔法を連発した。
「お願いだ。カールに怪我をさせずに、意識を失わせてくれ」
しかし、カールはぴんしゃんとしていた。
それどころか、動けなくなったことで、激しく暴れている。
「聞こえなかったのか?お願いだ。カールの意識を失わせてくれ!」
ショーンはステッキに向かって繰り返した。
だが、ステッキは、ショーンの願いをかなえない。
「畜生!お前も、魔法戦士になりたての俺には従えないと馬鹿にしてるんだな!」
ステッキは、ショーンを馬鹿にしているわけではなかった。
ただ、戦士としての経験値が低いショーンは、まだ、あまり多くの魔法を使えないだけだった。
暴れるカールの伸ばした手が、間違って、ショーンを掠めた。
ショーンは、吹っ飛ばされながら、脳裏に浮かんだ愛しい人の名前を絶叫した。
「お願いだ。ヴィゴ!助けてくれ!助けに来い!」
魔法が重複したせいか、不完全なショーンの魔法は、カールの足止めすら解けてしまった。
だが、カールは、魔獣にふさわしくない行動を取り、必死になって跳躍すると、ショーンが床にたたきつけられる前に、両手でキャッチした。
両手に抱きしめたショーンにすりすりと頬を摺り寄せる。
しかし、それだけですまないのが、魔獣の怖さだった。
柔らかな毛皮でショーンを抱きこみ、決して逃がそうとしないカールは、ショーンが履いていた半ズボンの残骸を爪でずり落としてしまった。
ショーンは、膝下の真っ白いソックスと、パンツ一枚の姿になった。
それも、履いてきた覚えのない真っ白のブリーフ姿だ。
裸よりも恥ずかしかった。
「なんなんだよ。もう・・・」
情けなさで、泣きそうなショーンの前に、ヴィゴが現れた。
今日のヴィゴは、手に台本らしきものを持っていた。
台詞あわせの途中なのか、座ったままの姿で現れたヴィゴは、椅子がなくなったせいで、後ろにひっくり返った。
「・・・やぁ、ショーン」
転がったままの姿勢で、ヴィゴが挨拶をした。
「やるべきことは、わかってるな。挨拶よりも、まずそれをしろ!!」
血管が切れるのではないかという勢いで、ショーンが怒鳴った。
「でも、ショーン、俺、どうやったら、あの格好になれるのかもわからないし」
大きさは問題があるが、どことなく愛嬌のあるカンガルーに嘗め回されているショーンに、ヴィゴはどういう対応をするべきなのか、わらかなかった。
判断に難しいところだが、微笑ましい図だと言えなくはない。
「助けてくれ。お願いだ。ヴィゴ・・・」
だが、どうやら、ショーンは、微笑ましいだけでは済まされない部分にもタッチされているようだった。
ショーンの顔が赤らんできていた。
せつない息遣いまでしている。
助けなければ。と、ヴィゴが思った瞬間、ヴィゴの体は、タキシードに覆われた。
邪魔くさいが、目元は仮面で隠され、シルクハットも被っていた。
「ショーン!今助けてやるぞ!」
ヴィゴは、格好良くマントをたなびかせ、カンガルーに向かって走った。
だが、カンガルーは、一歩の跳躍で、ヴィゴを大きく引き離した。
「ヴィゴ!!」
助けを求めるショーンが大きく腕を伸ばす。
そのわきの下をカンガルーはぺろぺろと舐めていった。
「気色悪いって言ってるだろうが!!」
ショーンは、カールを蹴飛ばした。
ヴィゴはくじけず、カンガルーを追った。
カールは、ショーンのことは大事にした。
だが、あれほど撮影中懐いていたというのに、ヴィゴを大事にはしなかった。
爪が、ヴィゴに容赦なく襲い掛かる。
カールとヴィゴは向かいあった。
大きさからして、負けているヴィゴは、どう攻めていいのか作戦もなく、手近かにあった小道具らしきものを投げつけた。
運悪くその中にボクシング用のブローグが紛れ込んでおり、カールはそれを手に嵌めた。
不敵にカンガルーは、笑った。
カンガルーパンチが、ヴィゴに決まった。
ヴィゴは、吹っ飛んだ。
それはきれいな放物線を描いていて、映画のシーンで言えば、クライマックスといった感じだった。
ヴィゴは肩から、床に落ち、一度弾んで、動かなかった。
映画だったら、ここで泣き崩れる彼女や、家族が写るシーンだろうが、ショーンは、ヴィゴが倒れ込むことを許しはしなかった。
「ヴィゴ!立て!立つんだ!立たなかったら、末代まで呪ってやる!」
ショーンのブリーフの前は、まるでお漏らししたように、カンガルーの唾液でべっとりと濡れていた。
いっそ、ブリーフを脱がしてくれたら、まだ、ましなような気がした。
だが、マニアックにも、カンガルーは、ショーンのブリーフと、白ソックスには決して爪を立てようとしない。
ショーンは、カールが正気に戻ったとき、殴らずにいられるかどうか自信がなかった。
ショーンは、何とか立ち上がろうともがいたヴィゴに気付いて怒鳴った。
「ヴィゴ、ステッキだ!ステッキを使うんだ!」
ショーンは、魔法を使えと言ったつもりだった。
だが、ふらふらの頭で体を起こしたヴィゴは、ステッキの使い方を熟知していなかった。
ステッキそのものをカールに向かって投げつけた。
ステッキは、カンガルーカールの眉間にクリーンヒットした。
どうっと、カールは、後ろに倒れた。
体が大きいだけにものすごい音だ。
結局のところ、魔法だろうが、力技だろうが、倒してしまえば、問題はなかった。
おまけに、ショーンは、カールに抱き込まれているので、怪我一つない。
ヴィゴは、マントをたなびかせ、ショーンに駆け寄った。
「ショーン、大丈夫か?」
ヴィゴは、濡れた体をカンガルーの毛皮で拭っているショーンを救い出した。
「酷い目にあったな」
ヴィゴは、着ているマントで、濡れたショーンを拭おうとした。
だが、ショーンの濡れているのが、カンガルーの舐め舐め攻撃によって膨らんでしまったピンクの乳首だったり、ちょっと盛り上がりかけている白いブリーフの上だったりするので、ヴィゴは戸惑った。
ヴィゴは、まだ、ショーンに自分の気持ちを打ち明けていなかった。
「ヴィゴ・・・ありがとう」
ショーンは、うっとりとした顔で、ヴィゴの腕の中にいた。
この瞬間、ヴィゴも、幸せだったが、ショーンも幸せだった。
ショーンもヴィゴに片思いをしていた。
二人は、まだ、告白しあったこともなかったが、お互いに思いを寄せていた。
「ヴィゴ・・・」
ショーンは、濡れ濡れのブリーフ一枚と、真っ白のソックスという危険な姿で、そっと目を閉じた。
ヴィゴの吐息がショーンにかかるほど近づいた。
「ショーン、よく無事で・・・」
ヴィゴは、まず、ショーンの頬を撫でた。
そして、告白を後回しに、唇を奪おうとしたところで、自分が消えようとしているのに気付いた。
「台本!!」
なんとも色気のない台詞がヴィゴの口から飛び出した。
今回、ヴィゴがこっちに持ち込んだものは、歯ブラシと違い、なくしては困るものだった。
しかし、叫び声を残して、ヴィゴは、元いた自分の場所に帰っていった。
ショーンは、ヴィゴの腕を失い、したたかに床へと頭を打ち付けた。
「痛ってぇ・・・」
目の前では、星が瞬いている。
「・・・・あの・・・ショーン・・・・・俺・・・」
人間に戻ったカールが、真っ赤な顔をして、ブリーフと白ソックスで、床に寝転がるショーンを見下ろしていた。
自分の姿を知っているだけに、ショーンの恥ずかしさは、怒りにも近かった。
「お前は、もう少し、気絶してろ!」
ショーンは、マニアックに嘗め回された恨みもあり、カールを殴りつけた。
目を白黒させているカールは、ショーンを受け止め、自分もアクション俳優であることを見せ付けた。
だが、ショーンは、しつこく魔法のステッキを振り回した。
まだ、振り回したほうがよほど役に立つステッキは、カールの頭に当たり、いい音をさせた。
可愛そうに、カールは昏倒した。
ショーンは、後で回収に来るはずのリーにわかりやすいよう、カールをスタジオの真ん中に寝かせ、自分は、変身前に着ていた衣装を身につけた。
勿論、上着は、カールに切り裂かれたままだ。
ショーンは、直せないものかと、こっそり、魔法のステッキにお願いしてみた。
だが、叶いはしなかった。
ショーンは、ヴィゴの台本を航空便で送ってやるために拾い上げ、だるそうにスタジオを後にした。
END