オタ的偏愛 2

 

イアン・ハウは、駆け上がってくる靴音を聞きながら、携帯を取り上げた。

ドアが開くのと同時に、声をかける。

「やぁ、ライリー。忘れ物はこれかい?」

イアンは、緑の目を細め、すこし小首を傾げ、にこやかにライリーに笑いかけた。

「あ・あの、そう。俺、また、忘れちゃって・・・」

ライリーは、すばやく室内に目を走らせ、その場の異様な雰囲気に自分の汚れたスニーカーに視線を落とした。

視界の端では、イアンが、恐ろしく不機嫌な顔をしたショーを軽く肘で突いた。

緑の目は、面白そうに、目を吊り上げたスキンヘッドの耳元でささやく。

「ショー。絶対に抜くなよ」

わざとらしく小さな声で言ってはいるが、イアンの声はよく通った。

そして、ショーの腕は、背中に回され、ベルトで挟んであると思しき銃の位置にある。

「・・・あ、あの、イアン、俺・・・」

ライリーは、うつむき加減に眼鏡を押し上げながら、何度も上目遣いにイアンを見上げた。

イアンは、ライリーに向かってにこりと微笑んだ。

「ああ、忘れ物をしたんだろ?これだよな」

イアンは、携帯を開くと、勝手にボタンを押し、ムービーの再生を始めた。

 

小さな画面に、イアンの横顔が写っていた。

イアンは、なにかたくらむような含み笑いの後、画面の外に向かって、手招きをした。

『ショー。ちょっと』

『なんです?ボス?』

『こっちに来てくれ』

『えっ?ボス?』

携帯の存在に最初から気付いていたとしか思えないイアンは、自分の位置までショーを引き寄せると、愛しげにショーの顔を撫で、そのまま、首の後ろへと腕を回すと、唇を合わせた。

驚いたように身を引きかけたショーだが、すぐにイアンの腰を抱き、覆いかぶさってくる金髪の口を開かせ、唇の中から、舌を誘い出した。

二人のキスは、撮影時間ぎりぎりまで続く。

集音のよいマイクは、イアンの鼻から抜ける甘やかなだけでなく、舌が絡むくちゅりという音さえ拾っていた。

イアンの金髪は、ショーの手によってかき乱されている。

平然と笑ったまま再生を終えたイアンが、ライリーの目を覗き込むようにして、目を細めた。

「ライリー。これで、満足?」

止まった画面のイアンは、ショーの耳の後ろを優しげに指でなでたまま、目を瞑っていた。

その画面を恥ずかしげもなく見つめ、イアンは、満足そうに笑った。

「俺達の関係が知りたかった?」

ライリーは、急に手を伸ばして、携帯を奪い取ろうとした。

イアンは、逃げるライリーの目を覗き込むようにしながら、ひょいと身をかわした。

「まだ、お返しできないな」

うつむくライリーを見下ろしながら、イアンは笑った。

「ライリー。今日、君まで呼ばせてもらったのは、尻尾を捕まえるためだったんだ。まんまと掴まってくれてありがとう。もうすこし、オフィスのほうで、ゆっくりしていってもらおうか」

ライリーは、ショーに背中を小突くようにされ、前のめりになりながら、さっきまでいたイアンのオフィスへと追いやられた。

 

「ベンからも、君のことで、すこしばかりの忠告を受けていてね」

自分もライリーと同じようにソファーに腰掛け、その後ろに機敏で、獰猛な番犬を立たせているイアンは、ゆったりとくつろいだ表情でライリーに話しかけた。

「ベンは、随分、悩んでいるようだった。あの先生、謎解きはお得意のはずだが、まぁ、なんと言ってもあちらは、知的なゲームのようなものだからね。君の作った恐ろしく込み入ったコード。しかも、30分単位で、進入そのもののパスワードすら変わるらしいセキュリティーに守らしているもののことをとても気に病んでいらっしゃった」

「・・・やっぱり、ベンか・・」

背中を丸め、ソファーの端っこに腰掛けているライリーは、自分の指先を見つめたまま、小さな声を出した。

眼鏡を押し上げ、小さなため息を吐き出した。

「形跡が残ってた。俺は、あんたが、俺の存在に気付いてくれたのかと嬉しかったのに・・・」

この場の空気に合わない、せつなげな表情をして頭を上げた顎の細いライリーの顔を、ショーは拳に力を入れたまま見下ろした。

イアンは、困ったように笑った。

「ライリー。君の存在には、気付いてるよ。近頃、極私的な俺のメルアドに、匿名で、メールをくれるだろう?あれは、どう読めばいいのかな?アイ・ラブ・ユー?あいにく俺は、一般的な使い方しかしないんで、画面全部を俺の名前で覆い尽くされると、すこしばかりげんなりするよ。おまけに返事もだせないし」

ショーは、聞かされていた以上のイアンの被害に、大きな声で吼えた。

「おい、小僧!てめぇ、何を考えてる!なんのデーターを隠してるって?俺達と取引でもするつもりなのか!?」

イアンは片手を挙げ、ショーの太腿をぽんっと叩くことでそれを止めた。

「ライリー。君が俺の何を掴んだのかは知らないが、俺と取引がしたいのか?本当に?俺は、はじめてあった時、ちらちらと眼鏡の奥から俺のことを見ていた君の視線から、君の秘密は、俺が名誉毀損を申し立ててもいいものじゃないかと想像しているんだが。どうだろう?」

イアンは、整った指先で、そっと自分の唇に触れ、誘い込むような顔で笑った。

ライリーは、転げるように立ち上がり、必死になって弁明した。

「そんな!ベンにめちゃくちゃにされたくなかったから、データーはサーバーに移してあるけど、10分単位でサーバーを転送するようにプログラムしてあるし、セキュリティーは万全で、絶対に流失しないようにしてあるんだ。あれは、俺個人の楽しみのためだけに作ったんだ。あんたの名誉を傷付けるつもりなんて全然!」

イアンは、ゆっくりと足を組みなおし、鷹揚に笑った。

「やっぱり個人的に楽しむようなものを作ってたってわけだ。で、なにを作った?坊や」

金色の髪をかき上げ、耳を晒したイアンは、目だけが笑っていなかった。

ライリーの喉がごくりと鳴った。

「えっと・・・・別に、たいしたものじゃ・・・」

絨毯の模様を辿るように視線を逸らせていくライリーは、視線の先に、強く握られたショーの拳を見た。

もう、ライリーは勢いをなくしている。

イアンは、いつまでも口を開かないライリーに、小さな舌打ちの音をさせた。

「ライリー。ベンは、クラシカルな軍服姿の俺を見た。と、言ったが?」

「ああ、それは、作った。結構いい出来。すごくあんたに骨格の似た俳優がいてさ」

そんな場合ではないのに、自作のアピールとなると一瞬目を輝かせたライリーにショーの鋭い声が飛んだ。

「小僧!!」

ライリーは、まるで殴られたかのように、頭を縮めた。

まるで亀だ。

イアンは、ショーの手を握り、獰猛な番犬の気持ちを静めた。

「・・・ライリー。本当に、それだけかな?こんなことしたがる人間は、それっぽっちのことじゃ、満足できないだろ」

イアンは、ショーと繋いでいないほうの手を自分のポケットに入れた。

長くまっすぐな指が持つには不似合いだが、指は、無粋な電化製品を持っていた。

「これは、盗聴器?コンセント型?うちで使っているのが古かったから、わざわざプレゼントしてくれた?」

イアンの持つ、新品のコンセントは、ライリーが盗聴器を仕込み、ショーの目を盗んで、使われていたものと取り替えたものだった。

ライリーの目は、落ち着きなくさ迷った。

「この野郎!何を考えてやがる!!」

とうとうショーが、ライリーの胸倉を掴んだ。

イアンは、ショーの背中に覆いかぶさった。

「ライリー。何を盗聴する気だった?お前が隠してるものって、何だ?俺達は、これかも、同じチームでやっていこうとしてるんだぞ。白状しろ。そうしないと、こいつは、お前の大事な頭をトマトみたいに吹っ飛ばすぞ。それじゃぁ、困るだろ?」

ショーが銃を抜くぞ。と、脅しながら、イアンの手が、ショーの銃を抜き、安全装置を解除した。

緑の目は、面白そうに唇の色を失くしているライリーを見つめ、額へと銃口を押し付けた。

「ライリー。俺達は、仲良く宝探しをするんだろう?こそこそ、人のことを知りたがるなんて、遠慮勝ちな真似はよせよ」

「・・おれ・・・俺・・・」

ライリーの歯がかちかちと音を立てた。

「はっきり言え。何をしてやがる。お前はボスの何を掴んだって言うんだ!」

ショーに揺さぶられ、ライリーは、頼りなく前後に揺れた。

目が大きく見開かれ、ひたすら銃を見つめていた。

 

イアンは、ふっと笑うと、ライリーから、銃を離した。

「ショー、離してやれ。この坊やは、あまり危機的状態に強くないみたいだ。こんなんじゃ、お話し一つできないとさ」

ショーの手に銃を返したイアンは、ソファーに座りなおし、ライリーにも座るよう進めた。

しかし、ライリーは、腰を下ろさなかった。

ライリーの目は、ショーの手にある銃に釘付けだ。

「ショー。銃をしまえ。俺達は、これからも仲良くやっていかないといけないチームだ」

「でも、ボス」

「ショー。俺がしまえと言っている」

ぴしゃりと冷たいイアンの言葉に、ショーは不満げではあったが、銃を下ろした。

ライリーの口から、ため息が漏れ、糸の切れた人形のように、ソファーへと崩れ落ちた。

手足を投げ出してしまっている。

「さぁ、坊や。俺達は、もうすこし、仲良くなった方が良さそうだ。俺は、君のコレクションを増やすため、ポーズを取る必要があるのかな?」

イアンは、机の上にあった携帯をライリーに戻した。

ライリーの目がぼんやりと戻された携帯を見た。

撮影された映像の消去もしていない。

「・・・・イアン・・・あの・・・」

「ライリーは、俺、個人に興味があるんだよな?ベンに見せてないようないやらしいアイコラを作るだけで満足?実際に見てみたくはない?」

「えっ!?」

ライリーは、目を見開いた。

イアンは、前に出ようとしたショーの手を掴んで止めると、ぺろりと上唇を舐めた。

目は、あの強烈な上目遣いで、ライリーを見つめている。

ライリーは、落ち着きなく、ズボンの膝を擦り合わせた。

「そんな・・・でも、・・・嬉しいけど・・・あの、・・・後ろのその人・・とか・・・」

ライリーは、熱に浮かされているかのように、独り言を言い出した。

イアンは、ひょいっと肩をすくめた。

くすくすと笑いながら、握ったままのショーの手に指を絡めた。

「悪い。冗談だ。君の悪戯が過ぎるからね。そっちは、結構満足してるんだ。こいつも、嫉妬深いほうだし」

イアンは、ライリーががっくりと肩を落とすだろうと想像していた。

実際、ライリーは、顔を伏せ、沈黙した。

しかし、その沈黙は長かった。

あまりの長さに、イアンは不信感を抱いた。

「・・・ライリー?」

ライリーは、急に顔を上げた。

ライリーの目は、眼鏡の奥で、自信にきらめいていた。

「わかった。わかったよ。あんた、俺の愛情をまだ、疑ってるんだな。俺にやきもちを焼かせたい?回りくどいやり方だけど、あんた美人だし、美人のわがままは許すよ。俺、前にもあんたみたいなタイプに振り回されたことがあるんだ。本当は、俺にもっとアプローチして欲しいんだよな」

「はぁ?」

イアンは、あまりのことに驚いて、呆然とライリーをみた。

ライリーは、急に立ち上がると机の上に乗り上げ、ソファーに腰掛けたままのイアンの顔を強く掴んだ。

自分から顔を近づけ、その上、力強くイアンの頬を掴み、離さない。

「イアン、あんた、かわいいなぁ」

んんっーーーっと、思い切りキスをかます。

イアンは、あまりのことに、呆然と口を開いたまま、ライリーにキスをされていた。

ライリーの舌は、イアンの口内を舐めていく。

「大丈夫。安心して。俺、ちゃんとあんたのこと、愛してる。24時間みつめてあげる」

あっけに取られたイアンをよそに、ライリーは、恐ろしく行動的になり、机の上に置いたままになっていた盗聴器付きのコンセントを掴むと、壁の穴に差し込んだ。

そして、あれほど恐れていたショーを見上げ、胸を張って宣言した。

「イアンは、俺のことが好きなんだ。母親に3日おきにメルするようなマザコンは、ひっこんでろ!」

「・・・って・・・てめぇ!!」

火を噴くような勢いで、銃を抜いたショーの前から、ライリーはずばらしいスピードで逃げ出した。

「イアン、愛してる!愛してるからね!」

ライリーの姿が消えた後も、イアンはしばらく口が利けなかった。

 

 

「おい、ショー。お前、持ってるアドレスを今すぐ、全部、解約しろ!」

「えっ?全部ですか?」

「そうだ。全部だ。それに、銀行口座。これも、解約。あと、何だ?オンライン操作が出来そうなのは・・・」

髪をかきむしったイアンは、小さな舌打ちの音をさせた。

「畜生!お前、今晩から、こっちに泊まれ。俺もここに泊まる。俺が一緒にいれば、それほど酷いことはしないだろう」

「・・・ボス?」

「ショー。お前、20人分のピザが届いたら、食べられるか?悪いな。ちょっとからかってやるつもりだったのに、酷いクジを引き当てたようだ。あのライリーって小僧、思ってたより、ずっとクレージーだ」

 

その一時間後、まだ解約の済んでいないショーのメールボックスは、天才ハッカーライリー・プールからの迷惑メールで溢れかえっていた。

そして、イアンのメルアドには、100通を越えるラブレターが届いていた。

 

END