好き、好き、スキ、好き
診療開始を待つ人たちであふれる外来の受付に、用事があって顔を出したウィルソンは、案の定、やり合っているハウスとカディを見つけた。
「いやだ。俺は、これからやりたいことがあるんだ」
「あ、そう。じゃぁ、そのやりたいこととかいうのは、ここの仕事が終わってからにしてちょうだい。ここにいる皆さんは、あなたを待って、ここに座ってらっしゃるの。わかる? ここの患者さんたちを見るのが、これから2時間のあなたの仕事なの」
ハウスの診察日は大抵こうだとはいえ、仁王立ちの女性に怒鳴りつけられている杖の男が、これから自分たちを診るのかと待合室の患者たちは、不安そうな顔になっていた。ウィルソンがもし患者だったとしても、きっと同じに落ち着かないに違いない。
診察開始時刻からは、もう10分経過している。
ハウスが5分遅れてきたのだとしても、外来受付のスタッフどころか、患者たちの面前で延々5分も怒鳴られ続ける医師に、大事な自分の体を診てもらうのかと思えば不安だ。
これでこの二人がウィンズボロ病院の経営と診療の二枚看板だというのだから、この大病院の先行きに対しても不安になる。
「おはよう、二人とも」
ウィルソンはそんな自分の冗談に苦笑しながら二人に近づいた。
「ウィルソン!」
振り向いたいい大人である二人は、自分の言い分をぶつけるように、同じように口を開いた。
「悪いんだけど、ストップ! カディ、二分いいかな。早急に相談したいことがあって」
けれど真面目な腫瘍学部門部長が話しかければ、カディはすぐ病院の責任者としての顔を取り戻す。
「ええ、いいわ。何?」
収まらないのは、ハウスだ。
「カーディー。ウィルソンは俺のもんだ。まず、彼は、親友の俺に朝の挨拶をするべきなんだ」
子供のようなウィルソンの親友は、ウィルソンを恨めしげに睨んでいた。
普段、そんな挨拶の仕方などしないというのに、ハウスは大げさに腕を広げ、ハグを待つ体勢だ。
「だろう、ジミー? 友人同士の朝の挨拶は何よりも優先されるはずだ」
「ああ、おはよう。ハウス」
おざなりにハウスをハグして、ウィルソンはカディを振り向いた。
「ウィルソン!」
「ハウス、悪いけど、急ぎの用件なんだ」
「ハウス、あなたは、ちゃんと患者さんたちを診察してね!」
「ウィルソン、俺のこと、好きか?」
ノックもなしに、いきなりオフィスのドアが開き、顔を出したハウスが藪から棒に質問した。
時間を確認するまでもなく、ハウスの受け持ち診察時間は終わっていない。さっきから、30分も経っていないのだ。きっと、きついことを言うが、責任感も強いフォアマン辺りが、診察嫌いの上司の被害にあっているというところだ。
ハウスは、質問をしておきながら、答えなど関心もないという態度を装い、答えを待っている。
どう答えていいのかわからず、とりあえず、ウィルソンは正直に答えた。
「……好き、だけど?」
「だろうな」
現れた時と同じように唐突に、ハウスは帰って行った。
それから、30分もした頃だ。ウィルソンが、受け持ち患者の様子を見ようと、廊下に出ると、ドアのすぐ隣の壁に凭れかかるハウスがいる。
「……ずっと、ここにいたのか?」
ウィルソンは呆れた。
「まさか!」
歩き出すと、杖を鳴らしながらハウスがついてくる。
「なぁ、ウィルソン、」
だが、口を開きかけたハウスを、酷く慌てた様子で駆けてきたキャメロンが遮った。ばたばたと彼女の靴音が病院の床と壁に反響する。
「ハウス先生! もう患者が搬送されてきます! なんで今、ウィルソン先生のところに行く必要があるんです!」
思わずウィルソンは、年上の親友の顔をじっと見つめてしまった。
全く落ち着き払ったハウスは得意げな顔で見返している。
「なっ、俺は、ずっとここにいたわけじゃない」
「ああ、そうみたいだね」
ウィルソンは、ハウスとその弟子を置いて先を歩き始めた。
「ハウス先生!」
高いキャメロンの声は、事態の緊急さにさらなる圧迫感まで与える。背中の二人は、まるで先を争うようにしてウィルソンの後に付いてくる。
「ハウス先生、せめてオフィスに!」
「うるさい、黙れ、俺は、ウィルソンに大事な質問があるんだ。これを聞かなきゃ、不安で不安でおちおち死にかけの患者なんかみてられない。……なぁ、ウィルソン、お前、俺のこと好きか?」
ウィルソンに並んだハウスは、大真面目な顔だ。ウィルソンは、脱力のあまり、急に重くなったように感じた両手を思わずポケットに入れた。きっとキャメロンなど、もう一生立ち上がるのも嫌になるような脱力感に襲われているはずだ。
ハウスには、たまにこういう日がある。
何かのきっかけで、どうでもいいような質問を、一日中、しつこく繰り返すのだ。
この間、ミント味のガムが好きだとうっかり言ったら、一日中、繰り返し、ミント味のガムが好きかどうか聞かれた。食前、食後、患者の診察をした後や、患者にガンの告知をした後、その嗜好に変化がないかどうか、ハウスはしつこく質問を続けた。あの日は、辟易した。
「ハウス先生!」
「……ハウス、僕は、君が好きだ。君は大事な親友だ。……患者が待ってるそうじゃないか。キャメロンが呼んでるぞ。行ってやれよ……」
自分のオフィスでカルテの山を片付けていると内線が鳴った。
「はい、ウィルソンです」
「すみません、ウィルソン先生」
耳にあてた受話器からはチェイスの声が聞こえ、顔をあげれば、テラスを挟んだ向かいの窓から、ハウスが手を振っていた。
ウィルソンは、席を立つため、9割方目を通し終えていたミセス・ファムソンのカルテにサインをして閉じる。
「さっきの患者か? ガンの可能性が? 僕も参加しろって、ハウスが呼んでるのか?」
「え? あ、あの、先ほど搬送された患者のことでしたら、今、キャメロンとフォアマンがMSで検査しています。先生に参加していただくことになりそうな可能性は高いんですが、……今は、別の用件で」
なぜか言いにくそうに、チェイスが口ごもった。
「その、つまり、今は検査の結果待ちで、時間がありまして、……それで、暇なら聞けとハウス先生が。
……好きですか?」
あまりにチェイスが時間をかけて言いだしにくそうに切り出すものだから、呼び出しでないのならばと、また新たなカルテ開いたウィルソンは質問を受け止め損ねた。
「君のことをかい? 好きだよ。好きだけど、……特別な意味合いかと言われると、」
困惑の空気ごと、電話越しのチェイスに声を返すと、若い声が必死に否定する。
「いえ! 俺ではなく、ハウス先生のことです!!」
チェイス!と、怒鳴るハウスの声が、窓の方からと、電話からと両方から聞こえる。知りませんよ!とチェイスも怒鳴り返している。ウィルソンは、はぁっと、溜息を吐きだした。
「……またか。大好きだって、伝えといてくれ。チェイス、君のことも好きだから」
ふと、ハウスに好きだと言ったミント味のガムを買おうかと、売店に足を向けたウィルソンは、棚の前に立った時点で、レジから呼ばれた。
「ウィルソン先生、さっきハウス先生が買っていかれたタブレットの代金をお願いします」
「この店はいつから他人のつけで買い物ができるようになったんだ?」
仕方なくウィルソンは、棚から取った自分のガムをレジに置きながら財布を取り出す。
もう20年もここで店を開く店主は、しっかり、タブレットの代金を引いた釣りを渡しながら、人好きのする笑みを浮かべた。
「5年前からカード払いもできますよ」
「ウィルソン、俺のこと、好きか?」
ミント味のガムをポケットに廊下を歩くと、ひよこを3羽ひきつれてハウスが歩いている。追いつこうと足を速めると、ハウスは速度を緩めた。そして、聞く。
「結果は?」
ウィルソンは、ハウスの質問を無視し、なんとなくバツが悪そうにしたチェイスの手からカルテを取り上げた。カルテから顔を上げると、まだじっとウィルソンを見つめているハウスと目が合う。
「まだ、検討中だ。なぁ、ウィルソン、俺のこと、好きか?」
場所柄も弁えず、似合わぬ甘えるような質問を繰り返すハウスに、フォアマンと、キャメロンが不審げに目を合わせている。それでも疑問をぶつけてこないところに、ハウスの奇矯さに馴れた弟子としての時間が感じられる。ウィルソンは、自分が呼ばれる可能性の低そうな内容のカルテをチェイスに戻した。
「タブレットの代金を払ってもいいほどには、好きだともハウス。君は僕の親友だ」
少し遅い昼食に食堂へと向かうと、ちょうどハウスとカチ合った。
当然のごとく、ハウスはトレイを手に代金も払わずテーブルに向う。
そして、言う。
「ウィルソン、俺のこと好きだよな?」
患者の症状をまくしたてるハウスと一緒にランチを食べて、静かなオフィスに戻ると、5分後に、いきなりドアが開いた。
ハウスは不機嫌そうだ。
「ウィルソン、俺のこと、好きだろ」
あっけにとられながらも、ウィルソンが、ああと、なんとか頷くと、ハウスは当然だと大きく頷いてドアを閉めた。
その後も、不意を突くハウスの襲撃は続き。
そして、ウィルソンは気づいてしまった。
質問の回数を重ねるほど、ハウスの態度は傲慢になっていく。
それはとても彼らしいことのようだが、質問の回数だけ、ウィルソンはハウスの被害を受け続けている。
ある時は、患者と立ち話中に、俺のことが大好きだろと割り込んできた。
打ち合わせのためにナースと話していると、彼女よりも俺の方が好きだよなと通りすがりに口を突っ込んできた。
ウィルソンは病院中の噂の的になりたいのかと、渋い顔をしたが、ハウスは強気だ。
「でも、お前は、俺のことが好きだろ」
それが真実なのだから、しょうがないとハウスは言った。
だが、あまりにハウスが強気なせいで、ウィルソンは気づいてしまった。
質問を重ねるうちに、つまりは、ウィルソンに意地の悪い真似を繰り返すうちに、ハウスは、「好きか?」と尋ねることをやめてしまっている。
「好きだろ」と断定し、ウィルソンに否定を許していない。
この迷惑な、そして、大迷惑な友人が、ウィルソンは大好きだ。
「ハウス、もし帰れそうなら、一緒に帰らないか?」
「帰るのは無理だ。でも、おれのことが好きだって言うんなら、一緒に」
ウィルソンはハウスの言葉を遮った。
「君のことが大好きな僕のために、駐車場までの散歩に付き合ってくれるのかい?」
患者の容態が好転しないのか、かき乱されたホワイトボードの前を往復し続けていたハウスが、急にドアに向かって歩き出し、彼の弟子たちが大慌てで席を立つ。
「先生、散歩なんて悠長なことを言ってる場合じゃ!」
「じゃぁ、ここでうろうろしてたら、天の神様がご褒美にひらめきを与えてくれるってのか? 同じ歩いてるなら、どこを歩いてたって、一緒だ。駐車場まで歩いている間に、お前らが死ぬまで考えてもわからないこの世界の真理って奴が、俺の頭に降ってくるかもしれないだろ」
ハウスの毒舌はいつものことだが、今日はことさら機嫌が悪い。生真面目な弟子達にむかって、イライラと杖を振りまわす。
「先生!」
仕方なく、ウィルソンは割り込んだ。
「悪いけど、ちょっとだけハウスを貸してくれないか? 今日の僕はハウスに夢中で、だから、少しでいいから彼との時間が欲しくて」
誠実な人の振りをするウィルソンの言い草に、フォアマンは大きくため息をつき、キャメロンはもうこんな茶番はまっぴらと言いたげな顔をした。
チェイスは肩をすくめている。
「君たちも知っての通り、僕たち、病院中で噂のラブラブの仲だろ、だから」
夜間照明に照らされた駐車場を歩きながら、ウィルソンは早足のハウスに合わせていた。
「悪いね、ハウス、忙しいのに」
「いい……」
ハウスの顔は硬い。急患を抱えた親友の現在の状況を知りながら、わざわざオフィスに寄るウィルソンに、ハウスは、今日一日分の悪行のつけを払う覚悟をしているのだ。
確かに、ハウスは、ウィルソンをそれだけの目に合わせた。
しかし、このハウスの弱さを、ウィルソンは愛している。
ハウスは無言だ。
ただ、足早に、広い駐車場を進んでいく。
病室の照明も次々と消されていくこの時間、駐車場の中は、暗かった。各所に設置された証明は全てを証明はカバーしていない。特に、職員用の駐車スペースなどなおざりだ。
カツンと靴の音をさせて、ウィルソンは足を止めた。
「ここでもういいよ」
詰られる覚悟はあるくせに、ハウスは決して、自分から謝って事態を変えようとはしない。
「ハウス、僕は君が思う以上に、君のことが好きだと思うよ」
ウィルソンは、そっと一瞬だけ、背の高い友人の引き結ばれた唇に唇を触れさせ、バイバイと手を振った。
END