好き

 

最初の出だしは、こんなのだった。

「ハウス、あと5分早く到着するようにしろ」

病院の入口でまるで待ち構えていたように側へと寄ってきたウィルソンに、ハウスは顔を顰めたのだ。

「ダメだ。ハウス、僕の方を見るな。カディが君を待ち構えているんだ。こっちを見ずに前だけを見て歩け」

「お前、そんなこと言うためだけに、俺のことを待ってたのか? 暇な奴だな」

腫瘍学部門部長であるウィルソンが、暇であるわけがない。ただ彼は、親友の危機を見逃せなかっただけだ。

「これで、君は、今月遅刻が3回目だ」

「で、なんだ? ロスタイム、ぎりぎりのハットトリックシュートか?」

「違う。2アウト満塁の三振、さよならゲームだ。月始めに遅刻を減らすって約束させられただろう。カディに見つかってみろ。明日から、月末まで、毎日外来診察だぞ」

うまい具合に、カディは下を向いて書きものをしながら、スタッフと話をしている。ウィルソンの体の陰になっているハウスに気づいている様子はない。

「ハウス、僕の君を思う気持ちを少しでも分かってくれるなら、最低限、遅刻はやめろ」

カディが頭を起こしそうになり、ウィルソンの背中が硬直している。

しかし、ハウスはまるで動じていない。

「お前が俺を思う気持ち? そりゃ鼻くそ位のサイズのものか? 俺がお前を思う気持ちにくらべれば、そんなのまったく大したものじゃない」

「助けてやってるっていうのに、失礼だな。君は……」

「だいたいだな。たとえばお前が俺を思う気持ちなんて、精々、このくらいのもんだ」

ハウスは、親指と人差し指を広げて、その間にできた空間をウィルソンに見せた。

「だが、俺は、こんなだぞ」

両腕を向かい合わせる形で15センチ程広げ、ハウスは自慢げに言う。

「ほら、俺の勝ちだろ」

するとわざわざ負けるつもりなどないウィルソンは、両腕を腕一杯に広げた。

「いいや、わざわざ君の危機を助けに来る親切な僕の好意は、この位だろう。だから、遅刻をしても平気な君は負けている」

むっとハウスの顔が顰められる。

「Dr.カディ!」

甲高く、電話だとカディを呼ぶスタッフの声が聞こえ、思わすびくりと背を窄めた二人は、下を向いたまま、コツコツと、エレベーターへと近づいた。

だが、エレベーターまで後3歩というところで不意にハウスが顔を上げた。にやりと笑う。

「ウィルソン、お前の負けだ。俺は、ここからエレベーターまでの距離くらいお前が好きだ」

ウィルソンが腕を伸ばして示した距離より、それは確かに長い。

ウィルソンは一瞬言葉に詰まった。だが、チーンと、軽快な音がし、タイミングよくエレベーターのドアが開いた。

つまり、

「ハウス。僕の方がずっと君が好きだね。だって、僕はあの箱の奥までの距離、君が好きだから」

 

「おはようございます。……どうして二人はそんなに離れてエレベーターに乗るんですか?」

オフィスに現れるのが遅い上司を探しにロビーに降りようとして、その上司を発見したフォアマンは、上昇するエレベーターの気詰まりな狭い空間に困惑していた。ウィルソンは、箱の中で左寄りという位置に立つ程度だが、ハウスは、右側の壁にへばりつくようにして立っている。

「んー、ハウスは、僕の愛情の大きさに、自分の愛情が到底及ばないことを、恥じているんだと思うよ。……彼が、僕への好意を示して、エレベーターまでの距離だって言うから、僕はエレベーターの奥までの距離、彼を愛してると言ったんだ」

「フォアマン、お前が怠けて、エレベーターなんて使うからだ!」

「えっ、俺のせいですか? っていうか、あなたたち、いい年して何を競い合ってるんですか!」

「ほっとけ。ジミーが、俺への愛を証明したいって始めたんだ。俺は、やりたいわけじゃない。ところで、お前、何で俺のことを探してたんだ?」

フォアマンは、やれやれと肩をすくめた。

ハウスは、むっと眉間に皺を寄せている。絶対にこのつまらない競り合いを始めたのはハウスだ。

「カディから、あなたを探せって、オフィスにお達しが出てるんです」

「おっと、そうか。カディなら、今、ロビーでまいたところだ。絶対にカディに俺の居場所を言うなよ」

「オフィスに電話をかけてきたのは9時を過ぎてました。遅刻3回なの、もう、知られてますよ」

フォアマンは姑息に逃げ隠れしようとしている上司に釘を刺した。

しかし、ハウスはフォアマンに笑顔を向ける。

「ハットトリックだ。格好いいだろ」

「ええ、そういうことにしておきます」

 

そして、プレインズボロ教育病院の部長二人は、エレベーターを出るなり左右を見渡し、廊下の端から端まで好きだとか、じゃぁ、病院内をぐるりと回る廊下一周分好きだとか。それなら、ここから公園までの距離好きだとか、だったら俺は、家までの距離好きだとか。しまいには、地球一周分好きだとか。

だが、オフィスに着くころには、自分で示せるだけ好きだと言うことにしよう、そうじゃなきゃ、卑怯だと言い合っていた。

「ハウスは何をやってるの?」

キャメロンは、不思議そうな顔でハウスの背中を見守っていた。

チェイスは口を開けたまま、ハウスが指示す天井に何があるのかと見上げ、フォアマンは、奇行の上司から目を背けている。

ハウスは、部屋に入るなり、天井に向かって手を突き上げたのだ。背の高い彼が、背伸びをしながら、杖を精一杯、突き出す。悪い右足に、ぐらぐらと身体が揺れている。

「ほら、ウィルソン、俺はこんなに好きだぞ。杖は俺の一部だ。ずるはしてないぞ。俺の勝ちだろ」

 

「確かに、……それは、すごく好きだね」

ウィルソンは、つぶやいた。

そして、腫瘍学部門部長は負けをうれしそうにした顔を俯いて隠す。

友人が即座に言い返してこられなくて、ハウスはすっかり満足の様子だ。

 

 

「ハウス!! あなた、今月3回遅刻したんだから、今月は月末まで毎日外来をやってもらうわよ!」

オフィスのドアを開けて言いつけるなり、文句を言い返される前に、カディはすぐさま姿を消した。

ハウスの顔が引きつる。

「ウィルソン、お前、俺のことが大好きだろ。外来、代わりにやってくれ」

「うーん、それは無理だ。なんたって、僕の好きは、君に負ける程度だからね」

 

 

 

END