真夜中のいたずら

 

電気も点けていない真っ暗なキッチンで、夜中にごそごそしているから、何をやっているのか気になってと、そっと背後から近づいた。肩に手をかけると、びくりとハウスの体に力が入る。暗くてよくは見えないものの、振り返った顔が、叫び出す直前の情けなさ満点の顔で、思わず笑わずにはいられなかった。

「ハウス、僕だよ。僕」

シンクの前に立つ彼が咄嗟に握るのはフライパンで、幽霊なのか、強盗なのか、彼が恐れ、立ち向かおうとした相手は誰なのか知らないが、殴られる前に名乗れてよかったとウィルソンは、ほっと胸を撫で下ろした。だが、ほっとした途端に、違和感に気づいた。どうして、シンクの中のフライパンをハウスが握るのか?

「なにしやがるんだ。ウィルソン。寿命が縮むじゃないか!」

「平均寿命がまた少し延びたのを、こんなに長生きになって、何しろってんだって、こないだぶつくさ言ってたじゃないか、少し減る位の方が、君の好みに合うんじゃないのか?」

暗闇の中、ハウスが掴んでいたフライパンが投げ出され、ガチャンと皿とぶつかる大きな音を立てる。

「何、言ってるんだ、ジミー? そりゃぁ、この先、一人さみしい老後を送る予定の、妻に浮気されるような医者は、さっさと死んじまいたい気分だろうけどな、俺は、これから料理のうまい優しい女と出会って幸せに暮らすつもりなんだ。当然長生きするつもりだ。知ってるか?ジミー、20代で結婚した二人の離婚件数に比べ、50過ぎに結婚した二人は、その5分の1以下も離婚してない。俺はこれから、いい女と結婚して、上手い飯を食わせてもらいながら、長く幸せに暮らしていく。お前が哀れな老後をさっさと終わらせたいと願いながら一人で過ごしている間もな」

「……ハウス、20代の結婚件数と、50代の結婚件数では、そもそもまず数からして違うんだ。その離婚の件数が違うのは当たり前だ」

「おおっと、そうか?」

こんな暗闇のなかで話す必要もないことをべらべらとまくし立てつつ、さりげない撤退を始めていた友人の腕をウィルソンは、ぎゅっと掴んだ。

「ハウス、とうとう現場を押さえたぞ。寝る直前に僕が水を飲みにここに来た時に、シンクの中はからっぽだった。君と僕しかいないんだ。なくなってるはずの汚れものが突然現れたら、君がずるをしていたのは、わかりきってたことだったけど、もう逃げ隠れはできないからな」

「寝る前に水なんか飲むなよ。寝小便することになるぞ、ウィルソン」

まだ無駄口を叩くハウスを引っ張りながら、キッチンの壁際まで歩いて、スイッチを付ける。目に差し込むような強い蛍光灯の光が部屋の中を照らしだし、からっぽだったはずのシンクの中に、汚れた皿やコップ、フライパンまでもが積み上がっていることが、白日のものとなった。ハウスは、電気がついてしばらくは、急に明るくなったことに慣れなくて、迷惑そうに顔を顰めていた。目がしょぼしょぼとしている。

「どうして、君は二人で決めたルールを守ろうとしないんだ?」

「洗いものってのは、苦手なんだ。ジミー」

「僕だってだ」

「そうか? お前、鼻歌を歌いながら、楽しそうにやってるじゃないか。お前は皿洗いが好きなんだとずっと思ってたよ」

「だから、わざわざ、僕のために、隠してまでも洗いものを残しておいてくれたとでも?」

ハウスはわが意を得たりと言いたげに、にやりと笑った。

「そうなんだよ。隠し場所に苦労したんだぞ。お前がここに居付くようになって以来、どこもかしこも物でいっぱいだ。電子レンジの中に隠しておいた。すごいだろ。あそこは、動いてなきゃ、空っぽだ」

「隠し場所を探す時間で、きっと皿が洗えるぞ、ハウス」

 

そうか?と、とぼけて見せた年上の友人に、全く現状を収拾しようという気配はみられなかった。ハウスに皿を洗う気はない。

仕方なく、ウィルソンは、掴んでいたハウスの腕を乱暴に放し、ため息を吐き出しながら、着ていたパジャマの袖をまくった。

「朝、目覚めて、汚れた皿の山をみるのは嫌なんだ」

「……お前、きっと女房に愛想を尽かされた原因はそれだぞ」

「違う。ほっといてくれ」

乱暴にフライパンを掴んでスポンジで擦り始めると、背後から忍び寄ってきたハウスがウィルソンの肩に顎を載せるようにして覆いかぶさってきた。

「カリカリするなよ、ハニー。今度給料が出たら、食器洗浄機を買ってやるから」

からかう気満点の、滅多に出さない甘い声で囁いてくる。

たぶん、戻ってこない眠気に持て余す時間に、皿洗いの邪魔をしたいだけだろうが、皿を洗う腰へと腕を回し、べったりとくっつきながらゆったりとしたリズムで左右に揺れる。

「夕べの飯もうまかったぞ。ウィルソン」

 

悪ふざけは、ハウスの日常的なお楽しみのひとつだが、わぉ、俺達、アツアツな新婚の夫婦みたいだなと、ふざけを続けるハウスに、したくもない皿洗いをしているウィルソンは、ぷつんと切れた。

年齢よりも若くみせる、優しげなベビーフェイスのおかげで、温和な性格だと誤解されやすいが、ウィルソンは人の心をささくれ立たせることの名人であるハウスの長い友達なのだ。ストレスをため込むくらいなら、リミッターを切ってしまうことへのためらいはない。

 

「じゃぁ、ハウス、いい子で食事を作り、皿を洗う僕に、ご褒美をくれるかな?」

ほんの5分で洗い終えられる量の皿を洗い終え、手に付いていた泡を洗い流し、振り返ると、人の体温に寄り添うことで眠気を取り戻しかけていたのか、ウィルソンの肩に頬を押し付け、目を瞑りかけていたハウスが、びくりと顔を上げた。さすがに、瞬時には憎まれ口がついて出ず、もごもごと口を動かしてはじめて、ハウスは、不快げに眉間へと皺を寄せる。

「さっき、食器洗浄機を買ってやるって言っただろう、ジミー?」

「食器洗浄機はいいよ。当番でやればたいした負担じゃないし。それより、僕は今、ご褒美が欲しいんだ」

「キャンディ?」

それでも風向きが悪くなったのは察知したのか、逃げ腰のハウスは、後ずさりを始めている。

「惜しい! 舐めるものには変わりはないけど」

 

「嫌だぞ! やめろ! ジミー!」

足の悪いハウスを追い詰めるのは簡単だった。

「なんで、ハウス? 欲求不満の君がしたがってるのは見え見えだったよ。今晩だって、もぞもぞとスボンの前を直しながら、僕のこと見て舌打ちして。僕が解消の手伝いをしてあげるよ。親切だろ」

「何日もお前が居座るせいで、気軽にオナニー一つ、できなくて舌打ちしただけだ。嫁に浮気されて意気消沈中で勃つものも勃たなくなってるお前の前に、娼婦を呼ぶってのも、趣味が悪いしな」

カウンターに押し付けられて、ハウスは憎まれ口を利きながら歯を剥いている。

「へぇ、そんな気遣いを君ができるとは知らなかったな。大丈夫だよ。僕のはちゃんと機能してる」

「そうか、それはよかった。じゃぁ、明日にでも女を呼んで、溜まったものを処理して貰え。俺の馴染みの店を紹介してやろうか? 美人揃いだし、サービスも悪くない」

押さえつけられ、逃げられない体の中で、唯一諦め悪く逃げ惑う大きな青い目を、ウィルソンはじっと見つめた。

「往生際が悪いぞ、ハウス。僕が何をしたいのかわかってる君は、僕が誰からそれを欲しがってるかもわかってるはずだ。確かに、真夜中の二人っきりの部屋で迫られたら、怖いと思う君の気持はわかるけど、いつも通りのことしか、僕はする気はないよ。僕は君が好きなんだから」

怒ってはいたが、ウィルソンは、本当にハウスに怖い思いをさせる気はなくて、さっきのハウス以上に甘く囁いた。だが、二年以上もウィルソンの告白に対して、曖昧な宙ぶらりんの態度を貫いてきたハウスは勿論、簡単には同意しない。

「怖いもんか! なんだ。ジミー、お前はアレがしたいのか。でもな、残念だが、俺はお前とアレをすると、調子が悪くなるんだ。俺は悪い病気かもしれない。覚えてるか? 一度目、俺はどっと汗が出てどうしようもなかっただろ。そして、二度目は、寒気がしてガタガタ震えてた。俺は、アレに向いてない。もしかすると、お前とするアレに対するアレルギーがあるのかもしれない」

なんとか逃げようと、ハウスはウィルソンを押しやり、もがく。

「……本当によく口が回るな、君は。よし、じゃぁ、僕は医者だ。診断してやる。ハウス、それは、病気でもなんでもない。君と僕がたまたまそんなことをしたのが、真夏と、雪の降ってた寒い冬の日だったからだ。こんなに追い詰められてるってのに、君はよくそんなこと考え付く余裕があるな。本当は、されるのが嫌じゃないと思ってるから、そんな余計なことが考えられるんじゃないか?」

ハウスの悪態に呆れ果てたウィルソンは、友人がこれ以上、口を開こうとする前に、カウンターにハウスを押し付けたまま、足元に膝をついた。ハウスの腰からスエットを引きずり降ろす。

「おい、この馬鹿!」

年を重ねて緩みを示す肌の軽く膨らんだ下腹の下では、グレイに色を変えつつある陰毛の中で、緩やかにペニスが勃起していた。

だが、これは、ウィルソンとのセックスを望んで興奮しているわけではない。同居以来、解消の場のなかった欲望がこの形をつくらせているだけで、そのくらいのことは、ウィルソンも弁えている。

けれど、勃っていれば嬉しい。

にっこりと笑ったウィルソンが、包み込むように片手で握って、上下させると、それはすぐに大きくなり始めた。

ハウスが思わずといった感じで、はぁっと、湿った息を吐き出す。

握られて、気持良くなってしまってから、まだ、抵抗を示すような清潔な厚顔さを、ハウスは持ち合わせていなかった。少し顎を上げ気味に、頭をそらして、目を閉じた顔は心地よい肉体的な快感を受け止め始めている。だが、憎まれ口は閉じられない。

「ウィルソン……お前なぁ、顔がにやついてるぞ……」

目を開けてもいないくせにと、ウィルソンは苦笑した。

「まぁ、久しぶりに君のこんなところを見てるわけだからね」

握ったものは、くちゅくちゅと、濡れた音を立て始めていた。

「気持ちいいだろ、ハウス」

「お前がしてるんじゃなけれりゃ、きっともっと気持ちいい」

そういう癖に、ハウスは、薄い唇から、満足げな溜息を吐き出している。

「そうか? 結構器用だって言われるし、君が金を払う娼婦たちより、ずっと愛情だって籠ってるのに?」

「ジミー……」

ウィルソンが愛の言葉を口にすることを、ハウスは嫌がる。

現在、ウィルソンの結婚生活は清算という方向に向けてじりじりと進みつつあるが、それ以前にも、ハウスへの常識的とは言い難い愛情を感じた時点で、一度、ウィルソンは離婚について真剣に考えたのだ。けれども、ハウスは、全くその考えを受け入れなかった。

それどころか、そのことを匂わせた途端、ウィルソンは、ひと月近くハウスに避けられた。それ以来、二人の関係は、緩やかな緊張感を引きずって、曖昧なままだ。

「なぁ、こんな状況の時に言うのは卑怯だって分かってるけど、僕は、たぶん間違いなく離婚することになるだろう。なぁ、ハウス、もう一度、僕とのことを考えてくれないか?」

「何を考えるんだ? お前と、俺で? そんな暗い未来は、俺は嫌だ」

肉体のみの関係は時に受け入れることもあるが、ハウスの気持ちは、変わらず頑なだ。

だが、これが、ウィルソンを嫌ってだというわけではないことは、長い付き合いもあり、ウィルソンには分かってきていた。

「そう? 僕は料理が上手いから、君の好みにぴったりだろ」

それに、これもと、ウィルソンは手の中で十分に大きくなっていたものを、口に含んだ。

温かい口内にハウスの勃起を受け入れ、包み込むとぐっと、ハウスの腰に力が入った。

じわりと前へと突き出された腰が蕩けるほど、ウィルソンは熱心に舌を動かす。

欲求を溜めて、焦れていたハウスを満足させるために、勃起の先端に柔らかく唇を擦りつけ、小刻みに舌を動かして舐めさすり、先端から付け根、そしてまた、亀頭の裏側の溝を辿って、重く垂れた袋にまで舌を這わす。ふんっと、可愛らしいような音を鼻から漏らしたハウスは、引きはがすためではなく、引き寄せるためにウィルソンの髪を指で掴んだ。

根元をきつく咥えて、扱いてやると、ハウスの腰がぶるりと震えた。

くぅっと、ハウスは歯を噛みしめる。ウィルソンの髪を掴む指にも力が入る。

「……っ、ぅ、……おっと、ただでさえ、……っ、ヤバそうなお前の頭がヤバいことになる……っ」

緩やかに隆起した下腹がぶるぶる震えるほど力を入れているくせに、まだこの友人の口からでるのは憎まれ口だ。

「その前に、君がいきそうだけどな」

仕返しと、付け根から焦らすように、ただ撫でるだけの動きを繰り返していていると、ハウスは不満げに喉の奥で唸った。

くすりと苦笑して、ウィルソンは膨れている先端の丸みを口に含み、あふれ出てきているものを啜りあげながら、柔らかく垂れ下がっている陰嚢を手の中に握り込んで弄る。決して力を入れずに手の平で包みこんで遊ばせると、ハウスは、はっと、息を飲む。

「ほら、いいんだろ?」

いやらしい液を零している先端の窪みへと、粘っこく唾液をなすりつけ続けると、ウィルソンの髪を掴む力がますます強くなった。

深く咥えろと下腹へと押しつけてくる力に逆らわず、喉の奥まで明け渡してやると、ハウスの腰が動き出す。

苦しくて、ウィルソンは深く咥えることがそれほど得意ではなかったが、それでもハウスのものを咥えたまま唇を締めていると、かなり追いつめられていたのか、せわしない抽送は、ほんの二、三往復で終わり、腰を震わすハウスの尿道口から、熱い液体がぴしゃりとウィルソンの口内に広がった。

ううぅぅ……ぅと、唸りのような声を上げるハウスから撃ち出されるしたたりを、余すことなくウィルソンは受け止め、そのまま喉の奥へと送り込む。

 

「…………はぁ、ぅっ………」

満足げな息をハウスが吐き出した。

溢れ出していた唾液で濡れた口元を拭ったウィルソンは、友人が余韻を楽しむために十分な時間、膝をついたまま見上げていた。

「ウィルソン、立て」

やがて、ハウスはウィルソンに命じた。

決して目を合わせずにウィルソンのズボンの中へと手を入れる友人は、この行為での貸しを作りたがらない。だが、勿論、キャンディを上手に舐める口で、咥えてくれるわけではない。

けれども、この時ばかりは抱きしめても嫌がらないから、ウィルソンはハウスの乾いた手で扱かれながら、カウンターに寄りかかるようにして立っている友人を引き寄せ、しっかりと抱きしめる。

「ハウス、好きだよ」

「くんくん、人の匂いを嗅ぐな、気持悪い」

腕の中のハウスの鼻にはきつい皺が寄っている。

「いいじゃないか、手でして貰ってるだけじゃ、なかなかいけそうにないんだ。でも、君の匂いを嗅いでると、興奮する」

「変態が……」

けれど、拙くペニスを扱く手は、乱暴になったりはしない。技巧もなく単調な動きだが、それでもその長い指の持ち主は、ハウスだ。

「時間がかかった方がいい?」

僕は、それでもちっとも構わないんだけど。

それだけで、気持の高ぶりを覚えるウィルソンは、ハウスの指を自分のものからあふれ出た液体が汚すことにも興奮を感じていた。それを誤魔化すために、ハウスの首元へと鼻を押し付け、匂いを嗅ぎまわる。

ちっと、大きく舌打ちの音がして、それでハウスは、匂いを嗅がれるのを嫌うことをあきらめた。力の抜けた背の高い体を、さらにウィルソンは腕の中に抱き込む。

「ハウス、本当に君が好きなんだ」

ウィルソンは、そのままハウスの耳の後ろへと口付けていった。

そして、耳元で今、一番望んでいる願いを口にした。

「……できたら、僕とのことを、少し真剣に考えてほしい」

 

 

石鹸をつけてしつこいほど手を洗ったハウスは、濡れたタオルをウィルソンへと投げつけると、杖を引きよせ、自分の寝室へと引き上げようとする。いや、その前に、わざわざ12時をとっくに回った時計の針を見上げる。

「明日の、いや、もう今日だな、今日の洗濯当番は、ウィルソン、お前だったよな?」

 

ハウスは、ウィルソンの願いには、何の返事も返しはしない。だが、ハウスは、こんな夜を過ごしながら、出て行けとも言わない。

 

ウィルソンは、投げつけられたタオルを受け止めながら、友人の背中に返した。

真夜中だというのに、ウィルソンの顔はにやにやと笑っている。

「なぁ、皿洗いをサボったら、翌日から二日続けて当番だって、君が言ってたの覚えてるか?」

でも、たぶん、明日の晩も皿はシンクに残っている。

 

END