長く、甘いキス
「あ、悪い。もう、こんな時間だ。そろそろ」
「ああ、そっか。そうだな」
今日あった撮影所のいろいろな細かい出来事や、文句など、散々しゃべって、やっと笑いながら見上げた部屋の時計の時刻は、ジュードに、思ったよりも長く腰を落ち着けてしまったことに気付かせた。
ジュードが慌てて腰を浮かすと、部屋の主であるロバートは、立ち上がりかけているジュードを見上げながら、少し手を広げて、肩をすくめて見せた。おどけたように引き上げられた左頬は、もう帰るのか?と言い、そして、真面目な表情のままの右側の顔は、気をつけて帰れと告げていて、ロバートは本当に器用だと、ジュードは笑いそうだ。
「うん。遅くまでごめん」
「いいや、こっちこそ、長く引き留めて悪かった」
休憩の雑談中、読みたいと言ったどこにでも売っている雑誌を、持っているから借りに寄れよと、言われたジュードが、ロバートの部屋を訪ねることができたのは、押し始めているスケジュールと、カメラトラブルのせいもあり、夜の11時を過ぎてからだった。
必ず寄れよと、約束させられていたこともあり、寄ったわけだが、早朝の風景をバックに撮る予定の入っている主役の部屋を訪ねる時間として、この時間が無理な訪問なのではないかと、ジュードに躊躇いがなかったわけではない。
朝焼けと共に撮るロバートは、自分が明日、3時か、もしくは4時には現場入りしなければならないことを、勿論自覚しているはずで、どんな意図があって、ロバートが必ずと約束させたのか、思い当たらないのが、ジュードを余計に躊躇わせる。
約束が反故になっていることも、覚悟の上で、ノックすれば、だが、すぐにドアは開けられ、だらりと気の抜けた部屋着姿の年上は、部屋の奥を、頭を振って示し、勿論、そうするロバートの両手には、雑誌は見当たらなくて、ドア越しのやり取りで引き返すこともできず、ジュードはその背中をついて行くしかなかった。
ソファーに腰掛け足を組むと、腕の中へとクッションを引き寄せた主役は、その生地へと顔を擦りつけながら、あくびをかみ殺す。
「ずいぶんかかったな」
「ああ……『カメラのトラブルが』」
理由を言おうとすれば、同時に声は重なり、言い当てられたことに、ジュードは笑ってしまった。なんで?と、口を開く前に、ロバートは指を正面に座っているジュードへと突きつけ、静かにするよう求める。
「俺がシャーロック・ホームズなのを知らないのか?」
ち、ち、ちと指を振る。
「勿論、知ってるけど、あれ? 昨日、ロバートを撮影してたカメラマンって……?」
同じスタッフが自分たちに関わった可能性を、ジュードは、ワトスンっぽく指摘しようとした。
「違う。それは、あまりにも稚拙な推理だ。ジュード。現代には、もっと、簡単で正確な情報を得るための文明の利器って奴があって……」
わぉっ!と自分で歓声まで用意したロバートが見せたものと言えば、携帯電話で、やられたとジュードは、顔を顰めるしかなかった。
「君の周りには、俺のスパイがたくさんいるんだ。たとえば、もし、君が、俺との約束を破りそうだったら、強制的にここへ放り込むような腕ききもね」
「へぇ」
そのスパイは、誰なんだだとか、ランチに出た豆のサラダはイマイチだったとか、ジュードがディナーにありついた時には、ロバートが食べたというローストビーフはなかっただとか。ヒット映画の二作目ともなれば、スタジオ内のこともお互いに知り尽くし、スタッフに対する評価も、親しみを込めた辛辣さに磨きがかかって、笑える話題には事欠かない。
「照明のマイクに、もうすぐベイビーが生まれるって聞いたか?」
「マイクって、あの、背の高い方のマイク? へぇ……」
「しかも、4人目。今度こそ、待望のプリンセスだそうだ」
「それは、楽しみ」
母親に似ればなと、ロバートがにやりと笑う話題は幾つもあって、不意に見上げた時計の針が、ドアを開けた時より、ずっと進んでしまっていることに気付いたジュードは顔を顰めた。
「……ごめん。俺は、明日、遅いんだけど、ロバートは早いんだよね……?」
「お前は、俺の周りにスパイを仕込んでないのか?」
欠伸をしながら、にやりとやられて、ジュードは苦笑した。
「悪い。もう、こんな時間だ。そろそろ」
「ああ、そうか。そうだな」
ロバートは、肩をすくめて、もう帰るのか?と、名残を惜しんでくれた。
「うん。ありがとう。遅くまでごめん」
「いいや、こっちこそ、遅くまで引き留めて悪かった…………なんて、言うと思ったか? ジュード?」
そういうロバートに、ソファーから半分腰を浮かせた不安定な態勢で、急に胸元を掴まれ、ジュードは前に崩れ落ちそうになりそうになった。
「俺のスパイは、お前が、今日のカメラテストに呼ばれてた新人女優と、携帯のナンバーを交換してたのも、俺に報告してるんだよ」
大きな茶色の目が、ジュードを睨みつけながら、蔑んでいて、ジュードは思わず舌打ちした。
「……スパイって、ああ、くそっ、そういうことか……!」
ぐいぐい、ロバートに服を掴まれているせいで、とうとうジュードはテーブルの上に膝を付いている。
「どう釈明する?」
ロバートの大きな目は、ジュードの顔をぴたりと見つめ、目を離さない。
「冤罪……は、無理だよね?」
思わず、ジュードの両手は、頭の上に上がっている。
「俺の情報は確かだ」
「認める。……確かに、交換したんだけど」
「けど、なんだ?」
「連絡はしてない。ロバートのスパイは、あの子が誘ってた今日のパーティに出てるかもしれないけど、俺は、ここにいる……し」
もっと、ぐいっと胸倉を掴まれ、ジュードが机の上に綿パンの膝を付いて完全に座り込む形で引き寄せられると、大きく開いたロバートの口がかぶりついてきて、舌が口の中を蹂躙していった。
噛まれるか、頭突きを食らわされるのかと、思わずジュードがぎゅっと目を瞑っていると言うのに、ロバートは、いやらしく舌を使って、ジュードの口の中を舐め回す。
最初の驚きが過ぎ去り、ジュードの舌がおずおずとキスに応えようとすると、唇が動いて、ロバートが笑ったのをジュードは感じた。許されたのかと思ったのに、どんっと胸を押され、付き離される。
「ここに来たからって、許されると思ってるのか?」
立ち上がったロバートは、顎を上げて、低いテーブルの上で反り返るようにして、崩れ落ちているジュードを見下ろす。光の加減で顔が影になり、表情が読めない。
「……ロバート?」
思わず、みっともなく、テーブルの上で身を縮こまらせているジュードの上に、覆いかぶさるように、ロバートが圧し掛かって来た。
抱きとめるといった格好いいものではなく、テーブルの上へと押しつけられ、押しつぶされる形で、ジュードは、ロバートを受け止める。
「ジュードとなんて付き合うものじゃないな」
ロバートの唇が、強引にジュードの唇に重なる。
また、キスの主導権は、ロバートにあった。
キスしながら、ロバートは、ジュードの腿の間に、足を割り込ませ、スェットの膝でぐりぐりと股間を刺激する。
最後には、ねとりと、ロバートは、ジュードの唇を舐めていった。
テーブルの上なんて場所で、年上に、散々いいようにされて驚いているジュードが、やっと目を開いて見上げて、どれだけロバートが怒っているのかと伺えば、年上は、怒っているというよりも、にやりと悪く笑っている。
「俺なんか、もう、飽きたってか?」
こんなにお前のこと愛してるのにと、キスに濡れた唇で悪く笑うが、だが、ゆったりと楽しむキスは上手いのに、残念ながら、ロバートは、強引なキスは、せっかちになるばかりで得意じゃない。
意地の悪い顔でだが、それでも笑っているロバートに、ジュードはほっとし、蹂躙者を装う逆光の人を、まぶしく見上げる。
「……結局、ロバートは、雑誌は持ってないってこと?」
「ジュード、だからって、お前が優位ってわけじゃないぞ」
耳元に、そう?と囁いて、引き寄せた年上をぶるりと震えさせると、そのままジュードは、強く唇に、唇を押し当てた。
やわらかい唇の感触を楽しみながら、何度も、何度も唇を押し当てていると、待ちきれなくて、先にロバートの口が開く。
「そうだ」
開いた口にするりとジュードは舌を滑り込ませたが、途端に、ロバートに両手で頭を抱かえ込まれて、離して貰えなくなった。
今晩は、どうしても、キスをリードするつもりのロバートは、ジュードを机へと押さえ付けたまま、口内に遊びに来た舌に舌を絡ませ、熱心に動かす。
そのうち、それにも飽きたやわらかい肉塊が、今度は、ジュードの口の中に侵入してきて、甘ったるく口内を舐め尽くす気持ち良さに、思わずジュードのガードが緩む。
互いの鼻を擦り寄せあいながらするキスのような、こういう甘いやり方が、本当にロバートは得意だ。
思わず、ジュードが心地いいキスを受け止めるだけになると、途端に甘く擦り寄せ合っていたはずの鼻をつままれた。
ロバートがにやにやと見下ろしている。
「坊や、もっとキスしてって顔してるぞ」
ジュードは、真上から見下ろしてくる年上を眺めながら、ふわりと笑った。
「俺は、ロバートのものだから、したいなんなら、ロバートがしたいだけ、もっとキスして」
だが、面白がってキスしてくるかと思っていたジュードの予想と違い、ちっと、ロバートが舌打ちした。
「くそっ、かわいい真似するな。ジュード。俺は、明日の朝早いってのに、睡眠時間を削ってまで、お前を待ってたんだぞ」
はぁっと、ロバートはため息を吐き出すと、ジュードのセーターが伸びるのも構わず、胸元を掴んで、身体を引き起こした。
すぐ、側にソファーがあるというのに、二人して、机を跨いで座っている。
「浮気者め、釈明の言葉は?」
「……えーと、その、……ごめんなさい?」
携帯の番号は、礼儀として交換しただけであって、そんなことはロバートだってやってるはずなのにと思うジュードが謝罪を言い終わる前に、また、唇は塞がれた。何度も、何度も口付けられる。
「カメラがトラブってるとは聞いてたけど、あの時間だぞ。お前が来ないんじゃないかと思って、ぞっとした」
ロバートの告白に少しばかり胸をときめかさせながらキスを返すジュードの頭の中では、結局、終わりの声が聞こえるまで、現場を離れることが出来ずにいた自分のことを最後までは見届けず、正確な情報をロバートへと送れず、先に上がったスタッフが思い浮かべられている。スパイとして怪しげな候補者は2、3人いた。ジュードは明日、白状するまで締めあげてやると思っている。
キスが気もそぞろだたったのか、ロバートにその気持ちを見抜かれた。
「ジュード、俺のスパイは、一人だけじゃないぞ」
どこかに笑いを含んでいるが、大きな目がぎろりと睨んでいる。
ジュードは、ぐっと、唇を唇へと押しつけた。
「ね、遅いし、もう寝よ。今晩、泊めて」
長めにキスすると、立ちあがったジュードが、今度はロバートの手を引く。
「くそっ、ジュード、お前、うやむやに誤魔化すの上手すぎだ」
立ち上がりながら、ロバートは、むっと唇を尖らせた。
「そう? 俺、不機嫌にさせずに、人を起こすのも得意だよ。ロバート、何時間後に起きるの? 俺、起こしてあげるから」
だが、結局、ロバートを起こしたのは、ジュードの携帯のアラームだ。
ぐっすり眠っている年下の髪に、まるで祈るような長いキスをすると、ロバートは、そっとベッドから出た。
「うそつきめ」
シーツに潜り込むようにして眠っているジュードを見下ろし、くすりとロバートは笑う。
「嘘が下手なところは、かわいいんだがなぁ……」
はぁっと、一つため息を吐き出して、ベッドの上の携帯を取り上げ、ジュードのために新たなアラームをセットしながら、ついでに、無作為に選び出した見知らぬ女名の登録を一つ消してしまう。
指は、まだ消したいと迷ったが、それで、ロバートは、携帯を手放す。
「一つだけで許してやるんだから、俺って心が広いだろ」
眠るジュードの側で、軽く携帯は弾んだ。
その衝撃に驚いたのか、眠ったまま、むにゅむにゅと、ジュードが意味をなさない寝言を言う。
それを少し楽しげ笑ったロバートは、ジュードの顔をじっと覗き込むと、着替えのために、寝室を出た。
END
事情があって、もしかしたら、使えるかなぁ?と、書きかけの話を引っ張り出し、手を入れてみたのですが、やっぱ、こんなのじゃダメだしなぁとか、思ってアップしてみました。リサイクルですみません(笑)久々のじゅーだう。