抱きしめる。

 

奥様方の香水と、化粧品の匂いが立ち去って、主役と、その相棒は、目を見合わせた。

「お疲れ」

後ろから掛けられた声に、ロバートは、即座に反応する。

「……お疲れ様?」

非難とからかいを含んだ言い方をして振り向いたロバートを、監督というこの場の総責任者であるガイは、苦笑で受け止めた。理不尽に撮影を中断されたというのにロバートの目が、今のできごとをどう料理して楽しもうかと輝いていて、心の隅でほっとする。

「お疲れ様でした。主役様。ギャラにないことまでやらせて悪かったよ」

「そうだとも。豊満で御年配の女性が好みのジュードはともかく俺は厚化粧が嫌いだ」

ジュードの腕は、さっきまで、ほんの少しばかり肉付きの良すぎるおばさまの背中に回されていたのだ。

「酷いよ、ロバート。あなたがさりげなく俺の方に余分に彼女たちを押しやったせいだろ」

「おばあちゃまは、お前の好みだろう。頬にキスまでしてやるなんて、ジュードは、本当に親切な奴だ」

「それは、ロバートが、議員とゴルフの話題で盛り上がるから」

日焼けした議員の肌を見るなり、ロバートは、自分からゴルフの話題を振っていき、ひとしきり話に花を咲かせて、よほど勇気のある御婦人しか自分に近付けようとしなかったのだ。

「いいじゃないか。ここじゃ、俺より、お前の方が人気があるんだ。俺のサインなんか貰うより、お前のを貰った方が、彼女たちもよっぽど満足する」

ガイは、楽しげに言い争う主役たちに、ほっとして肩を竦めた。撮影に理想的な地域で友好的にロケを続けるためには、たまに、とんでもないサービスをしなければならないことがあるが、今日がその日だった。アポもなく、地元議員が支援者を連れて訪れたのだ。撮影中にファンサービスを求められることに不機嫌になる役者も多い。だが、目の前の二人の機嫌は悪くない。ただし、器材に埋もれた監督やスタッフのもとにやってきたロバートとジュードは、さっきまで入っていた役柄は、残念ながら抜けてしまっている。ロバートが、ジュードの肩を引き寄せ、ひそひそとやり二人してガイを見たまま、にやにやと笑う。

「なんだよ」

「ん? ガイ、知りたい?」

聞かせるつもりなのに、ロバートは焦らす。

ごほんと咳払いをして、背筋を伸ばしたロバートは、実に、ガイ・リッチーという男は、処世術に長けていると、大げさに褒め称えた。本心と裏腹なのは見え見えだった。

「悪かったって言っただろう?」

「言ったか、ジュード? お前、ガイが謝ったのを聞いたか? それよりも、さっきのだよ! すごく笑えただろ。『俺が誰だか知ってるのか!』」

ロバートは、威厳と肉がたっぷりだったさっきの議員を真似て、突然大声を出した。青筋を立てた激昂に、急にできた待ち時間をもてあまし椅子に腰かけるスタッフからもくすくすと笑いが漏れる。

「ガイも、どうせ親切にしてやるつもりなら、その無線機で、こう言ってやればよかったのに。お客様、少々お待ち下さいませ。こちら、Aセット。こちらに御自分の名前を忘れてしまったという気の毒なビジターがいらしてるんだが、もし、そっちの受付に名前があったら教えてくれ。え? 何? ボケ老人の届け出ならきてる?」

ガイが肩についた無線機で外部と連絡を取る時と全く同じ、特徴のある角度に身体を曲げて、イントネーションまで同じにした真面目腐ったロバートの悪意のあるジョークに、スタッフたちが吹き出した。誰も、からかい遊ばれる監督を助けようとはしない。

票集めの議員様たち御一行が訪れ、別セットで撮っていたジュードまでカメラを止めて呼び寄せることになった段階で、俳優たちの今日のスケジュールを立て直す必要ができたのはわかっていたが、スタッフたちの緊張感も切れてしまっているのに気付いた監督は、もう、気分を切り替えるために十分な時間の休憩を入れるしかないのだと理解した。このまま無理に撮影を再開するよりは、その方が効率がよさそうだ。

ガイは、大きくパンと手を叩いた。

「30分の休憩にする」

「やった!」

怠惰に椅子に腰かけていたスタッフたちまで、いそいそと動き出す。盛大に顔を顰めてその背中を送り出しながら、さっき、ロバートがやったのと同じだけ身体を斜めに曲げて、ガイは、ジュードの撮影を進めていたBセットに呼びかけた。

「こちら、ガイ。30分後に、撮ってたシーンから撮れるよう、準備を進めておいてくれ」

 

 

『準備を進めておいてくれ』

ロバートは、まだ、ガイの真似をして一人で笑っている。いつだって無精をして肩についた無線機を外さず、無理な姿勢で連絡を取ろうとするガイの姿は、確かに特徴的だったが、そこまで笑っている必要はない。特に、二人きりのしかも、人目につかない場所にいるのであれば。しかも、この埃っぽく狭い場所へは、ロバートがジュードを連れ込んだのだ。やれやれと瞳を緩めるだけで、笑いに乗ろうとしないジュードに気付いたロバートは、滑ったことをものともしない澄まし顔で、背筋を伸ばして近付いてきた。ジュードの目の前まで来ると、ためらいもなく腕は年下の俳優の首へと回され、ほんの僅かに背伸びをするロバートの唇がジュードに接近する。

その唇が接近するほんの僅かの間に、ふざけていたロバートの表情がすっかり変わっていた。

短く触れ合った唇を離し、潤んだ目でロバートはジュードの瞳を見つめた。少し硬くなりつつある股間は、ジュードに押し付けられている。触れあった部分がじんわりと熱い。

「キスがしたくて、俺のことここに誘ったの?」

「お前、したくない?」

興奮で性器が形を変えている部分を、ジュードの股間にぴたりと押しつけたまま、ロバートは拒まれる心配など全くしていない安心しきった様子で、抱き寄せるジュードに身体を寄せかかる。

「したいけどさ」

「したいけど、なんだよ?」

戯れるような軽いキスで、ロバートは、何度もジュードに攻撃を仕掛けてきた。自分も唇を尖らせ、キスに応えながら、ジュードは、くすくすと年上の子供じみたキスを笑った。

「30分、キスだけ?」

「んー、ここを選ぶまでに間に、10分使っただろう?」

わざとらしく腕時計で時間を確かめるロバートは、実にそつなくすれ違うスタッフたちと談笑しながら、俳優二人が姿を隠しても、決してかくれんぼの鬼には見つからないだろう場所を選びだした。トントンっと、時計の表面を叩き、ロバートはジュードに注目を促す。だが、

「お前が、早足でスタジオに帰るというのなら、後、残り時間は15分だ」

時間をジュードが確かめる間もなく、ロバートの腕は、またジュードの首へと回った。軽く口を開いて、深いキスを求めてきた恋人の魅力的な姿に、ジュードは抗えなかった。ロバートの腰へと回していた腕に力を入れて、熱くなっている腰をぐっと引き寄せる。どっちの舌が相手を制しているのか、わからなくなるほど、濃厚に舌を絡ませるキスを長く続けて、やっとロバートに、ふうっと満足の息を吐かせる。そのままジュードは、濡れたロバートの唇の付近へと、何度も甘いキスを贈ることを始めたかった。だが、ロバートがジュードの唇を追いかけてきて、子供じみた邪魔をする。

「いやなの? もっと、キスしたいの?」

頬にするはずだったキスが、唇に捕えられる。

「お前はしたくないの?」

答えを示すために、ジュードは、今すぐ、ふざけた文句を言い出しそうなロバートの唇を塞いだ。

ロバートの目が閉じられた。伏せられた長い睫毛は、完全に安心したことを示すサインだった。ジュードは、軽く舌を触れ合わせるだけで、ロバートの口の中で舌を遊ばせるように動かした。舌の表面の敏感な部分を擦っていくジュードのキスに、ロバートがもっとと舌を差し出す。

「今日は、キスばっかりだ」

「そうだな。ジュードは、さっき、ほんの少しふくよか過ぎで、ほんの少し、お年を召し過ぎた御婦人にも、キスしてたしな」

今度は、ロバートの方が、キスを仕掛けてきた。舌を絡ませてくるロバートのリードをジュードは受け入れ、彼の身体を抱いていた腕を緩めた。ロバートは、先ほど、ジュードがしたのと同じ、舌の表面を擦り合わせるようなキスをする。ただし、ロバートは、ジュードみたいに触れ合わせる努力を惜しみはしなかった。うっとりと何度も、ロバートは目を瞑る。

「お前、女には、本当に親切なのな」

そして、キスの合間に、嫉妬するようなことを言って、軽く唇を、歯で噛んでくるのだから、ジュードはたまらず、強くロバートを抱きしめ、自分の唇を押しつけた。力加減が強すぎて、ロバートはかすかに呻きを漏らした。だが、ジュードは、やめられなかった。

「ハグしたのが嫌だったの? それとも、頬にキスしたのが?」

強く唇を押しつける隙の、僅かの間だから、声はくぐもった。ロバートも、自分からも唇を押し付けてきた。

「どっちもだ」

「だって、彼女、俺のおばあちゃんと同い年だって言うんだ。それであなたのファンなのなんて言われちゃ、キスもハグもしたくなるでしょ?」

「でも、あのばあさん、お前の尻を撫でてたぞ?」

ロバートはわざとらしいほど眉を顰めた。ジュードも情けなく眉を下げる。

「……知ってるよ」

唇をくっつけたまま二人して、くすくす笑った。ついでに、程良い力加減で舌を絡めるキスも、再会させる。

「愛されてるな」

キスは、繰り返し、繰り返し行われ、きりのない行為は、若いと言い切るには、少しばかり年のいった二人の股間をも、熱くしていた。ぴったりと腰は重なっているのだ。二人とも、互いの状態は分かっている。

だが、二人とも、わざとそこは意識しなかった。

ただ、キスを繰り返す。

 

「気持ちいいな。このままでずっといたいくらいだ」

ロバートが、硬くなっているものをジュードの腰に押し付け、何の話がしたいのかを示した。

「そうだね」

ジュードも、ふうっと熱い息を吐き出しながら、同意した。下腹部に渦巻く熱は、じわじわと射精感を刺激しはじめていたが、出して終わりにしてしまうのが勿体ないような心地よさだった。

唇を触れ合わせるキスをやめて、ジュードは、今度こそ、せっせとロバートの頬や顎、それに首にも唇を押しつけるキスをロバートに贈り始める。

「やめろって、お前は、それ好きみたいだけど、こっちは擽ったいんだぞ」

ジュードの頭を掴むため、触れ合わせた腰をよじったロバートが、少し汗で湿ったジュードの額に唇を押し当てる。

「やっぱりそうだよな。こんなにいいのに、最後、焦って5分でいくのは、勿体ない」

そして、大人しくしていろといわんばかりに、ぎゅっと頭を抱いたまま、ロバートはつぶやく。だが、そう言った直後には、あれほど、いい感じで重なっていた腰を、大きくひねって、いやらしくぐりぐりと硬いものを擦り合わせてくるのだから、やはり、ロバートは、ロバートだった。ジュードの尻を掴んで撫で回しながら、悪戯っぽく輝く目が、ジュードを見つめる。

「で、我慢できそうか、ジュード? 俺は年だから、平気だけど?」

手を焼かせる年上の唇をジュードは塞いだ。

「平気じゃないけど、我慢するよ」

褒めるような甘いキスをロバートは寄こした。

 

 

 

「遅刻だぞ。ロバート・ダウニー・Jr、君は、2分の遅刻だ」

「ガイ・リッチー、世界が、俺や君の思うよりもずっと広かったんだよ」

素直な謝罪の言葉を口にしながら、スタジオに駆け戻ったジュードと違い、ロバードは余裕たっぷりにウィンクを返した。

「さぁ、じゃぁ、ご機嫌な主役様のお帰りだ。始めるぞ。ライト、いいか?」

 

 

END